唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

学校III

2008年06月02日 | 男はつらいよ・山田洋次
学校III

松竹ホームビデオ

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この学校は、ほかの学校とちょっと違う感じがします。

リストラにあった中高年の人たちが、新しい仕事に就くために一から学ぶわけですが、今までのプライドもあるし、違う職種だったりしてそういうところでも戸惑いもあるでしょう。若いうちなら順応する力もあるかもしれませんが、そう簡単に頭も動いてくれない。

でも、生きていくために、職に就くために一生懸命勉強して、就職します。就職した先でも偏見の目で見られるのかもしれません。

主人公は、息子が自閉症で、旦那に先立たれ、それでリストラされて、やっと就職が決まったと思ったら、乳がんであることがわかり・・・

せっかく勉強したことが無駄じゃんって思ってしまいそうですが、いや、無駄なものなんてないはず・・・ですよね。

この主人公は不幸なのでしょうか。不幸・・・に見える。でも、外から見て不幸だとしても・・・「不幸」の判定が下ったとして、それがなんだ!?ってことでしょう。一生懸命生きている事が大事で・・・いろんな壁があって、苦労も多かったかもしれないけれど、それを乗り越えてきたからこそ強くすばらしい人間になれるのだと思います。

主人公もそうだけど、その子どもは不幸なのかな?一見「哀れ」だけど・・・自分の中ではやっぱり「哀れ」と思ってしまうところがあるけれど、お母さんはそう思っていないと思います。本人も・・・そうだと思うんだけど、でも、苦しんでるかもしれない。おばさんが持ちかけた見合い話で、「その手の子には慣れてます」みたいな言い方をしていたけど、そういう意識って、自分にだってあると思うんです。・・・話がずれてますね。で、幸せって何だということですが・・・

子どもへの接し方がいいです。交通事故にあった後の病院で、「あんた、ハンサムね」とかさらっと自然な愛情表現がなんかぐっとくるし、聞いてるか聞いてないかわからないのにちゃんとまっすぐにきちんと話をするし・・・「同じ目線で」というのがとても大切なんだろうと思いました。でも、同じ目線でというのは、それを心がけているうちは同じ目線ではないんだろうと思います。意識をしなくなって初めて同じ目線なんでしょう。それができているところがいいです。

子どもを恥じるというのがまったくない。

心配になるのは、お母さんが死んだらどうなるかです。そうなったときに・・・そういう境遇になった人すべてが路頭に迷うことなく生きていけるような社会であればいいのだけれど・・・

今の社会は人間に対して優しい社会ではない。人間がつくっている社会なのに・・・その生きづらい社会の枠で以下に生きるかということではなくて、生きづらかったらその社会の枠のほうを変えちゃえばいいわけだけれど・・・

また変な話になってきました。

あとは大人の恋愛です。抱き合ったところはなけました。苦労してる二人だからこそ泣けちゃうわけですが、でも、別れた前の奥さんが自殺未遂したのを聞いて、身を引くというのは・・・奥さんは旦那を愛していると思ったからなのでしょうか。ただ、奥さんが「哀れ」だからということではないでしょう。そこはなかなか素人にはわからないところです。でも、奥さんが、グラスについた口紅を拭いたところは、いいですね。別れた旦那に会いに行くために化粧をしたということなんだと思うのですが・・・ただ単に水商売で化粧が濃くて、それでグラスについてちょっと恥ずかしくなって・・・ということではないと思うんだけど・・・

旦那がまだ好きなら、ケータイなんか出なきゃいいのに。そこがプライドなんだろうか・・・それはそれで悲しい・・・