モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

霊的に生き残る

2021-03-26 05:47:17 | 総大会
霊的に生き残る唯一の方法は、人生の中で神に勝利を得ていただき、神の声を聞くことを学び、イスラエルの集合を助けるために勢力を使うことです。
(神に勝利を ネルソン大管長)


「霊の死」が神から離れることであれば、「霊的に生き残る」とは神と共に生きることです。

神が人から離れ去って行くことはありません。
神が人を遠ざけることもありません。
人が自らの意思で神から離れて行くのです。

神は必ずすべてのことに勝利します。

神とともにあるなら、神とともにその勝利にあずかることになります。
そのためには、神から引き離そうとする全ての力と戦わなければなりません。

神とともにあるなら、神の声を聞きます。
それは祈りの答えであり、啓示であり、御霊の導きです。

神とともにあるなら、自ずとイスラエルの集合のために働くことになります。

なぜなら、その思いは主の御心であり、その言葉は天使の言葉となり、
その生活は神の教えを表すものとなるからです。
コメント

日々の努力

2021-03-25 05:45:32 | 総大会
信仰と勇気…が必要です。悔い改め、…天の御父とイエス・キリストについて学び、個人の啓示…に応えるには、一貫した日々の努力が必要です。
(神に勝利を ネルソン大管長)



日々、何を努力しているでしょうか。
具体的には人それぞれに違うと思いますが、共通して言えることは、
・ イエス・キリストへの信仰
・ 主に従う勇気
・ 悔い改め
・ 神について学ぶ
・ 啓示を受けて従う

それらを一言でいえば、‟主を覚える”ことです。
わたしたちは毎週の聖餐式でそれを誓約します。

そのための「一貫した日々の努力」として何が行えますか。
聖餐はそれを‟証明”するように求められていますが、何によってそれを証明しますか?
コメント

問題

2021-03-24 06:05:04 | 総大会
最大の望みが神に勝利を得ていただくこと、すなわちイスラエルの一員となることであるとき、多くの決断は容易になります。問題が問題でなくなります。
(神に勝利を ネルソン大管長)

神に従ったとしても問題が消えてなくなるわけではありません。
むしろ‟神に従う努力する分だけ問題は増える”かもしれません。
それを見て「神に従うことは無駄」と考える人もあるようです。

一時的な問題に目を奪われることはよくあります。
たとえ一時的なものであるとしてもそこに苦しみがあるからです。

苦しみには肉体的、精神的、金銭的など様々なものがあります。
それらの苦しみは心(霊)に大きな影響を及ぼし、霊も苦しみます。
霊が苦しむと、その苦しみは倍増します。

心を神に向けるとき霊的な苦しみは確かに和らげられます。
そのことを経験し、証できる人は少なくないはずです。
それは苦しみを和らげ、慰め、励まし、希望を与えます。
コメント

影響力

2021-03-23 06:12:39 | 総大会
誰もが…イスラエルの者となるか…人生の中で神に勝利を得ていただくか…神に人生の中で最も強い影響力になっていただくかどうかを選べます。
(神に勝利を ネルソン大管長)


「イスラエルの者となる」とは‟主の群れに入って、主の民として生きる”という意味であり、
バプテスマの時に交わす聖約です。

主の民となる決心をしたときから‟信仰の戦い”が始まります。
何と戦うのでしょうしょうか。
‟主の道から逸れさせようとする全てのもの”と戦います。

それは怒りであったり、争い、高慢、この世的な欲望、不信仰、悪意などです。
これらは人を神から遠ざけ、神から遠ざかるほどにその影響力は強くなります。

その戦いに勝利したときに得られるものは何でしょうか。
愛と喜び、平和、善意などの御霊の実(ガラテヤ5章)と呼ばれるものです。
これらは人を神に近づけ、神に近づくほどにその影響力は増し加えられます。

どちらも自分で選ぶことができます。
後者を得たいと望むなら‟キリストに従う”ことを選ぶことでしょう。

キリストに従うとはどういう意味でしょうか。
「神の影響力を受け入れる」ことです。

神の影響力を受け入れるなら、福音の喜びは増し加えられ、御霊と交わり、
「神の勝利」が人生の中で最も大きな望みとなるでしょう。
コメント

イスラエル

2021-03-22 06:30:27 | 総大会
イスラエル…の意味(は)「神に勝利を得させよ」であ(り)…進んで神に勝利を得ていただこうとする人を指(しま)す。
(神に勝利を ネルソン大管長)

わたしたちが戦いに参加しなければ、神は勝利を得ることができないのでしょうか。
いえ、わたしたちが何を行おうと神は勝利を得ることでしょう。
そうであれば、わたしたちは何のために神の業のために働くのでしょうか?

前世において天上で戦いがあったと教えられていますが、
それはどのようなものだったのでしょうか?
肉体を持たない霊の状態であれば、
武器を持って血を流し合うような戦いではなかったはずです。
霊の戦い、つまり‟信仰の戦い”であったと思います。


それは今この世にある信仰の戦いと同じかもしれません。
神とともに勝利を得ることにはどのような意味がありますか?

三つのことについて考えてみていただけたなら幸いです。
① 何のために神の業に働くのでしょうか
② 信仰の戦いとは何ですか
③ その勝利にはどのような意味がありますか
コメント