映画「眼下の敵」(The Enemy Below) 後半です。
ところでみなさんもお気づきの通り、この映画はゴリゴリに硬派で、
舞台は駆逐艦とUボートの中、そして海の上のみ。
米駆逐艦「ヘインズ」がUボートを見つけ、両者が対決する
24時間の出来事を書いており、回想シーンもいっさいありません。
マレル艦長の妻は、自分が船長をしていた民間船に乗せたがために、
潜水艦に撃沈されて死んでしまったということですが、それも
回想シーンはなく、艦長が静かに物語るだけ。
クルト・ユルゲンス演じるUボート艦長フォン・シュトルベルグの妻も、
写真がちらっと写るだけです。
ちなみにこの写真は、ユルゲンスの実際の妻、女優のエヴァ・ノヴァクで、
ちょうど撮影の時期に結婚していたことから「特別出演」させたようです。
ユルゲンスは生涯に5回結婚していますが、ノヴァクはその中でも
結婚から離婚まで1年という最短記録を誇っています。
さて、駆逐艦の足止め作戦が始まりました。
きっかり一時間置きに繰り返される爆雷攻撃に、
すっかり翻弄されるUボートの中の人たち。
攻撃が5回目を超えたとき、中の人の一人がパニックを起こし、
レンチを振り回して無言で大暴れするという事態になってしまいました。
ハッチに近寄っては開けて外に出ようともがきます。
「我々には手が出せません!」
しかしあら不思議、艦長が、
"Komm her, Söhn.”(お節介ながらドイツ語翻訳でお送りしております)
と一言いうと、ナウシカを噛んだキツネリスのように大人しくなりました。
「死も我々の任務の一部だ。しかし我々は死なん」
さすがはカリスマ艦長、言うことが違うわ。
そして何を思ったか、先任伍長のハイニにレコードをかけさせます。
艦長、気でも狂ったかー?
「歌うんだ!」
この曲の元歌は、ドイツの「デッサウア」と言う行進曲で、
「So Leben Wir」( それが私たちの生き方)という歌になっています。
Marsch «Der Dessauer»
「♫友のために、みんなのために、人生に乾杯!
笑って歌おう、高らかに力強く」
「♫ジョッキはビアで満ち、唇には泡
友情に乾杯 叫べ ”ヤボール”!
ローレライの姿に心奪われ 愛に乾杯!命ある限り」
どうだ、聴こえるか、と上を見上げる不敵な艦長。
いつの間にか後ろでマイクを握って歌ってるクンツ少尉(笑)
副長「我々がおかしくなったんでしょうか」
「いや、まともだよ。そうでないことを祈るところだが。
それでは攻撃用意だ、副長。
ワルツの途中で彼らを真っ二つに引き裂いてしまおう」
あのー、お言葉ですが艦長、この曲四拍子なんですが・・・。
字幕では、
「ワルツに伴奏してやろう」
となっていますが、実際の方が容赦ない感じです。
歌に遠慮なく始まった次の攻撃で、Uボート燃料パイプ破裂。
そこでUボート艦長は燃料を捨てて反撃に出ることにします。
爆雷を1度撃つと、必ず駆逐艦は転舵して次の攻撃のために向きを変える。
その数分の間にこちらから攻撃を仕掛けようと言うのです。
「フォイアー!」(お節介ながらドイツ語に翻訳してお送りしています)
いきなり向かってきた四本の魚雷は避けようもありません。
そしていきなり駆逐艦が模型になって映像もチャチに!
前部ボイラー室と機関室浸水!
「1時間も保ちません!」
そこで艦長は、
「マットレスに油をかけ甲板で燃やし火事に見せかけろ」
と命令します。
「こちら艦長、最後の反撃に出る!
敵は必ず浮上してくるから、保全班と第31砲座以外は
総員離艦せよ!」
表から見ると火事を起こしただけのように見せて、
実はもう沈むしかない艦に敵を引き寄せ、
浮上したところをやっちまおうというのです。
反対側では退艦が始まりました。
ホエールボートには10名ほどが乗り込んでいます。
ついにUボートが「餌にかかって」浮上してきました。
Uボート艦橋からは、紳士的に発光信号で、
「5分後に沈めるのでよろしく」
と合図が送られてきました。
駆逐艦の方は卑怯にもこの5分で相手をやっつけるつもりなんですけどね。
それでも一応礼儀正しく、
「了解 感謝する」
と返答します。
準備を整えて撃ってきた駆逐艦に、Uボートも時間を早めて攻撃。
「フォイアー!」(お節介ながら再びドイツ語に翻訳してお届けします)
しかし駆逐艦は真っ直ぐこちらに向かってくるではありませんか。
艦長はしかし真正面から駆逐艦を見据え、逃げようとしません。
彼の「友人」である先任伍長が艦内に爆薬を仕掛けに行って
まだ戻ってきていなかったのです。
駆逐艦はUボートにのしかかってしまいました。
潜水艦が浮力を保っているのが物理的にありえないんですが・・・。
艦内に先任伍長を助けに戻る艦長。
救命ボート上の乗員は、自艦の乗員がボートにしがみついているのに、
Uボートから脱出してきた敵を拾って乗せてやっています。
やさしい世界・・・
そのとき、駆逐艦の艦橋から出てきた艦長と、
Uボート上の艦長が初めて遭遇しました。
一目で互いを認識し、敬礼を送るフォン・シュトルベルグ艦長。(冒頭絵)
アメリカ人らしく投げつけ式答礼をするマレル艦長。
好敵手同士が対峙した瞬間でした。
自分も退避しようとしてふと思い返し、マレル艦長は
Uボート上の二人に向かってロープを投げてやります。
瀕死の先任伍長の体を結びつけ、Uボートから脱出!
急がないと、仕掛けてきた時限爆弾が爆発してしまいます。
自力でロープを伝って駆逐艦上に上がってきたUボート艦長。
撮影では、もうすこし体重の軽そうな人がスタントをしています。
驚異的な体力にマレル艦長が驚きの目で眺めると、再び不敵な目で
傲然と見返してくるのでした。
この後がちょっと笑えるんですが、マレル艦長が
「英語わかるか?」
と話しかけるんですよ。
今までペラペラ英語で喋ってたっつーの。
ホエールボートから助けに来た乗員に担がれて、
文字通りの呉越同舟になったところでタイミングよく時限爆弾爆発。
「ヘインズ」もUボートも爆発炎上して仲良く海の藻屑に。
しかし先任伍長は救出後、亡くなってしまいました。
救出に来た駆逐艦艦上では彼の海軍葬が行われ、フォン・シュトルベルグが
ドイツ語の祈りの言葉を唱え、捕虜となったドイツ軍兵士が歌を歌います。
この歌は「Ich hatt 'einen Kameraden 」(私の同志)という
フリードリッヒ・シルチャーの曲で、今日でもドイツ軍では、
葬列で演奏される儀礼曲となっています。
Ich hatt' einen Kameraden (German and English Lyrics)
ドイツ語の上に英語訳が出てきますので、良かったら読み比べてみてください。
かつて同志がいた
良き同志が
太鼓は私たちに戦いを呼びかけた
彼は私のそばを同じ歩調で歩いていた
弾丸が飛んで来た
私の番か それとも彼か
彼は倒され 私の足元にいた
まるで私の一部であるかのように
彼はわたしに手を差し伸べていた
わたしが銃に装填をしているそのときも
だから今は彼の手を握ることはできない
同志よ、君は永遠の命にとどまる
私の良き同士よ
その曲がリフレインする中、軍医が艦長にしみじみと語ります。
「わたしは希望を見つけましたよ。
変わった場所、海の中で・・・しかも戦いの最中にね」
Uボートの乗員は捕虜になったわけですが、普通の乗員のように
そのへんをうろうろしております。
いいのか。
マレル艦長は好敵手だったフォン・シュトルベルグ艦長に近づき、
だまってタバコを勧めます。
タバコが「悪」でなかった時代は、こうやって男同士の
「連帯」「友情」「尊敬」いろんなものが表現できたんですよね。
「太陽にほえろ!」でも、タバコとタバコを近づけて火を移す、
と言うシーンがありました。(はずですよね。知りませんが)
しかしフォン・シュトルベルグはマレルからタバコを受け取って
自分で火をつけています。
さっきまで死闘を繰り広げていた二人が顔と顔をくっつけるのは
いくらなんでもやりすぎ、ってことになったのかもしれません。
そして最後に二人はこんな会話を交わすのです。
「私は何度もしに直面し、その度に生き残ってきた。
今回は君のせい(fault)で」
「知らんがな。
それなら次はもうロープを投げるのはやめておく」
するとフォン・シュトルベルグは煙を吐き出してから、
「君は次もそうするよ」
実はこの映画、映画のようなエンディングが元々の著書になかったため、
二通りの結末が考案され、実際に撮影されて、最終的にどちらにするか
モニターに見せ、評判の良かった方が結果全員一致で選ばれました。
それがこの「ハッピーエンディング」だったらしいのですが、
それではもう一つはどんな結末だったのかというと、
マレル艦長は海に転落した(か飛び込んだ)フォン・シュトルベルクを
救出するために自分も海に飛び込み、二人の指揮官はどちらも死ぬ(-人-)
わたしがモニターでもこっちは選ばなかったと思います。
終わり。
https://www.youtube.com/watch?v=zoHsx0TX_L0
歌っとりますなー。
アメリカの戦争映画にはあったでしょうか。あまり記憶がないんですが。
unknownさん
貴重な良いお話をありがとうございます。
日米共に旧軍軍人の下で働いた経験のある軍人は全て現役を離れています。
こういう、一般人には聞けないような当事者ならではの話は伝えられて欲しいです。
お節介船屋さん
戸山氏の講義を受けたことのある元防大生の噂によると、
どうも講義で自慢多めの人だったという噂もあるようです。
もしかしたらそういうタイプ、アナポリスにもいたかもしれません。
今回メールで教えていただいたところによると、レイナーの原作では
「共に沈んだ米独将兵がボートに呉越同舟している時に、
水平線の彼方に船が見えてきて、
何方の国の船か?何方の将兵が捕虜になるか?」
・・・・・で終わっているそうな。
こういう終わり方もありだったかもしれません。
1908年生まれ、1925年海軍士官候補生として英国海軍入隊、1939年海軍少佐となりました。
第2次世界大戦勃発時、スカパーフロー海軍基地勤務、1943年駆逐艦長、2度勲章受章、公式文書に2度名前が記載されました。
その経験や海軍本部、英国陸海軍協会図書館、公式記録保存所等の保管記録等を参照に執筆された物語であり、英国駆逐艦を米国駆逐艦に置き換えて映画化されました。
レイナーは帆走フルゲートを題材にしたインド洋で商船護衛でフランスフリゲートとの戦いの「激闘インド洋」等の小説も執筆しました。
参照パシフィカ発刊海洋冒険小説シリーズ
海戦史に造詣が深かったのですが戦訓論を最終章に記載されていますが旧海軍の戦訓軽視と演習教訓重視を指摘され海自に警鐘されていました。
事例としてハワイ作戦における第二撃問題と旅順口攻撃、大鑑巨砲主義とジャットランド海戦、海上護衛戦の失敗と無制限潜水艦戦、連合艦隊長官g陣頭指揮に乗り出すべきであったレイテ海戦と黄海海戦、成算なき開戦と日露開戦史を紹介し、検討されています。
詳しくは参照文献を読まれてほしいですが我が国の生命線をズタズタにされただけでなく、強力だと思われてた艦隊がやすやすと攻撃され主力たる航空母艦や戦艦、巡洋艦はては対潜艦たる駆逐艦も撃沈されたのは米海軍のおよそ200隻の潜水艦による無制限潜水艦戦でした。
開戦当初から無制限潜水艦戦を米国に宣言されながら我が海軍は全く対潜戦に無為無策であり、大井篤氏の指摘の「昭和18年12月10日まで護衛専門、対潜専門の航空隊は一つも編成されていないし、護衛航空戦術、対潜航空戦術は研究されず、訓練もされていなかった」には唖然とします。
艦隊決戦兵力を最重視し、性格や価値観もそれで形成され他を全く顧みなかった事が潜水艦の脅威を感じる事の出来ない体質となってしまったとの事です。
第1次世界大戦での大きな戦訓である無制限潜水艦戦の脅威とジェットランド海戦で大艦巨砲主義が過ぎ去った事を全く理解できず、本当の戦いの戦訓より模擬戦の演習教訓重視とした海軍の体質こそ大きな敗因であったと指摘されています。
本映画でも24時間に渡る制圧の実施が描かれていますがわが海軍の戦いのどの場面をみても淡泊な戦い方であり草鹿、小柳参謀長等が日本刀の戦いに言及しているように一瞬で終わりと思って作戦を行っていました。対潜戦だけでなく目的達成には重複して何度も挑みかかる事が必要ですがこれをやらないため戦機を失しただけでなく、全く成果も上がらない海戦史が数多くありました。
対潜戦で犯したわが海軍の失態は、我が国の戦時の最大の弱点も理解せず、第1次世界大戦の戦訓も知らずに戦ってしまったことでした。
本質は海軍を含め我が国が全く成算がない戦いを始めたことですが。
参照原書房外山三郎著「大東亜戦争と戦史の教訓」、光人社外山三郎著「図説太平洋海戦史全3巻」
海上自衛隊は、口うるさい水交会(旧海軍出身者)の先輩を疎んでいました。「日本海軍の戦艦が沈んだ場所」は大和(坊ノ岬沖海戦)と長門(ビキニ環礁の水爆実験)くらいしか知りませんでしたが、叱られました。
「我々(米軍)はギリギリまで日本海軍に追い詰められたと教えられた。君達は誇りを持っていい」と言われました。
後年、来日され、今はなくなってしまった横須賀の小松にお連れしました。東郷さんや山本さんの書に痛く感動されていました。お互いに讃え合える。そこが海軍のいいところです。
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