こんばんは。
あっという間に夏になってしまいますね!またまたご無沙汰しております・・・
この絵文字も懐かしい・・・もう10年もブログをやってきているので、長いおつきあいになります。
毎日来た球を打ち返しているうちに、半年がたってしまいました
1月に試験を受け、国家資格が取れ、仕事に就きました。
その後、インフルエンザが猛威をふるった冬をやり過ごしたのに、4月に入ってまた父が体調を崩し入院。
ついに急性憎悪を起こしてしまい、父の肺の状態はもう在宅で過ごせるギリギリの状態になりました。
そして今は自宅で訪問看護や往診を受けています。
今度、急性増悪になればきっと父は最期なんだろうなと思います。
ただ、薬の副作用で食欲が増進し、父はいまだかつてないほど真ん丸な顔になっています。
今までこんなに丸い顔になった父を見るのは初めて。いいのか悪いのか・・・あまり具合が悪いように見えないのですがね
何をするにも息切れがひどくなってしまい、食事を摂る、トイレに行くのもやっと、入浴は週一回できるかどうか、という状態。
先日もまた微熱が出てきて、これが続いて受診を拒否していると悪化して入院、というパターンなので用心していたのですが、熱が下がりほっとしました
息苦しい以外は普通に過ごせるのですが、いつ悪化してしまうか。
父とのお別れの日が、近づいているんだろうなと感じます。
しかし、「病院に行こう」と言っても「いい」、「看護師さんに来てもらおう」と言っても「いい、大丈夫」。
そうしているうちに悪化→入院とか、最悪の事態に。
今回も、入れ歯にヒビが入っているのを見て「これ直さないと。歯医者さんに往診してもらおう」と思い、訪問看護のナースさんに相談したら「いい、いい」と断る。
かねてから入れ歯をすぐ外してしまうので、外出してから「あ、入れ歯忘れた」ってことが多々ある父。
原因は「入れ歯を入れると痛いから」。じゃあ入れ歯もメンテナンスをしてもらわないといけないし、口腔ケアは自分で食べるために必須。
だからいろいろ調べて、父が外出するのはとても大変なので往診してもらえる歯医者さんをケアマネさんにお願いしているのに。
「いい、大丈夫」
判断能力がある人は、本人の意思を尊重する。それが基本。家族がいくら言ってもダメ。
だからその話も立ち消えになってしまった。
父の口癖は「いい、いい」「大丈夫」「なんとかなる」。
母がよく言ってたことが分かった。
今まで「何とか」してきたのは母だった。
よく母は「お父さんは嫌なことはとにかく見ない、聴かない、逃げ続ける。卑怯だ。みんなにいい顔してる」と言ってた。
母が亡くなった今、よく分かった。
そして今、「何とか」するのはわたしなのだ。
あーあ。
耳が痛いことを言うと声を荒げて黙らせる。「じゃあ好きにすればいい」「もうその話はいいって」。
丸投げで、嫌なことは聴かない、考えない。
でもわたしは娘なので。
そして、入れ歯がついに割れてしまった
だから言ったのに。前もって備えていたのに。
でもね、また父が「じゃあ好きにすればいい」と怒鳴るので、言いました。
ちゃんと判断能力がある人の意思は尊重されるので、家族が勝手には出来ない。
わたしが「好きにする」ことは出来ない。
「だからお父さんが決めて」
父に選択肢と、それを選ぶメリットとデメリットを説明した。
歯医者に行くのか、往診してもらうのか。
入れ歯は何かでくっつけて使うのか、それとも使わないか。
使うなら金具がゆがんだりする可能性があること。
使わないならお粥など歯茎で食べられるものを食べるのか。
ひとつひとつ、論理的に説明して、選んで答えてもらいました。
父の選択は「入れ歯はそのまま使う。往診をケアマネに依頼する。」
・・・今まで、すべて先回りしてやってあげてた。
好きな食べ物を買い、食べさせ、「いい」と言われればその通りにして、悪化すれば病院に連絡して、仕事を休んで病院に連れて行く。
入院したら姉と交代で毎日新聞を持ってお見舞いに通う。
退院前に介護用ベッドを入れ、業者を選定し、契約し、段取りつけて備える。
便秘がちの父のために毎朝野菜とバナナのジュースをミキサーで作り、白湯を飲ませ、ヨーグルトを食べさせ、乳酸菌入り飲料を飲ませる。
トイレに行ったあとの父は、状態が悪い時は布団をかけるのも出来ないくらいだから、父が夜3回トイレに起きる時は起きて布団を掛ける。夜様子を見に行く。
父はいつしか、「いただきます」も言わない様になった。
何か不都合があればわたしが調べて手配して。介護ベッド入れて手すりつけて、何不自由ないように退院を迎えた。
そして父の良いようにしようとしてもうるさそうに「いい」と言われて。
父の「いい」「何とかなる」に何も理由がないんだな、と最近分かった。
根拠のない拒否。身体がつらいから、面倒くさいからというのはあるだろう。
でも、わたしの提案に、根拠や調査があるなんて、思いもしないんだろうな。
それで結局やってみて「やって良かったな」という結果になるのだ。
その繰り返し。
最近分かったのだけど、わたしは「同じことを繰り返してる」っていうのが本当に嫌いなのだ。改善しない人が本当に無理。
元夫もそうだったんだけど、改善しないで何年も同じことをやって我慢だけをしているっていうのが、我慢ならない。
だからここ数週間、いらいらしっぱなしだった。
愚痴を言って姉にキレられ、「出ていけ、私がお父さんを見るから」とまで言われたりした。
でもね、実際毎日毎日、父のお世話をして健康管理をしているのはわたしです。
体温と血圧を測って、整容させて、食事を摂らせ、身の回りのことをする。
他の人には出来ないのです。だって、家庭があるから。
わたしは家事・介護・娘の世話、仕事をしている。
姉たちは手伝いはしてくれる。
でも、キーパーソンはわたしなのです。
これって、育児と同じじゃない?って思った。
パパやそれぞれの親やシッターさん、手伝ってくれる人はいる。
でも、結局、ママなんだ。
それと同じ。
いろいろ言えるよね、外野は。育児でもそう。「もっと愛情持って優しくしてあげたら?」
でもやっているのはわたしだ。毎日毎日、いつ終わるとも分からない介護をしているのは。
わたしは、わたしの負担も減らしたいから、訪問看護も調べて来てもらってるし介護用品もレンタルしてる。
でも「もう来てもらわなくていいんじゃない」と軽く言う。
ツィッターで流れてきたのだけど「自分で費用も負担するからシッターを頼みたい」と言った奥さんに対して「おれ、他人が入ってくるのいやだな」かなんか言って却下されたっていう漫画。
そういう感じですね。
利用者の生活の質を上げるためでもあるけれど、家族の負担を減らすこと。
知らない人には分からないかもしれないけど。
今、ちょっと買い物に行ってもゆっくりなんて出来ない。
いつも慌ただしい。自分の時間も取れない。
「あれ?前もこんなことやってたなあ」
と今日も思ったけど、「ああ、娘が小さい時だ!」って思い出した。
人に預けててもずっと気になってる、あの感じ。
・・・ほんと、育児と介護は似ている。
でも子どもは大きくなって、今実際娘はわたしを助けてくれる。
親は逆なのだ。出来ないことが増えていく。
これはつらいことだ。
医師からは「2.3年ももたない」と言われている父。
でも父は「肺移植とか出来ないのかな」などと口にすることがある。びっくりする。
「もういつ死んでもいいんだ」などと言い続けて、味の濃いものを好み、薄味の料理にしょうゆをぶっかけるのを止めない父。
父の人生の最期に生活を共にして、本当にいろいろなことを見せてもらっている。
ひとって、変わらないんだなあ、と。
そして、父の生き方は、高度成長期の日本のサラリーマンにはぴったりと合っていたのだなあ、と。
今、わたしは子どもがまだ手がかかる年齢で、自分も40代半ばになり、親の介護も重なってしまった。
20代で子どもを産む、ということは、親もまだ若いし、理に適っているんだろうな、と思う。
今30代のお母さんと、私とでは体力が違うしかし痩せることはない
育児と介護が重なるという事態になってしまっている。
しかも、仕事もキャリアを断絶させないためにしていかないといけない。もちろん生活もある。
きついです、正直
さーてどこまで持つかな・・・。
しかし、元夫もそうだったけど、自分が怒鳴りつけた相手が作ったご飯を、よく平気で食べられるものだな、と思います。
「ごちそう様」も言わず、わたしはまた父の汚れた入れ歯を洗う毎日です。
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