ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

「そして親になる」「親になる覚悟」-「おとな」の親になるために

2024年11月13日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2016年ころのブログです

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 「そして親になる」

 何年か前に似たような題名の映画がありましたね。

 そうだと思うのです。「親」になるには、それなりの「自覚」や「覚悟」が必要なのだと…。

 もちろん、動物学的な親には子どもが生まれればなるのですが、心理学的な「親」とか人間学的な「親」になるには、盲目的でない、しかし、無償の「愛情」とそれに加えて「自覚」や「覚悟」がいるようです。

 以前、家庭裁判所で仕事をしていた時に、子どもの調査の重要性が叫ばれたことがありました。

 子どもの意思、子どもの気持ち、子どもの本音を調査しろ、とよく言われました。

 ごもっともなことなのですが、しかし、ことは簡単ではありません。

 なぜなら、子どもは(虐待でもない限り)両親のどちらもが大好きですし、どちらもが大切な存在だから、どちらかを選ぶなんてことは困難だからです。

 子どもはできれば両方の親と一緒にいたいし、愛されたいのです。

 おとなはですから、そういう方法を可能な限り考えなければなりません。

 そしてその時にも、親には「おとなの親」としての「自覚」や「覚悟」が重要になります。

 盲目的ではない、子どものことを考えた、自己抑制的な「おとなの親」の判断が大切になります。

 それが「親になる」ということではないかと思います。

 親は子どもがいるから親なのではなく、(立場の弱い)子どものことを考え、守り抜くからこそ「親になる」のです。

 子育てはたいへんなことですが、だからこそ、親は「親になる」チャンスを与えられているのだと思います。

 感謝とともにある日々を送りたいと思います。       (2016?記)

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 2024年2月の追記です

 また虐待死のニュースが二つ、痛ましいことです。

 「おとな」の親になることの平凡さと難しさ、を考えさせられます。        (2024.2 記)

 

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じーじが日の丸と君が代を嫌いになったわけを考えてみる-じーじのひとりごと

2024年11月13日 | ひとりごとを書く

 2024年11月のブログです

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 じーじが日の丸と君が代をきらいになったわけについて考えてみたい。

 じーじは子どもの頃、ゼロ戦のプラモデルが大好きだった。

 ゼロ戦だけでなく、隼や紫電改も好きだった。

 「少年マガジン」に連載されていたちばてつやさんの『紫電改のタカ』などは毎週、楽しみに読んでいた(もっとも、調べてみると、『紫電改のタカ』は反戦のマンガだったらしいが、当時だけでなく、つい最近まで、じーじはそれは知らなかった。ちばさん、ごめんなさい)。

 それがいつ頃からか、敵の戦闘機にも人間が載っていて、撃ち落されると死んでしまうんだ、とわかってきた。

 戦闘機だけでなく、戦車や戦艦にも人が載っていて、やはり人が死ぬんだ、とわかってきた。

 中学ではなくて、高校の時だったと思うが、歴史の教科書で、日本軍の兵隊さんが日の丸を背負って、中国を攻めている写真を見た。

 中国軍だけでなく、中国の民衆をも攻撃をしている写真もあった。

 これは衝撃だった。

 同じころ、ベルリンオリンピックのマラソンで優勝をした朝鮮人の選手が、日の丸を胸につけて、嬉しそうではない表情で表彰台にのぼっている写真も見た。これも衝撃だった。

 たぶん、このころから、じーじは日の丸が嫌いになったと思う。

 そして、君が代も、国民主権、主権在民とは合わない歌詞だと思うようになって、嫌いになった。

 就職の時、中学校の社会科の先生になりたかったが、日の丸・君が代の学校現場での強制が強まっていた。

 間違って裁判所に入ってしまったが、裁判所という国家権力の一端を担う現場では、なぜか日の丸・君が代の強制はなく、定年まで勤められた。

 中学校の先生になっていたら、入学式や卒業式で君が代を歌わずにおそらくくびになっていただろうと思う。

 じーじは子どもたちの入学式や卒業式に一度も出なかった。

 小心者のじーじは、子どもたちの目の前で、自分だけが起立をせず、君が代を歌わないで揉めるという勇気はなかった。

 子どもたちにはかわいそうなことをしてしまったと思うが、幸い、ばーばが君が代や日の丸に無関心な(?)人だったので、代わりに出席をしてもらって大助かりだった(?)。

 じーじの孫娘はチューリップの歌が大好きだ。

 どの花見ても♪~きれいだな♪~、という歌詞はいい。

 差別や偏見、分断とは無縁の世界だ。

 こういう国歌なら喜んで歌いたい。

 国旗もチューリップだったらいいなあ、と思う。

 日本の封建時代を壊したのは蘭学で、オランダは日本との縁が深い。

 日本の皇室とオランダの王室も仲がいい。

 チューリップの国歌や国旗は、平和と学問の象徴になりうるだろうと思う。

 こんな夢を見ていると、日の丸や君が代を尊敬することはできなくなってくる。

 他国への侵略を否定し、反省をしないのは、やはり卑怯だ。

 フロイトさんは、きちんと反省をしないと不幸を反復するという。

 他国への侵略を反復してはならない。

 日の丸や君が代が大好きな人たちに反対はしないし、歌ったり、踊ったりしてもらっても結構だが、嫌いな人への強制は困る。

 じーじは子どもたちの学校時代を除いては、日の丸や君が代に個人的な恨みはないが、嫌いなものは嫌いだ。

 困ったじーじである。        (2024.11 記)

 

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お父さんとお母さんが離婚をするといって揉めている時の子どもの気持ちを考える-「おとな」の親になるために

2024年11月12日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2014年ころのブログです

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 お父さんとお母さんが離婚をするといって揉めている時のことを考えてみたいと思います。

 お父さんとお母さんは何らかの縁があって結婚をし、子どもさんをもうけ、しかし、何らかの理由で離婚をするといいます。

 もっとも、冷たく言ってしまえば、二人はもともとは他人です。

 しかしながら、子どもさんにとっては、生まれた時からお父さんとお母さんがいる家庭で暮らし、お父さんとお母さんがいる家庭が、いわば、全宇宙です。

 その全宇宙が、突然壊れるだけでもショックなのに、そこで、お父さん、お母さんのどっちと一緒に暮らしたい?と聞かれても、子どもさんにとっては、正直、それに答えることは相当に難しいと思います。

 かなり強靭な精神を備えた大人であるならまだしも、10歳前後の子どもさんにそれを求めるということは、壊れた宇宙のどっちに行きたい?と聞くようなもので、不可能なことを強いているような気がします。

 子どもさんは、お母さんもお父さんも、あるいは、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんながいる世界に育ち、みんなが大好きなのが本当のところです。

 そこから何か結論を選べ、と言われても困ってしまうのが現実でしょう。

 子どもさんの気持ちは複雑です。

 そうすると、どうすればいいのでしょうか。

 日本の法律では離婚をする際には一人の親権者を決めなければなりません。

 お父さんとお母さんが離婚をしても、子どもさんが自由に行き来をできるなら、子どもさんはかなり救われるでしょう(もっとも、夫婦の紛争が相当に激しい時には、そうはいっても、とりあえず子どもさんがどっちにいるかという監護者を決めることでも、さらに延々と揉めるケースも多いです)。

 しかし、それで困るのは、他でもない、ご両親にとって大切な子どもさんです。

 ここは、親ごさんの面子より、子どもさんの気持ちや立場や状況を優先して考えませんか(夫婦の紛争の際、子どもの幸せのため、とはいいながら、じつは親ごさんや家の面子にこだわっている親ごさんは多いです)。

 親ごさんの面子より、子どもさんのお気持ちを大切にできるような「おとなの親」が必要だと思います。

 そして、いずれにせよ、子どもさんにとっては、お父さんもお母さんも、どちらもが本当に大切な存在です。

 きちんとした面会交流を実現させることが、子どもさんのためにも、また、お父さんやお母さんの精神的な成長のためにも、ひじょうに大切なことになると思います。

 そういう貴重な機会を、周囲も協力をして、実現させてあげてほしいなと心から願っています。        (2014?記)

 

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佐々木譲『警官の条件』2014・新潮文庫-組織の無責任さと男の生きざまを描く警察小説

2024年11月12日 | 小説を読む

 2020年11月のブログです

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 佐々木譲さんの『警官の条件』(2014・新潮文庫)を久しぶりに読みました。

 6年ぶり。

 例によって、細かいところは忘れていたので、またまた、ハラハラ、ドキドキしながら読んでしまいました。

 警察官三代目の真面目な主人公(佐々木さんの『警官の血』(上・下)(2010・新潮文庫)に登場)と、陰で「悪徳警官」と噂される派手な先輩刑事。

 この二人の警察組織における生きざまと組織の論理とのせめぎあい、そして、二人の男としての人生が描かれます。

 あらすじはあえて書きませんが、すごい小説です。

 佐々木さんは警察組織と暴力団を描かせるとぴかいちの作家さんですが、本当に詳しく、感心します。

 とてもリアルに読めます。

 そして、組織と個人の問題。

 佐々木さんの警察小説ではいつも焦点となりますし、また、マイクル・コナリーの描くボッシュ刑事などもいつも悩まされている課題です。

 もっとも、考えてみれば、これは社会的な存在として生きる人間にとっては、永遠のテーマかもしれません。

 どんな組織、会社であれ、そこで良心的に働こうと思えば、必ずどこかで直面するテーマなのでしょう。

 そこでどう振る舞い、何を大切にして生きるのかが、人生を決めるのかもしれません。

 運が悪ければ、命を落とす人もいるかもしれません。

 そういうギリギリのところで生きる人たちを描くからこそ、良質の物語になるのだろうと思います。

 せっかくの人生、後悔のないように精一杯生きていきたいと思います。         (2020. 11 記)

 

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お父さんとお母さんのそれぞれの良さを認めることの大切さ-「おとな」の親になるために

2024年11月12日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2011年ころのブログです

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 長い間,家庭裁判所の離婚調停に立ち会ってきました。

 いろいろなケースがあり,いろいろなことを考えさせられました。

 その中で一番印象に残っていること。それは,人はどうして争いたがるのか,ということです。

 もう少しで仲直りができそうだというのに,そこでまた,どっちが親として立派なのかと,再び争ってしまう,そんな親ごさんたちをいっぱい見てきました。

 子どもさんたちにとっては,どちらも,いいお父さん,お母さん,なんだけどなあ,と思います。

 そもそも,お父さんとお母さん,どっちがいい親かなんて,誰が決められるのでしょうか?

 お父さんにはお父さんなりのよさがあり,お母さんにはお母さんなりのよさがあって,子どもさんたちにとってはどちらも大切な親ごさんで,上も下も,一位も二位もなくて,両方が必要だと思うのです。

 そして,だからこそ,子どもさんたちには離婚後もお父さんとお母さんの協力が必要になりますし,別れて暮らすことになる親ごさんとの面会交流が大切になります。

 ですから,今からでも,できるだけ早くに競争や争いはやめて,すぐにでもご両親が可能なご協力をして,子どもさんたちの面倒をできるだけ協力をして見ていくことが大切になると思います。

 子どもさんたちは,きっと,ご両親のご協力と仲直りを心から望んでいると思いますし,少なくとも子どもさんたちの前では笑顔の楽しそうなご両親の姿を楽しみにしていると思います。

 子どもさんたちのためにも,もっと「おとな」の親ごさん,そして,本当の「おとな」になりたいものだ,と思います。      (2011?記)

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 2021年6月の追記です

 どうしても争いを繰り返すしてしまうことの問題は、フロイトさんが反復ということで述べているように今では思います。

 人は不幸の反復を、これに気づかないと繰り返してしまうようです。

 離婚や親権争いや面会交流の問題も、反復の視点から見てみると、少しだけ違って見えてくるかもしれません。       (2021.6 記)

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 2024年11月の追記です

 変な例えですが、お父さんとお母さんのどっちがいい?ときくことは、みかんとりんごのどっちがいい?ときくことに似ているような気がします。

 あるいは、バナナといちごのどっちがいい?とか…。

 どちらもそれぞれにいいわけですから…。

 これって、なんか、比較する土俵が違う(?)というか、もともと比べることに無理があるような感じがします。

 ごはんとパンはどっちがいい?もそうでしょうか?

 日によって、その時によって、必要なものは違うけれど、どちらも大切なもの、という点では共通しています。

 男友達と女友達はどっちがいい?という質問もそうでしょうか?

 あるいは、恋人と親とどっちが大事?とか…。

 みんなそれぞれに大切な存在ですよねぇ。         (2024.11 記)

 

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子どもの意思,その本音と建前のせつない言葉により添うことの大切さ-「おとな」の親になるために

2024年11月11日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2011年ころのブログです

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 夫婦の間で不幸にして離婚の話が出てしまい, 子どもさんの親権などで揉めてしまったような時に,「子どもの意思を尊重する」という親ごさんがいらっしゃいます。

 一見,ものわかりのよい,子どものことを考えている,とても立派な親ごさんのように見えます。

 しかし,これは親ごさんの無責任の裏返しだと思うのです。

 親ごさんの都合で離婚をしようというのに,子どもに親権者を選ばせるというのは非常に残酷なことです。

 子どもの本音は,どちらかに虐待や暴力でもないかぎり,お父さんもお母さんも大好きで,できれば別れないでほしい,というのが大多数だと思うからです。

 子どもの意思を尊重する,というのなら,離婚をしてもいいかどうか,というところから「子どもの意思を尊重」しなければならないと思います。

 また,「子どもの意思」は,一応,刑法では14歳からその有責性が問われ,民法では15歳から一定の権利が認められていますが,じーじの経験では,それくらいの年齢でも,自分の選択をあとになってから悩む例を多く見ます。

 おとなが自分の選択で悩むのは仕方ありませんし,そうやって少しずつ本当の「おとな」になっていくのだと思いますが,子どもが親のせいで悩むのは酷なことです。

 できれば,親ごさんがその責任をきちんと負わなければならないと思います。

 そして,その場合,親権をもらうことだけでなく,親権を譲ることも含めて,子どもの幸せを考える責任があると思います。

 仮に,親権を譲っても,面会交流で子どもとの関わりあいは十分に可能です。

 いつも一緒にいることだけが親ごさんの愛情とは限りません。

 子どもに責任を負わせずに,真に「子どもの意思」や「気持ち」を尊重できる「おとな」,そういう「おとな」の親ごさんが大切になると思います。       (2011?記)

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 2019年冬の追記です

 親ごさん同士がいつの間にか信頼できなくなっても、親子の間はまったく別物です。

 親ごさん同士の憎しみとは関係なく、子どもは虐待がない限り、親ごさんを慕っていることが多いと思います。

 面会交流で親子の間での信頼の様子を互いに見ることで、親ごさん同士の関係も少しだけ客観的に変化する可能性もあるのかもしれません。      (2019.1 記)

 

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佐伯一麦『ショート・サーキット-佐伯一麦初期作品集』2015・講談社文芸文庫

2024年11月11日 | 小説を読む

 2018年のブログです

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 佐伯一麦さんの『ショート・サーキット-佐伯一麦初期作品集』(2015・講談社文芸文庫)を読みました。

 またまた佐伯さんの小説で、このところ、じーじは(佐伯)一麦ワールドと(樋口)有介ワールドにハマってしまった感じです。

 佐伯さんが初期に書かれた小説から選ばれた作品集ですが、なかなか読み応えがあります。

 あらためて思ったのは、佐伯さんは文章がうまいな、ということ。

 丁寧で、美しい日本語です。

 誰が下手とはいいませんが(?)、佐伯さんの文章が端正なので、小説で描かれている世界が、夫婦の不和や仕事上の大変さなど、かなりヘビーな内容なのですが、気分はあまり悪くなりません。

 むしろ、悪戦苦闘をしながらも、誠実に生きている様が、丁寧な文章に乗って、淡々と、時には、すがすがしく、描かれているように感じます。

 印象的だったのは、子どもとのやりとりが描かれた場面。

 例えば、乗り物が苦手な長女が電車の中で気分が悪くなって吐いてしまった時、それを自分の洋服で受けて、子どもを守る父親の姿が描かれますが、弱い者を守る父親の姿がとてもいいです。

 人は弱い者を守ることでおとなになっていくんだな、とつくづく感じられます。

 そういうふとした場面を大切にしている小説家なんだな、ということがわかります。

 人と人の行き違いも描かれますが、淡々とどちらにも偏らずに描いているという感じがします。

 勧善懲悪ではない世界、人と人が支えあいながらも、迷惑を掛け合い、しかし、ともに生きていく、そんな感じでしょうか。

 したがって、読後感はとてもよくて、充実した感じがします。

 また、数年後に再読したいな、と思いました。          (2018. 10 記)

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 2023年4月の追記です

 つまらないことかもしれませんが、人は弱い者を守ることでおとなになっていくんだな、という一節がじーじは自分で少し気に入っています。        (2023.4 記)

 

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生地新『児童福祉施設の心理ケア-力動精神医学からみた子どもの心』2017・岩崎学術出版社

2024年11月10日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2017年のブログです

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 生地新さんの『児童福祉施設の心理ケア-力動精神医学からみた子どもの心』(2017・岩崎学術出版社)を読みました。

 とても勉強になりましたし、事例がすごいです。

 生地さんは児童精神科医で北里大学教授、そして、精神分析学会の前会長でもあります。

 温厚なかたで、あまり過激なことをおっしゃらないので、じーじなどは学会に出ていても、最近まで生地さんが児童精神科医でいらっしゃることを知らずにいて(生地さん、ごめんなさい)、生地さんのすばらしいお仕事に気づくのがずいぶん遅くなってしまいました。

 しかし、本書はいい本です。

 前半は、児童福祉施設に入所している子どもたちの様子やこころの発達状況などについてていねいに述べ、施設における心理療法の実際とスーパービジョンなどについて解説をされています。

 こどものこころや立場を本当に大切にして、細やかな配慮をされている様子がよくわかり、感動的です。

 後半は、事例の紹介と解説で、特に、境界例の母親に育てられた多動性の子どもさんの援助のケースは、じーじも家庭裁判所で同じようなケースを担当して苦労をした経験がありますので、その大変さがしみじみとわかり、こころが痛くなる思いでした。

 なかなかつらい事例もありますが、生地さんの子どもさんへの温かな思いと確かな力量が示されて、読んでいるうちにかすかな希望が胸の中に湧いてくるような印象も持てる本だと思います。

 今後も折にふれて、読んでいきたいなと思いました。         (2017 記)

 

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朝井リョウ『世界地図の下書き』2016・集英社文庫-苦難の中にいる子どもたちの友情と希望を描く

2024年11月10日 | 小説を読む

 2016年のブログです

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 若者の世界をていねいに描き続けている小説家、朝井リョウさんの『世界地図の下書き』(2016・集英社文庫)を読みました。

 子どもたちの苦しさの状況を描いた小説ですが、感動的な小説で、一気に読んでしまいました。

 朝井さんは若いのに、人々の苦しみや悲しさ、憎しみ、いやらしさ、醜さなどなどがよくわかっているようです。

 いや、若いからこそ、救いのないようないまの世の中がわかるのかもしれません。

 物語は家庭の事情などで親と別れて暮らしている児童養護施設の子どもたちの日常。

 家庭での虐待、学校でのいじめ、進学できない絶望的な状況などなど、いまの社会の現実が描かれます。

 そんな中で、わずかな希望や楽しみ、助け合い、がんばりなどが描かれます。

 虐待家族の虐待を超えての再統合、いじめを超える希望、たしかな大人からの援助などなど、いまの社会にも希望があることも描かれます。

 決して楽観的なことはひとつも描かれません。

 厳しい、過酷な現実がこれでもかと突きつけられますが、作者は希望を失うことはありません。

 先も思いやられますが、しかし、登場人物たちは涙を流しながらも、何とか生きていくのではないか、という予感を抱けます。

 楽観的ではないものの、決して悲観はせずに、しぶとく生きていけそうな、そんな小説だと思います。              (2016 記)

 

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じーじは「毒親」という言葉は嫌いです-じーじのひとりごと

2024年11月09日 | 心理臨床を考える

 2021年11月のブログです

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 「毒親」という言葉を時々きく。

 しかし、じーじはこの言葉が嫌いだ。

 「毒親」と呼ばれてもしょうがないような親御さんがいることはわかるが、「毒親」という言葉は使いたくない。

 理由は「毒親」のような親御さんでも、親には違いないからだ。

 誰も好き好んで子どもを虐待する親はいない。

 親御さんの性格と育ちから、子どもに感情的に当たったり、暴力を振るったりするわけだが、そういう親御さんでも子どもへの愛情はとても強い。

 ただ、愛情の表現が、下手だったり、拙かったりするだけだ。

 しかも、子どもは、そんな親御さんでも、うちの親は…、といいつつ、できればまた一緒に生活をしたいものだと願うものが多い。

 戻ったところで、また同じことの繰り返しになることが多いが、子どもが親を慕う気持ちの強さにはこころを打たれる。

 そんな親を「毒親」ということはできない。

 親は親だ。

 親御さんにも十分な心理的援助をして、子どもの切ない気持ちの実現に繋げたいと思う。        (2021.11 記)

 

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