ミカンを食べない友人がいます。
彼は「皮をむくのが面倒くさい」と言うのですが、
単にミカンが好みでないだけのことです。
ミカンが大好きな女の子がいます。
彼女に掛かれば皮をむくことでさえ楽しそうです。
好みでないから面倒くさい、好みだから楽しい、実はそれだけのことです。
同じような場面を見かけることがあります。
福音を受け入れない人はよく「戒めが」とか、「仏教だから」とか言いますが、
本当のところは、単に“好みでない”だけのことが多いのです。
そのような人に対して“自分の好み”を押し付けようとすると、
当然のことながら理解できない行為として敬遠されます。
ミカンはミカンの好きな人に、福音は福音の好きな人に勧めればいいのです。
福音の好きな人には戒めを守ることでさえ喜びとなります。