あちこち散歩みち

近畿圏内を小さくあちこち歩き・たまに寺社めぐり・日々のとりとめない暮らしなどを書いています

ラ抜き言葉

2017年07月09日 | 

本を読んでいておもしろい部分にさしかかりました。

ずっと以前、『ラ抜き言葉』は言葉の乱れだと言われていました。

 

ターゲットはいつも若者たち。

若者が使う言葉は乱れている・・・とかなんとか。

若者以外の我々も相当・見事に乱れているが、そこは棚上げ状態です。

 

でも

乱れではなく

これはまっとうな「変化」であるとおおむね決着したそうだ。

 

 

昔から、「ラ抜き言葉」は使われていたそうですよ。

 

 

見られるーーーーー→「受け身・自発・尊敬」  などの時に使う

来られるーーーーー→「受け身・自発・尊敬」  などの時に使う

 

で、「可能」の時は?

見れるーーーーー→「可能」  の時に使う

来れるーーーーー→「可能」  の時に使う

 

   *「ラ抜き言葉」は可能の意味を表わす形を他の意味の形から

     区別しようとする言語変化の表れである

 

なんて、ややこしいことが今読んでいる本に載っていました。

『日本語とコミュニケーション』の文中から抜粋しました。

あぁ~ややこしい!

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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