ベトナム戦争時代のヘリコプターを紹介した後は、
戦闘機スカイホークを取り上げることにします。
ここフライングレザーネック航空博物館には、
なぜかスカイホークが少しずつ違うバージョンで3機展示してあります。
なぜかスカイホークが少しずつ違うバージョンで3機展示してあります。
■マグドネル・ダグラス A-4 スカイホーク
ダグラス・A-4スカイホークは、1950年代初頭、
アメリカ海軍と海兵隊のために開発された単座亜音速空母対応攻撃機です。
使用年は「1956−1998」となっており、
まるまる40年もの間現役だったということになります。
A-4スカイホークは、ダグラス・エアクラフト・カンパニー、
後のマクドネル・ダグラスによって設計・製造された
デルタ翼のシングルターボジェットエンジン機です。
見た目からスマートなスカイホークは比較的軽量で、
最大離陸重量は11,100kg、最高速度は1,080km/時以上。
5つのハードポイント(武器搭載ポイント)には、さまざまな種類の
ミサイルや爆弾などの弾薬を搭載することができます。
ダグラス・A-4スカイホークは、1950年代初頭、
アメリカ海軍と海兵隊のために開発された単座亜音速空母対応攻撃機です。
使用年は「1956−1998」となっており、
まるまる40年もの間現役だったということになります。
A-4スカイホークは、ダグラス・エアクラフト・カンパニー、
後のマクドネル・ダグラスによって設計・製造された
デルタ翼のシングルターボジェットエンジン機です。
見た目からスマートなスカイホークは比較的軽量で、
最大離陸重量は11,100kg、最高速度は1,080km/時以上。
5つのハードポイント(武器搭載ポイント)には、さまざまな種類の
ミサイルや爆弾などの弾薬を搭載することができます。
【その任務-核投下のためのマニューバ】
USMCの攻撃任務、それは攻撃的な武装偵察を提供し、
海兵隊遠征隊の防空を行うことです。
海兵隊遠征隊の防空を行うことです。
軽量でありながら、A-4の爆弾搭載能力は、
第二次世界大戦中のボーイングB-17爆撃機と同等とされ、
低空爆撃システムと「ロフトテクニック」と呼ばれる技術を用いて
核兵器を投下することもできました。
核兵器を投下することもできました。
この英語でいうところの「ロフト」なる技術なのですが、
これを表す「デリバリーテクニック」を「運搬技術」と訳すと、
どうしても意味が噛み合わなくなるのに気が付きました。
これを表す「デリバリーテクニック」を「運搬技術」と訳すと、
どうしても意味が噛み合わなくなるのに気が付きました。
ロフトはつまりトス・ボミング(Toss Bombing)と同義であり、
これ自体がアメリカ空軍の爆撃方法のことだったのでした。
トス爆撃 / ロフト爆撃 (Loft bombing)は、主に低空を飛行し、
機体を引き起こしつつ、爆弾を進行方向前方へと放り投げる方法を言い、
爆弾投下後、機体はそのまま上昇・反転し、退避します。
この方法の利点は、爆弾を放り投げるため、
投下機は目標に接近することなく、爆撃を行うことができるというもので、
なるほど、これなら核爆弾でも安全に落とせます、というわけですね。
これ自体がアメリカ空軍の爆撃方法のことだったのでした。
トス爆撃 / ロフト爆撃 (Loft bombing)は、主に低空を飛行し、
機体を引き起こしつつ、爆弾を進行方向前方へと放り投げる方法を言い、
爆弾投下後、機体はそのまま上昇・反転し、退避します。
この方法の利点は、爆弾を放り投げるため、
投下機は目標に接近することなく、爆撃を行うことができるというもので、
なるほど、これなら核爆弾でも安全に落とせます、というわけですね。
そしてA-4は搭載能力がB-17並で、しかもインメルマンターンで
投下後避退することも可能な機体、ということが言いたいわけです。
投下後避退することも可能な機体、ということが言いたいわけです。
Toss Bombing - Delivery Of Atomic Weapons By Light Carrier Aircraft - Execution (1959)
このビデオの3:00すぎから、どうやって核を投下し、
その場から退避するかを図解で説明しています。
後半には実際に爆弾投下をしている実写映像があり。
さらにこれはロフトテクニックの一つ、「オーバーザショルダー」という方法です。
第二次世界大戦の大型爆撃機は、核を落とす時、
(といってもそれが行われたのは合計二回だけだったわけですが)
高高度からほぼ無差別に投下するしかありませんでした。
その場から退避するかを図解で説明しています。
後半には実際に爆弾投下をしている実写映像があり。
さらにこれはロフトテクニックの一つ、「オーバーザショルダー」という方法です。
第二次世界大戦の大型爆撃機は、核を落とす時、
(といってもそれが行われたのは合計二回だけだったわけですが)
高高度からほぼ無差別に投下するしかありませんでした。
しかし、この方法を用いると、低空から目的地にピンポイントに投下を行い、
しかも機体に爆発の影響が及ばないうちに速やかに現場離脱することが可能です。
しかも機体に爆発の影響が及ばないうちに速やかに現場離脱することが可能です。
技術上、民間人への無差別攻撃とならざるをえなかった
「広島・長崎」の教訓と反省が生かされた、
落とす側にも落とされる側にも優しい、
実に人道的な核投下方法と言えましょう。
(もちろん嫌味です)
【仕様】
A−4のデザインはいわば「シンプル・イズ・ベスト」の好例といえるでしょう。
前縁スラットは重力と空気圧がかかると適切な速度で
自動的にドロップするように設計されており、その仕組みには
モーターはもちろん、パイロットスイッチさえ必要としません。
自動的にドロップするように設計されており、その仕組みには
モーターはもちろん、パイロットスイッチさえ必要としません。
翼の上のボタンが並んでいるような翼端前面がスラット
前縁スラットとは、主翼の前縁に垂れ下がった「張り出し」のことです。
フラップと連動して下がり、揚力を増やす効果を得るもので、
翼との隙間(スロット)によって大迎え角時の失速を防ぎ、
速度が上がれば格納されます。
フラップと連動して下がり、揚力を増やす効果を得るもので、
翼との隙間(スロット)によって大迎え角時の失速を防ぎ、
速度が上がれば格納されます。
構造をここで見ていただきます。
主脚(3本ある脚のうち、前方のもの)が主翼桁を貫通しておらず、
格納した時にホイール自体のみが翼の内側にあり、下部構造支柱は
翼下表面の下のフェアリングに収納されるように取り付けられています。
主脚(3本ある脚のうち、前方のもの)が主翼桁を貫通しておらず、
格納した時にホイール自体のみが翼の内側にあり、下部構造支柱は
翼下表面の下のフェアリングに収納されるように取り付けられています。
と文字では分かりにくいので、動画をご覧ください。
DOUGLAS A4 SKYHAWK LIGHT ATTACK AIRCRAFT SALES FILM 80624
フィルム最初に、主脚が格納される寸前までの映像を見ることができます。
この仕様の採用の目的は、強度を変えずに翼構造自体を軽くすることにあります。
また、重い翼の折り畳み機構をなくすことによって、
多大な重量の節約を実現することができるようになったという意味で
画期的だったといわれています。
エンジンは、当初ライト社製のJ65ターボジェットエンジンでしたが、
A-4E以降はプラット&ホイットニー社製のJ52エンジンを採用しています。
先ほどのA-4のビデオの4:10から見ていただくと、
エンジンが内蔵されている位置を赤でわかりやすく教えてくれます。
【A-4F バージョンノート】
エンジンが内蔵されている位置を赤でわかりやすく教えてくれます。
【A-4F バージョンノート】
A-4Fからのアップグレードには、1,300ポンド以上の推力を備えた
Jー52ーPー8Aターボジェットが含まれます。
着陸後の走行距離を最大1000フィート短縮するために、
翼には新しいリフトスポイラーが追加されました。
Jー52ーPー8Aターボジェットが含まれます。
着陸後の走行距離を最大1000フィート短縮するために、
翼には新しいリフトスポイラーが追加されました。
その他の変更点は、ゼロゼロ射出座席(A zero-zero ejection seat、
速度0、高度0でも、射出座席装置による機体からの脱出が可能)、
パイロットを保護するための機体への防弾、防空砲素材、
そしてコクピット後方にフェアリングハンプが追加されました。
速度0、高度0でも、射出座席装置による機体からの脱出が可能)、
パイロットを保護するための機体への防弾、防空砲素材、
そしてコクピット後方にフェアリングハンプが追加されました。
フェアリング・ハンプ。コクピット後方が山なりに出っ張っている
この「コブ」の中には電子機器やアビオニクスが収納されており、
これらについても最新式のものに改良されています。
これらについても最新式のものに改良されています。
zerozero射出といえば、当博物館の室内展示を出る直前に、
このようなものが無造作に置いてあったのですが、
これはまさかそんなものではないですよね?
ゼロゼロ機能は、低高度・低速飛行中や地上での事故の際に、
乗員が回復不能な状態から上方に脱出するために開発されました。
通常、パラシュートは、安全に着地するための一定の高度を必要とします。
そのため、ゼロゼロ機能が導入される前までは、
最低の高度と低速度という条件が揃わなければ脱出できませんでした。
ゼロ(航空機)の高度から脱出しようとすれば、当たり前の話ですが、
シート自身を十分な高度まで持ち上げる必要があります。
初期の座席は、航空機から砲で発射される仕組みと同じものだったため、
座席内に仕込まれた非常に短い「砲身」に必要な衝撃を与えていました。
そうしないとパイロットの人体が押しつぶされてしまうからですが、これでは
どうしても総エネルギー量が制限され、高さを増すことができませんでした。
しかし、ゼロゼロ技術では、小型ロケットでシートを適切な高度まで上昇させ、
小さな爆発でパラシュートのキャノピーを素早く開くため、
パラシュートの開傘に対気速度と高度を必要としません。
まず、レバーが引かれると、シートキャノンがシートを機体から外し、次に
シート下のロケットパックが発射されてシートを高度まで持ち上げます。
ロケットの発射時間はキャノン砲よりも長いため、大きな力は必要ありません。
また、ゼロゼロロケットシートだと、イジェクションの際に
パイロットにかかる力は大幅に軽減し、怪我や脊髄の圧迫を減らすことができます。
このようなものが無造作に置いてあったのですが、
これはまさかそんなものではないですよね?
ゼロゼロ機能は、低高度・低速飛行中や地上での事故の際に、
乗員が回復不能な状態から上方に脱出するために開発されました。
通常、パラシュートは、安全に着地するための一定の高度を必要とします。
そのため、ゼロゼロ機能が導入される前までは、
最低の高度と低速度という条件が揃わなければ脱出できませんでした。
ゼロ(航空機)の高度から脱出しようとすれば、当たり前の話ですが、
シート自身を十分な高度まで持ち上げる必要があります。
初期の座席は、航空機から砲で発射される仕組みと同じものだったため、
座席内に仕込まれた非常に短い「砲身」に必要な衝撃を与えていました。
そうしないとパイロットの人体が押しつぶされてしまうからですが、これでは
どうしても総エネルギー量が制限され、高さを増すことができませんでした。
しかし、ゼロゼロ技術では、小型ロケットでシートを適切な高度まで上昇させ、
小さな爆発でパラシュートのキャノピーを素早く開くため、
パラシュートの開傘に対気速度と高度を必要としません。
まず、レバーが引かれると、シートキャノンがシートを機体から外し、次に
シート下のロケットパックが発射されてシートを高度まで持ち上げます。
ロケットの発射時間はキャノン砲よりも長いため、大きな力は必要ありません。
また、ゼロゼロロケットシートだと、イジェクションの際に
パイロットにかかる力は大幅に軽減し、怪我や脊髄の圧迫を減らすことができます。
もちろん人体への衝撃が全くなくなるわけではいので、
射出による脱出は、ゼロゼロ射席以降でも、パイロットにとって
「それを体験するときはパイロット人生が終わるとき」
というくらいの異常事態であることに何ら変わりはありません。
射出による脱出は、ゼロゼロ射席以降でも、パイロットにとって
「それを体験するときはパイロット人生が終わるとき」
というくらいの異常事態であることに何ら変わりはありません。
(とレガシーホーネットの海兵隊パイロット本人から聞いたことがあります)
A-4Fのプロトタイプは1966年に初飛行を行い、
海兵隊へは1967年から始まり、146機が製造されました。
【ベトナム戦争での運用】
A-4Fはベトナムでの使用を最初から目的に設計された最初のスカイホークで、
太平洋沿岸の飛行隊にのみ割り当てられ、大西洋艦隊には配備されませんでした。
ベトナム戦争に投入されるようになると、上空を飛行するパイロットの
主な脅威は、地上からの銃撃と高射砲となりました。
パイロットをこれらの攻撃から保護するために、
コックピットの周りには装甲板が設置され、先ほど書きましたが、
機体全体には耐弾性、耐対空砲性の素材が追加されます。
ベトナム戦争期間中、A-4Fに搭乗した海兵隊航空隊は
VMA-214「ブラックシープ」Blacksheep
VMA-223「ブルドッグ」Bulldogs
VMA-311「トムキャット」Tomcats
予備軍としてはVMA-131「ダイヤモンドバックス」、
VMA-133「ドラゴンズ」、VMA-134「スカイホークス」、
VMA-142「フライングゲイターズ」もA-4Fに乗っていました。
A-4Fはベトナムでの使用を最初から目的に設計された最初のスカイホークで、
太平洋沿岸の飛行隊にのみ割り当てられ、大西洋艦隊には配備されませんでした。
ベトナム戦争に投入されるようになると、上空を飛行するパイロットの
主な脅威は、地上からの銃撃と高射砲となりました。
パイロットをこれらの攻撃から保護するために、
コックピットの周りには装甲板が設置され、先ほど書きましたが、
機体全体には耐弾性、耐対空砲性の素材が追加されます。
ベトナム戦争期間中、A-4Fに搭乗した海兵隊航空隊は
VMA-214「ブラックシープ」Blacksheep
VMA-223「ブルドッグ」Bulldogs
VMA-311「トムキャット」Tomcats
予備軍としてはVMA-131「ダイヤモンドバックス」、
VMA-133「ドラゴンズ」、VMA-134「スカイホークス」、
VMA-142「フライングゲイターズ」もA-4Fに乗っていました。
ちなみに311航空隊のトムキャッツは、2020年の秋に解散しています。
もしやコロナのせいで?と思ったのですがさにあらず、
ハリアーIIを装備していた部隊だったので、一旦解散してから
次にF-35Cに移行し、再就役をする予定だそうです。
もしやコロナのせいで?と思ったのですがさにあらず、
ハリアーIIを装備していた部隊だったので、一旦解散してから
次にF-35Cに移行し、再就役をする予定だそうです。
F-35というから垂直離着陸型かと思ったら、Cが付くのは艦載機タイプの模様。
ちなみにVTOL、垂直離着陸できるのはB型、
F35-Aは空軍用で一般的な離着陸(CTOL)機。
ABCと順番に来ていますが、F35ーCは空母搭載型、つまり
CはキャリアーのCというわけです。
【FLAMのA-4F】
FLAMののA-4F(BuNo.154204)は、1967年8月に
海軍のVA-23「ブラックナイツ」に受け入れられ、
ヤンキー・ステーションのUSS「タイコンデロガ」(CV13)艦載飛行隊に
代替機として加わるというデヴューを果たしました。
FLAMののA-4F(BuNo.154204)は、1967年8月に
海軍のVA-23「ブラックナイツ」に受け入れられ、
ヤンキー・ステーションのUSS「タイコンデロガ」(CV13)艦載飛行隊に
代替機として加わるというデヴューを果たしました。
1968年2月、204はヤンキー・ステーションに留まり、
USS「ボノム・リシャール」(CV31)搭載部隊、
VA-93の「ブルー・ブレイザーズ」に移され、
ケサンの戦いで米海兵隊を支援する任務に従事しました。
1968年5月28日、大規模な修理のために日本の厚木基地の
FAWPRA(Fleet Air West Repair Facility)に送られ、修理後
NAS厚木の戦闘作戦支援活動(COSA)に移され、再配置されました。
この機体は、USS 「コーラル・シー」(CV 43)乗組、
VA-153の「ブルーテイル・フライズ」 に連れられて、帰ってきました。
戻った後、VA-212「ランパント・ライダーズ」 "Rampant Raiders "
(獰猛な攻撃者という意味?)にすぐさま移され、再び
1969年、USS 「ハンコック」(CV 19)に搭載されてベトナムに戻ることに。
任務を成功させた後、VA-127 「ロイヤルブルーズ」"Royal Blues "に入り、
ここでは戦闘機の代替パイロットのための高度な全天候型ジェット計器の訓練や、
ライトジェット攻撃パイロットのための再教育訓練に使用されました。
ここでの5年間の任務の間、誘導ミサイルのテストを行うために
NAS Pt.MuguのVX-4に一時的に貸し出されています。
そしてまたしてもVA-55「ウォーホース」とともに最後のベトナム派遣で
再びUSS「ハンコック」に搭乗し、あの脱出作戦フリークエント・ウィンド、
イーグル・プル作戦、ブルー・スカイ作戦に参加しました。
USS「ハンコック」がカリフォルニア州アラメダ海軍基地に戻ると、
204は基地に残り、NASアラメダの航空隊予備軍、
VMA-133(MAG42)「ドラゴンズ」に14年間所属。
1989年海軍予備軍のVFC-13「セインツ」に移管され、
NASミラマーで異種空戦訓練(DACT)を行うアグレッサーとなりました。
この時、アビオニクスの「ハンプ」が取り除かれたので、
展示機には、どこを探しても本項に書いたところの特徴的なコブはありません。
その後1991年に運用を終了し、MCAS エルトロの博物館に展示されています。
USS「ボノム・リシャール」(CV31)搭載部隊、
VA-93の「ブルー・ブレイザーズ」に移され、
ケサンの戦いで米海兵隊を支援する任務に従事しました。
1968年5月28日、大規模な修理のために日本の厚木基地の
FAWPRA(Fleet Air West Repair Facility)に送られ、修理後
NAS厚木の戦闘作戦支援活動(COSA)に移され、再配置されました。
この機体は、USS 「コーラル・シー」(CV 43)乗組、
VA-153の「ブルーテイル・フライズ」 に連れられて、帰ってきました。
戻った後、VA-212「ランパント・ライダーズ」 "Rampant Raiders "
(獰猛な攻撃者という意味?)にすぐさま移され、再び
1969年、USS 「ハンコック」(CV 19)に搭載されてベトナムに戻ることに。
任務を成功させた後、VA-127 「ロイヤルブルーズ」"Royal Blues "に入り、
ここでは戦闘機の代替パイロットのための高度な全天候型ジェット計器の訓練や、
ライトジェット攻撃パイロットのための再教育訓練に使用されました。
ここでの5年間の任務の間、誘導ミサイルのテストを行うために
NAS Pt.MuguのVX-4に一時的に貸し出されています。
そしてまたしてもVA-55「ウォーホース」とともに最後のベトナム派遣で
再びUSS「ハンコック」に搭乗し、あの脱出作戦フリークエント・ウィンド、
イーグル・プル作戦、ブルー・スカイ作戦に参加しました。
USS「ハンコック」がカリフォルニア州アラメダ海軍基地に戻ると、
204は基地に残り、NASアラメダの航空隊予備軍、
VMA-133(MAG42)「ドラゴンズ」に14年間所属。
1989年海軍予備軍のVFC-13「セインツ」に移管され、
NASミラマーで異種空戦訓練(DACT)を行うアグレッサーとなりました。
この時、アビオニクスの「ハンプ」が取り除かれたので、
展示機には、どこを探しても本項に書いたところの特徴的なコブはありません。
その後1991年に運用を終了し、MCAS エルトロの博物館に展示されています。
続く。
この作品は初見ですが、若い大尉が紙と鉛筆で「核攻撃」の計画を立てるというのがたまらなくシュールですね。折角ですから邦題をつけてみましょうか(^O^)
「核爆弾の落とし方ーこれで君もティベッツ大佐だ!ー」
「私でもできました・核攻撃ーチョイと上がってヒョイー」
「誰でもカンタン核攻撃」
…う~ん、我が国配給会社のセンスには及ばないなあ('ω')
目標の手前で引き起こしながら、どういうタイミングで爆弾を切り離すのかなと思っていましたが、4Gになったら、勝手に切り離されるんですね。正確に投弾するには、きちんと事前に決めた通りに飛ばないといけない訳で、それなりの技量が必要です。
空母(海上)から敵地に侵入する場合、海岸線の80マイル手前から高度250フィートで飛べと言っていました。日本の航空法の最低高度(500フィート)以下です。よく米軍機が低空飛行をすると言って、ニュースに出ますが、これをやっているんですね。こんなに低く飛んだら、絶対にレーダーには引っ掛かりません。さすが戦う軍隊だ。
下面から見ると爆弾架のような前後のレールのように見えます。
添付された動画の6分50秒ごろ、脚出しが撮影されており、前方から3本とも降りてくるのが分かります。
A-4はアメリカ海軍の艦上単座攻撃機として開発されましたがイスラエル、ニュージランド、シンガポール、ブラジル等10か国で採用され約3,000機生産されました。
1954年初飛行で1979年生産は終了しましたがアルゼンチンとブラジルにまだ少数機があると記述の資料もあります。
エンジン強化や電子機器の近代化が実施され、A,B,C,E,M,N,P,S,SUスーパースカイホーク,K,OA-4M,OA-4ARファイテングホーク等の型がありました。
参照イカロス出版「戦闘機年鑑」