米大統領選までまだ数カ月もある。だがトランプ前大統領はすでに米国の外交政策に深刻な悪影響を及ぼしている。米議会共和党は前大統領の意向を受けウクライナへの追加軍事支援を阻止している。
米上院は近くウクライナ支援を盛り込んだ法案に合意する可能性はあるが、下院共和党は断固拒否の姿勢を崩していない。
そのためウクライナへの軍事支援予算が今後数カ月、あるいは今年中でさえ議会を通過する可能性はますます低くなっている。
この断固譲らない姿勢は、悲惨な事態をもたらす可能性がある。ウクライナはすでに弾薬、特に砲弾の不足に苦しんでいる。こうした状況は今年さらに深刻になり、一段と危機的な結果を招くだろう。
弾薬不足で作戦も立てられないウクライナ
ウクライナの前線を頻繁に訪れている英王立防衛安全保障研究所(RUSI)のジャック・ワトリング氏は、現地の今の状況を「極めて深刻」だと語る。
弾薬不足はすでにウクライナ人死傷者の増加につながっている。新たな供給物資がいつ到着するか見通せないため、ウクライナ軍は今後の作戦を立てることが不可能になっている。
兵器の不足は、兵役に志願するウクライナ人の意欲にも影響を与えている。ウクライナ政府への重圧は、同国のゼレンスキー大統領と軍トップのザルジニー総司令官との間で表面化している確執の一因となっている。
ウクライナにとって明るいニュースの一つは、欧州連合(EU)が1日の臨時首脳会議でウクライナ政府への500億ユーロ(約8兆円)に上る新たな資金支援で合意したことだ。
ドイツのショルツ首相と他の4人のEU加盟国首脳は、英フィナンシャル・タイムズ(FT)に送った共同書簡の中で欧州からの軍事支援も増やすよう呼びかけた。
しかし、欧州の軍需物資の生産体制は、米国から供給されずに不足する分を埋めるだけの準備がまだできていない。その体制が整うのは早くても2025年になるとみられるため、ウクライナは今年後半、極めて危険な事態に陥る可能性がある。
自分に有利ならウクライナ敗北さえ歓迎の前大統領
ワトリング氏は、軍需品不足がもたらす影響は「最初はゆっくりと感じられるものの、やがて急に痛感するようになる」と考えている。同氏は「影響が明白になった時点では、時すでに遅しという状況に直面していることになる」と警告する。
それでも前大統領も、彼を支持する共和党議員らも気にする様子はない。前大統領が今年11月の大統領選でバイデン氏を破る可能性を少しでも高められるのであれば、彼らはロシアが勝利するリスクを負う覚悟があるようだ。
ウクライナへの追加支援を渋る共和党議員の一部を突き動かしているのは、この戦争を米国が本当に支援すべきなのかという純粋な懐疑心だ
。だが共和党がなかなか動かない最大の理由は、大統領選を控え、バイデン氏の「勝利」に見えるような材料はかけらも与えたくないという前大統領の強い思いだ。
共和党は昨年、ウクライナへの軍事支援を米国の国境警備強化のための新たな措置や資金と一体化するよう要求し、民主党はこれに同意した。
民主党が国境警備強化策と組み合わせる要求をのんだにもかかわらず、前大統領と共和党議員らはウクライナへの追加支援を拒否している。
前大統領は明らかにバイデン氏を米南部の国境警備問題から、アフガニスタン撤退、ウクライナ戦争に至るまで常に混乱と失敗を重ねてきた大統領と位置づけることで選挙戦を勝ち抜きたいと考えている。
自分がホワイトハウスの主に返り咲くために、ウクライナの自由と欧州の安全保障が犠牲になったとしても、前大統領はそれは支払う価値のある代償だとみなしているようだ。
前大統領は、ウクライナの敗北さえ歓迎する可能性がある。
それが大統領選に間に合うタイミングで起こり、バイデン政権の弱点や失敗の結果だと得意の強い非難を展開できるとなれば歓迎するだろう。
もちろん前大統領だけではこうしたことは何もできなかった。議会の共和党議員らの協力があってこそだ。
大統領選の共和党予備選でこれまで前大統領が勝利を重ねてきていることが、すでに前大統領との対立に弱腰な大多数の共和党議員に一層、前大統領に従順になる必要性を痛感させている。
そのため前大統領がどんなウクライナ追加支援も議会を通過させるなと要求し続ければ、下院共和党議員らはほぼ間違いなくその要求に応じるだろう。
米国の世界におけるリーダーシップについて真剣に考えている米政府関係者らは当然、愕然(がくぜん)としている。
上院情報委員会のマーク・ワーナー委員長(民主党)は1月、X(旧ツイッター)に「ウクライナに対する我々の約束を守らなければ、米国の友好国も敵対国も、米国を再び全面的に信頼する国は一つもなくなるだろう」と投稿した。
米中央情報局(CIA)のバーンズ長官も1月、米国が今ウクライナを見捨てることは「歴史的な」過ちになると述べた。
ベトナムやアフガニスタンでの戦争とは異なり、ウクライナでは米軍は戦闘に加わらず犠牲を出していないだけに、米国の決断はなおさら理解しがたいものになるだろう。
ロシアのプーチン大統領にしてみれば自身の幸運を信じられないはずだ。ただ、それはある意味、運ではなくプーチン氏のロシアに対する長期的な投資の見返りだ。
賭けに報われるかもしれないプーチン氏
前大統領は、ロシア政府が16年の米大統領選で自身を当選させるために介入したという疑惑を「捏造(ねつぞう)のロシア疑惑」と表現する。
だが同年の大統領選挙期間中に、ロシア政府が米民主党の内部メールをハッキングして公開するなど、その干渉が前大統領に有利になるよう意図されたものだったと示す証拠は山ほどある。
プーチン氏は前大統領の信じがたい自尊心の高さを満足させるためなら、今でもどんな機会も利用する。ロシアの学校の教科書は、20年の米大統領選は「盗まれた」という前大統領のお気に入りの陰謀説を事実かのように記載している。
プーチン氏は前大統領に長期的な賭けをしたわけだ。米議会が土壇場で方針転換をしない限り、同氏の賭けはウクライナが極めて劣勢になるという形でついに報われることになるかもしれない。
By Gideon Rachman
(2024年2月5日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)
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日経記事 2024.02.09より引用