モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

腹を立てる

2019-05-21 22:51:56 | 今日の一言
人が腹を立てるのは
ほとんどの場合
人に対してである



レストランの食事や買った商品が気に入らなくても
ほとんどの人は文句は口にしても「腹を立てる=怒り」までには至りません。

しかし店員の対応が悪ければ、多くの人が腹を立てるようです。
ポイ捨てされたゴミではなく、ポイ捨てする人に腹を立てるのです。

つまり「人の感情は人に影響される」ものであり、
喜怒哀楽のほとんどは人に向けられています。

そのことを理解している人は、自分が周りにどう影響しているか、
人としてどうあるべきかを考えるようになります。
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自由

2019-05-21 21:22:06 | 福音について
ダイエットを始めて5年になります。
健康や身軽さなど、色々な面で恩恵を感じていますが、
食欲をコントロールするのは今も大変です。

毎日体重をチェックして、食べるものを選んで、
「そんなストイックにならなくても」と言われることもあります。
正直なとことろ、好きなものを好きなだけ食べる自由も魅力的ですね。

「真理はあなたがたに自由を得させる」(ヨハネ8:32)
この自由は“霊的な自由”を指しています。
霊的な自由を得るためには、ある意味ストイックな生活が求められます。

ダイエットと好きなものを好きなだけ食べる自由が両立しないように、
霊的な自由とこの世的な自由も両立しないようです。
この世的な自由を求める人は福音の戒めを自由の束縛と考えます。

その福音の戒めが霊的な自由をもたらすとしたら・・・、選びは自由です。
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求める

2019-05-21 06:01:41 | 福音について
信仰を保つために必要なのは「信仰を求める」ことです。
福音に出会ったとき、多くの人が様々な奇跡を経験します。
そのときに感じた喜びの理由を考えてみれば分かるはずです。

どのような形であれ、宣教師の言葉を受け入れたこと、
教会へ足を運んだこと、決心を促すものが心の内に湧いてきたこと、
それらは福音を求める気持ちからもたらされました。

子供たちが自転車に乗る練習をする姿をよく見かけます。
とても熱心に、そしてとても喜びながらそれを行います。
自転車に乗りたいと求める気持ちがあるからです。

ところがある程度乗れるようになると、それ以上を求めることをやめてしまいます。
あれだけ喜んでいた自転車に乗るでことさえ、単なる趣味程度に収まるのです。
そしてこう言います。「自転車? 乗れるよ」

信仰にも同じようなことが起きてはいないでしょうか。
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