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日本の『死の商人』は不死鳥フェニックス(2/2)

2024-02-01 22:14:27 | 日本政治・外交

日本の『死の商人』は不死鳥フェニックス(1/2)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eac3a4a8a65ab5ecdb576dcc74540fd4
からの続き

 

 

「それ(長崎の三菱造船所を見せること)はできません。 あそこは今、軍需工場なのですから」

「軍需工場ですって? 日本には、まだ軍需苦情があるのですか?」

「いや、あれはアメリカの軍需工場です。
               ともかく、長崎の三菱造船所を見せるわけにはいけません」

「それでは仕方ありません。 しかし、アメリカ人が日本に軍需工場を持っているというのはセンセーショナルなニュースだと申しあげねばなりませんね。 それは長崎だけですか。 それとも、日本の全都市にあるのですか」

 

この奇妙な対話は、敗戦直後の日本を取材にやってきたソ連のクルガノフ記者が長崎の三菱造船所の視察を申し込んで断られた時の、アメリカの陸軍少尉マックロイとの痴話の一コマです(クルガノフ『日本にいるアメリカ人』、モスクワ、1946年)。

このエピソードIG(ドイツ語読みはイーゲー)ファルベンのルードウィッヒスハーフェンの工場が戦後密かに爆発物をつくっていたエピソードを連想さ。。ポツダム宣言』は、日本軍の武装解除、戦犯の処罰、再軍備に役立つような軍需産業の破壊などを、世界の平和愛好人民の名においておごそかに規定していました。

敗戦国日本では、だから軍国主義者『死の商人』の勢力は当然除去される筈でした。

 

しかし、日本の戦犯の処罰は、ドイツのそれよりも、もっと骨抜きでした。A級戦犯で巣鴨刑務所にぶち込まれていた東条英機が絞首刑になるのを横目に、阿呆の安倍・高市信者が愛国保守と宣伝する岸信介(「満州国は俺が創ったと自負」)は、

満州国の盟友である東条英機・日本国・日本国民を裏切り、GHQに尻尾をふり、CIAのエージェント(代理人)となり、『鬼畜米英』と戦争を煽っていたにもかかわらず、GHQの反日工作にを貸し、と巣鴨刑務所から釈放され、敵国であったアメリカの傀儡となり、首相にまで上りつめました(wiki 岸信介参照)。

ちなみに、日本軍を解体したのは岸信介政権です。 日本軍を解体し、安全保障はアメリカに依頼する。 これが日本国中の右も左も大反対し、大がかりのでも騒動まで起きた『日米安保』です。今になって、愛国保守のコスプレ野郎の、『孫のアホボン安倍』が『憲法改正』とは大笑いですね。

アホボンとは永田町言葉で、2~3流大学卒の二世、三世政治家の事を言うようです。

以後、軍事・安全保障を放棄した日本は、アメリカの言いなりで、アメリカのATMと化したのです。

 

ドイツでは、クルップ、IGファルベンなどの『死の商人』は、一応戦犯として逮捕、訴追、処刑されました。 ところが日本ではっ前述のように、戦犯ナンバー・ワンの中島知久平が「証拠がない」と、岸信介のように無罪釈放されまし。財閥関係者はただの一人も戦犯に指定されなかったのです。

これは、アメリカ軍が財閥の持つ、財力、優れた高度な科学技術、工業技術力、生産能力、人材を利用するためです。

 

この意味では『東京裁判』は侵略戦争戦争の真犯人を隠蔽茶番劇だったとも言えます。 東条英機以下の軍国主義者、侵略主義者たちはなるほど断罪されましたが、『戦犯』はそれで一掃されたことになってしまいました。

前述のクルガノフ記者が、「不安と腹立たしさに包まれ」ながら、「この東京法廷は金属王や石炭王、日本の全国富の証勇者たちを隠すベールである」と非難したのも理由のない事ではありません。

 

『死の商人』たちは、戦犯として処罰されなかっただけではありませんでした。 経済の非軍事化、つまり軍需生産のシステムの破壊こそ軍国主義、侵略主義の土台を一掃するための基本的な措置であるはずでした。

ドイツでは『非カルテル化』、日本では『財閥解体』が占領政策の重要な柱として掲げられたのはそのためでした。

何故ならば「財閥に支配された戦前の日本経済の組織は、少数者の利益のために多数者の搾取を許すものであり、終局的には戦争と破滅に導く」(マッカーサー元帥)ものだったし、「財閥は軍国主義者と同じく、日本の軍国主義の責任者であるばかりでなく、軍国主義によって莫大な利益を収めました。 財閥が解体されなければ、日本人は自由人として自らを支配し得ない」(アメリカ賠償使節団エドウィン・ポーレ)からでした。

 

しかし、アメリカの『死の商人』の圧力のもとに。GHQは占領直後から、もう財閥解体をサボタージュし始めました。 

やがて、1948年はじめに陸軍次官ウィリアム・ドレーバー(ディロン・リード商会副会長)がやってきて、『経済力集中排除』政策を『促進』し、集中排除の対象とされた335社の94%くぉ無傷のまま残すことにしてしまいました。

太平洋戦争を戦う戦費をもっていなかった日本は、戦争中に敵国雨r化のディロン・リード社からか資金を借りていたのです。 敵国に借りる方も借りるほうですが、敵国に貸す方も貸す方です。

 

この件で詳しくは、こちらに紹介しています。↓

 DS陰謀論の本丸FRB(アメリカ中央銀行)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/03850120fdf1a985028bc6de7d98f4bf



ドレーパーは、ドイツの『カルテル解体』をサボタージュした同一人物です。

 

終戦後5年、朝鮮戦争が始まります。朝鮮戦争勃発とともに、日本はたちまち、アメリカの軍事基地、補給基地となりました。

『特需』という名のアメリカの軍需注文が洪水のように押し寄せ、数百億円もあったストックは一掃され、繋船されていた約80万トンの船舶も米軍にチャーターされました、

『特需』は月平均100億円に及びました。 戦争二年目には、早くも禁止されていた兵器生産が公然と許可されるに至りました。

 

こういう『特需』ブームの中で、旧三菱重工業、旧中島飛行機などの航空機会社、旧日本製鋼所、日立製作所などかつて日本軍国主義の土台だった企業がいっせいに活動を再開し、巨額の利潤を記録しました。

さらに、朝鮮戦争勃発とともに誕生した『警察予備隊』(現在の自衛隊)は、日本再軍備の道を開き、同時にその装備をまかなう軍需産業復活の道を拓きました。

抗して旧・新安保条約のもとに、日本の『死の商人』はアメリカの『死の商人』の指導と援助の下に早くも復活しているのです。

 

1962年春、新三菱重工(旧三菱重工業)の名古屋工場で組み立てられた超音速ジェット戦闘機ロッキードF104Jの一番機が飛び立ったころ、アメリカの兵器調査団が日本にやってきて、日本の軍需生産能力を詳しく調査しました。

それは、韓国、台湾、南ベトナム、ラオスなどのアメリカの傀儡軍隊の武装をさらに一層強化するために、日本の『死の商人』に特別の役割を与えるためでした。

 

すでにこの頃は荷は、日本の武器は、アジアの危険地帯に姿を現していました。 1961-62年、戦火燃え盛るラオス戦線には、日本の『死の商人』がつくった102ミリ砲、無反動砲の砲弾や軍事用ジープ、トラックが出現します。

箱に貼られた『取扱注意』の日本字の札が印象的でした。

 

 

(関連情報)


・明治維新 「死の商人」大倉財閥の始祖 大倉喜八郎https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/de59f5b27fef6bcc03d68fc93e1340a2

・明治維新 日本の「死の商人」三菱財閥の祖 岩崎弥太郎https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/98a159e6c384d72d1b605ede523acd4d

・日本で最初の民間兵器工場 室蘭の『日本製鋼所』そしてジーメンス・ヴィッカース事件https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/36c003cef7e69b41c9f52fa000462461

・寺内陸相の『泰平組合』という「死の商人組織」https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14731ae702543030fc714ab55bbb4e5d

・日本の「死の商人」の黄金期(満州侵略・中国侵略・太平洋戦争)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/38b134bffd2398a75752aa317e96e8e7

・日本の「死の商人」の懐を儲けさせた政府ー企業の癒着システムhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2886783276114b59ca0dffe19d1271af

・「死の商人」 中島飛行機製作所と退役海軍軍人 中島知久平https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2310c3c45745ab4ebcf46a5444b3c6c9

・日本の『死の商人』は不死鳥フェニックス(1/2)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eac3a4a8a65ab5ecdb576dcc74540fd4

・日本の『死の商人』は不死鳥フェニックス(2/2)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/442efdea72ea4f69c83d9bcf0777f984

 

 

 

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日本発祥のロリータファッション、世界中の女性を魅了する理由

2024-02-01 17:40:04 | 高級ブランド(LVMH、エルメス、グッチ、他)、ファッション


ロリータファッションに身を包み、米サンフランシスコの街角に佇む女性たち

 

(CNN)

 エラさんは自分らしいスタイルを見つけられずにいた。カリフォルニア州ベイエリアの職場に、ロリータ系の女性が優雅な身のこなしで現れるまでは。

「ロリータ」といってもナボコフ的な意味ではない。その女性は立派な大人で、1990年代中期に日本で流行したロリータファッションに身を包んでいた。

 

ビクトリア朝時代や華麗なロココ様式を反映したロリータファッションはとにかくフェミニンで、ペチコートにフリルのついたレイヤードレス、繊細なアクセサリーを合わせるのが典型的なコーディネートだ。

エラさんは我を忘れた。子どもの頃は少女漫画を読み、漫画に出てくる日本のカウンターカルチャー系のスタイルをまねて絵を描いていたが、ああいう服は「すごくかわいいけど、米国では無理」だと思いこんでいた。メイクにハマったこともあったが、米国のメディアでもてはやされる「大人っぽい」メイクはしっくりこなかった。

 

ロリータのコミュニティー仲間とのお茶会を楽しむエラさん(中央)/Shelby Knowles
   ロリータのコミュニティー仲間とのお茶会を楽しむエラさん(中央)

 

(ロリータ活動を誤解する人々や、変に妄想する人々からインターネットで嫌がらせされる可能性があるため、CNNはエラさんのファミリーネームは伏せる)

幼少期の情熱が形となって目の前に現れたのをきっかけに、エラさんも2015年、ロリータの間で人気のオンラインショップ「エンジェルプリティ」で初めてロリータ系の服を購入した。

初めのうちは「おひとり様ロリータ」だった――ロリータの格好はしていたものの、他にロリータ仲間はいなかった。

 

だが次第に友人たちも加わり、やがて志をともにするロリータのコミュニティーが形成された。みなおしゃれが大好きで、一緒に集まっては、野外でのお茶会やワイナリー訪問、かぼちゃ畑でのオフ会を企画した。

ワードローブを充実させるために、みんなで買い物ざんまいすることもあった。今ではグループの中でも古株だ。

 

彼女だけではない。ロリータというサブカルチャーは活気あふれる日本のストリートシーンを飛び出し、アジアに飛び火してさらに世界へとファン層を広げている。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)演劇映画テレビ大学院のミシェル・リュウ・キャリガー助教が執筆したゴシック系ロリータファッションに関する学術論文によれば、米国には世界最大級のロリータコミュニティーが存在し、「社会になじめない小公女集団」が形成されているという。

 

お茶会の後で、バラ園を散策=米カリフォルニア州オークランド/Shelby Knowles
 お茶会の後で、バラ園を散策=米カリフォルニア州オークランド

 

ロリータファッションと名称の由来

ロリータファッションは、そのネーミングゆえに誤解されがちだ。

1955年、世間を騒がせたウラジーミル・ナボコフの小説に出てくる早熟なティーンエイジャーにちなんで命名されたのは事実だが、共通点はそれだけだ(小説の悪評が理由で、一般的に「ロリータ」という単語は性的対象にされた10代女性を言い表す代名詞とされている。

 

ネーミングのせいで多くのロリータ系がソーシャルメディアからの検閲や、勘違いした外部の人間からの嫌がらせなどの憂き目に遭っている)。

 

オーストラリアのシドニー大学で講師を務め、日本の文化とファッションを研究するマサフミ・モンデン氏は、「ロリータ」とはむしろ「幼少期から大人になるまでの移行期をカバーする」名称だと語る。

ロリータファッションの様式は、ペチコートやフリルやレース、たっぷりしたジャンパースカートで(袖のないドレスで、ふりふりのブラウスの上に着るのが一般的)女の子らしさを演出する。

 

「成熟した女らしさ」はこうあるべきだという規範に従うことを拒み、10代後半から20~30代、それ以上の年代もロリータファッションに身を包む。

だからこそロリータは反体制的な自己表現手段になったのだとモンデン氏は語る。

 

レースやパール、花をあしらったアクセサリーに合わせて、ウィッグも身に着ける/Shelby Knowles
レースやパール、花をあしらったアクセサリーに合わせて、ウィッグも身に着ける

 

ロリータのインスピレーションの源は時空も国境も超える。

例として、華美で超フェミニンな服装を好んだマリー・アントワネット、ミッドセンチュリー期に「フレンチロリータ」と呼ばれたブリジッド・バルドー、ヌーベルバーグ期の映画でフランス人から愛された英国生まれのモデル兼女優ジェーン・バーキンなどをモンデン氏は挙げた。

 

50年代に米国で流行した、派手なスカートやボディスをあしらったプロムパーティ用ドレスも、現代のロリータファッションに影響を与えているという。

「女性服の一番の目的は男性を惹(ひ)きつけること。そうした通説に異を唱えるのがロリータファッションだ」とモンデン氏。「自分が満足するためにおしゃれをしているのだとはっきり主張し、自分らしい美意識を表現するための手段だ」

 

現代のロリータが取り入れている美意識には、今よりもずっと女性の発言権がなかった時代のものもある。だがそうすることで、社会規範に縛られた「現代制度からの決別を宣言」しているのだとリュウ・キャリガー氏は論文で書いている。

 

小樽運河をバックにした記念撮影でポーズをとるロリータファッションの女性/The Asahi Shimbun/Getty Images
小樽運河をバックにした記念撮影でポーズをとるロリータファッションの女性

 

ロリータファッションはいつ、どこで生まれたか

モンデン氏によると、ロリータファッションは活気あふれる日本のストリートシーンから生まれた。70~80年代、「ミルク」や「ピンクハウス」といった日本発のブランドの誕生とともに萌芽(ほうが)が芽生えた。

はては「コム・デ・ギャルソン」までもが「ロマンチックでかわいらしい美意識」を共有し、ロリータは影響力を広めていったそうだ。

 

90年代には日本の音楽ジャンルのひとつ、「ビジュアル系」が台頭する。ビジュアル系のミュージシャンは時に過去のファッションからヒントを得て、手のこんだ衣装やヘアメイクに身を包んだ。

そうしたビジュアル系のファンも、憧れのバンドをまねて装飾的なゴシック風ファッションに身を包んだ――モンデン氏いわく、これが先駆けとなってのちにロリータへと発展する。

 

東京の原宿界隈(かいわい)はメインストリームから外れた若者の人気スポットとなり、はやり始めたロリータ系もここに集まった。互いにおしゃれを競い合い、写真撮影にいそしんだ。

彼女たちのファッションは海外の放送局やインターネット、雑誌などで取り上げられ、欧米向けに日本のストリートファッションを紹介するファッションカルチャーマガジン「FRUiTS」も創刊された。

 

アニメやコスプレなど日本が誇る文化財が海外で人気を集めたことで、外国人もロリータファッションに魅了されるようになったとモンデン氏は言う。

だがリュウ・キャリガー氏も論文で書いているように、ファンはロリータファッションをコスプレだと考えていない――コスプレは他のキャラクターに寄せて着飾るが、ロリータは服装で本当の自分を表現するのだ。

 

ロリータファッションの様式は、ペチコートやフリルやレース、たっぷりしたジャンパースカートで女の子らしさを演出する/Shelby Knowles
ロリータファッションの様式は、ペチコートやフリルやレース、
たっぷりしたジャンパースカートで女の子らしさを演出する

 

 

ロリータファッションも多種多様

エラさんいわく、ロリータファッションにはすべてに共通する欠かせないアイテムがいくつかあるものの、「これ」という決まりごとはない。

レースやリボンで飾られた華奢(きゃしゃ)なスカートにボリュームを出すためにペチコートを履く。ビクトリア朝時代らしさを増すために、ブルマーを履くロリータもいるようだ。

 

エラさんも説明するように、ロリータファッションは隅々まで入念に考え抜かれている。

ストラップのついたピンク色のラウンドトウの靴とばっちり合わせた靴下から、その日のコーディネートに最高のアクセントを加える麦わら帽やピンクのリボン付きボンネット帽まで、どの服を着るか、どのアクセサリーをつけるか、どんなメイクをするかが重要だ。

 

レースの手袋や靴下、靴のデザインにも入念にこだわる/Shelby Knowles
    レースの手袋や靴下、靴のデザインにも入念にこだわる

 

着る者の嗜好(しこう)によって、ロリータファッションにもバリエーションが存在する。王道ロリータはペチコートにバルーンスリーブのブラウス、パラソルなどのキュートな小物。王

道ロリータをさらに1ランクアップさせたスウィート系ロリータは、リボンもフリルもさらに多めで、淡いパステルカラーもふんだん。おそらくロリータでもとくにデコラティブなサブジャンルだ。

 

ゴス系ロリータの衣装もフリルが多めだが、色調は暗く、ロリータの女性らしさにパンクな要素を織り交ぜている。例を挙げれば、ゴシック系ロリータではピンク系の代わりにダークパープルや黒を取り入れたりする。

エラさんの場合はプリント生地や柄ものをほどよく取り入れた、王道とスウィート系を足して2で割ったスタイルだそうだ。たまに黒い服が着たくなったら、ワードローブの中から数少ないゴス系ロリータの1着を選ぶ。

 

だがブラウスやスカートに手袋や靴といったコーディネートは通常のファッションよりも頭を使うので、エラさんも毎日着ているわけではない――ロリータ以外の時は、ベイエリアでよく見るスポーティ系ファッションだそうだ。

「時には着心地のいい服も着たくなるのよ」とエラさんは言った。

 

 

CNN記事 2024.01.31より引用

 

 

 


アパレル大手H&M、CEOが突然の退任

2024-02-01 17:28:04 | 高級ブランド(LVMH、エルメス、グッチ、他)、ファッション

ヘレナ・ヘルマーソン氏=2023年6月、スウェーデン・ストックホルム/Caisa Rasmussen/TT News Agency/AFP/Getty Images
ヘレナ・ヘルマーソン氏=2023年6月、スウェーデン・ストックホルム

 

ロンドン(CNN) 

スウェーデンのアパレル大手ヘネス・アンド・マウリッツ(H&M)のヘレナ・ヘルマーソン氏が1月31日に最高経営責任者(CEO)を退任したことがわかった。4年にわたったCEO職からの突然の退任だった。

ヘルマーソン氏は声明で、「わたしは、新型コロナウイルスの流行や、いくつかの地政学的、マクロ経済的な課題を乗り越えてきた過去の数年に、我々がともに達成してきたことを非常に誇りに思う」と述べた。

 

ヘルマーソン氏はその上で、今はCEOの職を離れるときが来たと感じていると述べた。CEO職を離れる決断は簡単なものではなかったとも述べた。

ヘルマーソン氏の後任にはダニエル・エルベール氏が就く。

 

ロイター通信によれば、ヘルマーソン氏はストックホルムで行われた記者会見で、CEO職を続けるためのエネルギーがないと述べた。次のキャリアに向けた計画はないという。

H&Mが発表した9~11月期の四半期決算は営業利益率が7.2%と前四半期の7.8%から下落した。

 

2023年度の売上高は増加したものの、重要なクリスマス期間を含む過去2カ月の売上高は4%の減少だった。

 

 

CNN記事 202.02.01より引用

 

 


パナソニック、届かなかったGEウェルチ会長の「警告」勝負の分かれ目 パナソニックとソニー①

2024-02-01 16:10:14 | エレクトロニクス・自動車・通信・半導体・電子部品・素材産業

NIKKEI BUSINESS DAILY 日経産業新聞


日本経済の失われた30年は1990年代に隆盛をきわめた日本の電器産業の衰退の時期と重なる。世界を席巻した日本の電機メーカーがなぜ衰退し、ソニーの背中を追いかけていた米アップルなどの台頭を許したのか。

復活の芽はあるのか。業界を代表するパナソニックとソニーを中心に転落の背景と再起への課題を探る。

 

「テレビがなくなったら電機メーカーの顔が半分なくなる。うちを助けるつもりでワールドワイドのテレビ会社を一緒に作らないか」。しばらくの歓談の後、松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)の担当役員だった谷井昭雄にこう切り出したのは米ゼネラル・エレクトリック(GE)会長のジャック・ウェルチだった。ちょうど40年ほど前の話だ。

当時、松下はビデオをGEにOEM(相手先ブランドによる生産)供給をしていた関係で谷井はほぼ毎月GEを訪れていた。その会合のなかでのウェルチの懇願。工場の買い取りも谷井から断わられ、ウェルチは万策が尽きていた。

「あのウェルチからのプロポーズ」。感激で一瞬胸が詰まった。でも米国には松下の拠点もある。気を取り直して谷井はウェルチからの申し出を丁重に断った。

その谷井からの返事を聞いてウェルチはこう切り返した。「米国で生まれたテレビは今や日本にやられた。そのうち韓国や中国に日本もやられるぞ」。ウェルチの脅しともつかない「警告」に谷井は「うちは負けない」と返してその場を去った。

 

 

40年前から「脱家電」

当時、松下はソニーとのビデオの規格争い「VHSvsベータ」に勝利し、85年度のビデオの売上高は松下全社(単独ベース)の23%を占める大ヒットとなり、松下の業績も最高潮に達した。

しかし、その爆発的な売れ行きから早くも89年3月時点には日本でのビデオの普及率は63・7%と成熟の域に達し、新たな事業の柱が求められていた。

 

谷井はのちに自分を社長に引きあげる先代の山下俊彦の指示で「家電メーカー」から「総合エレクトロニクスメーカー」への転換を掲げた経営計画「ACTION-61」の策定にも携わっていた。

脱・家電を進めるためにハードだけでは足りない。そのなかで谷井は「ハードとソフトの融合で新たな商品を世に送り出す」ことを最大の目標に掲げた。長くテレビやビデオの開発者としてならしてきた谷井にとっても「ソフトによってハードも鍛えられる」との思いもあった。

 

 

その実行部隊として社長になった谷井は89年に「AVソフト室」を立ち上げた。その中心となったのは日本ビクターに17年間出向したのち経理担当の副社長に返り咲いた平田雅彦だ。

「『日本ビクターみたいな会社を作りたい』というのが盛田(昭夫)の口癖だった」と、ソニー元社長の安藤国威は振り返る。

 

VHS勝利の立役者でもあり、豊富な歌手やタレントを抱えていた日本ビクター。「ハードとソフトの融合をなし遂げた見本だった」(安藤)。松下に復帰した平田の動きにソニーは身構えた。

「ハードとソフトの融合」。業界共通の課題に対し、ソニーは松下に先んじて答えを見いだしていた。盛田の後を継いだ大賀典雄はまだ売れていたアナログ式レコード(LP盤レコード)からいち早くコンパクトディクス(CD)に転換、デファクト(世界標準)を握った。その成功には米CBSとの合弁設立で得た豊富な音楽ソフトの存在があった。

 

「CDでは先を越された。しかし、映像分野ではまだデファクトは確立されていない」。DVDの規格争いも控え、日本ビクターの再建に辣腕を振るった平田は米ハリウッドを中心に血眼になって「獲物」を探し求めた。

しかし、ここでも先に動いたのはソニーだった。米コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントを買収することを発表したのだ。AVソフト室を立ち上げたばかりの平田らは焦った。コロンビアがソニーと組んだことで、買収可能とされた大手映画会社は米パラマウントとMCAの2社だけとなった。

 

ソフトバンク・孫氏やアスキーの西氏が接近

先を越された格好になった松下は、巨匠スピルバーグ率いるユニバーサル映画や音楽、テーマパーク、出版部門を傘下にもつエンターテインメント大手のMCAに間髪入れずに照準を定めた。

ソニーが買収したコロンビアよりもリッチコンテンツを持つ「名門」で、「ハリウッドの象徴的な存在」であるMCAを「松下がコントロールできるのか」(谷井)との不安もよぎったが、豊富な資金力にものを言わせ、当時の日本企業としては過去最高となる7900億円で買収した。ソニーのコロンビア買収の翌年の90年のことだ。

 

「E.T.」や「バック・トゥー・ザ・フューチャー」「インディ・ジョーンズ」などの大ヒット作を連発するMCAと組んだ松下の次の一手を誰もが注目した。

「ビデオ・オン・デマンドみたいな事業を一緒にできないか」。ビデオの規格争いで勝利に沸いた松下には、当時まだ30歳代だったソフトバンクの孫正義が生産・技術担当役員の村瀬通三のところに共同事業を持ちかけていた。

 

日本でパソコンの黎明(れいめい)期に活躍したアスキー創業者の西和彦も「ゲームなどなにか一緒にできないか」と村瀬の部隊を訪れていた。彼らもMCAを次の事業にどう生かすのか、遠巻きに松下の動きをみていた。

のちのユニバーサルスタジオ・ジャパンとなるテーマパークの共同運営など多くのプロジェクトがMCAとの間で立ち上がった。MCA買収を機に湧き上がる様々なプロジェクトを目の当たりにして、若手社員を中心に「家電の松下が変わる」と、社内でも「新しい松下」の誕生に期待が集まった。

 

 

遠のくハードとソフトの融合

数ある共同プロジェクトのなかで、当時最も「松下らしくない」意外性をもってみられたのが「ゲーム」事業だ。MCAの映画キャラクターなどを使ってゲームソフトを制作、得意のハードとセットで売り込む戦略だ。

「あの頃が一番わくわくして仕事をしていた」。のちに中村邦夫―大坪文雄体制での経営企画担当部長となる藤田英樹はこう振り返る。当時、駐在していた米国でソフト会社や販売店などに通い、ソフトの調達や販路の開拓にのめり込んだ。

 

 

のちにテレビ局などと組んで国内で初めて双方向のBS放送番組などを手掛けた小柴恵一も希望する部署に移籍できる「社内ドラフト=オープンチャレンジ」制度を使って半導体部門からゲーム部隊に移った。

「MCAの買収もあって会社内の花形部署のようなイメージもあった。集まったメンバーも、自分たちが将来のパナソニックの新しい形をここで作るんだ、と言ったような熱い思いを持つものも多かった」と振り返る。

 

そこで生まれたのが「3DOリアル」だ。MCAを通じて知った米大手ゲームソフト会社エレクトロニック・アーツ(EA)傘下の3DOと提携して開発したゲーム機だ。「ソニーを越す」。発売日はソニーの「プレイステーション」より1年早い93年に設定、最大市場の米国から発売することを決めた。

ビデオの規格争いでソニーに勝った「勝利の方程式」を踏襲し、陣営作りも急いだ。米AT&Tや三洋電機などと「3DOファミリー」を組んで同じ規格のゲーム機を発売した。ソフト開発にはEAやクリスタル・ダイナミック社など米国のソフト会社35社が名を連ねた。

 

ゲーム機はソニーのプレイステーションと同じCD-ROM(コンパクトディスクを使った読み出し専用メモリー)プレーヤーで、32ビットのMPU(超小型演算処理装置)を搭載、登場するキャラクターを3次元で映し出すことができる。

ゲーム業界の王者・任天堂の「スーパーファミコン」のカートリッジ方式と一線を画したモデルだった。

 

対話形式でゲーム以外にも教育や出版、エンターテインメントなど多くの機能をもった「マルチメディア」機器として、ゲーム専用機として売り出すソニーやセガ・エンタープライゼスとの差別化も狙った。

「ソニーなどがゲームで仕掛けてくるのはわかっていた。でもその前にあっと言わせるゲーム機を発売してソニーの鼻を明かしてやる」。藤田は寝食を忘れて北米を渡り歩き、3DOリアルが切り開く「新しい松下」の誕生に心躍らせていた。

 

 

全てを持っていた松下

1980年に国内電機業界で初めて売上高で2兆円を突破した松下。当時「松下銀行」と呼ばれる強固な財務基盤を持ち、世界の主要な複数の債券市場で同時に債券を発行するグローバル債を民間企業として世界で初めて起債し、10億ドルもの資金を調達できる信用力もあった。その一部をMCAの買収やゲーム開発にあてた。

さらに、谷井が山下から継いだ「ACTION-61」で掲げた脱・家電依存への取り組みの成果も出てきた。半導体事業では88年に他社に先駆けて16メガビットのDRAMの開発に成功し売り上げを伸ばしたほか、FAの分野では自社工場から生まれ内外のメーカーに外販した電子部品自動挿入機「パナサート」の生産累計が同年に1万台に達した。主要顧客にモトローラやゼロックス、GEなどを抱え、収益の柱に育ちつつあった。

 

半導体やFA、OA(情報通信)、ニューAVといった重点4事業の売上高はアクション―61の実施前の82年は6.7%に過ぎなかったが、最終年の86年には15.7%にまで高まっていた。

テレビやVTR、さらには半導体からFAといったハードの領域に加え、日本ビクターやテイチクといった音楽ソフトも抱え、全てを持っていた松下。音楽の領域でも「とてもじゃないが天下のビクターと後発のソニーではまともに戦えば討ち死にするだけ」(ソニーミュージックの丸山茂雄)というほどの巨大な存在だった。

 

巨額詐欺で参謀去る

しかし、絶対王者として君臨し、豊富な資金力で脱家電の取り組みを進めていた谷井のもとに不幸な事件がおこる。

91年に発覚した大阪・ミナミの料亭「恵川」の経営者で「女相場師」としてもてはやされていた尾上縫による巨額詐欺事件だ。

 

グループのナショナルリースが十分な担保を取らずに約800億円を不正に融資し、そのほとんどが焦げ付いた。

この責任をとってMCAとの交渉の中心だった平田が降格処分を受けた。「参謀」の営業担当副社長の佐久間曻二もリース部門を管掌していたため、会社を追われた。

「四天王」と業界で言われていた谷井を支える4人の副社長のうち、2人を欠いた谷井の社内でも求心力はいや応なしに低下した。

 


家電の象徴的な事業としてMCA買収に踏み切ったが成果を出せなかった(写真は谷井昭雄元社長)

 

 

さらに、翌年には松下製の冷蔵庫で大規模なリコールが発生。対応が遅れたこともあり、世間から激しい非難を受けた。

バブル崩壊による業績悪化も重なり、谷井は93年に森下洋一に社長のバトンを譲る。

 

主流のAV部門ではなく、傍流の企業向けの製品を売る「特機部門」に長くいた森下は谷井の路線と決別し、松下再生のために「事業の選択と集中」に取り組んだ。そして、その俎上(そじょう)にMCAがあがる。

社長就任当初の93年には森下も松下トップとして初めてMCAを訪れ、連携強化のために「MCA室」を設置し、そのトップに副社長の村瀬を置いた。村瀬はMCAとは映画並みの高品位の画像作りを担うハイビジョン・テレシネセンターを設立、多数のデッキを並べて画質を落とさずにテープを高速ダビングできるような技術開発にも乗り出した。

 


MCAとの共同プロジェクトに取り組んだ村瀬通三・松下電器産業元副社長

 

「ダビングしたテープをオンデマンドで配給する。そうすれば現金収入がどんどん入ってくる」(村瀬)。ネット配信の普及で広がった今の継続課金(リカーリング)の原型となるビジネスモデルの実現を目指した。

 

 

MCAに翻弄

しかし、MCAは米三大ネットワークの一つであるCBSや英ヴァージンレコードの買収を計画するなど事業拡大に走り始めた。

ホワイトハウスにもパイプがある会長のワッサーマンや、スピルバーグを見いだした社長のシャインバーグらはしたたかだった。

 

何を提案しても反応がない松下に対し、2人はスピルバーグが新たな映画会社「ドリームワークスSKG」を新たに立ち上げる際に優先交渉権を与えると提案した。

しかし、それを松下が渋ると、ワッサーマンらは「MCAを離れる」と迫った。「二人がいないMCAはもはやMCAではない」。村瀬らは慰留に骨を折った。

 

メーカーである松下とエンターテインメント業界に身を置くMCAとの路線の違いが鮮明になるなかで、「松下を財布代わりに使おうとしている」(元副社長の村山敦)との不信の声が社内であがりはじめた。

そして森下はMCAを訪れた翌年の94年には早くも売却に傾きはじめた。

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ハードを強くするためにもソフトを充実させないといけない」。MCAとの関係維持になお食い下がる村瀬は大阪市長の西尾正也にユニバーサル・スタジオの建設を提案した。

「おもしろい。場所も資金も出す」と西尾も乗り気だった。しかし、松下本社からは「『極力関与しないように』とのお達しがきて、結局何もできず悔しい思いをした」と村瀬は振り返る。

 


下電器の「3DOリアル」開発などに取り組んだ小柴恵一氏

 

そもそもMCAと組んで何をするかは、買収してから詰めるという戦略上の粗さもあった。

3DOに関してはソフトが不足していたのに加え、ハードもプレイステーションより高かった。買収したもののMCAのもつ映像などソフト資産を松下が自由に使える版権契約もあやふやだった。

 

「通常のゲームビジネスはハードを超安価でばらまいて、コンテンツのロイヤルティーで回収するのだが、松下の役割は3DOの技術ライセンスを買いハードを製造することに限られ、コンテンツのロイヤルティーは3DOに入ってしまう構造だった」(小柴)。ハードを値下げしたが、松下に入る収益はあがらなかった。

MCAは利益を上げていたがのれん代など償却負担がきつく、バブル崩壊で傷んだ松下の財務にボディーブローのようにきいてきた。佐久間は「当初から経理担当の平田が主導し、営業や開発担当の私や村瀬は蚊帳の外だった。事業面のシナジーよりそこそこ利回りが取れるいい金融商品だったという感覚で買い取ったのではないか」と指摘する。

 

 

5年で株大半を譲渡

結局、買収から5年後の95年にカナダの飲料大手シーグラムに80%のMCA株を譲渡。その後、細々と提携を続けることになる。

最後は「MCAの作品をCDやDVDなどに焼き付ける際の費用を松下がMCAから徴収するプレス代で収支をやり繰りするまで両社の関係は薄まっていた」(小柴)。

 

当初、谷井らが掲げた「ハードとソフトの融合」は文字通り「版を押す」形だけとなり、松下の変身にはつながらなかった。

MCAと決別した森下はその売却資金の一部を使って、米国のブラウン管工場の増強やドイツにあったノキアのブラウン管工場を買い取るなど、テレビに回帰していった。

 

それがのちのプラズマテレビへの集中投資につながることになる。対照的にノキアはブラウン管工場売却で松下から得た資金などを元手に携帯電話事業へシフトしていった。

「ハードとソフトの融合」は遠のき、またテレビにもどってしまった松下。テレビ事業の先行きに対するGE・ウェルチの警告は松下には届かなかった。

 

=敬称略

(藤本秀文)

技術革新や消費者ニーズの変化に企業はどう対応したか。その決断の背景とその後の経営の軌跡を「勝負の分かれ目」として、電機業界に焦点をあてて連載します。

 

 
 
 
日経記事 202402.01より引用
 
 

 

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トランプ氏、日鉄買収「絶対阻止」 米政府審査に影響

2024-02-01 15:48:44 | 米大統領選2024


      31日、首都ワシントンで記者団に話をするトランプ前大統領=AP

 

【ワシントン=飛田臨太郎】

米国のトランプ前大統領は31日、日本製鉄による米鉄鋼大手USスチール買収を巡り「私なら瞬時に阻止する。絶対にだ」と発言した。

11月の米大統領選で共和党候補のトップを走る前大統領が反対の立場を表明したことで、バイデン政権の認可審査にも影響を与える。

 

ワシントンで全米トラック運転手組合の幹部と面会後、記者団に語った。「USスチールは日本に買収されようとしている。ひどい話だ」と強調した。「雇用を国内に取り戻したい」と加えた。

前大統領が明確な立場を明らかにしたのは初めて。20日に言及した際は「(米国は)かつての偉大な企業であるUSスチールを日本に売却したばかりの国だ」と触れるにとどめていた。

 

バイデン大統領は安全保障上の観点から買収を認めるか審査する意向を表明している。省庁横断組織の対米外国投資委員会(CFIUS)が精査する。

全米鉄鋼労働組合(USW)は買収に反対している。USスチールが工場を置く中西部ミシガン州や東部ペンシルベニア州は大統領選の激戦州で、勝敗の命運を左右する。労働者の支持取り込みを巡り、再選を目指すバイデン氏と前大統領は競り合う。

 

元CFIUS高官のステファン・ハイフェッツ氏は前大統領が発言する前の段階で、バイデン政権が買収の許可を大統領選後まで先送りする可能性を指摘していた。バイデン氏にとって大統領選前に認可を公表しづらい環境に一段となりつつある。

16年の大統領選では激戦州の製造業労働者の票が前大統領に流れた結果、民主党候補が敗れた。バイデン氏はこれを教訓に「史上最も組合寄りの大統領」と訴え米国第一の経済政策を打ち出してきた。

 

CFIUSは海外からの買収や投資の案件を調べる組織だ。米国の土地や技術を外国企業が所有した場合、米国の競争力低下や情報流出があると判断すれば拒否する権限を持つ。一般的には審査は3〜6カ月で終わる。

 

今村卓のアバター
今村卓丸紅 執行役員 経済研究所長
 
分析・考察

トランプ氏の経済、通商に関する考えが1980年代のまま、ほとんどアップデートされていないことがこれでよく分かると思います。現実には日本企業が米国に多額の直接投資をして米国の雇用と付加価値の創出に多大な貢献をして、日米連結経営となっている企業も多いのですが。 とはいえ、トランプ氏のような考えは同氏とその周辺、もはや経済界では極めて少数派となった通商ナショナリストと一部労組などに限られています。日本の政府と企業は積極的かつ実直に、日本企業の投資が米国の雇用の維持と拡大にどれだけ大きく貢献しているかを米国の政権、民主共和両党、州政府、幅広い利害関係者に実績を示して訴え続けるしかないと思います。

 

 

日経記事 2024.02.01より引用


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これって、USスチール側からも尾賭けてきた話じゃないの? もし日鉄側がむりやりTOBを仕掛けているなら最初からUSスチールは断っているでしょう。

USスチールは、共和党のバックにいるモルガン財閥の企業ですね。モルガン財閥は第一次大戦でFRBを使ってぼろ儲けし、GE、GM、ATT、USスチール、カーネギー、NY鉄道を所有していて影のアメリカ政府(DS)と言われた財閥。

ロスチャイルドのメリカ代理店で、かつ投資銀行の世界Bg2は、ユダヤ系ゴールドマンサックスとWASPのモルガンスタンレーです。

 

DS陰謀論の本丸FRB(アメリカ中央銀行)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/03850120fdf1a985028bc6de7d98f4bf