日本に眠る古代のミステリー!謎に包まれたオーパーツ5選!
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最近、ウクライナ問題で、ポピュリズムに染まった阿呆共が、ウクライナ支援をやめるとかトランプはじめ言いだし、それにつられて日本でもお馬鹿なポピュリストたちが信じてネットで拡散しまわっています。
ポピュリストとは、自分の頭で考えるだけの知識・能力がなく、人の言ったことを真に受け、人と同じ事を言い、他人と同じであることに安心するお馬鹿たちの事です。
中国・ロシアがが露骨に企てている日本侵略をどう考えているのでしょうか? ベトナム戦争で負けるわけがない世界最強のアメリカ軍を撤退させた共和党のニクソン政権とその背後にいる親中露のロックフェラー財閥。
そしてまるでロシアや中国の共産主義勢力は自分たちが勝利したかのようなプロパガンダを世界にPRし、日本でも左翼勢力が台頭しました。
共和党・ロックフェラーらを愛国保守と信じる阿呆な日本人がいることにも驚きです。
ちなみに、世界の最貧国の一つであった中国に巨額の新援助、技術援助、一つの中国を認め、近ンtのようにアメリカの覇権を脅かす存在に下のh、共和党とそのバックにいるロックフェラー財閥です。
1972年に共和党のニクソン大統領が訪中し北京で毛沢東と首脳会談を行い、上記援助を約束したのが起点で、お馬鹿は知らないかもしれませんが世界常識です。
ウクライナで米軍の支援が途絶えロシア・中国が勝利することにもなれば、中露の考えていることは次は台湾・日本の沖縄・九州の侵略です。 ロシアも北方領土だけでなく、北海道も狙ってくるでしょう。
今回からアメリカを正しく認識するというテーマで、アメリカの歴史・移民問題・金融・関係するヨーロッパの思想・哲学などについて正しい情報や考察を提供していきたいと思います。
アメリカ大陸に最初に渡ったのは約1万年前の我々日本人の祖先の縄文人です。そしてインカ帝国やアメリカの文明国家を建設したのも、縄文人であり、DNAでも明らかになっています。
1942年、カトリックの盟主スペイン(国王は実はカール5世:ハプスブルグ家)のコロンブスが1492年に清大陸(アメリカ)を発見したとヨーロッパ・アメリカの歴史では教えられ、第二次大戦で敗北した日本も、教科書でもそう教えられています。
アメリカはスペインの植民地でした。
1558年、イギリス国教会派(プロテスタントの一種)は、カトリック勢力の介入を排除して、エリザベス一世を擁してスペインに対抗し、スペインの植民地であったヨーロッパの宗教戦争(カトリックvsプロテスタント)で、勝利したプロテスタントはヨーロッパ・アメリカを支配するハプスブルグの神聖ローマ帝国は分解し、
オランダでもスペイン統治に反逆する独立運動が起き、ヨーロッパに様々な小国が出来、独立を果たしました(ウェスト・ファリア条約)。
ここにヨーロッパ最大の羊毛・毛織物輸出国イギリスと北ヨーロッパの海運を一手に担っていたオランダとのプロテスタント同盟が形成され、1588年、イギリス海軍はドーバー海峡でスペインの無敵艦隊を破りました。
以後、新世界(アメリカ)では約2世紀半、スペイン・ポルトガルに、イギリス・オランダ・フランスの熾烈なアメリカ植民地争奪戦が展開されました。
この戦争を生き抜いた北米大陸のイギリス人は、他のヨーロッパ列強の植民地者と著しく異なる性格を持っていました。 他の植民地者達は、カリブ海諸島の場合を除けば、原住民に対して残虐な殺戮・略奪を繰り返したにも関わらず、最終的には原住民を社会に生存させ、その上に君臨して利潤を追求する道を選びました。
イギリス人は大量の農民を送り込み、インディアン(我々の祖先である縄文人の子孫)を徹底的に排除し、そこに定住定住ヨーロッパ社会を再現しようとしました。
その結果、アメリカ合衆国の建国者とその後継者たちは、黒人の奴隷文化はさておいて、現住インディアン文化と自らの文化との融合・浸透の可能性を閉ざしました。
こうして、ヨーロッパとアメリカ合衆国は、それぞれ別個の世界を形成したのではなく、一つの白人文明として発展することになりました。
ドイツの19世紀前半、フランス人貴族アレクシス・ド・トクヴィルがアメリカ民主主義の中にヨーロッパの未来の予兆を探ったのは当然でありました。
20世紀初頭、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが近代資本主義の精神の体現者として、イギリス人ではなくアメリカ独立革命の指導者ベンジャミン・フランクリンを例示したことも決して奇異な事ではありません。
トクヴィルにとってもウェーバーにとっても、アメリカ合衆国は西欧文明を引き継ぐ子供(嫡子)だったのです。
女王陛下の植民運動とヴァージニアの建設
イギリスの北米大陸植民地建設の最初の試みは、エリザベス一世統治下の1570年代にアイルランド征服植民地活動の延長線上に企画されました。
その担い手はイングランド西部の教養あるジェントリーの次男・三男たちでした。 彼女の寵臣として有名なウォルター・ローリーも、この計画に参画した中心人物の一人です。
彼らは、アジアへの新航路の発見・開発、新大陸(アメリカ)およびその海域におけるスペインとの武力抗争のための拠点の確立、スペインより購入していたアメリカ特産物の直接確保、イギリス製品のための市場と過剰人口の捌け口として、この事業を構想していました。
しかし政府が全面的に支援した訳ではなく、女王が若干の資金援助と個人的祝福を与えたに過ぎなかったし、国民的支持を受けたわけでもありませんでした。
しかも、降り悪くイギリスがスペインとの全面戦争状態に入ったため、今日のノースカロライナ沖にあるロアノーク島に百人を超える人々を送り込みながら、支援物資の調達が遅れ、救援隊が到着した時には、人々の姿は見えず、その消息は途絶えてしまいました。
アメリカよりもアイルランド植民に興味のあったロ-リーは、1589年、この事業に見切りを付けて、その権利をロンドンの裕福な商人たちに譲渡しました。
子の商人団の指導者サー・トーマス・スミスこそ次の世紀に入って、北米大陸最初の恒久的定住地建設の発起人となる人物です。
ローリーたちの冒険事業は失敗に終わったとはいえ、新大陸に女王にちなんだヴァージニアという地名を残しました。
1617年の旅行書には、アイルランドのことを「この有名なヴァージニア海の島」という言い方すら現れました。 イギリス人はエリザベス時代以降の植民運動の結果、大西洋を自分たちの海と考えていたのです。
1603年、ジェームズ一世が即位し、翌年スペインとの平和が回復すると、新大陸植民の機運が急速に高まります。
1606年、ロンドン・ヴァージニア会社という植民地建設会社が国王の許可を得て設立され、同年
12月、三隻の船で114人の第一陣が送り出されました。 小型船による大量人員の真冬の大洋横断は困難を伴いました。
しかし、遂に翌年4月、途中の航路を生き延びた105人がチェサピーク湾に到着し、ジェームズ川を30マイル遡った地点に、北米大陸最初の供給的植民地ジェームズタウンが建設されました。
この会社の株主には多くの貴族が参加しており、その中には32人の伯爵ないし、その相続予定者、4人の伯爵夫人、三人の子爵、19人の男爵がいました。
歴史家エドモンド・S・モーガンによれば、ジェームズタウンの定住者名簿に出てくる多くのジェントルマンとかキャプテンとか呼ばれている人々は、株主貴族の銃者達であり、その他の者は、その従者たちの家来や浮浪者や移動労働者だったようです。
彼らにとってこの植民地計画は、一種の軍事冒険事業でありました。
なぜポーランドは親日国なのか?歴史からわかりやすく解説
https://www.youtube.com/watch?v=TKRZLUpJnZQ
(関連情報)
・不死鳥(フェニックス)国家 ポーランドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/32d682924adeabf90955c381d176de88
・【2020年10月12日配信 #15】欧州一の親日国!ポーランド特集第1弾!https://www.youtube.com/watch?v=zmMe2_6vuu8
・ポーランド・シベリア孤児来日100周年によせて
https://www.youtube.com/watch?v=82RtbrvNcwQ