風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

今さら?

2008年01月11日 12時53分29秒 | エッセイ、随筆、小説


ある病院に初診申し込みしたのは
今から一年半前になる。
配達記録郵便にて
受診日時内容が記載された郵便が
今さら届けられてきた。

医師は多数のメディアに
登場したため全国から患者が殺到したのだが、
今さら初診を受ける気は毛頭なく、
また、今まで我慢できるのなら
医療など必要とはしないと思ってしまった。


医療とは誰のためのものなのだろう?
生活背景は常に無視され、
一年半も仮に寝たきりだった場合、
生活費工面やサポートなど
心配のない人の方が
希有だというのに。


今さら‥‥
すっきりと気分がしないのは
気のせいではないだろう。




沈黙

2008年01月11日 09時31分04秒 | エッセイ、随筆、小説


昭和50年「沈黙」出版、
昭和30年「白い人」で芥川賞を受賞


遠藤周作の描く作品、
とりわけ人間の弱さや悲しさについて
抉り出す際のユーモアな発想や表現力に
私は強く惹かれている。


文学とは?
人間とは?
慈悲とは?
思想とは?


よちよち歩きをはじめた赤んぼうのように
おぼつかない足取りで
その世界を理解しようと私は必死になる。


島原の乱が鎮圧されて間もない
キリシタン禁制の日本がその舞台である。
沈黙こそが最大の言論だと
言わんばかりの切実な問いを
投げかけている作品だ。


神の沈黙という永遠の主題に
信仰を持たない私でも
強くひきつけられる作品に仕上がっている。


珠玉。




脊椎管狭乍症

2008年01月11日 08時11分11秒 | エッセイ、随筆、小説



売れっこ司会者であるみのもんた氏、
彼の手術が成功したことは
私の記憶には新しい。


彼と私の違いは
腰椎と頚椎の差。
場所が腰椎の場合、建て前では
手術成功率は七割と高い数字を掲げているが、
予後に苦しむ人も多く、
また失敗すると車椅子生活へと
症状はより悪化することを覚悟しなければならない。



おそらく‥と前置きした上で
私の頚椎の状態は
狭乍による神経への圧迫と
それに伴う脳への血流不良、
髄液通路への極端な影響による
不具合ではないかと
確信してしまった。


それを仮説とした場合、
すべての問題のつじつまが合うためだ。
激痛の理由も納得出来るし、
説明することが可能となる。


先日、某大学病院にて
新しく紹介された主治医と会ったとき、
一度、疑いや診断名がついたものを
ゼロに戻せない医療の姿勢や弊害を目前にして
やれやれ、と思った。
狭乍ではない他疾患は
誤診が多い病であることは
医療の世界では周知の事実だ。


患者の方々と話をしていても同様に
一度下された診断名を信じ込んでいる。
ゼロから疑い直す人は
希有に近い。


以前、ある患者家族から
絶対に治らないし
症状が進行すると言われたときには
さすがに腹立ちを抑えられなかったが、
同時に私は強い疑問を抱く結果となっていく。

つまり、車の運転は一生、できない、
けれど、社会復帰は徐々に行っていこうと思う私と
社会復帰はできないが
車の運転は可能な人とでは
どちらが軽度なのかと
考えたとき、
私はわからなくなる。
そもそも比べることではないとは思うが
誤診の多い疾患への誤解は
こうして社会に発信されてしまうとき、
やっぱり厳しいなぁ~と思ってしまう。


なぜならば、
もう一度打撃を受けることが
致命傷となり得るものに対し、
車の運転はすごくリスクが高い。
また、めまいや頭痛を抑える薬を
大量に服用しているから
大丈夫だと言われたことがあるが
事故の被害者になっても
加害者であるときは当然ながら、
服用薬や病が問題にされないことはないはずだ。
医師にも責任追求の波紋は
広がるだろう。


そう考えると怖くなる。
酒を飲んでいなくても
薬を服用して運転をしている人は
日本には相当数いると推測されるためだ。


髄液関係であろうと
頚椎の問題であろうと
症状が激痛を伴うことは
変わりない。


私は二度とごめんだ。
またふりだしに戻るなど。



理解を得る目的

2008年01月10日 22時58分13秒 | エッセイ、随筆、小説



元気な振りこそが生きのびる術か?
いちいち痛みや症状の詳細を伝えるつもりはないが、
今日はキレた。


娘の彼氏がうちで私の夕飯を食べたいと
しつこく迫ること、
それに対し娘も私の了解が得られると
当然だと思っていることに
ぶちきれた。


何度説明しようが他人事だ。
どうにかやりくりして心身を保っているのだと
少しは理解しろ。
これ以上ストレスにさらされると
廃人になると説明する羽目になった。
すごく嫌な気分だ。
再起不能になるだけならともかくとして、
生きる屍になるほど
脳はダメージを受けてしまうのだ。


一見にしてわからないものは、
病が存在しないものと同等か、
家族にすら理解されないのだと
今日はつくづく痛感させられる。
理解されないのなら自衛のためにも、
そうした人たちとは自分に余裕が生まれるまでは
接触を持たない方が
お互いの幸せのためだ。


去年は精査の一年だった。
世の中にはいろいろな人がいるものだと
あらためて感心したし、
絶対に病が治らず進行すると
同じ苦しみを味わっているだろう患者家族に言われ、
人間の業に触れたようで
正直、恐怖を味わったりもした。


自分もいろいろなの一部であることは事実だし、
想像以上に無理解な言動を
受け止める余裕ないことも驚いた。
それが障害なのだと思うと
根の深さに言葉を失うばかりなのだ。
厄介なものを肩に担いだことを理由にして、
今年はストレスからは積極的に逃げようと思う。




正鵠を射る

2008年01月10日 21時52分56秒 | エッセイ、随筆、小説


日本では白黒はっきりさせず、
いかに曖昧に穏便に物事を処理することが
望ましい。
それがいかに物事の急所をついていたとしても
それを求めていない人は以外と多く、
それだけに厳しい現実を生きているのかと
無意味な想像を馳せてしまう。


今日は久しぶりにパソコンを開けた。
医療について
以前、書いたものに上書きしていると
想像以上に疲労困憊、
首に激痛が走ったので中止した。


辞書をひきながら言葉の意味を確認して
文章を作成していると、
あまりのひどさに頭痛がしてきた。
めまいも誘引されそうなので
慌ててパソコンを閉じた。


どのようにすれば
ただの批判ではなく、
ただし言いたいことが正しく伝えられるのかと
頭を抱えてしまった。
医療従事者にもそれを必要とする患者にも
有効である内容。


以前、ある作家の方に
そんなものを誰が読むのかと
書くだけ無駄な労力だと
言われたことを思い出したが
無駄になったとしても
誰も読んではくれないとしても
私はバカなのか、
無意味だとは思えないのだ。


だとしても、文章が成立しないとは
バカ以前の問題だ。
医療は私たちが生きていくかぎり
誰も避けては通れないテーマだ。
むろん、医療とは無縁でいることが
私にはこの上ない幸せになりつつあるようだ。



女が女に惚れる時

2008年01月10日 11時32分44秒 | エッセイ、随筆、小説



迷いがないわ。
私をみた彼女はそう言って笑顔をみせた。
社会復帰をどのように計画したらよいか
体調を考えたとき
正直、自信が持てなかった私が
この一言によって腹が据わった。
彼女からは教授されることばかりだろうが、
土台となる柱はここでしか育めない。


彼女のところに来る客はみな品がよい。
かといって、お高くとまっているわけでもなく、
子宮の中にいるみたいで
心地よく楽なのだ。


心身管理を十二分に気遣わないと
再起不能になりかねない。
どの文献を読んでも共通しているのは
私が考える以上に症状の根深さや
時間がそれを薄めることはないという
厳しい現実だった。


仕事と労働は違う。
私は仕事がしたいのだ。
その第一歩を彼女の店で踏み出したい。
着物も毎日着られる。
女が惚れ込む女、
潔くて格好よくて
魅力的でクールで知的だ。


彼女のような年の重ね方をしたい。
女に惚れ込まれるような女。
私の憧れだ。




障害に無知で鈍感な国

2008年01月09日 20時43分58秒 | エッセイ、随筆、小説


勤務中ではなかったとはいえ、
交通事故後に夜間も週末も関係なく
数名もの会社役員から私的な連絡を受ければ、
誰だって心に傷を負うだろう。
心身穏やかに
休める状態ではないのだから、
脳は常に緊張状態だ。
そこに上半身から頭にかけての激痛が伴う。
それを見ていたはずなのに
見なかったことにして
私に無理難題をおしつけ、
他人の不祥事の責任まで
取り扱ってきたのは
この私だ。
気に食わないのなら
顔や実名を出して
真っ向から勝負しろ。
それが出来るというならば受けて立とう。


そのような事実がありながら
会社側は最後の悪あがきか
いろんな部署、
私とは面識も関係もない部署が
次々茶々を入れ、
子供のように駄々をこね、
問題解決をめちゃくちゃに踏みにじっていく。
そんな時間があるなら
危機管理を勉強しろと言いたい。
体に不具合を抱えた者が放り出されたとき、
どのような道を辿るのかは
私が何度も説明してきたし、
その都度、真剣に話を聞こうとはしなかったのは
今でも残念で悔いが残る。
障害者認定を目前にしている者へ
まだムチを打ち続ける。
人間とは誠に恐ろしいものだ。
不安に苛まれた者は
それを払拭すると思えばこそ何でも行うようだ。
この国を包む不安は根が深い。
障害者と認定を受けても
障害者の位置ではいられない。
私は何も楽をしたいというのではなく、
自分たちが関与してきた現実の結果を
そろそろ認める姿勢を見せられないものかと
歯がゆい気持ちを噛みしめている。


まして私には娘がいるし、
仕事と家事を両立させるだけでも
男の何倍も労働しているといえる。
そこにきて会社役員の飲んだくれにつき合う筋合いはないし、
酔っ払いからかかってくる真夜中の電話は
一瞬にして周囲をお化け屋敷に変身させる。


気持ちが悪いのだ。
常識もなく節操もない。

日本では病気になると
本当にお払い箱になるらしい。
廃人にするまで
叩き込んで人間の再起を
ことごとく踏みつけていく。


そんなとき私は思うのだ。
自分の家族がそのような地位にいなくて良かった。
一部上場会社だからといって
内情は社会的信用が約束されているとは
限らないことを。


障害者だから、
被害者だからといって
声高く主張したり過度の理解を求めなくても、
ひっそりと自然体で
生きられる環境で生きていこう。


希。




地球の浄化

2008年01月09日 14時26分54秒 | エッセイ、随筆、小説


厚い雲に覆われた空、
雲間から光が次々と降ってくる。
今だ。
外へ出よう。
自然のリズム、
歩む道や方向、
信号が青にかわる。
いざ、幕開けだ。
新たなる世界へ向けた航海が
たった今、はじまろうとしている。


地球の浄化が着々と進んでいく。
温暖化に警鐘を鳴らし、
組織や個人の不詳を明るみにしても
変化出来る意識を持つ人たちには
もはやそれは必要などないのだ。


それは感じられるとでも
説明にあてればよいだろうか。
人間が定義した枠を超え、
継続を視野に入れていると
自ずと道はみえる。


川が空が人が光ってみえる。
カモメが頭上を飛び交い、
四葉のクローバーといくつか目が合う。
浄化、神聖な響き。



危険運動致死傷罪

2008年01月08日 13時17分09秒 | エッセイ、随筆、小説


福岡市で起きた交通事故に対し、
裁判所は危険運動致死傷罪を適用しなかった。
酒を飲んでも運転してよいと
私には聞こえた。
危険極まりないと運転を厳しく避難しながらも
狭い道も事故を起こさず
だから危険運転とは言えないという。


三人の子供を殺しておきながら、
7年とは軽くはないだろうか?
水を飲み証拠隠滅すれば
罪が軽減される。
なら、交通事故を起こした際は
逃げた方が有利になる。
ふざけた話だ。


司法とは何の役割を担っているのかと
私は疑問を持ってしまう。
死亡事故を起こしても
この程度の判断がまかり通るのだから、
私たちのように一命を取り留めた場合、
更年期障害で済ませようとするのも
彼らにとっては当たり前なのだろう。


本気で犯罪者を処罰しようとは思っていないのだ。
犯罪が無くなるわけはないし、
加害者は反省の機会すら
与えることなく、
何食わぬ顔で生きられる。
被害者の社会復帰の機会に尽力注ぐわけではなく、
私たちは自立しないかぎり
取り残される。
本当にこれでよいのか?




頚椎損傷と適切な判断と予後の関係

2008年01月08日 11時10分14秒 | エッセイ、随筆、小説


ある文献によると、
頚椎損傷後、3ヶ月にて、
予後、つまり頚椎の一生が決定されると
記載されていた。


それは医師にとっては
周知の事実なのだろうか?
頚椎の痛みを訴えたところで、
私は適切な検査も治療も受けられずに
すでに三年が経過した。


今日の診断では狭乍が確認されるとのこと。
来月は造影剤を静脈注射して撮影をするが、
それは脳のみなので
一度診断の下った他疾患の疑いに対して
あるか否かを判定するためのものだ。
本音はそれも必要ないくらいに
考えている。


私はようやくここまで辿り着いたが、
正直な事を言えば、
リスクのある検査は拒否したい。
もう病院とはおさらばしたいのが本音で、
疾患名がついたところで
治療法が確立していないものは、
医師もお手上げなのだろう。
すでに慢性化している時点で
具体的な治療などなく
手遅れなのだろうと。
検査が1ヶ月後という時点で
それすら必要ないのだと思えて仕方ないのだが。


私は入院しなくて済んだことも
その必要がないのだと解釈した。
また、切ったり貼ったりする治療についても
今の生活が維持できず
悪化すると予測する。
だからやっぱり、必要ないのだと思う。


医療を知りはじめると
奥が深いなぁ~と思えてならない。
体の声、医師の顔色、患者の判断が
検査内容ひとつとっても
差異が生じてくるからだ。
医療とは一体何ものなのだろう?
そう自分に自問しながら
医療から解放される日が
刻々と近づき嬉しい。


検査にも同意書が必要な時代、
自己責任というなら、
私にそのすべての選択肢はある。
医療はもうごめんだ。