今、岩国市中央図書館で「錦帯橋周辺」を描いた「スケッチ大会作品展」が行われています。
何年か前、私もこの審査に立ち会っていた経験があり、懐かしく見ていましたが、審査から離れてみるとまた違う視点で見る自分に気づくものがあります。
教師という立場で主観的に見ていたのですが、今は「1個人」としてみることができます。
少し画面が見にくいのですが、小学3年生の作品だと思いますが、したから見上げる「岩国城」を元気一杯に描いています。
画用紙からはみ出ているこの描き方の裏には、対象物の形を追っている作者の目が見えてきます。
屋根の下に見える支えの木がとても「リズムカル」に描かれており、作者のそうしたところへの好奇な目がとてもよく出ていると思います。
同じものを描いても、6年生になると「部分的」なものから全体の形のおもしろさへと目がうつっているようです。
特に日頃気づかない「黒と白」の対比のおもしろさに、目が行きそれらを強調しているように見えます。
また、「城」のもつ構造上のおもしろさにも目が行っているように思え、それが「ゆがんだ」形として出来上がっています。
この作品は、同じ6年生のものですが、とても魅力的な作品になっており、この作者の旺盛な「好奇心」にとても感心してしまいます。
とても「素直な目」をしており、自分の感じたままをそのまま描いていくうちに、こうした構図の作品が出来上がったものと思われます。
この作品を見て、思わず画家の「ルソー」という人を思い出しましたが、そんな素朴な見方が作品をとてもおもしろいものにしています。
「中学生」ぐらいになると、「上手」「下手」という技術ばかりに目が行き、時として「技術的な」所ばかりに関心が行くのですが、それがだんだんと絵を描かなくなる理由の一つではないでしょうか。
日本では、大人になればなるほど「絵を描く人口」が減っていますが、それは「技術」が先行するあまり、他の要素を見なくなることに大きな原因があるようです。
外国の人から見ると、日本の「小中学生」の絵はとても上手で、本当にこれが子供が描いた絵なのか疑わしいほどのできばえだそうです。
同じ下から見上げたものでも、そこに正確性が備わってきます。
中学3年生ぐらいになると、ものの遠近や奥行きに目が行き、そこ空間を表現しようとします。
そうした発達段階における違いを描き分けることも大事ですが、絵画はそのなかに「感動」に値する見方が欲しいものです。
いつもまわりの人と比較しながらの制作は、やがて「個性」のないものに変わってしまう危険性があります。
いくつになっても、「自分の見方」ができるようにしたいものだと思っています。
この作品展は6月7日まで開催しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます