最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

不動産の話

2023-07-10 14:33:11 | 日記
私のブログの話題の多くが室内で、あるいはせいぜい庭まで、なのは、類稀なる出不精なのと、親しい人間関係が数少ないこと故だと、自分でも判断しています。
熱中症の危険は、屋内でもあり得るので、これは理由からは除外するとしても、例の疫病も、更に私の行動範囲を狭めたのもここで、何度と知れずお話ししてきました。

ご存じのように(まあ他人事ですが)私は自宅(築40年)と陋屋と言っている別宅(明治7年築、もう少しで150年ですね)の両方を行ったり来たりして暮らしています。別宅は、土蔵だけが2階建て、居宅部分は総平屋です。オール畳で、廊下まで畳廊下になっています。天井が概ね高いですが、仏間と、家中で一番狭い居間(時計の間と呼ばれています)のみ、天井が低い作りになっている理由は、謎です。家人の五代前の長老(天保年間の生まれ 奉行所からのお褒めの奉書が土蔵にありました)が、陋屋を建てたらしいです。京都の料亭を解体して移築、地震など災害からもかろうじて逃れて今日にいたるようです。
自宅にも仏間がありますが、そこには、私の総桐箪笥が油単を掛けられて、鎮座していますので、月二回の月忌参りは陋屋の仏間でお願いしています。
この陋屋では、生まれた赤ちゃん(家人が最後)の数より、きっと、見送った亡骸の数の方が多いのでは、と勝手に推測します。私が嫁してからも、この家で納棺して、セレモニーホールへ、という場面を何度も経験しました。四十九日までずっと燈明とお線香を欠かさず、満中陰の法要までお骨をお守りする役目も何度となく果たしてきました。その期間はほぼ毎日のようにお参りがあったり、お焼香に訪れる方もいらしたりして、お客様受け入れ仕様で生活したものです。
そしていよいよ私たち自身が見送られる側の最前線にいることを最近は、実感して何とも神妙な心地です。
お線香ではなく、お香を陋屋では絶やしません。とはいえ、毎日陋屋に精勤?しているわけではありませんので、週に2,3回でしょうか。お気に入りの香合や香炉を選んで、もちろん、お香の香りもそれなりに選び(とはいえ、好きな香りのものを重ねることが多いです。暑さのみぎりには、ミントの葉っぱを生で重ね置きししたりもします)

さてさて、タイトルの話に行きつきませんね。
今日は序の口どまりにします。
現況は、これら2軒の新しくもない家を行ったり来たりです。なかなか整頓や掃除が行き届きません。原則、陋屋には衣類と本類は持ち込まないことにして生活感を少し薄めています。あと、本格的に料理をすることも少ないです。什器は、十二分に置いてはいますが。

敬愛してやまないブログ友のMadonnaさんがマンション暮らしながら、お庭もちだと知って、ふと思い出した光景があります。
学生時代を過ごしたムスコのマンションの1階部分が、庭付き分譲でした。
ムスコは3階に居住していましたが、そのエレベーターの中で、ある時、お元気なお年寄りの婦人に声をかけられました。その方は、5階にお住いの方とお知り合いで、その時もお庭の花をお届けになった帰りだとかでした。あっという間にエレベーターのドアが開いて、会釈してお別れしようとしましたら、「よかったら、わが家のお花お持ちになりませんか?」と思わぬお声がけ。その前後のことをはっきり覚えていませんが、とにかく、頂いたのが、桔梗と孔雀草だったのは鮮やかに思い出せます。
無精をきわめた学生生活をしているムスコの部屋にも花瓶だけはありまして、心を弾ませて活けさせてもらったのも昨日のことのよう。。。
お花を育てているご婦人はご近所にご自宅があり、ムスコさん一家がお住まいだとか。好きなお花を友に、一人住まいをし始めたんです、とのことでした。
そのお方のお庭側には、マンションの塀が建っており、お庭の様子は拝見できませんでしたが、その後何度もお花を頂戴したものです。

ようやく不動産よもやま話にちょっとたどり着きます。
京都の北白川の疎水べりにあったムスコのマンションは、ムスコが高校生の時に、購入しました。京都は不動産の更新が各年であるので、不経済だと聞き、そして学生時代も長くなることが必至なので、まさしく、清水の舞台から飛び降りる思いで、ド素人のただのサラリーマンの私どもが大きな買い物をしたわけです。自宅の住宅ローンも完済したタイミングでもありました。
ムスコのマンションは、もちろん中古で、もとの持ち主が、同じマンションの5階に空きが生じたのでそこに移る というきっかけで売りに出されたようでした。もとの住人の方(京大に長らくお勤めのおひとり暮らしの女性でした)にもお目にかかって、どんなに住み心地がよかったか、を聞かせてもらったものです。
その間取りがまた昔の団地?のような懐かしさがありました。2DKというのでしょうか。田の字形で、こじんまり、小ぎれいでした。東に向いた窓には比叡山が望め、北には、京都の五山を認めることができました。
お盆の休みに家人と二人、サンダーバードにとびのって、日帰りで調査?に来た私たち、すっかり気に入って、でもムスコの意見が第一ですので、その夜は、急遽、ホテルに泊まり、翌日、模試の帰りにそのまま京都に来るように、とムスコを促した次第です。
大学入試もまだまだなのに、本当に気が早い私たちでした。
その後複数のマンションを購入することになりますが、この最初のマンションには思い入れが深くて、ずっと手放すことはないだろう、と思っておりました。
ムスコが結婚してそこには住まず、やがて、京都はもっと北よりに、家を建て、で、あっさり、最初のこのマンションとはお別れしました。といっても、他に所有していたマンションの方を先に手放し、最後に身軽になったわけです。
どんなに、切ないか、と思っていましたが、お買い求めくださったお方に会うこともなく、家人が銀行で諸手続きを終えました。
家にまつわる話題は、どのご家庭でもドラマの如く、あれこれ尽きないかと思います。

時は移り、人は変わる 
なのでしょうか。。。
あんなに、熱心だった不動産屋さんとのお付き合いも夢のように定かではありません。
コメント (6)