ポロネーズと言えば、何となくポーランドの民族舞曲と思っていますが、歴史的な面をしっかり説明しようとするのは、ちょっと大変です。
ポロネーズがいつ頃起こったのかははっきりしていませんが、フランスのアンリ3世がポーランドの王位についた時、ポーランドの貴族たちが、王の前で行列行進した際に、初めて確定した形態をとるようになったと言われています。
その後、ポロネーズは、まず儀式用として、さらに政治的な舞踏用に使用されました。
次第に民族的表現を持ち、国民の政治的感情、関心や愛国心まで示すようになりました。
折りしも、ショパンの頃のポーランドは国として存在していなかった…他国によって3つに分割されていた…時代で、ポーランドの過去の栄光と現在の悲哀と憤怒を表す手段としてポロネーズを利用したのかもしれません。
ショパンの独奏用ポロネーズは全部で16曲あり、強壮な雄々しいリズムを持ち、封建時代の華やかな往時を偲ばせるものと、帝政ロシアの圧政の元にあった逆境時代のポーランドを描いた憂鬱に満ちたものの2つに分けられますが、英雄ポロネーズは、前者を代表する最高の傑作と言えるでしょう。
少し長めの前奏ののち始まるテーマは、華やかで堂々とした印象的な曲想ですが、中間部の左手のオクターブの連続による部分は、祖先の足音か進軍する兵士達の行進か…という感じです。
私には、シュポッポッポシュポッポッポ…と、汽車が近づいてくる…そんなイメージですけどね。
英雄という名は、ショパンがつけたのではありません。
1842年の作曲で、この頃ショパンは最も充実していた時期で、バラード4番やスケルツォ第4番などが作られています。
ドビュッシーの映像第1集の第1曲水の反映は、ここ数ヶ月、水シリーズとして演奏している最後の曲になります。
リストのエステ荘の噴水が1867年、ラヴェルの水の反映が1901年で、この水の反映は、1905年の作になります。
さて、映像第1集は、その2年前の版画で、ドビュッシー が印象派的な手法を確立した後の作品なので、印象派的な手法が一段と強まった作品と言えるでしょう。
ドビュッシー自身が出版者のデュランに宛てた手紙で「この3つの曲は全体によくまとまっていると思います。これらはピアノ曲の歴史の中でしかるべき位置を占めるでしょう。」と書いています。
第1曲水の反映は、水の流れというより、水に映る細やかな波のささやきや、水辺の景色が水面に映って、形を変えていく様子を表現していえるでしょう。
そういう点が、リストやラヴェルの作品と異なる部分です。
和音やアルペッジォで非常にうまく表現されています。
第2曲ラモーを讃えては、デュランからラモーの作品集を贈られ、作品にいたく感動し、ラモーへの敬意を込めて書かれたようです。
サラバンド風で、厳かでゆったりとした響きを持っています。
第3曲運動は、軽快で活気に満ちた曲ですが、のちの練習曲集の先駆けとなるような要素を持っています。
無窮動的な三連符の繰り返しから成り立ち、急かされるような音型の連続で、演奏はなかなか難しいですね。