本を読んでいておもしろい部分にさしかかりました。
ずっと以前、『ラ抜き言葉』は言葉の乱れだと言われていました。
ターゲットはいつも若者たち。
若者が使う言葉は乱れている・・・とかなんとか。
若者以外の我々も相当・見事に乱れているが、そこは棚上げ状態です。
でも
乱れではなく
これはまっとうな「変化」であるとおおむね決着したそうだ。
昔から、「ラ抜き言葉」は使われていたそうですよ。
見られるーーーーー→「受け身・自発・尊敬」 などの時に使う
来られるーーーーー→「受け身・自発・尊敬」 などの時に使う
で、「可能」の時は?
見れるーーーーー→「可能」 の時に使う
来れるーーーーー→「可能」 の時に使う
*「ラ抜き言葉」は可能の意味を表わす形を他の意味の形から
区別しようとする言語変化の表れである
なんて、ややこしいことが今読んでいる本に載っていました。
『日本語とコミュニケーション』の文中から抜粋しました。
あぁ~ややこしい!