当たり前のことに
磨きをかける
あいさつ、返事、後始末……。日々の習慣的に行って
いることは、見直す機会が少ない。
まず一つ、「これは」と決めて。改善改革に努めたい。
川端さん編つづきますね。
川端さん編、都合その8になります。
整理をすると・・・
その1
20190520 PTA談義ど真ん中!?10年前の今日・・・PTA談義過去編第358弾 駆け足編その6
その2
20190524 川端さんその2 駆け足編その10 10年前の今日・・・PTA談義過去編第362弾
その3
20190525 川端さん編その3 10年前の今日・・・PTA談義過去編第363弾 駆け足編その11
その4
20190526 川端さん編その4 駆け足編その12 10年前の今日・・・PTA談義過去編第364弾
その5
20190527 川端さん編は都合その5 10年前の今日・・・シリーズPTA談義編第365弾!? 駆け足編その13
その6
20190530 川端さんあれこれ都合第6弾 10年前の今日・・・PTA談義過去編第368弾
その7が昨日・・・
20190605 川端さん編その7!? 10年前の今日・・・シリーズPTA談義編第373弾!?
今日が都合その8へ・・・
10年前の今日・・・シリーズPTA談義編第374弾!?です。
090606 PTA進化論その7 いろいろ言葉に反応して!?・・・・思いのままに・・・
2009-06-06 06:56:16 | PTA進化論シリーズ
『 土は命のもと、生活の土台 』
すべての生命を載せ、育むのは大地である。
大地から生産したもの、
大地を掘って得たエネルギーによって、
私たちは生かされている。
大地への感謝を忘れていないだろうか。
土を汚していないだろうか。
地に足はついているだろうか。
2月の時にこの今日の言葉を掲載して(毎回自身の2月の所からコピーして貼っています。)
こんな画像のおまけがありました。(笑)自分ネタでこの画像の話を語っていましたね(笑)2
さて・・・脱線をしないうちに・・・・
PTA進化論⑦です。
PTA進化論⑦ 2009.2.10 中国新聞など
PTAは母親にとって避けられない「通過儀礼」だ。
文化人類学的考察が必要かもと以前は書いた。
先日、国立歴史民族博物館の研究史(2006年3月号)に掲載された論文「国家の装置としてのPTA」を知った。
筆者の岩竹氏は民族学者で、学齢期の子を持つ母でもある。
中心的な問題意識はタイトルにあるように、今のPTAは国家が扱いやすい「国民」の生産装置として機能しているのではないかという懸念だ。
なぜか。
PTAはほとんどの場で従属的だ。
主体的な事業より、学校、教育委員会、自治体、警察、地域などで組織される事業や会議に組み込まれることが多い。
会員はPTAに入るだけで受身の役割の中に投げ込まれ、ならされていく・・・。
たとえば効果に確信がないまま自治体・警察の支援を受けて続けるPTAパトロールは
「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」
「人がどういう態度で、強制されている行為をしているか学ぶ機会」と氏の目には映る。
最近よく語られる「地域との連携」についても、リベラルな市民を敵視し、「道徳的共同体としての地域の靭帯強化」を目指していると指摘。
英語圏で議論される共同体主義が自立した個人を前提としているのに対し、日本型の地域主義ではむしろ共同体の側に大きく振れて、従順な「国民」生産装置となりうるという。
「行き過ぎた個人主義」に対する嫌悪を語り、地域の再構築を目指す言説には、確かにそのような”香り”をぼくも感じる。
論文の結語は「PTAと関わり続ける保護者に力を与えられるような結びとしたいのだがむずかしい」と悲観的だ。
「枠組みの中での変革は微小なものにとどまり、結果的に現状維持につながる。むしろ、PTAという制度そのものに穴をあけ、揺るがすべきだ」とも。
岩竹氏の説が的を射ているとすれば・・・どんなふうに穴を開けるのか、PTAにかかわる者の課題だ。
(作家 川端 裕人)
・・・・という形です。
民俗学者の先生ともなると・・・「国家の装置としてのPTA」などと・・・凄い発想を!?
私の経験したPTAという世界・・・(たかだか小学校の会長、市P連の会長、県P連の役員)
この程度の経験ではとても・・・そんな崇高な言葉!?の世界は経験できませんでした。(笑)
むしろ・・・
PTAという言葉の持つ広さや・・・複雑さ・・・そしていろんな個性!?というものに出会い
PTA?ってというタイトルにもあるように・・・
色々な切り口?色々な意味?色々な解釈?を・・・このたった3つのアルファベットは持っている?
まぁ、P(パッと)T(楽しく)A(明るく)もその一つですが(笑)
私自身が・・・PTAという世界?の中で・・・
色々な出会いや“気づき”を戴いた中で・・・厳密にいえば・・・役割・役職を通しての・・・
特にその役職の中で・・・参加した“物”には、それぞれ意味があるんだという事も知りました。
安全パトロール・・・・
効果に確信がないまま・・・・可哀想ですね。
過日中学校PTAの担当分にボランティア参加をして・・・
(過去ブログ 090604 地域安全パトロールに・・・中学のPTA安全ボランティアとして参加してきました。)
短い時間でしたが・・・一緒に回った5人(私を含む)・・・
元々は同じ小学校で役員等で顔見知りのメンバー・・・・近況報告やらバザーの話やらで
あっとういう間の時間に(笑)
効果は!?・・・・
皆さんが着用していたベスト・・・私が被っていた帽子と手にしていた警棒・・・・
5人という人数のボリューム・・・
この繰り返しが、結果空き巣や車上荒らしの発生率を減らした(数字で結果が)
普段お付き合いのないメンバー・・・今回のくくりでいえば片岡中PTA・・・・
それが会話ができる・・・次にどこかで会えば挨拶が出来るくらいの関係には・・・
『過日は、お疲れ様でした。』って
それが挨拶・・・わずかな人数ですが・・・それが顔が見える地域の一歩である。
そんなこと!?で・・・って
環境問題もそう・・・
私が照明一つ消したから・・・レジ袋を一枚返したから・・・・何の効果が??って
たった一つの行為からでは・・・その効果性を言われると・・・確かに・・
でも環境を考えるって・・・そういうもの?そう言う視点で?考えるものじゃあない!!
たかだか数名が・・・歩いたからって・・・・
この民俗学者の先生の目に映ったもの・・・・その言葉を見て・・思わず可哀想だって
すみません・・・・・
素直な自身の感情としての言葉です・・・
自身のPTA活動が国家の?って言うレベルの難しい話や思いではやっていませんが
PTAって・・・もっと小さな世界でいいのかなって思います。
基本は、一つの学校の校区・・・・それ以下でもそれ以上でもなく・・・・基本は・・
そしてそこからの連携や広がり・・情報交換は・・・その可能性は・・広がりのまま!?
逆にミニマムという単位では・・・
役割(内容という部分での委員会だったり専門部だったり)・・・切り口?的発想の!?
PTAという組織では・・・・大きな意味での枠を意識するだけでいいのかなって
それをことさら小さな単位で議論を始めると・・・
最終的は“個”という単位の感情やしがらみがでてきて・・・価値観の違いも・・・
もうちょっとおおらかで・・・ゆるやかに・・・楽しみながらでいいのかなって・・・
いいじゃあないですか?
その枠に入ったからと言って・・・100%加入したからといって・・・
実際100%で動いた例ってどのくらい?
少なくとも私の少ない経験の中では・・・実践という部分行動という部分では・・・
そんな話を聞いた事がない・・・・
それぞれの個々の事情や・・・都合で・・・さまざまな形態があった・・・
助け合いだったり・・・お互い様の精神もそこに・・・
自身の体調が悪ければお休み・・・でもそれを無責任だって責めて無理やり引きずり出す?
お子様が体調が悪いから・・・その役員さんが看病や付き添いでお休みをNGだっていう?
まぁ私の場合は・・・
風邪も天気も気合だった思っていますが(笑)あっ花粉症も(笑)2
逆に言えばそのくらい適当でよいのかなって・・・
この適当って言うのは、必要以上に神経質になって・・過敏に反応しないって言う意味で
誰も天気が気合いで動くなんて思いませんよね・・・バカバカしい話です。
そんなバカバカしい話を“気合い”だって信じている・・・・・
だからこそ・・・楽しみましょうって言える活動??でいいのかなって・・・
「枠組みの中での変革は微小なものにとどまり、結果的に現状維持につながる。むしろ、PTAという制度そのものに穴をあけ、揺るがすべきだ」とも。
岩竹氏の説が的を射ているとすれば・・・どんなふうに穴を開けるのか、PTAにかかわる者の課題だ。
うーん・・・・
たくさんの人がいて・・・たくさんの考えがあって・・・たくさんの実践が日々・・・
穴をあける・・・・
どこに?いくつ?どのくらい?どうやって?・・・
袋の中に水がたまっています。・・・
穴を開けて水を出して下さい・・・って
びりって破く人・・・はさみでコーナーを切る人・・・丸く穴を一つ開ける人・・
たくさんの細かい穴を開けてシャワーのように・・・同じ行為でも様々・・・・
でも穴を開けて水を出す行為は同じ!?(笑)
へ理屈ですよね・・・まぁ中には開けたくなっていう人だって・・・
PTAって・・・・小さな単位でも大きな単位でもこういった人たちすべての集合体・・・
そして気づきや思いを持った人もいれば・・・持たない人もいる・・・
きっかけがあれば持つ人も・・・それであっても無視する人も・・・
でも子どもたちは学校という器の中で成長していく・・その成長に合わせた組織がPTA
だからこそ・・・
色々な形態や関わりがあっていいのかなって思います。
PTAに正解はない・・・100%の答えもないって・・・・
呪文のようにいつも唱えています。(笑)
ただ、組織である以上は・・・ルールややり方のノウハウ集みたいなものはあっても
その形の一つが市P連?という個々の組織の横の連携を図る組織・・・
そこがある程度のルールやノウハウについては・・・情報提供してほしいですよね。
その情報を・・・
個々の組織の中で噛み砕いて・・・自身の個性とともに・・・実践していく・・・
それを・・・子どもたちの通う学校の保護者が“みんな”で・・・・
その“みんな”を考える時に権利と義務という言葉が・・・・
やりたい人が・・・・と言っても
じゃあ?・・・その最初のやりたい人は?って・・・
それを質問する人が必要??
その質問の過程で・・・・
同じ保護者同士の中での・・・役員VSの図式の対立が??
権利と主張・・・自由これは大事・・・・
義務と強制・・・これは自身の感情の部分も含めて整理なのかなって
すみません・・・・・難しい言葉や表現が出来る訳じゃあなくて・・・
思いつくままにただ単に活字にしているだけなので・・・
何が言いたいのか・・・
P(パッと)T(楽しく)A(明るく)・・・・これが基本!?
PTAは通過点?なのかなって・・・
子ども為・・・という発想ではなく子どもがいるから出来る・・・
でもそれは・・・
自分の為だと思います。・・・
色々な議論の争点は・・・自分の為って考えた時に・・・生じてくる・・・・・
本当の意味で、子どもの為なら・・・あまり議論には??って
しかもPTAは、素人集団・・・・
素人が素人を先導?船頭?・・・・だから色々な感情や思いがよけに錯綜!?
ルールとノウハウの整備が急務ですね。(実例としての)
そしてそのルールを守る?・・・生かすも殺すもそこに“今”関わっている人たちで
ノウハウは、知識や知恵の財産で・・子どもたちだって日々学習・・・
私だって・・日々学習してもいいのでは?って・・・
すみません・・・・・まとまりませんね・・・だらだらと・・・
でも、これが私の思いであり・・・伝えていきたいって・・・・
P(パッと)T(楽しく)A(明るく)も伝えられた受け売りだから・・・・(笑)