先日まで、「渋谷」にある文化村「ザ・ミュージアム」で「フェルメール」の「地理学者」という作品を中心に「オランダ・フランドル絵画」の展覧会がありましたが、ご存知のように「フェルメール」の作品は、世界に30数点しか残っていません。
その1点が来ただけで、大きな話題になるぐらい「フェルメール」の存在は「美術愛好家」の中では大きな比重があります。
彼の作品を見に行くだけの「旅行」を、計画している人が世界中にはたくさんいることも聞いています。
その「フェルメール」を独り占めしているようなところが「メトロポリタン美術館」だと思います。
私が3月に行った「ニューヨーク」で見た「フェルメール」の作品は、4点もあり「メトロポリタン美術館」に行くだけで、何か「宝物」に出会ったような気持ちになったものです。
「フェルメール」は「光の画家」と呼ばれていますが、向かって左側からさす光の部屋を描くのが彼のスタイルになっています。
この作品は「水差しを持つ女」という題名で、窓を開けようとしているのでしょうか、朝の何気ないたたずまいの一部を描いています。
この作品も同じ構図で、左から光があたり女性を描いているところはほとんどそのスタイルを変えていません。
「窓辺でリュートを弾く女」というこの作品も、光にあたる人物をとても柔らかい雰囲気で描いています。
「信仰の寓意」というこの作品の中には、窓は見れませんが、同じように左から光が部屋に入っているのがわかると思います。
この作品は今までとは違い少し「ドラマティック」な感じがしますが、それは「信仰」に対する人々の思いのようなものを表現したかったのかも知れません。
この作品は、「少女」という題名の作品ですがどこかで同じような作品を見た人もいるのではないでしょうか。
このポーズも「フェルメール」が好きなポーズで、振り返るようなしぐさが見られます。
「真珠の耳飾りの少女」というとても有名な作品がありますが、それとほぼ同じポーズをとっていて、同じように描いているのはとても興味深いものがあります。
それは画家というものは、自分の好きな「構図」や「視点」があり、それを徹底的に追求しているところだと思います。
私がいつも行っていることに「視点を変えて」ということがありますが、それはとりもなおさず「自分の視点をさがせ」ということに他なりません。
こうした巨匠の作品も見ても、その学ぶべきものがとても多いことに気づくと思います。
また、「フェルメール」はあまり大きな作品を描いていません。実際に本物を見るとわかりますが、以外に小さな作品であることに気づき、同時に大きさを感じさせる作品であることも理解できます。
昨今、日本では大きな作品を描くのが戦後主流を占めていましたが、そうした既成概念を崩す大きなヒントにもなるように思えます。
何を求めて絵を描いているのか、永遠の課題のように思っている方がおおいと思いますが、意外と身近なところにその答えはあるように思えます。
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