他の人が、自己の掲ぐる道徳的又は宗教的標準にかなわないからとて、
始終 それを非難する心をもっている限りは、
自分自身が神と接触すべき最も肝心の場所に
「 非難 」 と云う絶縁体を置いているのと同じである。
だから、自分の標準をもって 他の人を審判(さば)いてはならないのである。
人を審判いたり、人を怒ったりする前に、自分自身の心の中に
「 神と接触する完全清浄の場所 」 ( 愛の場所 )をつくることが大切である。
人を責めることによって自分の心が汚れることを 慎まねばならないのである。
人を責める心を起した程度に、自分自身の受け得る神の愛を遮っているのである。
『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 二十三日の法語 谷口雅春 大聖師