アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

しっくりくる

2024-04-23 03:48:17 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-10-21

◎垂直上昇への仕掛け-21

◎精神の成熟-5

◎生きること自体何かスッキリしない

 

しっくりくるというのは、感性と洞察。だがその選択の結果は、自分の今生の行く末を決めてしまう。

見者、覚者はいざしらず、絶対的な境地を通過したことのない人間にとって、愛も、実在、智慧、歓喜も、真善美も、タオも全く縁のない異次元のテクニカル・タームでしかないのだ。

 

生きること自体何かスッキリしないという感じを持っている人は少なくないものだ。その状態から脱却するのは、何年経っても難しい。何をしてもぜんぜんしっくりきてなくて、変わらない。だけど、そういう状態でもなんとかやっていけるだろうし、そういうぬるま湯でも、ちょっと苦しい生活であっても、もういい、もういいくない。

人は、法を守り、社会規範を遵守していっても、必ずやそれが本来の自分の生き方ではないところがあることを随所に感得してしまうもの。

こうしてこれが複雑な現代社会に生きる人間に課せられたトリック。それが、ストレスであり、社会的にやや不適応な感じ、しっくりこない感じの出どころの一つである。

こうして自分の気持ちをのぞいてみると、自分の個人的な秘密のゴミ情報ばかりなのだが、それは個人的無意識とも呼ばれ、その情報群は多重であり、複雑にからみあっており、想像や嘘や思い込みや推測や真実もがんがん入り混じっている。

これに不安、恐怖、喜び、爽快さ、生きづらさなどの情動も加えられて、そんなゴミためを覗いても労多くして益少なし。そこで人は、ただ確かなもの、本当にしっくりくるものを求める。

 

酒だ、癒しツールだ、ブランド品だ、有料パワーアイテム、エンタメだなどと一時の満足を求めても空しい。人はそれを何万回も繰り返してきたはず。

仕事もそうで、現代人は自分にふさわしい仕事があるなどと思っていて、それが自己実現だなどと、アメリカ流の個人主義を土台にした社会的自我確立手法が疑いもなく正しいものだなどと思い込んでいることが多い。

他人の飯は白いのだ。転職における心身の負荷は想像以上だ。ソ連解体後、かの国では、ほぼすべての国民が転職を余儀なくされ、多くの人々が酒におぼれ、自殺は急増した。外に確かなものを求めるというのは、一般には大変なことだ。

 

確かなもの、しっくりくるものを求める気持ちは万人にあるが、奥底に神仏への敬虔がないと、うまくいかないのではないかと思う。なぜなら私利私欲だけで確かなもの、しっくりくるものを求めても末路は宜しくないように思われるからである。

人は、日々善いことをして、悪いことをしない。その上で、あらゆる実感を窮めるだけの好奇心と情熱が足りている者だけが、神仏に到達できるのだ。その点で、今生でのエネルギーの充溢というのは、窮極に達するためのクリティカル・イシューである。

何がしっくりくるのかは、人により千差万別であり、自由意志で好き勝手に決められる事柄に見えるが、その簡単さと裏腹に、その選択の判断の由来と結果は、とても重大なことである。それが成熟の結果を示しているからである。神仏に出会うというようなチャンスが来た際につい眠ってしまうのが、大半であり、その時大方の人は眠るのがしっくりくると思っているのだろう。

しっくりくるかどうかというのは、意外に重大である。

 

自我が成熟しきるとは、いつでも死ぬ準備のできている自我であること。個なる自分は、それまでの人間関係、恋人、家族、財産、名声、地位などの自分を取り囲むすべての宇宙に別れを告げて、すべてがすべてである新たな宇宙に逆転して入って行く局面があるのだが、その逆転を『いつでも死ねる』とシンボリックに言う場合がある。

 

日々の冥想習慣は、大事なことだと思う。

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