Risa’s 音楽雑記

ピアニスト 山形リサのブログです。
音楽の話を中心に、日常の出来事などを気ままに綴っています。

Proses lyriques 叙情的散文

2022-07-19 14:51:00 | Weblog
1892年〜93年 ドビュッシー作詞・作曲の歌曲集「叙情的散文」。

ついにここまで来たか〜の気合いの入る一曲(夢、砂浜、花、夕べの4曲で構成)です。

ここまで来た…は、ドビュッシーにも自分にもかけております。

ドビュッシーの歌曲全曲制覇を目標にしていますが、3分の2はいったかな、というところ。
先生には一曲につき3回やってナンボと言われているので、そういう意味では人気の有名どころはなんとかクリア。
残るところはもうちょっとマニアックな曲ばかりで、歌い手さんも選ぶゾーン。
私としては、大好きなヴェルレーヌさんの詩による「ヴェルレーヌの3つの歌曲」、ピエールルイスの詩による「ビリティスの唄」、マラルメの詩による「マラルメの3つの詩」を早めに勉強したい。

さて、この叙情的散文。
まさにザ・ドビュッシーといった作品です。
憧れの曲だったので、やっと到達できたことに感無量!
しかし、本当にドビュッシーの音楽は象徴的だと思う。
微睡む空気、星の煌めき、鐘の音、街のざわめき、人々の喧騒、水の滴り・・・・
「愛情のこもった唇のように身をすり寄せる」なんて、ちょっと「きゃぁ♪」となっちゃいそうな一文にも、ちゃんとそういう音の表現があって、演奏していると、恥ずかしいどころか、陶酔しちゃうくらい気持ちがいいのだから、さすがドビュッシー!!と思うのである。

ここで考えるのが、詩が先か、曲が先か、それとも同時かという問題。

私は、同時説に一票。

なぜか・・・と言うと、どうやっても全てがドビュッシーそのものだから。
普通は、何かしら曲の中に、違和感とまではいかないけれど、詩人と作曲家の距離感が感じられる箇所がある。
この曲に関しては、もし詩が先にあるとしたら「ちょっとベタすぎないか?」と思う表現があったり、詩が先でも後でも関係ないような圧倒的に音楽がこうなるべきという方向性を持っていたりする。
作曲に困ると、詩を改編したり、カットしたりするのはよくあることだけど、自分で詩を書く分にはそれも必要がない。
やっぱりドビュッシーは「歌曲」という形式で自分の音楽を書いてみた!という感じなんじゃないのかなぁと思うのである。
真の音楽家による芸術的衝動・・みたいな?




ターナーの水彩画


今回、叙情的散文をご一緒するのはソプラノ 石井揚子さん。

フォーレから始めて、何曲ご一緒してきたのかな・・
阿吽の呼吸がとれているので、こんな大曲がやってきても心配なく演奏できるのがとっても楽しい!
そしてこの曲、めちゃめちゃ石井さんに合ってるんですよね。
4曲で22分超え。
なかなか全曲通して演奏する場所がないかもしれないけれど、これはいつか舞台に上げたいなぁと思う作品です。