唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

世界が変わってきているという話

2006年10月01日 | ほか
しゃべりながら認識が発展しました。

今までの外交とは腹の探り合いで、下手をするとスパイ合戦だったり、そういう意味では、国対国というのは、敵をいかにおとしいれるかとか、いかに得をするかというところがあったのかもしれないなあと。特にソ連があったときは、明らかに敵同士の探りあいでしたからね。

それが今変わりつつあるということなんです。うまくいえませんが、心で通じ合えるというか、人間として通じることができるというか、同じ土台の上で話ができる。そんな世界がつくられつつあるのかもしれないと思えたんです。

何でそう思ったかを書かないと、ただの夢物語というか、空想で終わっちゃうんですけど、そうです。そう感じるんです。宗教じみてきたかな?

その世界の変化に取り残され孤立しているのが日本であり、アメリカであり・・・そう考えると、世界って広いなあと。アメリカだけが世界だという高慢さとか、日本だけが侵略戦争を認めなかったりとか、そんなちんけな思想は、世界の大きな流れに飲み込まれますよ。多分・・・

安倍首相の所信表明演説をななめに読んで、その内容のちんけさに日本の自民党政治も、オブラートに包み込むこともできなくなるほど行き詰まったか・・・と感じました。世界の流れの中でなんとちっちゃくなっちゃったんだろうと感じました。

美しい国・・・本当の美しさは美しいという文字にあるのではなくてそのものがもっている魅力にあると思います。こんな取り繕い方しかできなくなった政権は危険ですよ。

おとしどころがないというか、突き進むしかないというか、安倍さんの思想的危険性とは別の制御できなくなってしまった、そういう能力すら失われてしまったという感じの違う危うさを感じます。

勝ち組負け組という言葉を使ってましたが、これを「・・・といわれています」とかそういう表現じゃなくて、その言葉の存在が当然のようにあるものとして、そこ自体には何の問題ももっていないような・・・・うまく表現できませんが・・・

普通だったら、オブラートでうまく包みこんで表現をごまかすところをそういう努力もしなくなった。こいずみですら、少しは努力していたように感じるのですが。
国民をだます政権から、国民を支配する政権にかわったのかもしれない。

話がかなり横道にそれましたね。

ということで今日のお話はおしまいです。
もっとちゃんとまとめてから書けよって感じですね。