今、ビデオで従軍慰安婦の証言を見ていました。平壌での証言です。
1日に40人も50人も相手をさせられたとか、はむかった人が首を切られてそのクビをかまゆでにして・・・そのゆでたお湯を飲まされたとか、日本兵の前で朝鮮語を話した女の子が見せしめに首を切られたり・・・性器に火のついたタバコを押し当てられたり・・・終戦後にみんな並ばされて「おまえらはもう用は無い」といって首を切り落とされていったりとか、信じられないことが日本軍によってやられていたわけです。
日本の調査団の人に「その行為のときにお金は払われましたか?」という質問に(・・・なんでこんなあほな質問を?とも思うのですが、靖国派の連中とかが言っているのは「強制はなかった」といって、彼女らが自主的にお金を目当てに性交渉を行ったようなことをいうから、それの反論として、証言を得たかったのだろうとは思いますが・・・)その言葉に怒りに震えながら「お金をもらってそんなことをするというのですか?一日に40人も50人も相手にさせられて・・お金をもらってできることですか?」といっていたのが心に残ります。
同じようにあほな質問で「休みはなかったのですか?」という質問がありました。「休みなんて無い。休みってなんですか?」といってました。強制的に連れてこられた彼女らは道具なんです。衰弱して使い物にならなくなるとその人たちは消えます。そして新しい人が連れてこられるのです。
証言者はみんな、日本軍がつかっていた日本語を使ってそのときの状況を話します。ある人は、「まだか?まだ終わらないのか?」「もうちょっとまって」とか、その日本語を覚えているのです。その人の話す日本語には、なんとも言い表せない怒り、苦しみ、悲しみ・・・そういうものがありました。
思ったことがいくつかあります。
日本軍が日本の国がしてきた残虐な恥ずべき真実をきちんと正面から受け止めなければいけないということです。それと、男である自分がこのことを考えたときにその状況におかれた自分はどういう行動をとっただろうか・・・というのは、かなり突きつけられました。
「あなたになら言える秘密のこと」で謝りながらレイプした男がいたという証言がありましたが、自分はやっていることの非道さを知りつつ、申し訳ないと、思いながらそれでも、してしまうのではないだろうか・・・そんなことを考えました。もちろん、軍隊が差別とか、非人間性とか、そういうものをつくってしまうところでもありますけど、自分は人間として、人間らしい道を貫き通すことができるのか。これだけに限らないですけど、これからの人生で、人間としての道を貫き通すことができるのかなあ・・・と、そんなことも考えました。
非人間性は、相手を人間と思わない・・・自分と「同じ」と思わないことだと思いました。でもそのときに、相手を人間と思わなくなったときに、自分の人間を無くすことなんだと思います。
相手をどう思うかが、自分がどこまで人間であるかの鏡なんだろうと・・・そんなことを今考えました。
1日に40人も50人も相手をさせられたとか、はむかった人が首を切られてそのクビをかまゆでにして・・・そのゆでたお湯を飲まされたとか、日本兵の前で朝鮮語を話した女の子が見せしめに首を切られたり・・・性器に火のついたタバコを押し当てられたり・・・終戦後にみんな並ばされて「おまえらはもう用は無い」といって首を切り落とされていったりとか、信じられないことが日本軍によってやられていたわけです。
日本の調査団の人に「その行為のときにお金は払われましたか?」という質問に(・・・なんでこんなあほな質問を?とも思うのですが、靖国派の連中とかが言っているのは「強制はなかった」といって、彼女らが自主的にお金を目当てに性交渉を行ったようなことをいうから、それの反論として、証言を得たかったのだろうとは思いますが・・・)その言葉に怒りに震えながら「お金をもらってそんなことをするというのですか?一日に40人も50人も相手にさせられて・・お金をもらってできることですか?」といっていたのが心に残ります。
同じようにあほな質問で「休みはなかったのですか?」という質問がありました。「休みなんて無い。休みってなんですか?」といってました。強制的に連れてこられた彼女らは道具なんです。衰弱して使い物にならなくなるとその人たちは消えます。そして新しい人が連れてこられるのです。
証言者はみんな、日本軍がつかっていた日本語を使ってそのときの状況を話します。ある人は、「まだか?まだ終わらないのか?」「もうちょっとまって」とか、その日本語を覚えているのです。その人の話す日本語には、なんとも言い表せない怒り、苦しみ、悲しみ・・・そういうものがありました。
思ったことがいくつかあります。
日本軍が日本の国がしてきた残虐な恥ずべき真実をきちんと正面から受け止めなければいけないということです。それと、男である自分がこのことを考えたときにその状況におかれた自分はどういう行動をとっただろうか・・・というのは、かなり突きつけられました。
「あなたになら言える秘密のこと」で謝りながらレイプした男がいたという証言がありましたが、自分はやっていることの非道さを知りつつ、申し訳ないと、思いながらそれでも、してしまうのではないだろうか・・・そんなことを考えました。もちろん、軍隊が差別とか、非人間性とか、そういうものをつくってしまうところでもありますけど、自分は人間として、人間らしい道を貫き通すことができるのか。これだけに限らないですけど、これからの人生で、人間としての道を貫き通すことができるのかなあ・・・と、そんなことも考えました。
非人間性は、相手を人間と思わない・・・自分と「同じ」と思わないことだと思いました。でもそのときに、相手を人間と思わなくなったときに、自分の人間を無くすことなんだと思います。
相手をどう思うかが、自分がどこまで人間であるかの鏡なんだろうと・・・そんなことを今考えました。