モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

賜物と約束

2020-04-08 21:45:45 | 教義と聖約
「これらのもの…は…戒めに背かないという条件であなたに与えられた」教義と聖約3:5

聖餐の祈りには「主の御名を受け、主を覚え、戒めを守る」という約束があり、
主の前にそれを証明するときに、その報いとして主の御霊が与えられます。

聖霊の賜物は「授ける」とは言われずに「受けなさい」と命じられたはずです。
つまり聖霊の賜物を受けるにはそのための条件を満たさなければなりません。

神殿での儀式においても約束された祝福を受けるための条件が示されます。
主の教えは「約束を守るならこれらの祝福はあなたのものになる」というものです。

福音は主の救いを受けるための条件を明らかにしており、
神の賜物は常に「戒めを守る」と誓うときに与えられます。
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神の業

2020-04-08 15:10:05 | 教義と聖約
「神の業…がくじかれることはあり得ず…無に帰することもあり得ない」教義と聖約3:1

主が十字架上で亡くなったとき、多くの人が「イエスの業は終わった」と思ったことでしょう。
当時の十二使徒がいなくなったときにも、ジョセフ・スミスが殺害されたときにも、
「教会は終わった」と多くの人が考えたかもしれません。

「神の業」とは何でしょうか。
一つの考えでは、それは世界の創造から始まり、この世の終わりまで続きます。
或いは、創造の業の前から存在し、この世の終わり以降にも続くものです。

「永遠の過去から永遠の未来にわたって」という表現を理解できるなら、
それが最も正しい表現でしょう。

今わたしたちの目に見えているものは神の業のほんの一部でしかありません。
「くじかれるのは神の業ではなく、人間の業であることを覚えておきなさい」教義と聖約3:3
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努力しなければ

2020-04-08 10:58:13 | 今日の一言
悪しき習慣は努力しなければ身に付いてしまう
善き習慣は努力しなければ廃れてしまう



努力しなければ身に付いてしまうもの
怠惰、不平不満の思い、脂肪・・・

努力しなければ廃れてしまうもの
夢、希望、愛・・・でしょうか。
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親子関係

2020-04-08 10:37:45 | 教義と聖約
「先祖に与えられた約束を子孫の心に植え、子孫の心はその先祖に向かう」教義と聖約2:2

先祖は両親から始まり、子孫は子どもから始まります。
親子から始まる「先祖と子孫の関係」を理解することで、人は神との関係を知ることができます。

親が子供を愛し、子どものために尽くすときに、
神が人を「我が子として愛している」ことを知ることができます。

子どもが親を愛し、親の教えに従うときに、
人が神に「どのように仕えればよいのか」を知ることができます。

親子間の愛が廃れるなら、人はどのようにして神の愛を知ることができるでしょうか。
「そうでなければ主の来臨の時に全地はことごとく荒廃するであろう」教義と聖約2:2
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