しるべには40年前、18歳の時から恋焦がれている方がいます
それは、今回娘マナが出演したオペラの音楽監督をされた、AK先生です
AK先生はしるべが大学入学した年に、ミュンヘン留学から帰国され、30歳でその大学の声楽の講師として迎えられました。
もう、もう、かっこいい、ハンサム、長身、優しい、もちろん歌は新進気鋭のあま~い、バリトン
(ちなみに、もう結婚されていて、ピアニストの奥様とお子さんがいました。)
それから、AK先生のおっかけが始まり、コンサートは通いまくる、ホームレッスンにおしかける・・・。
とにかく大好きだったぁ
それ以来ちょうど40年、しるべの恋物語をこれから書き綴るけど・・長くなります
でも先生との(一方的な)恋でしたが、しるべはなんと「浮気」をしてしまったのです
それは、「夫」という人でした
一時的に血迷って、AK先生のことはほとんど「思い出」だけになってしまい、「夫」という人の子どもを三人も産んで、髪ふりみだして子育て、全く音楽とも離れて、気がつくと32歳・・。
その時前橋に住んでいましたが、なんだかそんな生活から逃れたくて、また音楽を始めた・・・のはいいのだけど、のめりこんで、のめりこんで、子育て放棄状態
東京に戻ってきた時、「AK先生に連絡して、レッスンしてもらおう!!」
すぐに手紙を書きました。
先生は「あなたのことはよく覚えています。」って、子育てしながら色んなことがあったけど、神さまによって、そして教会音楽によって救われたこと、それに「感動」してくださいました。
即効レッスン再開、またまた先生に生活
そのうち中学生のマナが(小学校の時はピアノコンクールで優秀賞とかとってた親の夢が)、ピアノのレッスンに行ってると思ってたのに、月謝まで使い込みさぼりまくってたのが発覚
中3の11月だというのに、道を外れて受験を目前にし、勉強なんてなーーんもしてない。
しるべは「あなたには音楽という『貯金』があるから、お母さんと一緒にもう一度がんばろう」
と言って、音楽コースのある高校目指して、しるべはピアノ、歌、ソルフェージュ、夫は英語と数学を猛特訓しました。
そして、AK先生のホームレッスンに、娘を初めて連れて行きました。
娘の顔を見て、「可愛いね~、お母さんに似てないね~」って(どーいう意味だ!?)、先生はおじいちゃんの笑顔になってた。
続いて中学三年の娘の声を聴いて、先生びっくり
「中学生でこれだけ歌えたらたいしたもんだ」
マナは、見事(でもない、学科がひどかったのでスレスレの補欠)で、高校に受かりました。
そして、またまた高校生活も、授業サボる、茶髪、厚底サンダル、日焼けサロン・・・もう、わけわかんないくらいのハチャメチャ生活
また大学受験が迫ってきた・・。
その頃はしるべの出身校の学部長になっていたAK先生は「推薦してもらいなよ」って、簡単に言うのですが、出席日数も足りないし、素行も色々問題あったので、推薦なんて採れるわきゃない
けっきょく一般入試でなんとか、我が母校に入学しました。
嬉しかったよ、入学式でしるべ大きな声で讃美歌と校歌が歌えたもん
また大学に入っても、学校行かない、門限なんて守ったことないし、ゆえに朝も起きられない、もうどーしようもなかったけど、歌の成績だけは良かった。
「オーケストラの協演の夕べ」というのにも選ばれて出演。
その時のプログラムにAK先生の推薦文が載りました。
(娘のそのプログラムに載った写真はキャバ嬢!?)
「伊藤さんほどみかけと中身が一致しない人はいない。茶髪とジーンズが良く似合う現代っ子だ。時間にルーズで容量もいい。しかし中身はいたって保守的、心根は全く恥ずかしいほど素直な娘なのだ。そのまま成長してほしい・・。」
卒業の年になり、マナは声楽ではトップの成績(そんなに練習しなくても)、卒業演奏会
出演が決まっていたのですが、なんと寸前で学業の方の出席日数が足りなく、留年
もちろん、卒業演奏も出演できず・・・。
しるべは、本当にショックでした
半年後、なんとか卒業し、渡米。
ワシントンD.C.やニューヨークで勉強し、苦労しまくったらしいけど、日本に帰って来た時は、・・なんか変わった
ちょっと、変わった・・・
と思ったら、就職、結婚、出産を経て、その間も自分の歌を捜し求めながら、本当にマナは変わっていった。
この間の変わりようは、長くなるの(なってるけど)割愛。
そして、先日のオペラの本番となったのです
カーテンコールにはなんと、なんと、音楽監督のAK先生が現れて、出演者たちと挨拶に加わりました
しるべは、マナとAK先生が同じ舞台に立っているのが、夢のようでした
そしてしるべは、その夜、先生に携帯メールを送りました。
「今日、マナとAK先生が舞台で共に立っている姿を見て、もう涙が止まりませんでした。
あぁ、これって、私が夢見てた場面だ!!
(私が先生と…こんな場面を何度も妄想したっけ(^^)
マナは私の夢を何回もぶち壊したけど、卒業演奏会も留年もしたし、いろいろあったけど、今日ですべて帳消しです。
マナも、いつもAK先生に認められたい、喜んでもらいたいと思い続けてきたから、今日の日を迎えられたのです。
ほんとうにありがとうございました。
感謝でいっぱいです。親子の夢叶えていただきました。」
そしたら、AK先生から返事がきたのです。
「メール有り難うございました。昨日はおめでとうございます。親が子を思う以上に、マナさんは、やっと親孝行が出来たと喜んでいましたよ!
心底素直な人なのです。天には大きな報いがある、とはマタイの福音ですが静かに見守りましょう。お元気で! AKより」
しるべの恋は50年へと向かいます
それは、今回娘マナが出演したオペラの音楽監督をされた、AK先生です
AK先生はしるべが大学入学した年に、ミュンヘン留学から帰国され、30歳でその大学の声楽の講師として迎えられました。
もう、もう、かっこいい、ハンサム、長身、優しい、もちろん歌は新進気鋭のあま~い、バリトン
(ちなみに、もう結婚されていて、ピアニストの奥様とお子さんがいました。)
それから、AK先生のおっかけが始まり、コンサートは通いまくる、ホームレッスンにおしかける・・・。
とにかく大好きだったぁ
それ以来ちょうど40年、しるべの恋物語をこれから書き綴るけど・・長くなります
でも先生との(一方的な)恋でしたが、しるべはなんと「浮気」をしてしまったのです
それは、「夫」という人でした
一時的に血迷って、AK先生のことはほとんど「思い出」だけになってしまい、「夫」という人の子どもを三人も産んで、髪ふりみだして子育て、全く音楽とも離れて、気がつくと32歳・・。
その時前橋に住んでいましたが、なんだかそんな生活から逃れたくて、また音楽を始めた・・・のはいいのだけど、のめりこんで、のめりこんで、子育て放棄状態
東京に戻ってきた時、「AK先生に連絡して、レッスンしてもらおう!!」
すぐに手紙を書きました。
先生は「あなたのことはよく覚えています。」って、子育てしながら色んなことがあったけど、神さまによって、そして教会音楽によって救われたこと、それに「感動」してくださいました。
即効レッスン再開、またまた先生に生活
そのうち中学生のマナが(小学校の時はピアノコンクールで優秀賞とかとってた親の夢が)、ピアノのレッスンに行ってると思ってたのに、月謝まで使い込みさぼりまくってたのが発覚
中3の11月だというのに、道を外れて受験を目前にし、勉強なんてなーーんもしてない。
しるべは「あなたには音楽という『貯金』があるから、お母さんと一緒にもう一度がんばろう」
と言って、音楽コースのある高校目指して、しるべはピアノ、歌、ソルフェージュ、夫は英語と数学を猛特訓しました。
そして、AK先生のホームレッスンに、娘を初めて連れて行きました。
娘の顔を見て、「可愛いね~、お母さんに似てないね~」って(どーいう意味だ!?)、先生はおじいちゃんの笑顔になってた。
続いて中学三年の娘の声を聴いて、先生びっくり
「中学生でこれだけ歌えたらたいしたもんだ」
マナは、見事(でもない、学科がひどかったのでスレスレの補欠)で、高校に受かりました。
そして、またまた高校生活も、授業サボる、茶髪、厚底サンダル、日焼けサロン・・・もう、わけわかんないくらいのハチャメチャ生活
また大学受験が迫ってきた・・。
その頃はしるべの出身校の学部長になっていたAK先生は「推薦してもらいなよ」って、簡単に言うのですが、出席日数も足りないし、素行も色々問題あったので、推薦なんて採れるわきゃない
けっきょく一般入試でなんとか、我が母校に入学しました。
嬉しかったよ、入学式でしるべ大きな声で讃美歌と校歌が歌えたもん
また大学に入っても、学校行かない、門限なんて守ったことないし、ゆえに朝も起きられない、もうどーしようもなかったけど、歌の成績だけは良かった。
「オーケストラの協演の夕べ」というのにも選ばれて出演。
その時のプログラムにAK先生の推薦文が載りました。
(娘のそのプログラムに載った写真はキャバ嬢!?)
「伊藤さんほどみかけと中身が一致しない人はいない。茶髪とジーンズが良く似合う現代っ子だ。時間にルーズで容量もいい。しかし中身はいたって保守的、心根は全く恥ずかしいほど素直な娘なのだ。そのまま成長してほしい・・。」
卒業の年になり、マナは声楽ではトップの成績(そんなに練習しなくても)、卒業演奏会
出演が決まっていたのですが、なんと寸前で学業の方の出席日数が足りなく、留年
もちろん、卒業演奏も出演できず・・・。
しるべは、本当にショックでした
半年後、なんとか卒業し、渡米。
ワシントンD.C.やニューヨークで勉強し、苦労しまくったらしいけど、日本に帰って来た時は、・・なんか変わった
ちょっと、変わった・・・
と思ったら、就職、結婚、出産を経て、その間も自分の歌を捜し求めながら、本当にマナは変わっていった。
この間の変わりようは、長くなるの(なってるけど)割愛。
そして、先日のオペラの本番となったのです
カーテンコールにはなんと、なんと、音楽監督のAK先生が現れて、出演者たちと挨拶に加わりました
しるべは、マナとAK先生が同じ舞台に立っているのが、夢のようでした
そしてしるべは、その夜、先生に携帯メールを送りました。
「今日、マナとAK先生が舞台で共に立っている姿を見て、もう涙が止まりませんでした。
あぁ、これって、私が夢見てた場面だ!!
(私が先生と…こんな場面を何度も妄想したっけ(^^)
マナは私の夢を何回もぶち壊したけど、卒業演奏会も留年もしたし、いろいろあったけど、今日ですべて帳消しです。
マナも、いつもAK先生に認められたい、喜んでもらいたいと思い続けてきたから、今日の日を迎えられたのです。
ほんとうにありがとうございました。
感謝でいっぱいです。親子の夢叶えていただきました。」
そしたら、AK先生から返事がきたのです。
「メール有り難うございました。昨日はおめでとうございます。親が子を思う以上に、マナさんは、やっと親孝行が出来たと喜んでいましたよ!
心底素直な人なのです。天には大きな報いがある、とはマタイの福音ですが静かに見守りましょう。お元気で! AKより」
しるべの恋は50年へと向かいます
このところ、毎日親子喧嘩の日々。
何十年も経ったら「帳消し」にできる日がくるのでしょうね、きっと。
それまで生きていられるかどうか、わかりませんが。
しるべの「恋」に反応していただきたかったのですが・・・
でも、子育てなんて、後から振り返れば笑い話になることばかり・・。
長生きして、いっぱい笑ってください
でも、先日の公演は聴きにいけなかったけれど(ごめんなさいっ!)、以前マナさんの声を拝聴した時に彼女の持っているものの深さを感じた…という事は、彼女が通ってきた一見”寄り道”にも思えることが、きっと全て無駄なく凝縮されて今のマナさんになっているのだなあとしるべさんのこの大作を読んで思ったよ。
マナさんの才能は天から授かった宝物、そのマナさんはしるべさんの宝物だね
でもなんで皆な、マナのことばかり…?
誰か、しるべの恋物語に反応してくださ~い(>_<)
素敵な恋でしょー
(^-^
恋というよりは憧れ?
先生にも憧れ続けられる人生。
先生、おじいちゃんになっちゃったから・・いつまでも長生きしてほしいです。
これから楽しみです。
浮気相手が「夫という人」って笑えます。
今も「本筋」の恋は続いてるんだ~~
娘さんも絡んで三角関係ですね(笑)。
マナさんが「やっと親孝行ができたと喜んでました」
というくだりで泣けました。
嬉しいよ
しるべの恋に反応してくださったのはnokoさんでした
マナとの三角関係・・・なるほどね、言えるかも。
でもそうなると、「恋物語」じゃなくなるよ・・