憎みと愛とは一つの心の中で同居することは出来ないのである。
憎みは地獄であり、愛は天国である。憎みは鬼であり、愛は神である。
憎んでいる心の中に 「 神 」 を招(よ)び迎えようと思っても、
それは地獄の中に 「 神 」 に住んで貰(もら)おうと思うのと同じような愚かさである。
「 近くにいる隣人を愛することが出来ないで、
どうして眼(め)に見えない神を愛することが出来よう 」 と
イエスは云っているが、
家族や、同僚や、知人などを愛することが出来ないで、
神の愛の癒す力を、自分の内に流れ入らしめることは出来ないのである。
先ず隣人に対する憎みと怨みとを解き、
自分の心の塵埃(じんあい)を除き去って、
神の愛を流入させるべきである。
『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 二十日の法語 谷口雅春先生