ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

大平健『食の精神病理』2003・光文社新書-拒食、過食、孤食と「二人の自分」を考える

2025年02月03日 | 精神療法に学ぶ

 2024年2月のブログです

     *

 精神科医である大平健さんの『食の精神病理』(2003・光文社新書)を再読する。

 先日の能登半島地震で崩れた本棚の本の中から発掘した(?)一冊。

 ずっと読みたかったが、出版社品切れで、古本屋さんでも見つからなかった本。

 その本を、実は20年前のじーじが購入して、読んでいたらしい(?)。

 じーじ、すごい(!)。すっかり忘れていた(!)。

 購入していたことを忘れていたくらいだから、中身も当然、忘れていた(!)。

 新鮮に読ませてもらう。じーじの特権だ(!)。

 「食」に関する大平さんのさまざまな考察が、童話や昔話を例に挙げて並ぶ。

 すごく刺激的だ。

 あの童話がこう読めるのか、あの昔話はこんな意味があるのか、とびっくりさせられる。

 そこから、現代の拒食や過食の考察につながり、孤食という社会現象の理解に至る。

 大平さんの著書『豊かさの精神病理』や『顔をなくした女』などとの関連も明示されて、わかりやすい。

 大平さんはさらに、これらの先に、「本当の自分」と「身体の自分」に別れてしまっているらしい「二人の自分」について考える。

 そして、それらと新型うつとのつながりも考察する。

 その治療の一端が、早寝早起きというありふれたことであるという指摘は、楽しい。

 楽しく読めて、いろいろと考えさせられる良書だと思う。         (2024.2 記)  

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松木邦裕『摂食障害というこころ-創られた悲劇/築かれた閉塞』2008・新曜社-患者さんの健康なこころと対話する

2025年02月03日 | 心理療法に学ぶ

 2020年2月のブログです

     *

 精神科医で精神分析家の松木邦裕さんの『摂食障害というこころ-創られた悲劇/築かれた閉塞』(2008・新曜社)を再読しました。

 何回か読んでいるのですが、レポートは初めて。

 ようやく、少しは自分のものになってきたのかもしれません。

 松木さんが、自分が摂食障害について書くのは最後の本、というだけに、摂食障害という病いの成り立ち、病態、治療などについて、精神分析的な立場からかなり細やかな理解を示されていて、とても参考になります。

 じーじが今回、特に勉強になったのが、摂食障害の患者さんへの精神分析的な面接についての章。

 摂食障害の人との面接で留意すべき点がたくさん示されていて、勉強になります。

 たとえば、患者さんの話をよく聴くだけでは不十分、という点。

 話をよく聴くだけでもかなりの努力を要しますが、それだけでは面接は深まらないので、聴ききれない点や不思議に思う点を聴き返すべきだと説明されます。

 そうすることで初めて、患者さんが本当に考え、面接が深まり、治療が進む、といいます。卓見です。

 このことは摂食障害の患者さんだけでなく、他のパーソナリティ障害の患者さんなどにも大切なことがらだと思われました。

 これに関連して、患者さんのこころの中には、健康な部分と病気の部分があるという見方。

 患者さんの病気のこころに引っ張りまわされずに、健康なこころと対話をしていくことが大切といいます。

 その他にも勉強になることがたくさん、まるで宝箱のような章です。

 もっともっと読み込んで、いい面接ができるようになりたいと切に思いました。       (2020.2 記)

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シェイクスピアさん・中野好夫さん・松岡和子さん-じーじのじいじ日記・セレクト

2025年02月02日 | じいじ日記を書く

 2019年2月の日記です

     *

 このところ、シェイクスピアさんにハマっている。

 先日、『ハムレット』を読んだので、今は『リア王』(松岡和子訳・1997・ちくま文庫)に挑戦中。

 なかなか重厚な物語だが、「道化」の存在が面白い。

 『海辺のカフカ』のホシノくんみたいな感じ(ホシノくんはもっと純朴だが…)。楽しみである。

 他に、並行して読んでいる本として、

  河合隼雄・松岡和子『怪読シェイクスピア・増補版』(2011・ちくま文庫)、

  中野好夫『シェイクスピアの面白さ』(2017・講談社学芸文庫)、

  松岡和子『深読みシェイクスピア』(2016・新潮文庫)などなど。

 中野さんのエッセイには、東大で同僚だった渡辺一夫さん(渡辺さんは仏文学者で、戦争中、フランス語とラテン語で日記を書いていたというかた。加藤周一さんや大江健三郎さんの先生でもある)が出てきたりして、とても楽しい。

 また、河合さんは、あいかわらずきれのいい分析を披露していて、やはりすごいな、と感心させられる。 

 河合さんお得意のだじゃれも健在で、やはりだじゃれが好きだったらしい(?)シェイクスピアさんに負けじと頑張っておられる。

 窓の外の雪を眺めながら、毛布にくるまって読む(?)シェイクスピアさんもいいものだ。

 新潟でも冬の寒さはもう少し続きそうだ。        (2019.2 記)

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村上春樹『辺境・近境』2000・新潮文庫-その場に立って、触れて、はじめてわかることがある。

2025年02月02日 | 村上春樹さんを読む

 2024年1月のブログです

     *

 村上春樹さんの『辺境・近境』(2000・新潮文庫)をかなり久しぶりに再読する。

 じーじにしてはめずらしく、少し内容を覚えているような気がしていて再読が遅れたが、いざ読んでみると、やはりほとんど覚えていなくて、またまた新鮮に読んでしまった(?)。

 本の帯に、その場に立って、触れて、はじめてわかることがある。とあるが、村上さんの言いたいことは、ずばりここなのだろうと思う。

 今は、テレビやSNSなどで、なんとなくわかったような気になってしまうことが多いが、やはり本物や本当のところは、現場に行って体感しなければわからないものなのだろうと思う。

 もちろん、現場に行ったからといって、本当のところがどれだけ理解できるかは、その人のちからや知識や出会いや時期などにも左右されるのだろうが、すべてがわからないにしても、現場に立って、現場の空気を吸うことは大切なようである。

 さて、本書で、村上さんは七つの旅をする。

 メキシコやノモンハン、アメリカ、といった海外の旅や、なぜか、村上島という無人島や讃岐うどん、そして、神戸などの国内の旅。

 シリアスな旅やユーモラスな旅がいっぱいで、深刻に考えたり、笑ったり、となかなか忙しい本だ。

 個人的には、讃岐うどんの旅に出てくる雑誌「ハイファッション」の担当のマツオさんという女性が面白かった。

 すごい美人ちゃんだったら困るが(?)、どうなのだろう。

 そして、一番印象に残ったのはやはりノモンハンの旅。

 ノモンハンの事件は、日本史ではあっさりと通りすぎてしまった記憶しかないが、ご存じのように、太平洋戦争の少し前に、モンゴルのノモンハンで、満州国とモンゴルの国境争いから、日本とソ連が戦った事件というか戦争で、日本が大敗した。

 日本はこの結果を直視せず、中国侵略やアジア侵略をさらに進めて太平洋戦争に突入するが、ノモンハンの戦争は本当に悲惨で、それが刺激の一つになって、村上さんは『ねじまき鳥クロニクル』を書いたようだ。

 この旅行記も戦場の様子などが詳しく書かれていて、参考になるし、村上さんの国家の冷酷さへの糾弾と、庶民の哀しさへの共感がすごく感じられる旅行記だ。

 正月早々、いい旅行記を読めて、幸せである。         (2024.1 記)

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成田善弘『精神療法面接の多面性-学ぶこと、伝えること』2010・金剛出版-真摯な精神療法家に学ぶ

2025年02月02日 | 精神療法に学ぶ

 2019年6月のブログです

     *

 精神科医で精神療法家の成田善弘さんの『精神療法面接の多面性-学ぶこと、伝えること』(2010・金剛出版)を再読しました。

 この本も何回目かの再読で、付箋とアンダーラインが賑やかです。

 しかも、忘れっぽさには自信のあるじーじが、めずらしくところどころ読んだ記憶が残っていてうれしくなりました(?)(自慢になりませんね)。

 例によって、印象に残ったところを一つ、二つ。

 一つめは、精神分析について語っているところ。

 成田さんは、治療が簡易な精神療法で済むならそれでいいし、患者さんのためにもそうすべきとしながらも、精神分析の魅力について、当初、予想もしなかったことを患者と治療者の双方が知ることになる点にある、と述べます。

 精神分析をすることで、患者さんがより深く、自己と他者の関係を知ることになる、と説明されていらっしゃいますが、本当にそう感じます。

 じーじの行なっている精神分析的心理療法では、それほど深い展開にはならないのかもしれませんが、それに近い貴重な体験を積んでいきたいと思いました。

 もう一つは、治療から援助関係への変化ということについて。

 成田さんはいろいろな精神療法を行なっているうちに、治療をするというより、患者さんが一所懸命に努力していることを援助するという姿勢に自身が変わってきた、と述べます。

 上から目線の治療ではなく、患者さんとの協働関係、患者さんの頑張りを援助するという感じがいいようです。

 成田さんの患者さんにより添う姿勢が伝わってきました。

 また、本書では書評も取り上げられていて、じーじがブログでご紹介した精神科医で精神療法家の下坂幸三さんの『フロイト再考』や精神科医で遊戯療法家の山中康裕さんの『深奥なる心理臨床のために』なども紹介されています。 

 成田さんはこう読むのかと、大家の読み方が学べて、勉強になります。

 さらに勉強をしていこうと思いました。        (2019.6 記)

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 2022年5月の追記です

 改めて思うのは、心理療法はクライエントさんの自己理解、対人関係の理解の作業に根気強くつきあうことではないかということ。

 カウンセラーができることは、どんな事態が生じようとも、そういうクライエントさんの努力につきあい続けることなのかなあ、と思います。      (2022.5 記)

 

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ハムレット・文学のちから・組織人-じーじのじいじ日記・セレクト

2025年02月01日 | じいじ日記を書く

 2019年2月の日記です

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 シェイクスピア(福田恆存訳)『ハムレット』(1967・新潮文庫)を読了。

 緊張感のあるすごい物語。

 文章がすばらしく(翻訳のうまさもあると思うが…)、行間にただよってくる雰囲気がすごいと思う。

 じっくりと味わう物語。

 いろいろな感想を持ったが、今どきの世相のせいか、組織人のことを考える。

 出てくる家来たちのうちで、王様にへつらって死んでしまう者もいれば、最後を看取る者もいる。

 連想をしたのは国家公務員。

 いい大学を出て、いいお役所に入ったのに、出世のためか、言いなりになって、不正をしてしまう者。黙って見ている者。 

 地方公務員も、市民や弱い者、子どもを守れずに、悪しきおとなに負けてしまう者。

 時代は変わっても、人は変わらないのか。

 いや、今のほうが節操がないというか…。

 どっちを向いて仕事をしているんだろう、と思う。

 権力か、暴力か、それとも、弱い立場の人々か。

 公務員は採用の時に、国民のために、あるいは、住民のために働く、と宣誓をしたはず。

 組織や権力に振り回されるあわれな人々の姿をシェイクスピアさんはすでに描いているが、それを糧にできないのは悲しい。

 こころして読んでいきたい。          (2019.2 記)

 

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能登半島地震より、自民党のキックバックより、大谷くんの英語かい(?)-じーじのじいじ日記・セレクト

2025年02月01日 | じいじ日記を書く

 2024年1月の日記です

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 夕方、ニュースを見ていると、某テレビ局のトップニュースが、大谷くんの英語のスピーチがうまくなった、というもの。

 オイ、オイ、オイ。

 それでいいんかい(?)。

 能登半島の地震や自民党のキックバックはどうなったんだい?

 大谷くんのニュースを流せば、それは視聴率が上がるだろうが、マスコミがそれでいいのだろうか(?)。

 能登半島地震で苦労をしている人々のことは人ごとではないし、自民党のキックバックがどうなるのかは政治の大きな問題だ。

 それが後回しにされている。

 それがマスコミの姿なのか、とがっかりする。

 じーじだって、大谷くんは嫌いではないが、それより今の日本では、地震や自民党の問題だろうと思う。

 辺野古やマイナ保険証、原発問題、その他もろもろ、問題は山積だ。

 マスコミは視聴率より、もっと大切にしなければならないことがいっぱいあると思う。

 頑張れ!マスコミ。          (2024.1 記)

      *

 2024年2月の追記です

 能登半島地震から1か月。

 復興はなかなか進まない。

 そんな中、政府が打ち出した、北陸応援割。

 お金での応援も大事だが、それより仮設住宅や街の再建、そして、生活全般の回復のほうが先ではないか。

 精神分析では、悲しみをきちんと悲しまないと、こころは躁的防衛を経て、鬱になるという。

 悲しみを十分に受け容れないで、上っ面な応援などをしていると、こころは壊れてしまうだろう。

 お金での応援は大切だが、それ以上に地元の人々の大変さを思い、考え、できることを少しずつ応援することが重要になると思う。      (2024.2 記)

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成田善弘さん・フロイトさん・下坂幸三さん-じーじのカウンセリング日記

2025年02月01日 | じいじ日記を書く

 2019年2月の日記です

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 精神科医で精神療法家の成田善弘さんの『精神療法面接の多面性-学ぶこと、伝えること』(2010・金剛出版)を再読した。

 ここのところ、成田さんの本を続けて読んでいて、境界例や強迫症、解離などを中心としたクライエントさんの面接について復習をする。

 さらに、ケースカンファレンスのあり方も学び直し、実践と理論の磨き方についても勉強させられる。

 成田さんが精神科医で精神療法家の下坂幸三さんの『フロイト再読』(2007・金剛出版)について書いているところがあり、何日か前に偶然、本棚でこの本を見かけて、さろそろ再読をしようと思ったことを思い出す。

 こういう偶然はやはりユングさんの世界なのかな、と思ったりする。

 こうやって、どんどん本の世界が広がっていくのは楽しい。

 そういえば、精神分析のビオンさんやメルツアーさんから詩人キーツさんに、キーツさんからシェイクスピアさんへという広がりも体験中で、現在、この年になって初めて『ハムレット』(福田恆存訳・1967・新潮文庫)を読んでいる。

 なかなか緊張感のある物語で、もう少し若い時に読んでいたらな、と反省をする。

 しかし、今からでも十分、面白そうでもある。

 楽しみ、楽しみ。

 そして、読書のあとのビールも楽しみ、楽しみ。          (2019.2 記)

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節分の日の弱っちい鬼さんを見て考える-鬼さんにはなまはげさんの怖さをぜひ見習ってほしい!

2025年01月31日 | ひとりごとを書く

 節分の日が近づいてきました。

 あか鬼さんやあお鬼さんたちの晴れ舞台の日ですね。

 もっとも、じーじの孫娘たちにとっては、おそろしい一日になりそうですが…(?)。

 でも、世の中には怖い存在がいるほうがいいのではないか、とじーじは思っています。

 節分の鬼さんをめぐる思いを2016年の節分の日にブログに書いていますので、再録します。   

      * 

 今日は節分、しかし、節分のニュースを見ていて、ちょっと疑問を感じました。

 なぜなら、最初から逃げ腰の弱っちい鬼さんがいたり、最初はまあまあ怖くても最後には豆まきに負けて逃げてしまう鬼さんが大半です。

 それではだめでしょう(?)。

 できれば、弱っちい鬼さんには、秋田のなまはげさんを見習ってほしいです。

 なまはげさんはとても怖くて、最後まで怖いです。

 大人でも泣きそうになるくらい怖いです。

 ましてや子どもはたいへん。トラウマになる子どももいるかもしれません。

 しかし、世の中には無条件に怖いものがいるのです。

 そんなに都合よく怖い鬼さんが退散してくれないのが人生です。

 世の中は子どもが思うようにはいきません。

 ですから、鬼さんが子どもになめられてはいけません。

 鬼さんは毅然として存在しましょう。そのほうが子どものためになります。

 そして子どもが怖がっている時にこそ、子どもを守ってくれる親や大人が大切な存在となります。

 子どもの成長のためにも、いつまでもどこかに、怖い鬼さんが目玉を光らせていてほしいと思います。      (2016.2 記)

     * 

 2018年2月の追記

 いつも楽しく拝見させていただいているある保育園のブログを見ていましたら、怖い鬼さんが登場、子どもたちはたいへんなことになっていました。

 やはり怖い鬼さんは大切なようです。

 そのあとには優しそうな天女さん(?)も登場して、めでたし、めでたし、でした。      (2018.2 記)

     *

 2023年2月の追記です

 世の中に怖いものなどいない、と誤解をすると、プーチンくんのような人間ができあがります。

 じつはなまはげさんのお仲間たちが世界中あちこちにいるんですけどね。怖いですよー。       (2023.2 記)

   

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チューリップの国旗とチューリップの国歌の夢を見た-じーじのじいじ日記・セレクト

2025年01月31日 | じいじ日記を書く

 2023年12月のブログです

     *

 お昼寝をしていたら、とても楽しい夢を見た。

 日の丸がチューリップの図柄(!)の国旗にかわり、国歌が君が代にかわってチューリップの歌(!)になるというもの。すごいでしょう!

 夢の中では、小学校の入学式で、新入生がチューリップの花を持ち、チューリップの国旗に向かって、チューリップの国歌を元気に歌っていた。

 日の丸・君が代の強制が厭で、自分の子どもたちの入学式と卒業式は全部欠席したじーじだが(子どもたち、ごめん)、こういう入学式や卒業式なら列席してみたい。

 孫娘たちが学生のうちに実現しないかな?

 そうしたら、じーじもぜひ出席させてもらって、チューリップの歌を大声で歌いたい(?)。

 そもそも、日の丸はもとより、菊や桜の図柄だと、なんとなくキナ臭いイメージがつきまとう。

 その点、チューリップはいい。

 チューリップといえばオランダだが、日本が文明開化をしたのはオランダの蘭学によるところが大きく、学問や思想の自由を表現すると思う。

 加えて、チューリップの歌の、どの花見ても♪きれいだな♫、というフレーズは、国民の平等と人権を表現すると思う。

 さすがはじーじ、いい夢を見る。

 日頃、フロイトさんのまねをして、夢の研究をしている成果が出たのかもしれない。

 こんないい夢が実現するといいな。        (2023.12 記)

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人生最悪(?)の1月後半だったかもしれない(?)-じーじのじいじ日記

2025年01月30日 | じいじ日記を書く

 2025年1月の日記です

     *

 1月ももうすぐ終わりだが、後半はすごくきつかった。

 70歳の1月は、きつい幕開けとなった。

 前半は、お正月に孫娘たちが遊びに来てくれて、いつものように賑やかで、楽しいお正月だった。

 しかし、後半、16日(木)の夜に発熱、39℃まで熱があがった。

 熱自体は、例年、冬の初めに風邪をひいて39Cくらいの熱が出るが、今回は17日(金)と18日(土)の二日間は完全に寝込んだ。

 ビールも呑めずに(?)に、完全な死(!)。

 19日(日)にようやく少し回復、洗濯などもできた。

 しかし、その後も、だらだらとした日が続き、腰の痛みも悪化してしまった。

 腰の痛みがさらに進んで、登山用のストックを使ったりする始末。

 痛みは今も続いていて、コルセットや検査入院、手術などを勧められているが、こころの準備が追い付かない。

 じーじ、ピンチ!

 2月4日(火)に、高齢者運転講習を受講するので、その結果も見て考えようと思っている。

 いやはや、年はあまり取りたくはないが、こればかりは仕方ない。

 みんなそうやって、じじばばになっていくわけだから…。

 できれば、楽しみながら、笑いながら、年を取りたいと思っているが、どうなるのかな?

 車椅子はいずれ覚悟をしているが、車椅子生活で自立した生活を送れるようになりたいな、と願っている。       (2025. 1記)

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司馬遼太郎『胡蝶の夢』(1)~(4) 1983・新潮文庫-幕末・維新の「医」を描く

2025年01月30日 | 小説を読む

 2019年3月のブログです

     *

 司馬遼太郎さんの『胡蝶の夢』(1)~(4)(1983・新潮文庫)を再読しました。

 本棚を眺めていたら目にとまって読み始めたのですが、すごく久しぶりで、おそらく十数年ぶりです。

 いい小説なのに、じーじの怠慢で、ご無沙汰しすぎです。

 こういういい小説は、年寄りになったら、もっともっと読んで、こころを豊かにしなくてはいけません。反省です。

 さて、この小説、紹介するのはなかなかたいへんです。

 主人公は幕末の医師松本良順。

 千葉・佐倉のオランダ医学所である順天堂の出身ですが、将軍の医師にまでなります。

 その良順が自らオランダ医学を学ぶために、長崎でオランダの軍医ポンぺから西洋医学を学ぶ学校を作るのですが、この小説はそこで学んだ同僚や後輩たちとの物語ということになりそうです。

 特に、幕府一筋の良順と、佐渡出身で語学に異彩をはなち、後に政府の語学者となる島倉伊之助(司馬凌海)、さらに、阿波藩の医師になり、後に官軍の病院長にまでなるものの、戊辰戦争後にやめてしまう関寛斎の3人の生き様が中心です。

 いずれの人物も一筋縄ではいかない個性派ぞろいですが、それを描く司馬さんの目線は温かさにあふれています。

 松本良順は、幕府の形式主義的な官僚を徹底的に嫌い、たくさんの敵を作ってしまいますが、その正義感からか将軍の信頼は厚い人物です。

 なぜか新選組が好きで、戊辰戦争では会津にまで行って、怪我人の手当てに当たります。

 戊辰戦争では良順の長崎時代の同僚である関寛斎が官軍側の医師として参加し、二人は歴史のいたずらに翻弄されます。

 一方、伊之助は、そういう不幸な状況を手をこまねいて見守るしかありません。

 戦争というものが、大義はどうであれ、いかに残酷なものであるかが描かれますし、犠牲になるのは庶民なんだなと改めて考えさせられます。

 結局、良順は戊辰戦争後に新政府に逮捕され、しかし、後日、政府の医学総監になります。

 伊之助は新政府の外国人医師の通訳をつとめ、オランダ語、英語、ドイツ語、イタリア語などを修め、大学教授にまでなります。

 席寛斎は農民に戻り、なんと北海道の陸別に開拓に入り、日本一の寒さで有名な自然の厳しい土地で開拓の基礎を作ります。

 それぞれの生き方がそれぞれに示されます。 

 どさんこのじーじとしてはやはり北海道に渡った関寛斎の生き方に魅かれますが、しかし、お偉方と喧嘩ばかりしている良順の生き方も大好きです。

 こうしてみると、じーじはやはり昔から反体制派のところがあったんだなとつくづく思ってしまいます。

 どんなふうに生きても人生70~80年。それならば自分に正直に、後悔のないように生きたいなと改めて思います。

 じーじにも勇気をくれる、心地よい、いい小説でした。          (2019.3 記)

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そだねー、と、いーんでないかい、についてのカウンセリング的考察(?)

2025年01月30日 | 心理臨床を考える

 2018年2月のブログです。

 平昌冬季オリンピックのカーリングを見ていて、思いつきました。

 カーリングを見て、カウンセリングのことを考えるなんて、われながらただ者ではないのかもしれません(?)。

     *   

 そだねー、がすっかり有名になりました。

 どさんこのじーじは、しばらくこれが方言とは気づかずにいたのですが、そういわれてみれば、標準語と少し違うんだなということがようやくわかりました。

 でも、そうだねー、より、そだねー、のほうが、なんか温かみがありません?

 カウンセリングにも使えそうです。

 〇〇と思うのですが…、そだねー。

 ほら、いいでしょう?

 もうひとつの北海道弁、いーんでないかい、も使えそう。

 〇〇と思いますが…、いーんでないかい。

 ね、なかなかいいでしょ?

 一方、新潟弁には、そうだんがー、という言葉がありますが(主に長岡地方です)、少し強すぎますかね?

 〇〇ではないでしょうか?そうだんがー。

 カウンセリングにはちょっときついですかね?

 そういんだー、というのもあります。

 ○○ですよね?そういんだー。

 これくらいだといいですかね?

 いずれにしても、方言はいいですよね。

 歴史と人々の暮らしの営みとに育まれてきたぬくもりが伝わってきます。

 今回、北海道弁の優しさを再認識したじーじは、今後は、北海道弁と新潟弁でローカルなカウンセリングをしていきたいな、と決意を新たにしたのでした。       (2018.2 記)

     *

 2019年5月の追記です

 「なつぞら」を観ています。北海道の自然の美しさとともに北海道弁のなつかしい響きが心地よい毎日です。

 そういえば、なーんもだー、という北海道弁もいいですね。       (2019.5 記)

        *

 2020年1月の追記です  

 東直己さんの小説を読んでいます。北海道弁が満載でとても懐かしく、そして楽しいです。       (2020.1 記)

     *

 2021年9月の追記です

 週末のカーリング女子日本代表決定戦、ロコ・ソラーレ2連敗のあとの3連勝、しびれました。       (2021.9 記)

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 2022年2月の追記です

 北京五輪でもロコ・ソラーレはにぎやか。涙あり、笑いありで、素直な姿が魅力的です。

 フロイトさんやビオンさんは、精神分析では驚きが大切、と述べました。

 土井健郎さんは藤山直樹さんに、面接はハラハラ、ドキドキだよ、と述べたそうです。

 新鮮な驚きと素直さは、カウンセリングにとっても大切なことのようです。       (2022.2 記)

     *

 2023年2月の追記です

 カーリング女子の日本選手権で藤澤五月ちゃんがストーンを投げる時に転んでしまいました。あんな天才でも転ぶことがあるのですね。

 まして、じーじなどは転びまくりの人生です(?)。

 そういえば、以前、『ころんで学ぶ心理療法』(遠藤裕乃・2003・日本評論社)という本をご紹介したことがありました。

 転んでこそ、強くなれるんですね。        (2023.2 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道生まれ  

    1977年、浦和、新潟家庭裁判所で家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

    2014年、放送大学大学院修了(臨床心理学プログラム・修士) 

    2017年、臨床心理士

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

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佐渡・胡蝶の夢・辺野古-じーじのじいじ日記・セレクト

2025年01月29日 | じいじ日記を書く

 2019年2月の日記です

     *

 自宅から北へ30分ほど歩くと日本海に出る。

 そこの海岸からは天気がいい日には佐渡が見える。

 新潟市から見る佐渡は結構大きな島だ。

 その佐渡が一つの舞台である小説が司馬遼太郎さんの『胡蝶の夢』(1983・新潮文庫)。

 久しぶりに(おそらく15年ぶり(?)くらいだ)再読をしている。

 司馬さんの日本語が端正で、読んでいて気分がいい。

 主人公の島倉伊之助、頭はいいが、不器用な人間で、今でいうとアスペルガーのようだが、この伊之助を描く司馬さんのまなざしはどこか温かい。

 昨日はデイケアでのボランティアの空き時間にもメンバーさんそっちのけで読んでしまった(メンバーさん、ごめんなさい)。

 一方、南の島の沖縄。

 沖縄の人たちは賢くも辺野古基地反対の意思表示をした。

 いろいろな苦渋の末の選択と思われるが、その勇気に敬意を表したい。

 ある新聞に、次は本土の人たちの意思表示だ、とあった。

 これから参議院選挙をはじめとして、意思表示の機会がある。

 基地の是非、負担の平等、などなど、我々が考えること、選択すべきことは多いと思う。         (2019.2 記)

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松木邦裕ほか編『精神病の精神分析的アプローチ-その実際と今日的意義』2008・金剛出版

2025年01月29日 | 精神科臨床に学ぶ

 2017年のブログです

     *

 松木邦裕・東中園聡編『精神病の精神分析的アプローチ-その実際と今日的意義』(2008・金剛出版)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりの再読で、しかも、最初に読んだ時にはじーじの力量がとても貧弱だった時で、あまり理解をできずに終わってしまったという記憶がありました。

 今回、精神科デイケアでのボランティアも5年目に入り、以前よりは少しだけ精神病のことや精神分析的アプローチのことが理解できるかもしれないという淡い期待を持って読みました。

 しかし、やはり精神病という病いはなかなか難しい病いで、そのアプローチも並大抵のことでは難しいということを再認識させられました。

 そんな中、本書の著者らは、本当に地道な努力と患者さんとの協同作業で、一歩一歩患者さんの治療に当たっていることが読み取れます。

 今回、改めて勉強になったことはたくさんあるのですが、たとえば、精神病状態のこころの状況(これは解体・破滅不安といわれるようですが…)の理解とか、妄想の意味やそれへの対応の方法、転移と逆転移の読み取り、不安のコンテイン、その他もろもろ、です。

 これらの考え方が、具体的な事例をもとに述べられているので、じーじのような初級者でも多少は理解ができます。

 中級者であれば、さらに深く理解できるのではないかと思われます。

 現場でいろいろ経験していることと照らし合わせると、頷けることも出てきました。

 ケースが見える人は、本当にいろいろ見えて、いろいろな対応ができるんだな、と改めて感心をしました。

 少しでもそういうレベルになりたいですし、メンバーさんと協力作業ができるようになりたいものだ、とつくづく思いました。

 年寄りだからとあきらめないで、さらに少しずつでも勉強を積み重ねていこう、と思いました。       (2017 記)

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