Risa’s 音楽雑記

ピアニスト 山形リサのブログです。
音楽の話を中心に、日常の出来事などを気ままに綴っています。

日本人として

2011-03-15 11:47:08 | Weblog
悲しく痛ましく辛い出来事が起こってしまいました。

私は北海道出身ですが、東北には親戚、友人、知人が多くいます。

私自身も子供のころは福島県いわき市に住んでいました。

惨状を想うだけで胸が苦しく、心配は尽きず、ただただラジオとテレビにかじりついて過ごしています。

私は東京に住んでいますが、私のところは家がつぶれるかと思うくらい激しく揺れました。

TVや電話も台から転げ落ちましたし、本や食器などもめちゃくちゃになりました。

あまりに激しい揺れ方に、船酔いのようになってしまいました。

道路を挟んで隣のお宅は、古いお家ですが、壁にひびが入り、余震のたびにそれが増えています。

さらにその奥のお宅のブロック塀は一部崩れ、残りはかろうじて斜めの状態となっていて、指で触っただけでグラグラ揺れているので、また地震があった時には崩れ落ちると思われます。

同じ東京でも、ほとんど揺れなかったところ、天井や壁が崩れたところ、家具がめちゃくちゃになったところなど、それぞれです。


1000年に一度の大地震、スマトラ沖地震に次ぐ大地震、、、など、いろいろ言われていますが、私はその稀有な地震を両方経験していることになりました。

タイでの地震の時には、ダイビングクルーズをしていて海上にいました。
かたや波に流され行方不明、怪我、死亡、崩壊という大パニックの中、自分はほとんどその被害を受けることなく難を逃れ、一番ラッキーな流れにのって避難、脱出ができました。
でもその時一緒だった日本人の中でも、脱出がかなわず山の中で数日を過ごした方、助からなかった方、命からがら助かった方、、、など、様々でした。

同じ時に同じ場所にいてもこういう事が起きるのです。

どうにもならない大きな力、流れ、運命というものがあるということ、

その前では人間は無力であると同時に、

個人の小さな積み重ねが生みだす力、助かる命があることも知っています。


スマトラ地震では、早々にバンコクに避難できたので、こんなに大きな余震がこんな頻度で続くなんてなかったし、原発の問題もなかった。


もしかすると、今後、自分が救助される側の人間になるのかもしれませんが、今、現時点において、自分は無傷で、健康で、動ける身体と経験を持っています。



日本のために、日本人のために、必要な時にすぐに動ける人員として、絶対に健康でいること。

日本人の誇りを持って過ごすこと。



この二つを胸に刻んで過ごしています。


タイの地震の時には、津波の直後に、貧しい国の人(国籍を持たない人も含めて)たちが、こぞってリゾートホテルや商店などに金目の物を狙って泥棒に入っていました。

人命救助、脱出、復興に向け、国籍問わずに多くの人々が協力している中、片側にあった現実です。


不安をあおっているわけではなく、

騒ぎを大きくしているわけではなく、

「いざ」という時には何もできないからこそ、自分にできることを考えたい。


落ち着いて生活することと、何も考えずに生活することでは訳が違います。


1回目の地震があったあと、町内会の方と思われる男性たちが、すぐに近所のお年寄りの住んでいる家を訪れ、家具の片づけなどをされていました。

私も、外に出て、ご近所の方たちといろいろ情報交換をしました。

とても心強かったです。


日本人として、こういう時こそ最後まで絶対に頑張りたい。