モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

原則

2019-05-05 16:08:28 | 福音について
ヨハネ8:3~11に姦淫の罪を犯した女性の話があります。
イエスは罪を訴える人々の中で、地面に何かを書いていました。
彼らは強く訴えながらも、地面に書かれる言葉に目を向けたことでしょう。

あなたがイエスの立場であれば何と書きますか。
わたしであれば、サムエル上16:7にある「主は心を見る」の一文でしょう。
彼らはイエスを信じなくとも、旧約時代の教えを知っており、信じていました。

その言葉を見た彼らの心は何を感じたことでしょう。
続けてイエスは言いました。「あなたがたの中で罪のない者が・・・」
イエスを訴える口実を得るために欺こうとしていた彼らは何を思ったでしょう。

イエスは再び、地面に何かを書きました。
今度は訴える人々でなく、残された女性がそれを見たことでしょう。
「悔い改めた者は赦される」という言葉を思いつきます。

福音の原則に立ち返るとき、それは進むべき正しい方向を示してくれます。

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正論

2019-05-05 07:25:55 | 今日の一言
どんなに正しいことでも
伝え方をあやまれば
その行為は過ちである

どんなに正しいことでも
正しく伝わらなければ
正しさの意味はない



ほとんどの人は正しいことを語りますが、問題は「その行動が正しいか」ということです。
正論を振りかざす人の行動は、正論を振りかざす時点でおそらく誤っています。
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共存・共栄

2019-05-05 06:25:37 | 福音について
以前、依存について調べると、
「神に依存することは善いことである」との記事があり、
そのことが心に残っていました。

知恵の言葉で控えるように勧められているものには依存性があります。
「麻薬と同様に依存性が非常に高い食べ物」という記事があり、
ピザ、チョコレート、炭酸飲料、スナック菓子、アイスクリームなどが挙げられていました。

「信じる者は救われる」との言葉がありますが、
「信じるだけ」では依存に陥る可能性はないでしょうか。
なぜ神は人に「救いの業を進めるように」と命じているのでしょうか。

依存とは、一方的に相手に頼った状態で存在すること。
共存とは、互いに自立したうえで、助け合って存在すること。
共栄とは、互いにできることで助け合い、感謝し合い、共に繁栄して行くこと。

神は人に「神との共存・共栄」を求めています。
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