「ゴッホ」に並んで、みんなの注目の的はなんと言っても「モネ」に尽きるのではないでしょうか。
「印象派」を代表する画家の一人として、日本でもその愛好家はとても多く、その作品を一目見ようと海外に出かける人が後を立ちません。
また、日本でもいたるところで「モネ」の作品が展示されるようになりました。
この画像は、その初期の頃の作品で、「ルノワール」とともに写生をしていた「ラ・グルヌイエール」という作品で、既に水の上に反射する「光」の存在を追及しています。
ご存知のように「モネ」は「庭師」という違う顔を持っていました。午前中は絵画を描き、午後は庭の手入れをすると言うように、この二つの面がとても強調されています。
妻「カミーユ」を描いたこの画像からも、その「両面」が顕著に見え、向こうに見える「光」と「庭」の存在は彼にとってとても大事な存在であったことがわかります。
「光」の追求にいろいろな題材を使っていますが、そのなかでも最もよく知られているのがこの「ルーアン大聖堂」の絵画で、光があたる時間帯を区切っては描いています。
「イーゼル」を何本も並べて、時間ごとに描いていったっことは有名な話で、その「光」のあたり方の違いで、見えてくる色が変わることを追求しています。
その徹底した「光の追求」はやがてすばらしい作品を生む原動力になっています。
この作品でもわかるように「光」をどのようにとらえると、それが表現できるかかなり悪戦苦闘した感じがします。
そんな中にあって、この作品の前に来ると自然と立ち止まる自分に気づきます。
それは「光のシンフォニー」と言っても言いたりないぐらいの美しい作品で、「自然」を愛する目と「光」を追求した画家の目が作り出した傑作になっています。
言葉では表現できませんが、「自分の体」がこの風景の中に同化してしまうような錯覚に陥るそうした作品になっています。
とても強烈な衝撃を受けるとともに、人の持つ「目」の計り知れない可能性のようなものを感じてしまいます。
どうして「人の目」でないといけないか、写真ではいけないのか、そうしたことを払拭してくれるすばらしい作品になっています。
単純な「風景」を描いているように見えるこの作品からも、「モネ」の奥深い「探究心」の成果が見られます。
空気を感じさせ、温度を感じさせ、湿度まで感じさせるこの作品からは「光」というものが持つ限りない広がりさえ感じてしまいます。
人は何かを徹底的に追求した時、今まで気づかなかったことに気づき、それを他の人にも気づかせる大きな力があることがわかります。
当分の間、私はこの「モネ」の作品群の前から離れることができなかったことを、昨日のように覚えています。
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