◎ジェイド・タブレット-外典-10-9
◎芸術と武道とスポーツと仕事での見神、見仏
ダンテス・ダイジの『ソーマ・パイロットの言葉』の調子の高さには、当時も驚かされたし、今読んでもみずみずしい感動を呼び起こされる。
これまで私はソーマに触れることはなかったが、20代の頃は、『ソーマ・パイロットの言葉』が何を言っているのかわからなかったが、今ならこう思う。
- ソーマ・ヨーガは薬効が切れたらもとの黙阿弥にもどる。
- 古代インド・アーリア時代に、ソーマ讃歌は起こったが、現代のイランに当たる地域もそれに含まれる。その地域で活躍した聖者としては、ゾロアスターがいるが、彼とソーマが無関係だったとは思えない。その謙譲を基本とする風。
- ソーマでは、見神、見仏は、おそらくは容易に起こる(だが稀である)。そして神人合一すらも起こり得る。だが悟後の修行である聖胎長養には言及されない。それは、おそらく薬効が切れたらもとの黙阿弥にもどるからではないだろうか。
- 様々な芸術は、窮極たる神仏の周りを周回し、傑作においてはワンタッチするのが基本線みたいなことを言われる。このワンタッチというのは、とりも直さず、見神、見仏、一瞥のことである。これが、ソーマのあり方に似ている部分がある。様々な芸術とは、絵画、彫刻、建築、工芸、デザイン、写真、作曲、声楽、器楽、指揮、ダンス、演劇からスポーツ、武道までを含む。仕事で悟る事上磨錬もその一種。一瞥したらもとに戻ることが結構あるのではないか。
『ソーマ・パイロットの言葉』の前半。
『ソーマ・パイロットの言葉
精神変容をもたらす薬物は、そのドラッグ・トリップ自体が、すでに神ソーマ自身であり得ると同時に、最高の旅の仲間、水先案内人、パイロットである。
あらゆる個別的な生命形態は、そのどうしようもない束縛の中の有限性から自由になろうと永遠に願い続けている。しかし有限性という妄想は、実に陰険で楽しいトリックを個生命達に与えていて、あらゆる生命が本当は無限そのものであることを自覚しようとするのにブレーキをかけている。
有限性に慣れた人間は、有限な自己を唯一の本当の自分自身のようにいつのまにか見誤ってしまう。これが、無限な君を邪魔するブレーキであり無明である。
だから、君は死なねばならない。君は、君の見ている「現実」という名の妄想に別れを告げねばならないのだ。
何のために?それは君が最高に楽しくゆかいで愛と安心に満ち自由になるために、あるいは、それらすべてから解放されるためだ。
単純明快なことだ、あたりまえなことだ。
君が、君を脱して君自身になろうとする働きが、ソーマ・パイロットで、そのパイロットあるいはガイドには、旅している君だけに与えられる言葉がある。ソーマは、あらゆる姿をとって君に君の消滅を最終的に告げている。君が無限である最後通告を語り続けている。』
(メディテーション/トラベル・ガイド/ダンテス・ダイジから引用)
※この引用文は自殺を勧めるものではなく、自我の死すなわち禅でいう大死一番を言っているものです。