モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

神殿 その2

2019-05-19 18:30:02 | 福音について
神殿の入口には受付カウンターがあり、そこを通るには推薦状が必要です。
それはふさわしさを認められた人だけが所持できます。
推薦状を受けるために偽り欺くのはさほど難しことではありません。
(不謹慎な表現で申し訳ありません)

神殿にはもう一つの受付カウンターがあり、そこには主が立っています。
そこでは推薦状ではなく、ふさわしさを証明することが求められます。
主の前で、ほんの僅かであろうと偽り欺くことのできる人があるでしょうか。

第一の受付カウンターは推薦状の有効期間内であれば何度でも通過できますが、
第二の受付カウンターはその時点でふさわしさを証明しなければならず、
一度通過を許されたとしても、その数分後には認められないこともあります。

秘密の部屋があるわけではなく、何らかの儀式が行われるわけでもありません。
そこにはイエス・キリストの教会を証明するものがあります。
それは極めて霊的な事柄なので説明する術がありません。

神殿に秘密があるとすればこのことでしょう。



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神殿 その1

2019-05-19 18:15:45 | 福音について
「神殿の中には秘密がある」と考える人があるそうですが、
そこで行われていること自体は秘密でも何でもありません。
教会員としてふさわしく生活すれば、誰でも知ることができます。

問題はそこから先に進めるか否かです。
神の教会であるなら神の業があるはずではないでしょうか。
神殿で行われること自体は人の業であり、誰でも再現して行うこともできます。

では神の業はどこにあるのでしょうか。
神殿で行われることを神聖なものとしてふさわしく保ち、
それを主に認められた人だけが先に進むことができます。

その先に何があるのかと問われも、
極めて霊的な事柄なので説明する術がありません。
仮に説明できたとしても、それを理解できるのは経験した人だけでしょう。

「神殿の中にはもう一つの受付カウンターがある」と言えるだけです。
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主のような愛

2019-05-19 06:57:16 | 福音について
目覚めたとき、窓の向こう側に静かな雨音が聞こえます。
わたしは恵みの雨として主に感謝しました。
その一方で雨音を恨めしく思う人もあるのです。

事情は人それぞれに違います。
誰もが自分の都合に合わせて喜び、あるいは恨めしく思うものです。
人の都合は考えていない、そんなことがよくあります。

家庭の中でこんな祝福があったと喜んでいる人がいます。
多くの人が一緒になって共に喜んでいる中に、
笑顔を繕っている人があることに気づくのは難しいことかも知れません。

喜びに水を差すつもりはありませんが、
そのような場面を見て悲しくなることがあります。
どうすれば隣人を愛することができるのでしょうか。

主のように人を愛するのは難しいものです。
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