ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

更科源蔵『北海道の旅』1979・新潮文庫-北海道を再発見する旅

2025年02月15日 | 北海道を読む

 2020年1月のブログです

     *

 更科源蔵さんの『北海道の旅』(1979・新潮文庫)をかなり久しぶりに再読しました。

 だいぶ前に古本屋さんで買った本で、150円というシールが貼ってあります。

 しかし、中身はなかなか充実しています。

 どさんこのじーじでも、へえー、そうなんだ、とびっくりするような内容がたくさん出てきます。

 特に、火山や地震など、自然関係の知識で教えられることが多くありました。

 今はまったく静かに見える山や湖が、近くは明治や江戸時代の頃に大きな変動があったりして、驚かされます。

 北海道の自然の美しさを見る眼が少し豊かになるような気がします。

 また、自然だけではなく、アイヌやオホーツク人の人々の生活やその後の和人の進出など、歴史を考える内容も豊富です。

 更科さんは道東の開拓部落の出身、その苦闘ぶりは小説『原野』などに詳しいですが、そういうこともあってか、開拓と人々の生活、近代化と自然などなど、考えさせられるテーマは多いです。

 今年の夏の北海道旅行が楽しみになってきました。       (2020.1 記)

 

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桂望実『ボーイズ・ビー』2007・幻冬舎文庫-小学男子と老靴職人の不思議な物語

2025年02月15日 | 小説を読む

 2020年2月のブログです

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 桂望実さんの『ボーイズ・ビー』(2007・幻冬舎文庫)を再読しました。

 面白かったです。

 12歳の男の子と70歳の靴職人との物語。

 男の子は母親を病気でなくしたばかりで、小1の弟の面倒を見ていますが、弟は母親の死がよくわかっていない様子。

 いろいろと心配事が絶えません。

 消防士のお父さんからは、お兄ちゃんだから、弟の面倒を見てやってくれ、と頼まれますが、自分も泣きたい気分を抱えています。

 一方の、70歳の靴職人。

 頑固一徹の職人ですが、年齢のせいか、納得できる靴づくりができなくなってきていて、悩んでいます。

 そんな二人が出会い、子どもの悩みに老靴職人が応じて、さまざまなドタバタ劇が起こります。

 とても楽しいですし、微笑ましいです。

 時には、喧嘩もしたり、仲直りをしたり、じーじと坊やのてんやわんやの冒険談です。

 そして、子どもの願いに周りのおとなも気づいて、おとなも成長します。

 正解はないのですが、わからないことはわからないままで進んでいこう、という物語なのかもしれません。

 読後感はさわやかです。

 いい小説だなあ、と思いました。           (2020.2 記)

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 2020年7月の追記です

 当時は気がつきませんでしたが、わからないことはわからないままに、というのは、あいまいさに耐える、という、ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力、消極的能力)に通じているようです。       (2020.7 記)

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 2021年1月の追記です

 ネガティブ・ケイパビリティについては、「居心地」さんのブログが、2020年6月に、精神科医で小説家の帚木蓬生さんの『ネガティブ・ケイパビリティ』(2017・朝日新聞出版)という本をていねいにご紹介されていて、とても参考になります。     (2021. 1 記)

 

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加藤周一『頭の回転をよくする読書術』1962・光文社-加藤周一さんの読書論です

2025年02月15日 | 加藤周一さんを読む

 2023年2月のブログです

     *

 またまたなつかしい本を読んでしまった。

 加藤周一さんの『頭の回転をよくする読書術』(1962・光文社)。

 じーじが持っているのは1975年発行の57版。

 大学3年の時に購入したのかな?

 ちなみに価格は500円。

 加藤さんに魅かれて買ったのだと思うが、加藤さんのようにたくさんの本を読めるようになりたいと思ったのかもしれない。

 じーじは加藤さんの本は繰り返して読む本が多いが(いくつかブログを書いているので、よかったら読んでみてください)、この本はカッパ・ブックスということもあって(カッパ・ブックスのみなさん、ごめんなさい)、なんとなく再読をしないできた。

 しかーし、なぜか最近、本棚にあるこの本が気になり、ちょっと読んでみたところ、予想以上に面白く、最後まで読んでしまった。

 ほぼ50年ぶり。

 しかし、内容は豊かで、深い。

 読書術というよりは読書論。

 読書についてさまざまなことを論じている。

 例えば、わかりにくいかもしれないが、目次を見ると、急がば回れ、マルクスとマルクス主義者の違い、文学は進歩するか、その他もろもろ。

 びっくりしたのは、加藤さんもシェイクスピアのハムレットから、どうせ世の中には、哲学でわからぬことがたくさんある、を引かれていること。

 わからないことにすぐに結論を出さずに耐えて考え続けることの大切さを表す重要な言葉なんだなと再認識してしまう。

 とてもよい本で、今度は50年といわず、5年後にも再読してみたい。        (2023.2 記)

     *

 同日の追記です

 どうでもいいことなのだが、本書の題名、頭の回転をよくする読書術、は単に、読書術、あるいは、読書論、のほうが加藤さんらしいのではないかとじーじなどは思う。

 カッパ・ブックスだから、売り上げを狙ったのかもしれないとも思うが(カッパ・ブックスのみなさん、再びごめんなさい)、もう少し格調高いほうがよかったような気がする。

     *

 2024年冬の追記です

 宮本輝さんの『ひとたびはポプラに臥す4』(2002・講談社文庫)を読んでいたら、手塚治虫さんの大切な言葉の一つとして、ハムレットの上記の言葉が挙げられている。

 いろいろな人たちにとって、とても大切な言葉なんだな、と改めて思う。       (2024.1 記)

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新潟のじーじと上の孫娘のはじめてのままごと遊び-わくわくしながら「遊ぶこと」-遊ぶことのちから

2025年02月14日 | 遊ぶことのちからを考える

 たぶん2015年、上の孫娘が4歳、下の孫娘が1歳のころのブログです

     * 

 車で1時間ほど離れたところに孫娘たちが住んでいて,たまに遊びに来てくれます。

 孫娘たちがうちに遊びにくると,風船やシャボン玉,お絵かき,ぬりえ,砂遊びなどをして遊んでいます。

 最近,上の孫娘がシルバニアファミリーのお人形を二つ持ってきて,「おじいちゃん,おはなしごっこしよう」と誘ってくれました(下の孫娘はお昼寝でもしていたようです)。

 そして,「わたしがおかあさんだから,おじいちゃんはこどもね」と,なにやらおすましでいいます。

 孫娘が「きょうはなんのごはんにしようかな?」といいますので,子ども役のじーじは「ハンバーグ!」と話を合わせます。

 孫娘は「トン,トン,トン。ジュー,ジュー」といいながらお料理を作ります。

 じーじは「わーい,わーい。おいしそうだな!」と喜びます。

 そのうちに「さあ,できた,できた。ごはんもどうぞ」と孫娘。

 じーじは「おいしい,おいしい。おかわり!」と大喜びをします。

 これまでシルバニアファミリーで一人遊びをしていた孫娘が,二人遊びに成長したところを見て,じーじはうれしさいっぱいです。

 小児科医で精神分析家のウィニコットさんは,子どもは遊びの中で真剣に生きている,といっています。

 そして,遊ぶことが自他を創造をし,その中で人間として成長をする,ともいっています。

 孫娘たちを見ていると,子どもは本当に日々,「遊ぶこと」を通して,着実に成長をしていくものなのだな,とつくづく思います。       (2015?記)

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 2025年2月の追記です

 この時、4歳だった上の孫娘も今や14歳、中学2年生。

 来週、早めの修学旅行で京都に行くようです。

 じーじが初めて京都に行ったのが、40歳頃。

 家族療法学会かユング心理学会でした。

 人はいくつになっても学ぶことがありますが、若い時でないと学べないことがあるのも事実。

 定番の御所やお寺や神社を回りながら、夜はまくら投げをして、大いに仲良くやってほしいなあ、と思います(まくら投げはいつまでもできるものではないですからね、おそらく)。

 そういえば、中2といえば、じーじは初恋の真っ最中でした。

 初恋といっても、デートやお話をするわけでもなく、遠くから彼女を眺めて満足をしているタイプでした(今なら、一歩間違えると、ストーカーになっちゃうかもしれませんね)。

 上の孫娘はどうでしょうか。

 美人ちゃんだから、彼氏くらいいそうな気もしますが…。

 大いに(?)、楽しんでほしいと思います.。        (2025.2 記)

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加藤周一『夕陽妄語3 2001-2008』2016・ちくま文庫-「今、ここで」を冷静に視る

2025年02月14日 | 加藤周一さんを読む

 2020年3月のブログです

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 加藤周一さんの『夕陽妄語3 2001-2008』(2016・ちくま文庫)を再読しました。

 加藤さんが朝日新聞に連載していたエッセイ「夕陽妄語」最後の8年分。

 世界は激動の時代で、しかし、加藤さんは冷静に批評します。

 2001年は9・11の同時多発テロ。

 ブッシュ大統領が報復を宣言します。

 2003年はイラク戦争。

 日本はアメリカに追従をしますが、大量破壊兵器は見つかりません。

 その後、アメリカは戦争を反省し、2008年にはオバマ大統領が誕生します。

 ところが、日本は右傾化を強めたまま、今日に至ります(もっとも、アメリカも、その後、最悪のトランプ大統領の誕生となるのですが…)。

 こういう目まぐるしい戦争状態の継続の中でも、加藤さんの反戦、反核の姿勢はぶれません。

 さらに、「夕陽妄語」の魅力は政治のお話だけではなく、芸術や文化のお話も素敵なところ。

 その的確な批評と格調高い文章は類を見ません。

 加藤さんの思索は深く、感動的ですが、読者をも深い思索や感動に導いてくれます。

 そこが魅力です。

 一般大衆紙でこういうことができたのは加藤さんくらいかもしれません。

 何度読んでも、その深い思索に感動させられます。

 また、数年内に再読をしたいな、と思います。          (2020.3 記)

      *

 2022年春の追記です

 加藤さんが今もご健在でしたら、ロシアのウクライナへの侵略をどう評されたでしょうか。

 加藤さんの反戦、反核に立脚したウクライナの自由を護るための論陣、提言をお聞きしたかったとつくづく思います。      (2022.4 記)

 

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ラトヴィア・シベリア・ソ連からの独立-じーじのじいじ日記・セレクト

2025年02月13日 | じいじ日記を書く

 2019年2月の日記です

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 NHKーBSを見ていたら、先日も放映されたラトヴィアの民族と歌の祭典を取材した番組が再放送で流れた。

 先日、見た時は感動のあまり、ラトヴィアという国のことを知りたくて、『物語バルト三国の歴史-エストニア・ラトヴィア・リトアニア』(志摩園子・2004・中公新書)を買ったほどで、今も読んでいるところだ。

 バルト三国のことは高校の世界史でちょっと習っただけで、ほとんど知識がなかったが、この本を読むと、小さな国々だけに、昔から大国の思惑に左右されて苦労をしてきており、特に、ソ連に併合されていた時には、シベリアへの強制連行などもあって、大変だったようだ。

 ラトヴィアをはじめとするバルト三国の誇りは、武器ではなく歌による独立と称されるソ連からの独立。

 なんと民族全体による歌の合唱でソ連からの独立を勝ち取ったのが感動的だ。

 民族の誇りと独立が、武器ではなく、歌である、というのはすばらしいと思う。

 アメリカの言いなりになって、高い武器を次々と買って、国の赤字を増大させている人たちも見習ってほしい。

 そして、外交の基盤はやはり近隣の国との平和外交であろうと思う。

 よその国の裁判官や政治家を平気で馬鹿にするような一部の政治家の言動は、これに反するのはいうまでもない。

 ましてや、近隣の国々への過去の侵略や併合という屈辱的な歴史を反省しない政治家などは論外である。

 日本国民だって、近隣の民衆のつらい経験やそれへの加害責任を感じている人は少なくないと思う。

 それぞれの民族の誇りを尊重し、平和な外交が実現されることを祈りたいと思う。        (2019.2 記)

     * 

 翌日の追記です

 同じくNHK-BSで、関口知宏のヨーロッパ鉄道旅、という番組の再放送をしているが、これを観ていると、やはりソ連の支配による影響の大きさやソ連崩壊後のヨーロッパの国々のことをいろいろと考えさせられる。

 民族の誇りを踏みにじるような政治はいつか崩れると思うが、それまでに人々が支払う代償はすごく大きなものがあると思い知らされる。

 民族の誇りと個人の尊重は本当に大切だと思う。

 辺野古でも、福島でも、朝鮮でも、中国でも、……。         (2019.2 記)

     *

 2022年春の追記です。

 ウクライナの次はバルト三国が危ないという話も聞こえてくる。

 なんとか早くにロシアのウクライナ侵略や他の国々への侵略が終わることを祈っている。        (2022.4 記)

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テレビのニュース番組に出てくるランキングってなに?じーじ怒る!-じーじのひとりごと

2025年02月12日 | ひとりごとを書く

 2018年6月のブログです

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 テレビのニュース番組を見ていると、時々、ニュースのランキングというのが出てくることがあります。

 ニュースのランキング?

 たとえば、10位大阪の地震、9位サッカー初戦勝利、8位未成年者の小学生切りつけ…、といった具合。

 しかし、ニュースにランキングがつけられるのでしょうか?

 放送順ができるのはしかたないとしても、それとニュースのランキングは関係ないでしょう。

 ニュースの内容の軽重、事件の軽重、話題の軽重…、それぞれ全然別物です。

 それをごっちゃにして、ランキングをつける、無謀です。

 おそらくは、視聴率優先のあまり、そういう精神的に混乱しているとしか言いようのない事態になっているのでしょう。

 子どもの虐待のニュースの次にアイドル総選挙のニュース、その次は女子児童殺害、次に芸能人の不倫、そして、森友加計…。

 頭が混乱しそうになりますし、なにが大事なニュースかさっぱりわかりません。

 おとなだけでなく、子どもたちへの影響も心配です。

 世の中の価値観は多様なほうがいいと思いますし、特に、ニュース番組は国家権力などに影響されることは避けるべきですが、それにしても無秩序すぎです。

 できれば、新聞のようにジャンル別であればいいのでしょうが、ここでも視聴率がネックになりそうです。

 資本主義社会ですから、視聴率は大事ですが、あまりに人間性を無視したニュース番組はいずれそっぽを向かれてしまうのではないでしょうか。

 …と言いたいことを頭に浮かべながら、テレビを消して、パソコンに向かうじーじでした。         (2018.6 記)

     *

 2024年2月の追記です

 そもそも、ランキングというのがなかなか難しい存在ではないかな、とじーじなどは思います。

 例えば、司法試験の出身大学別合格者数ランキング、これだと一見、明確そうですが、その中で、現役と浪人、一浪、二浪と、九浪(?)、十浪(?)とでは、同じ大学出身とはいっても、比べることに無理がありそうな気がします。

 一見、明確そうなランキングでも、このありさまですから、他のランキングではもっと比較が難しいでしょう。

 ですから、順位づけはやめて、せめて、松竹梅の3グールプ(?)に分けるとか、そういった感じのほうが実態に近いのではないかな、と思ったりします。   

 少なくとも、日本が4位になった(?)、などとランキングで大騒ぎはせずに、物価がどんどん上がっているよねぇ、10パーセントくらいかな、というような生活実感のほうを大切にしたいものだと思います。         (2024.2 記)

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じーじが日の丸と君が代を嫌いになったわけを考えてみる-じーじのひとりごと

2025年02月11日 | ひとりごとを書く

 2024年11月のブログです

     *

 じーじが日の丸と君が代をきらいになったわけについて考えてみたい。

 じーじは子どもの頃、ゼロ戦のプラモデルが大好きだった。

 ゼロ戦だけでなく、隼や紫電改も好きだった。

 「少年マガジン」に連載されていたちばてつやさんの『紫電改のタカ』などは毎週、楽しみに読んでいた(もっとも、調べてみると、『紫電改のタカ』は反戦のマンガだったらしいが、当時だけでなく、つい最近まで、じーじはそれは知らなかった。ちばさん、ごめんなさい)。

 それがいつ頃からか、敵の戦闘機にも人間が載っていて、撃ち落されると死んでしまうんだ、とわかってきた。

 戦闘機だけでなく、戦車や戦艦にも人が載っていて、やはり人が死ぬんだ、とわかってきた。

 中学ではなくて、高校の時だったと思うが、歴史の教科書で、日本軍の兵隊さんが日の丸を背負って、中国を攻めている写真を見た。

 中国軍だけでなく、中国の民衆をも攻撃をしている写真もあった。

 これは衝撃だった。

 同じころ、ベルリンオリンピックのマラソンで優勝をした朝鮮人の選手が、日の丸を胸につけて、嬉しそうではない表情で表彰台にのぼっている写真も見た。これも衝撃だった。

 たぶん、このころから、じーじは日の丸が嫌いになったと思う。

 そして、君が代も、国民主権、主権在民とは合わない歌詞だと思うようになって、嫌いになった。

 就職の時、中学校の社会科の先生になりたかったが、日の丸・君が代の学校現場での強制が強まっていた。

 間違って裁判所に入ってしまったが、裁判所という国家権力の一端を担う現場では、なぜか日の丸・君が代の強制はなく、定年まで勤められた。

 中学校の先生になっていたら、入学式や卒業式で君が代を歌わずにおそらくくびになっていただろうと思う。

 じーじは子どもたちの入学式や卒業式に一度も出なかった。

 小心者のじーじは、子どもたちの目の前で、自分だけが起立をせず、君が代を歌わないで揉めるという勇気はなかった。

 子どもたちにはかわいそうなことをしてしまったと思うが、幸い、ばーばが君が代や日の丸に無関心な(?)人だったので、代わりに出席をしてもらって大助かりだった(?)。

 じーじの孫娘はチューリップの歌が大好きだ。

 どの花見ても♪~きれいだな♪~、という歌詞はいい。

 差別や偏見、分断とは無縁の世界だ。

 こういう国歌なら喜んで歌いたい。

 国旗もチューリップだったらいいなあ、と思う。

 日本の封建時代を壊したのは蘭学で、オランダは日本との縁が深い。

 日本の皇室とオランダの王室も仲がいい。

 チューリップの国歌や国旗は、平和と学問の象徴になりうるだろうと思う。

 こんな夢を見ていると、日の丸や君が代を尊敬することはできなくなってくる。

 他国への侵略を否定し、反省をしないのは、やはり卑怯だ。

 フロイトさんは、きちんと反省をしないと不幸を反復するという。

 他国への侵略を反復してはならない。

 日の丸や君が代が大好きな人たちに反対はしないし、歌ったり、踊ったりしてもらっても結構だが、嫌いな人への強制は困る。

 じーじは子どもたちの学校時代を除いては、日の丸や君が代に個人的な恨みはないが、嫌いなものは嫌いだ。

 困ったじーじである。        (2024.11 記)

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30年ぶりの冬の北海道旅行は、さすがに寒いです!-じーじのじいじ日記(2025.2.9)

2025年02月09日 | じいじ日記を書く

 2025年2月9日(日)の日記です

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 今朝の旭川市の天気、雪時々晴れ、のちまた雪の予想。

 気温-8°。比較的暖かめ(なんせ-20°を覚悟してきたので、これくらいの気温なら大丈夫です(?)。

 ん?あ・さ・ひ・か・わ?

 そうなんです!じーじと安全地帯の玉置浩二さん、そして、なんと、やり投げ女子の北口遥花さんのふるさと旭川に来ています。

 北口さんは、じーじの高校の52年後輩。

 じーじは北口さんのひと昔前以上も前の大先輩にあたります(えっへん!もっともじーじは1年で転校をしてしまいましたが…)。

 さて、30年前の冬の北海道旅行では、ある雑誌の企画で、知床で流氷を見ながら、焚火を楽しむ!という贅沢を経験しました。

 今年の北海道では、旭山動物園のペンギンさんのお散歩タイムを楽しみます。

 そろそろ、出発しましょう。          (2025.2記)

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子どもがニュースに取り上げられることについて、子どもを中心に考える-じーじのひとりごと

2025年02月08日 | ひとりごとを書く

 2018年2月のブログです

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 毎日毎日いろんなニュースがテレビで流れています。

 しかし、どのテレビ局も、同じようなニュースを、同じように流していることに少し疑問を感じます。

 特に、結婚報道や離婚騒動、不倫騒動などの際(じーじはそんな報道はどうでもいいと思うのですが…)、すべてのテレビ局が三流週刊誌になってしまったような気がすることも多いです。

 せめて、政治や社会問題の解説のところだけでも、テレビ局やキャスターの個性を示してほしいと思うのですが、視聴率第一主義の風潮の中ではそれも難しいのでしょうか。

 そんな中で、時々、子どもたちがニュースの前面に出ることがあります。

 交通安全、地域清掃、保育所問題、戦争反対などなど、それ自体はとても大切なことだとは思うのですが、じーじには、特に子どもを前面に出さなくてもいいようなことにまで、子どもが利用されているような気がします。

 子どもが参加することにまで反対をするつもりはないのですが、子どもをことさら中心にすることには慎重であるべきだと思うのです。

 子どもが、けなげに「正義」を主張すると、それには反対をしにくくなります。

 しかし、「正義」はよく考えないと、時の権力や政府などに利用されることがよくあります。

 第二次世界大戦の時のヒットラーユーゲントや現在ではISの少年兵士たち、さらには、北朝鮮の子どもたちなど、子どもの純真な気持ちを権力は巧みに利用をしますので要注意だと思います。

 じーじは子どもの時に、(自分でいうのもなんですが)かなり「真面目な」子どもだった(?)のでいえるのですが、「真面目」=おとなのいうことをきく従順な子ども、というイメージが強くあります。

 中学の時の丸刈りの校則にも、いやだなとは思いつつも、仕方ないな、と従順に従っていました。

 しかし、今なら、個人の自由、表現の自由を理由にして、猛反対をしていると思います。

 年を経てみると、子どもの時の考えや行動が、いかに未熟だったか、反省をすることが多々あります。

 みなさん誰もが賛成をするようなことでも、それを進めている人たちががどんな考えの人たちかで、賛成していいかどうかは簡単には決められないことが多くあります。

 そのあたりのことをおとながきちんと判断をせずに、子どもを利用することは、子どもにとってとても酷な気がします。

 できれば、子どもの参加についてはクローズアップせずに、できるだけ静かに見守りたいものだと思います。

 そして、彼ら、彼女らが大人になって、自分の力で判断をし、決断し、行動ができるようになった時に、堂々と参加してもらいたいなと思います。

 純真な子どもたちだからこそ、おとなが下手に利用をしたりせずに、彼ら、彼女らが本当の大人になった時に、きちんと責任を持って意見を述べ、行動をしてもらいたい、とつくづく感じます。       (2018.2 記)

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 2022年5月の追記です

 またまた、古い記事に「いいね」をいただいたので、ずうずうしく再録をさせてもらいます。

 ロシアの子どもたちが(子どもに限らず、おとなも多いですが…)、無邪気に「Z」マークを自慢している姿が痛々しいです。      (2022.5 記)

 

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村上春樹『はじめての文学 村上春樹』2006・文藝春秋-村上さんが子ども向けに選んだ自選短編集です

2025年02月06日 | 村上春樹さんを読む

 2024年2月のブログです

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 村上春樹さんの『はじめての文学 村上春樹』(2006・文藝春秋)を久しぶりに読む。

 この、はじめての文学、シリーズ、日本のいろいろな作家さんが、自分の短編から子ども向けの短編を選んだシリーズで、よしもとばななさんや川上弘美さん、浅田次郎さん、などなど、じーじも大好きな作家さんが並ぶ。

 そして、ふりがながいっぱい。

 本書は、村上さんが選んだ自選集で、有名な「カンガルー日和」や「かえるくん、東京を救う」などが入っている。

 もちろん、それらも堪能させてもらったが、今回、じーじの印象に残ったのは、「シドニーのグリーン・ストリート」と「沈黙」の二つ。

 「シドニーのグリーン・ストリート」には、羊男と羊博士が出てきて、羊博士のハチャメチャぶりがすごい。

 しかし、中身の一部には、とてもシリアスな考察も含まれていて、考えさせられる。

 きっと、子どもたちは、すぐにはわからないかもしれないが、10年後くらいに、その大切さに気づくかもしれない。

 「沈黙」は村上さん自身が解説で、とてもストレートな話で、自分の作品の中では特殊な色合いのもの、だが、個人的な色合いの持った作品なので、入れたという。

 村上さんの小説の問題意識の一つだと思われる、現代社会における人間の無責任さとその怖さや破壊性などを描いている、とじーじには思われる。

 読んでいると、現代を正直に生きることのたいへんさや困難さなどを考えさせられるが、少しの勇気や救いにも思い至って、よい作品と思う。

 子どものための短編集ということで、楽しく読める作品が多いが、村上さん特有の暗い(?)作品やよく考えると怖い(?)作品もあり、子どもたちには大きな贈り物かもしれないし、おとなたちにも貴重な贈り物だ。

 いい短編集が読めて、幸せな数日間だった。                 (2024.2 記)

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小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』2011・新潮社

2025年02月06日 | 村上春樹さんを読む

 2024年2月のブログです

     *

 小澤征爾さんが亡くなられた。

 翌日の「朝日新聞」第2面全体に村上さんの追悼文が載った。

 すばらしい文章。小澤さんとの楽しい思い出や貴重な思い出が、温かく、綴られていた。

 そこには、子どものような、率直な姿の小沢さんが描かれていた。素敵な文章だった。

 しっかりとした「喪」の姿がそこには表れていた。

 そこで、じーじも、本棚の横に積んであった本書を読んで、喪に服そうと思った。

 小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(2011・新潮社)。

 悲しいときは、十分に悲しむことが大切。そうでないとこころが壊れてしまう。

 そして、本書を読むことで、小澤さんと村上さんの素敵なおつきあいを思い出したいと思った。

 本書を読むのは、たぶん3回目か4回目。5年に1回くらいのペースで、じーじの読み方としてはまあまあ。

 めずらしく(?)中身も少しだけ覚えていた。

 以前、どこかにも書いたような気もするが、村上さんの質問で小沢さんの記憶がどんどん思い出される。良質のカウンセリング見ているようだ。

 村上さんの質問や発言で、小沢さんがびっくりする場面があり、小沢さんが新鮮に考え出す様子は刺激的だ。

 記憶に新たな意味が付与される瞬間を見ているような興奮を覚える。

 時に子どものような小澤さんの姿が見られて楽しい。

 本当に率直な人なんだなあと思う。

 一方で、村上さんが心配するように、病み上がりなのに、音楽を愛するあまり、休みなく働きすぎたのかもしれないとも思う。

 しかし、それも男の生き方の一つかもしれないとも思う。

 偉大で、しかし、少しだけお茶目で子どもっぽい小沢さんの姿を堪能できて、悲しいけれど、幸せな数日だった。   (2024.2 記)

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加藤周一『『羊の歌』余聞』2011・ちくま文庫-「今、ここで」を冷静に視ること

2025年02月06日 | 加藤周一さんを読む

 2019年1月のブログです

     *

 加藤周一さんの『『羊の歌』余聞』(2011・ちくま文庫)を再読しました。

 いい本なのに、久しぶりになってしまいました(加藤さん、ごめんなさい)。

 しかし、やはりすごい本です。

 加藤さんの本は結構読んでいるのですが、ご紹介はこれがたぶん2回目。

 『羊の歌』『続羊の歌』(1968・岩波新書)の思い出については、前回のブログにも書きましたが、わたしが大学2年生の時に授業の宿題で読んだのが最初で、もうかれこれ45年のつきあいになります(うちの奥さんより長いつきあいですね)。

 その時の衝撃は強烈で、戦争中にこんなに冷静に状況を分析している人がいたんだ、とびっくりしたのを覚えています。

 以来、加藤さんはじーじの思想の「灯台」のような大切な存在です。

 本書は、『羊の歌』の頃の思い出とそれ以後の加藤さんの歩みについて書かれています。

 これを読みますと、戦争中に冷静な状況分析ができたのは、大学の教師の存在が大きかったことがわかります。

 特に、フランス文学の渡辺一夫さん。

 渡辺さんは戦争中、特高に読まれないようにと、外国語で日記を書いていたそうで、それもすごいことです。

 そういう冷静な教師のもとで、加藤さんら自由な学生も思想をていねいに育てていたんだと思います。 

 若者にとって、いかにきちんとしたおとなが大切かということがわかります。

 その時の経験と蓄積をもとに戦後の加藤さんは大活躍をします。

 しかし、その時でもあくまでも冷静に、謙虚に発言をされる姿が印象に残っています。

 加藤さんも語学力が抜群です。

 世界で活躍し、広い視野を持って冷静な判断ができるために、語学が大切なようです。

 若いみなさんへの教訓になるのではないでしょうか(語学が苦手だと、じーじのようになってしまいます(?))。

 こんな世の中の時にこそ、本書のような本が多くの人に読まれてほしいな、と思います。        (2019.1 記)

     *

 2021年4月の追記

 その後、渡辺一夫さんの本を読んでいたら、戦争中の日記はラテン語で書いていた、といいます。

 ラテン語!

 語学だけは苦手な(?)じーじには夢のようなお話。

 若者よ!語学はやはり大切ですよ。        (2021.4 記)

     *

 2023年1月の追記です

 すみません、ラテン語は引用部分で、日記はフランス語でした。

 それにしてもすごいです。        (2023.1 記)

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なまはげさん、秋田県庁に乱入する!-なまはげさんはやっぱりすごかった!

2025年02月05日 | ひとりごとを書く

 2016年2月のブログです

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 先日のブログに、「節分の豆まきと弱っちい鬼さんを見て考えたこと-なまはげさんの怖さをぜひ見習ってほしい!」という文章を書きました。

 以下は参考までに、その再録です。

  「今日は節分、しかし、節分のニュースを見ていて、ちょっと疑問を感じました。

   なぜなら、最初から逃げ腰の弱っちい鬼さんがいたり、最初はまあまあ怖くても最後には豆まきに負けて逃げてしまう鬼さんが大半。

   それではだめでしょう(?)。

   できれば、弱っちい鬼さんには、秋田のなまはげさんを見習ってほしいです。

   なまはげさんはとても怖くて、最後まで怖いです。大人でも泣きそうになるくらい怖いです。

   ましてや子どもはたいへん。トラウマになる子どももいるかもしれません。

   しかし、世の中には無条件に怖いものがいるのです。

   そんなに都合よく怖い鬼さんが退散してくれないのが人生です。世の中は子どもが思うようにはいきません。

   ですから、鬼さんが子どもになめられてはいけません。鬼さんは毅然として存在しましょう。そのほうが子どものためになります。

   そして子どもが怖がっている時にこそ、子どもを守ってくれる親や大人が大切な存在となります。

   子どもの成長のためにも、いつまでもどこかに、怖い鬼さんが目玉を光らせていてほしいと思います」

 そうしたら、なんと、今日のニュースで、なまはげさんが秋田県庁に乱入をして、女子職員が怖がっている姿が映りました。

 さすがは、なまはげさん、おかみもお役人も怖くない(?)のですね。

 さすがだと思いました。

 なまはげさんは本当にすごいです。

 そして、やっぱり、なまはげさんはえらい!と思いました。

 本当に怖い存在なのだな、とつくづく思いました。

 怖いなまはげさんがいて、子どもたちには、そして、大人たちにも、本当によかったな、と思います。       (2016.2 記)

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 2022年2月の追記です

 なまはげさんのすごさは、反省のない人間をこらしめるところでしょう。

 なまけている人間だけでなく、ずるいことをしている人間を容赦しない姿がいいです。

 ずるい、といえば、今の世の中ではやはり権力にあぐらをかいている政治家の皆さん。

 国の内外を問わず、反省のないずるい政治家やお役人を怖がらせてほしいものです。        (2022.2 記)

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 2023年2月の追記です

 なまはげさんにはぜひロシアに出張してほしいと思います。

 ミャンマーや中国にも乱入したほうがいいかもしれませんね。        (2023.2 記)

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加賀乙彦『頭医者』1993・中公文庫-本の帯に、新米精神科医の青春の日々、とあります

2025年02月04日 | 小説を読む

 2021年2月のブログです

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 加賀乙彦さんの『頭医者』(1993・中公文庫)を久しぶりに読みました。

 ひょっとすると20年ぶりくらいかもしれません(加賀さん、ごめんなさい)。

 すごく面白かったです。

 ひさしぶりに声を出して笑ってしまいました。

 T大医学部の精神医学教室が舞台。

 自伝的な小説なので、有名な先生方が仮名で出てくるのですが、なんとなく実名がわかる先生もいて、こんなエピソードがあったのか、と驚かされたりします(土居健郎さんも精神分析家として仮名で登場します)。

 そして、主人公が犯罪学の研究を志すいきさつや刑務所の医官になって研究を続ける様子、さらには、フランスに留学をして勉強を続ける様子がユーモラスに綴られます。

 主人公が直情型で、あちこちで事件が起きて、まるで、昭和の頭医者版の「坊ちゃん」みたいです。

 それだけに、読んでいて面白く、読んだあとは気持ちがスカっとします。

 さすが、精神科医の加賀さんです。

 最後のほうでは、加賀さんの『フランドルの冬』につながる思い出も出てきて、精神科医で小説家の加賀さんの誕生の秘密もわかります。

 ある意味、貴重な小説かもしれません。

 肩のこらない楽しい小説ですので、お薦めです。         (2021.2 記)

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