唐茄子はカボチャ

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石内尋常高等小学校 花は散れども

2011年05月14日 | 映画 あ行
石内尋常高等小学校 花は散れども [DVD]
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バンダイビジュアル


新藤兼人監督は何歳でしたかね。90才を超えていましたよね。
それでも映画をつくる情熱が衰えていない。それだけですごいと思っちゃいます。
どの映画とも違う、新藤監督の独自の絵が見えてる感じが面白いです。
大袈裟で恥も外聞もないところが監督らしい感じがします。

リアルさとか、みんなに共感してもらおうというよりは、自分の世界で、自分の感じ方を前面に出しているというか。子どもの絵に似てるかな?自分が感じたところは絵が大きくなってあとはそこにつけたすみたいな。その自分のイメージを絵にしたくて仕方がないのではないでしょうか。

正直、観る側の自分としては、我慢しなくてはならないところもたくさんあります。病気で倒れてからの先生の会話とか、校歌もそうでした。同窓会のシーンもそうです。どこか外れてる。リアルさがない大袈裟さがあります。でも、リアルじゃないからダメということではなくて、これが新藤監督のイメージなのか!と思うと、妙に納得いくような気もしれしまうから不思議です。
年齢的なものが何だかごっちゃになっちゃうキャスティングな気もします。

川上麻衣子さんの先生の奥さん役が、何となくその大袈裟な世界の中でまともな演技をしていてちょっと安心させてくれます。その落ち着きはらった雰囲気でいながら、校歌を歌う時には、その普通さで指揮をしだすところがなんか面白いし、自然に出てくるセリフがとても美しく感じます。コスモスの花の話のときに、「花は、見てもらうために美しいんですよ」とかサラッといって、やけに説得力があります。

情熱の度を越した大竹しのぶさんの演技は、新藤監督の一番のお気に入りなんでしょう。あの、攻撃的な明るい歌声。普通の女優さんが恥ずかしくてできないようなことも、この人はやりきっちゃう感じがします。

同窓会のシーンで、みんなが戦争で普通の暮らしが破壊され苦しんで生き抜いてきた話のあと、主人公の中途半端な生き方が、とても恥ずかしいようにも見え、その時の村道監督の気持ちの表れだったのかもしれませんが、地に足がついていない生き方がとても印象的でした。

そして、みどりさんも苦労はしているんだけど、過去に縛られていて現実の苦労にどっぷりつかって生きているほかの人たちとは違う浮足立ったものを感じます。

2人にとっては、あの時の小学校の思い出が縛りになって、他の人のように、歳をとれなくなってしまったのではないかと思ってしまいました。

それでプロポーズのシーンは結構ジーンときます。
緑さんは、35年間ずっとそれを待ち続けてきたわけですね。でも、それを言ってくれたときには、それを受けることができない。受けることで脚本をあきらめさせることは主人公の幸せにならないし、そんな妥協させて結ばれても、望む幸せは来ないと思ったのでしょう。彼の生きがいを奪ってしまうことになる。
あの時の2人のやり取りはとてもみじめでとても素敵に見えました。

新藤さんは海のシーンにこだわりを持っている気がします。
新藤さんの海をみてると、生と死の境界線のような位置づけにしているんじゃないかと思います。
その海の波の激しさが死の恐怖をあらわしたり、生きる力をあらわしたり、心の激しさをあらわしている気がしたり・・・。

あの、午後の遺言状の海に入っていくシーンが強烈だったからなのかもしれませんが…