私たち町田教会の大切な、桜美林大学名誉教授、文学博士の柳生望(やぎゅのぞむ)先生が11月4日に天に召されました。
なんと光栄なことに、しるべが看取らせていただきました。
先生の書斎に伺って、本を読ませていただくことは、しるべの最大の楽しみでした。先生からいただいた著書は宝物です。
先生は人間の良心を徹底的に信じた方でした。
「罪の奴隷となってしまった者は、精神的苦悩に苦しむが、それは彼らが人間として良心を持っているからである。生まれつきの善性のために人は、本能的に良心の道徳的な警告を経験せざるをえないのである。・・人間が人々の愛に感化されて、だんだんよくなると確信するのである。これが愛のキリスト像に近づけることとなる。」 (『「アメリカ文学」にみる精神と意識の改革』より)
先生は人間の中に「善性」を見出し、どんな極悪人でも愛の力でキリストに近づけると信じていらっしゃいました。「ああ無情」の大泥棒ジャン・バルジャンは銀の燭台を盗んで小部屋に逃げ込みます。ドアを閉めたはずなのに、誰かが一緒にそこに入ってきているような気がしてならない・・・誰が!?・・・それは「彼の良心、すなわち神であった」という場面があります。
私たちの心の中にある良心。自分でさえも気がつかないかもしれないその良心を信じ、愛による励ましによってその良心はキリストに導かれ、出会えるのだということを、私は先生から教えていただきました
なんと光栄なことに、しるべが看取らせていただきました。
先生の書斎に伺って、本を読ませていただくことは、しるべの最大の楽しみでした。先生からいただいた著書は宝物です。
先生は人間の良心を徹底的に信じた方でした。
「罪の奴隷となってしまった者は、精神的苦悩に苦しむが、それは彼らが人間として良心を持っているからである。生まれつきの善性のために人は、本能的に良心の道徳的な警告を経験せざるをえないのである。・・人間が人々の愛に感化されて、だんだんよくなると確信するのである。これが愛のキリスト像に近づけることとなる。」 (『「アメリカ文学」にみる精神と意識の改革』より)
先生は人間の中に「善性」を見出し、どんな極悪人でも愛の力でキリストに近づけると信じていらっしゃいました。「ああ無情」の大泥棒ジャン・バルジャンは銀の燭台を盗んで小部屋に逃げ込みます。ドアを閉めたはずなのに、誰かが一緒にそこに入ってきているような気がしてならない・・・誰が!?・・・それは「彼の良心、すなわち神であった」という場面があります。
私たちの心の中にある良心。自分でさえも気がつかないかもしれないその良心を信じ、愛による励ましによってその良心はキリストに導かれ、出会えるのだということを、私は先生から教えていただきました
遺されたご家族の上に主の慰めがありますように。
何と言うことでしょう
胸がいっぱいになりました
正しくありたい
そう思う気持ちは常に持っていたいと願っているけれど・・・
振り返れば、そうじゃない事も多い我が身です
今回コメントを付けようと思って
なかなか文章がまとまらず困りました
思うことがいっぱいなのに、どう表現して良いか解りません
すばらしい人だったんですね
そんな出会いをした貴女がうらやましい
大切な思い出になりましたね
でも、終わってみると人間の肉体が死へと渡されるけど、それに打ち勝つ霊の勝利を本当に実感し、その現場に立たされる感動を覚えます。
クリスチャンのご遺族はただ絶望して悲しむということからも解放されるのです。
のんさん、心の中を言ってくださり、感激です。このような気持ちは人間の心の真実だと思います。
最近目を覆うような犯罪のニュースが報道されますが、犯罪を起こした人の心の底には、何か「救いようのない」悲しみとかトラウマが潜んでいるのだと思うのです。
しるべは「救いようのない」ものだからこそ、「救われる道」があることを伝えたいです。
歯がゆい言葉に聞こえるかもしれないけど、・・それは、「愛」なんだ