日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書) | |
佐谷 眞木人 | |
講談社 |
日清戦争から日露戦争へ…子どもの時から外国との戦争に勝ち続けていることに何となく喜びを感じていましたが、一連の侵略戦争とひとくくりになり、日清戦争自体を考えることなんてなかったのですが、この前読んだ「閔妃暗殺」以来、あの時期の出来事がとても気になってきています。
それでこの本を読んだわけです。
一度書いて、うまくまとまったと思ったら、その記事が消えました。何なんだ!?まったく・・・
日清戦争までは、明治政府の評判はあまり良くなかったようです。反政府的な空気が蔓延していたらしいです。日清戦争によって一気に日本国民(・・・臣民?)という意識がまとまって行って、国家形成に重要な役割を果たしたようです。
そこでの西郷隆盛の征韓論の影響がここでは書かれています。
黒船が来て、不平等な条約を押しつけられて、そんな中で日本を守るには、そんなおしつけを跳ね返すような強い大きな国にならなければいけないと言われればたしかに説得力があります。侵略ということへの認識がなければの話ですが。
同時に国民的な意識の中には、中国に支配されているかわいそうな朝鮮を助けてあげる、遅れた、貧しい国を日本が助けてあげようという意識も植え付けられていったようです。
日本を強く一人前にするために、清に支配されているかわいそうな朝鮮の独立のために、そういった戦争のための大義があったわけです。その「正しい戦争」に国民が総動員されていきます。
日清戦争は新聞によって報道され、それが国民の意識をまとめて行く上で大きな役割を果たしました。それまでは、歌舞伎や錦絵によって時事問題の知識を得たようですが、ここでは新聞と、写真が日清戦争を伝え、「死んでもラッパをはなしませんでした」のような美談も新聞によって報道されました。それまでの名のある人たちが主人公の戦争から、名もない国民が主人公の戦争という形をとったのも日清戦争のメディアの影響があって、それが国民をまとめあげていく役割も果たしていきました。
その後の侵略戦争での日本の異常な熱狂ぶりを考えると、その基本にある、この日清戦争のときの国民の意識というのはとても興味深いですね。
そんな国民の意識動向という点ではとてもわかりやすい本でしたが、実際の日清戦争そのものについてはあまり書かれていなくて、そこは残念でした。
ああ・・・最初の文章はもっといろいろ書いていていい文章だったのに・・・。今回はもう書けません。文章を書くというのは、とてもエネルギーがいるんです。とくに、自分のような記憶力も構成力もない人間にとっては。
まったく・・・
一気に書き上げて満足した文章って、結構瞬間で消されてることが多いんですよね。
消えたものは帰ってこない。パソコンになって便利になったようで、実は不便になっているのかも。