◎ジェイド・タブレット-10-11
◎垂直上昇への仕掛け-11
◎輪廻転生の主体など
日本人は、漠然と一人の魂というのがあって、それが自分の死後、何千年も何回も転生するのだと考えているところがある。さらに仏教では、この世は苦だから、転生を繰り返すのは苦の繰り返しだから良いことではないなどということも頭の片隅では聞き知っている。
ところが輪廻転生については、このような漠然とした、一つの魂が同じ一つの魂で転生を繰り返すというのは、実態とは異なる見解である可能性が高いと考えるようになった。
つまりマンツーマン輪廻転生はなく、一つの魂は畜生も含め別の魂や複数の魂に生まれ変わるのかもしれないなどの可能性があるからである。また、そもそも転生するその魂とは何かという問題もある。
私は、輪廻転生の主体とは、人間の行為(釈迦)、あるいは、記憶・カルマ(OSHOバグワン)であると考えるに至った。
また個人Aが転生した場合、それは個人AそのものでなくA`となる(同じ木についた葉だが少々異なる)というダンテス・ダイジ説も重要だと思う。
輪廻転生の実態については、ウパニシャッドの昔から説明が困難で、ナチケータスも死神に回答をしぶられたし、チベットではマンツーマン輪廻を根拠とする転生活仏を探す制度が行われなかった時期もあった。そもそも輪廻転生を認めないキリスト教のようなのもある。
ただ、閻魔大王の前で各人がその人生での善悪通算のプラス・マイナスを決めるイベントは、世界共通にあるようなので、転生前の死後のそのイベントまでは個人Aとして過ごすのだと思う。
チベット死者の書では、死後転生するようでは、求道としては失敗だが、今生で大悟覚醒できてもできなくとも、覚悟を決めて瞑想(冥想)修行する上で、輪廻転生の実態を知ることは必要である。