モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

光と闇

2019-05-12 18:42:28 | 福音について
心に闇をもたらすものには、
恨み、憎しみ、妬み、悪意、怒り、高慢などがあります。
これらの感情に満たされた心を想像するだけでも暗い気持ちになります。

心に光をもたらすものは、
感謝、慈愛、親切、善意、柔和、謙遜など。
健全で明るく、喜んでいる様子を想像できます。

この世で不幸を嘆いている人は前者の感情に苦しんでおり、
幸福を喜ぶ人は後者の感情に満たされています。
これらの感情が霊的な光と闇をもたらします。

光はキリストの御霊を招き、闇は御霊を遠ざけます。
キリストの御霊を招くものが光であり、
御霊を遠ざけるものが闇と言い換えることもできるでしょう。

光に満たされた心は闇を恐れ、闇に満たされた心は光を感じることができません。
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守り

2019-05-12 17:36:21 | 福音について
心の中に誰が存在しているでしょうか。
大切な人が心の中に存在していれば、
幸福であると同時に、その存在が守りとなります。

おしゃれをするとき、その後出会うであろう誰かを想像します。
その人の笑顔を想像し、その場に見合うおしゃれを選ぶのです。
わたしの場合、ネクタイと笑顔くらいしかありませんが。

何かを行おうとしたとき、心の中に存在する誰かに対して
恥ずべき行為ではないかと考えたことはないでしょうか。
心の中に存在する大切な誰かの喜ぶ顔が行動基準を示してくれます。

大切な家族と友人、尊敬し信頼できる人、そしてイエス・キリスト。
これらの人々が心の中に存在する限り守りを与えてくれます。
彼らを愛しているし、彼らも愛してくれるからです。

わたしにとって心の中に彼らが存在しない人生はあり得ません。
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不正な家令

2019-05-12 07:20:02 | 福音について
ルカ16:1~
主人の財産を使い込んでいる執事がいました。
そのことがバレて解雇されそうになると、
さらに不正を行って、解雇された後のために備えました。

このことを主人が「利口なやり方」と褒めたことに、
違和感を感じる人は少なくないようですが、
これは「学びを得るための物語」と解釈した方がいいようです。

聖書の中にはこのような話が少なくありません。
今の時代にも「どうしてこんなことが許されるのか」と思えるような
悲しむべき出来事が実在します。

それを考えると気落ちし、つい神を疑ってしまう、
「本当にすべてのことは神の御手の内にあるのだろうか」と。
そんな気持ちも理解できるような気がします。

さて、わたしたちはそのような出来事からも学ぶことはできるのでしょうか。
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目標

2019-05-12 07:10:34 | 今日の一言
行動するための力を与えない目標に意味はない



寒い朝に布団から躊躇することなく出て着替える、
そんな力を“目標”は与えてくれます。

達成するための力、試練や苦しみに耐える力、悔い改める力となり、
疲れを癒し、達成感と喜びを与え、さらに前進するための力を与えてくれる。
そんな目標を持っている人は幸せです。
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福音的文化

2019-05-12 05:56:26 | 福音について
「謙遜」は辞書によると控えめに振る舞うこととありますが、
教会で「謙遜」とは恐れることなく主に従う態度を含みます。
謙遜であるために積極的な態度が求められるのです。

「愛」には一般的に恋愛つまり自分の感情を満足させることも含まれますが、
教会でいう「愛」とは自分を捨てて相手のために尽くすことであり、
この世的に解釈されている愛よりも限定的のようです。

「裁き」というと通常は悪に対する裁きが連想されます。
しかし教会での「裁き」とはすべての行いに対する報いであり、
悪に対する報い、善に対する報い、そのすべてを含めての裁きです。

言葉だけでなく日々の生活の中にもこのような違いが多くあり、
それは教会的あるいは福音的な文化とも表現されます。
このような“異文化”に戸惑う人も多いようです。

福音的文化を心地よく感じていただければ嬉しいのですが。
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