【レンブラントの生涯】自画像を見れば波瀾万丈の人生が分かる!?絶頂期からの急な転落人生とは?
ニューアムステルダム(ニューヨーク市立博物館所蔵)
アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-8 ポカホンタスと『感謝祭』https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fa0a5e88bc1bb0170bb78896508c7c2f
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ニューアムステルダム 人口450人の世界市民都市
アメリカ社会の特質をその民族的多元性に求めるならば、『中部植民地』の歴史はまさしくアメリカ的社会の歴史です。
伝説によれば、『ノルマン人』すなわち『ヴァイキング』がすでに中世の時代にこの地まで遠征していたと言います。
また、16世紀初頭、『ヘンリー7世』の時代に、ブリストルを出帆したイギリス商人とポルトガル人の一団が、『ニューファウンドランド』から南下して、おそらくこの地域まで到達していたであろうとも言われています。
『史実』として確認できる『最初のヨーロッパ人』は、『フィレンツェ』の『ジョヴァンニ・ダ・ヴェラザーノ』です。
彼は1524年4月、『フランス王・フランソワ一世』の家臣として、『ドフィヌ号』でニューヨーク湾の奥深くまで入ってきています。
しかし、『フランス』はこの地には定住地を建設せずに『カナダ』に向かい、17世紀以降、ニューファウンドランドからセントローレンス川を遡って『五大湖地域』に進出しました。
彼らの移住人口は少なく、『鉄砲やワイン』と交換に、『インディアン』からの『毛皮』を獲得しました。
その際、彼らは進んで『インディアン女性』と結婚し、『インディアンとの同盟関係』を強め、その数的劣勢にもかかわらず、『北米大陸の支配権』をめぐってイギリスと長い間互角に抗争することなります。
中部大西洋岸における最初の植民地建設のきっかけとなったのは、1609年9月、『オランダ東インド会社』の命を受けた英国人『ヘンリー・ハドソン』の『ハーフ・ムーン号』のニューヨーク湾来航であります。
オランダ最盛期の画家『レンブラント』が生れた3年後、『オランダ船リーフデ号』の九州の豊後漂着の9年後のことです。
当時オランダは、人口と国土という点では小国でしたが、『全世界の商業・金融』の中心となり、間もなく東南アジアのほとんど全域から『ポルトガル勢を駆逐』し、『鎖国日本との貿易も独占』しようとしていました。
ハドソンの目的も東洋にありました。 彼はハドソン川を今日の『オルバーニ』のあたりまで遡りましたが、東洋への水路は発見できず、翌年毛皮を積んで帰国しました。
1621年に新たに設立された『オランダ西インド会社』は、1624年に大半が『プロテスタント系ワロン人』(フランス語を話すベルギー人)からなる約30家族をオルバニーに定住させました。
翌年、会社は『マンハッタン島南部』に『要塞を建設』し、ハドソン川とデラウェア川の流域におけるインディアンとの『毛皮交易拠点』への航行の安全の確保につとめました。
ついでに、『この島』を『インディアン』から『24ドル相当』の商品で購入しました。 これが『ニューアムステルダム』建設の『由来』です。
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しかし、イギリスと比べて国内体制が安定し、商業的に隆盛にあった『オランダ』は、農業植民よりも『貿易活動』に専念しました。
とくに西インド会社にとって、この植民地よりアマゾン流域、西アフリカ、西インドにおける企業活動の方が重要でした。
『』ニューアムステルダム』の1646年の『人口』もわずか450人で、1664年になっても約1500人に過ぎませんでした。
にもかかわらず、インディアン諸部族に対し『残忍な態度』で接したため、『厳しい反撃』にあって『疲弊』しました。
他方、周辺地域にはイギリス人植民者が着実に進出してきて、ついに英蘭(イギリス・オランダ)戦争中の1644年、『イギリス』に『征服』され『ニューヨーク』植民地となりました。
しかし、オランダ人はこの植民地に、その独特の社会的文化的伝統を存続させました。 早くも17世紀半ばのニューアムステルダムの町には、オランダ人。ワロン人、フランス人、イギリス人、ポルトガル人、スウェーデン人、フィンランド人、ユダヤ人、奴隷としてブラジルに送り込まれた黒人などが住み、18の異なる言語が語られ、カトリックから再洗礼派いたる様々な信仰の人々が集まり、彼らの多くは『商業利潤の追求』に『専念』していました。
今日の『ニューヨーク市』の『コスモポリタニズム』の『伝統』は『オランダ人』が『確立』させたのです。
また、豊かなアムステルダムの宝石商『キリアン・ヴァン・レンセラー』が、内陸のハドソン川の両岸に広大な所領、いわゆる「パトルーンシップ」を建設しました。
『レンセラー家』をはじめ、この地域の『大土地所有者』たちは、独立後19世紀に入って、白人男子普通選挙制度が確立した後まで、『小作農民』たちを『政治的社会的』に『支配』し、小作農民たちの地代反対闘争の対象となりました。
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なぜ宇宙は今のような物質ばかりの姿になったのか。この謎を解こうと、高エネルギー加速器研究機構(KEK)などは物質の構成などに関わる「素粒子」のわずかな変化を観測する大規模実験に挑む。
宇宙物理学の新たな理論につながるようなノーベル賞級の成果が出るかもしれない。
私たちの身の回りにある物質はすべて素粒子からできている。だが約138億年前に起きた大爆発「ビッグバン」で宇宙が誕生したときを振り返ると、今の姿には不思議がある。
素粒子の一部には重さなどは全く同じだが、電気的に反対の性質を持つ「粒子」「反粒子」がペアとして存在する。
宇宙誕生時には粒子と反粒子が同数存在していたはずが、現在の宇宙には反粒子はなく粒子しかない。粒子と反粒子は出合うと消滅する性質なのに、なぜか反粒子だけ消えた。
このアンバランスは物理学の大きな謎となっている。「CP対称性の破れ」と呼ばれる粒子と反粒子の性質の違いがあるためと考えられている。
素粒子には様々な種類があり、その一種の「クオーク」ではCP対称性の破れが起きることは明らかになっている。
08年にノーベル物理学を受賞した小林誠・益川敏英博士が提唱した理論が解明への道筋を示した。だがこれだけでは宇宙から反粒子がなくなった理由は説明できない。
そこで注目されているのが、別の素粒子のニュートリノだ。ニュートリノやその反粒子である「反ニュートリノ」は飛ぶ間に一定の割合で状態が変わる「ニュートリノ振動」という現象を起こす。
「電子」「ミュー」「タウ」という3種類の状態があり、その変化の違いからCP対称性の破れを確認できる可能性がある。
その証明に挑むのが「T2K実験」だ。
世界14カ国の研究者約570人が参加する国際プロジェクトで、ニュートリノと反ニュートリノの振る舞いの違いからCP対称性の破れを調べる。
茨城県のKEKの施設からそれぞれをほぼ光速で飛ばし、約300キロメートル離れた岐阜県の神岡鉱山にある施設「スーパーカミオカンデ」で観測する。
T2K実験は09年に始まった。
20年までの観測結果では、90%以上の確率でCP対称性の破れが起きていると報告した。ただ完全な証明にはデータ量が足りない。そこで21年から茨城県の設備を増強し、放つニュートリノなどの量を約1.5倍に増やした。
KEKの中平武教授は「改良までに集めたデータの2〜3倍を26年度までに取得できる。ニュートリノでのCP対称性の破れの有無に迫れるだろう」と話す。
観測装置も強化する。スーパーカミオカンデと同じ鉱山内に設置が進む次世代の観測施設「ハイパーカミオカンデ」を使う。
測定する範囲が広く、ニュートリノをより多く検出できる。27年度稼働予定で、30年代にはCP対称性の破れの詳細な検証ができる見通しだ。
宇宙から反粒子が消えた謎に挑む研究は他にもある。
米フェルミ国立加速器研究所を中心とする国際研究チームは「NOvA実験」を進めている。フェルミ研で作ったニュートリノを飛ばし、約800キロメートル離れた観測装置で調べる。
T2K実験よりも距離が長くなることで、CP対称性の破れだけでなくニュートリノの質量の影響も見えやすくなるという。
中平教授は「T2K実験と観測方法や得意分野が異なる。互いに協力しながらニュートリノの謎を明らかにしていきたい」と話す。24年にも現時点での測定結果を発表するとみられている。
フェルミ研などによる「DUNE実験」という取り組みもある。
さらに長い1300キロメートルを飛ばす計画で、20年代後半の稼働を目指し、施設の建設が進む。
こうした実験の観測結果を積み重ねることで、ニュートリノの性質の解明に迫ろうとしている。
ニュートリノと反ニュートリノの振る舞いの違いが大きければ、CP対称性の破れのメカニズムを解く手掛かりになると期待されている。
未知の物理現象や素粒子が関係する可能性もある。宇宙の成り立ちをより適切に説明できる新たな理論の足がかりになるだろう。(福井健人)
カミオカンデ
96年から2代目となるスーパーカミオカンデが稼働した。
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日経記事 2024.02.17より引用