せっかく読書の秋に突入したというのに、先月はわずかに
2冊しか当ブログに投稿できませんでした。
読書していなかったのかというとそんなことはなく、まあ
個人的な問題ですけど、毎朝4時半に起きてまして、そう
するともう午後の6時から7時くらいにはファーファーと
あくびを連発、それから犬の散歩行って犬と猫にエサあげ
て風呂入って寝る、というルーティンでして、さて本を読
もうにも、寝しなに数ページ読めるかどうか。
そんなことはさておき。『敦煌』です。今さらといいます
か。読んでませんでした。「なにが敦煌だよ、お前なんか
(豚公)じゃねえか)」という罵りが聞こえてきそうな。
NHKの「シルクロード」を見ていた方ですと、長安を出
て黄河を渡って、西に行けば楼蘭、北に行けばトルファン
で、そこの分岐点にあたるといえば「ああ」と分かります
よね。当時の交通の要衝ですね。
ちなみにトルファンから天山北路と南路に別れますね。
紀元前の前漢時代にはすでに西方防御の拠点として、さら
に物流の拠点としても栄えていたそうです。それから唐、
吐蕃、宋、西夏、モンゴルと支配が変わって、交易路が
もっと南に移ったということでゴーストタウンになります。
それから何百年かのち、西暦1900年のはじめに道教の
士の王円籙(おうえんろく)という人が石窟群の穴の中に
大量の巻物があることを発見します。が、当時の清の時代、
県の役所に届け出をしたのですが「まあ適当に保管しとけ」
という返事だったそうです。
1907年、イラン・インド研究者のスタインというイギ
リスの探検家がこの地にやって来て、王さんがぶったまげ
るほどの金額で買い取らせてくださいとお願いします。
しかし王さん、さすがに全部売ってしまうとあとで役所の
取り調べがあったときに面倒と思ったのか、スタインには
このときは3分の1ほどをあげたそうですが、その数なん
と6千巻。今度はペリオというフランス人がやって来ます
が、また3分の1ほどを売ります。
その噂を聞いたロシアや日本の研究者たちもこの地を訪れて
巻物を買ったそうです。これらの仏教美術、仏典、古文書は
「敦煌文献」と呼ばれるようになり、世界中の研究者たちの
間で話題になります。
そこでようやく海外流出を知った当時の北京の政府は現地に
行って残りの巻物を北京に持ち帰ります。
さて、物語はそんな「敦煌文献」の発見からおよそ900年
も前の宋の時代、趙行徳という青年が科挙の試験を受けるた
めに田舎から当時の都、開封へとやって来るところからはじ
まります。この高等文官試験「科挙」に合格したら「進士」
と呼ばれるようになるのですが、この試験に受かるのは中国
全土から集まるエリート中のエリート。この試験の難しさは
浅田次郎さんの「蒼穹の昴」の冒頭にありますね。
ところが行徳、試験の最中に居眠りをしてしまい不合格。
街をさまよい歩いていると人だかりがあり、見てみるとなん
と女性の人身売買。「よし、買う」と思わず叫ぶ行徳。
しかし行徳はこの女性をどうにかしようというわけではなく、
もう自由だからどこへでも行くがよいといいます。
すると女性は「ただお金を出してもらうのはいやだからこれ
をあげる」と1枚の布を差し出します。
そこには行徳が見たことのない文字が書かれています。
聞けばこの布はイルガイという西夏の都に入る通行証のよう
なもの。
さて、宿に帰った行徳はさっきの布をよく見てみますがそこ
に書かれている文字の意味は全く理解できません。
そこで勃然とわいてきた、まだ見ぬ西方の新興国、西夏への
興味。
西夏に入った行徳は、なにがどうなったのが捕えられ、漢人
である朱王礼の率いる武隊に入れさせられます。朱王礼に、
自分がなぜ西夏に来たのかを説明すると、のちのち役に立つ
と思ったのか、西夏文字を習得するために興慶府に行くこと
を許されます。
ウイグル族との戦の最中、行徳は甘州の城に入ると、そこに
は女性が。王族の血を引く娘のようで、彼女を城内の安全な
場所に匿います。しかし行徳は勉強のために行かなければな
らなく、朱王礼には女性のことを話します。
数年後、勉強を終えて朱王礼のもとへ戻った行徳はあの女性
がいないことを聞くとなんと「あの娘は死んだ」というでは
ありませんか。
それからなんだかんだあって、朱王礼は西夏の反乱軍となり
ます。瓜州が攻め落とされ、戦いの舞台は沙州(敦煌)へと
移るのですが・・・
このあたりで行徳は重要人物に出会います。尉遅光という、
没落王朝の末裔で、彼は今、ラクダにまたがり隊商を組んで
貿易をしています。ときには他の隊商を襲って商品を略奪し
たり、まあ海賊ならぬ「砂賊」ですね。
そんな尉遅光ですが、敦煌がいよいよ西夏軍によって滅ぼさ
れる前に石窟群に大量の文献を埋めて隠し、それが数百年後
に発掘され、東洋史のみならず世界文化史上さまざまな分野
の研究におおいに役立つことになる「敦煌文献」の存在にひ
と役買っているのがとても面白いです。
タイトルこそ『敦煌』ですが、沙州つまり敦煌が物語のメイ
ンの舞台として出てくるのは文中ではけっこう後半。
文庫で250ページとそんなに長くはありませんが読み終わ
るまでに時間がかかってしまいましたが、久しぶりに「ああ
良質な本を読んだなあ」と心がうるおいに満ちてゆくような、
そんな時間でした。
2冊しか当ブログに投稿できませんでした。
読書していなかったのかというとそんなことはなく、まあ
個人的な問題ですけど、毎朝4時半に起きてまして、そう
するともう午後の6時から7時くらいにはファーファーと
あくびを連発、それから犬の散歩行って犬と猫にエサあげ
て風呂入って寝る、というルーティンでして、さて本を読
もうにも、寝しなに数ページ読めるかどうか。
そんなことはさておき。『敦煌』です。今さらといいます
か。読んでませんでした。「なにが敦煌だよ、お前なんか
(豚公)じゃねえか)」という罵りが聞こえてきそうな。
NHKの「シルクロード」を見ていた方ですと、長安を出
て黄河を渡って、西に行けば楼蘭、北に行けばトルファン
で、そこの分岐点にあたるといえば「ああ」と分かります
よね。当時の交通の要衝ですね。
ちなみにトルファンから天山北路と南路に別れますね。
紀元前の前漢時代にはすでに西方防御の拠点として、さら
に物流の拠点としても栄えていたそうです。それから唐、
吐蕃、宋、西夏、モンゴルと支配が変わって、交易路が
もっと南に移ったということでゴーストタウンになります。
それから何百年かのち、西暦1900年のはじめに道教の
士の王円籙(おうえんろく)という人が石窟群の穴の中に
大量の巻物があることを発見します。が、当時の清の時代、
県の役所に届け出をしたのですが「まあ適当に保管しとけ」
という返事だったそうです。
1907年、イラン・インド研究者のスタインというイギ
リスの探検家がこの地にやって来て、王さんがぶったまげ
るほどの金額で買い取らせてくださいとお願いします。
しかし王さん、さすがに全部売ってしまうとあとで役所の
取り調べがあったときに面倒と思ったのか、スタインには
このときは3分の1ほどをあげたそうですが、その数なん
と6千巻。今度はペリオというフランス人がやって来ます
が、また3分の1ほどを売ります。
その噂を聞いたロシアや日本の研究者たちもこの地を訪れて
巻物を買ったそうです。これらの仏教美術、仏典、古文書は
「敦煌文献」と呼ばれるようになり、世界中の研究者たちの
間で話題になります。
そこでようやく海外流出を知った当時の北京の政府は現地に
行って残りの巻物を北京に持ち帰ります。
さて、物語はそんな「敦煌文献」の発見からおよそ900年
も前の宋の時代、趙行徳という青年が科挙の試験を受けるた
めに田舎から当時の都、開封へとやって来るところからはじ
まります。この高等文官試験「科挙」に合格したら「進士」
と呼ばれるようになるのですが、この試験に受かるのは中国
全土から集まるエリート中のエリート。この試験の難しさは
浅田次郎さんの「蒼穹の昴」の冒頭にありますね。
ところが行徳、試験の最中に居眠りをしてしまい不合格。
街をさまよい歩いていると人だかりがあり、見てみるとなん
と女性の人身売買。「よし、買う」と思わず叫ぶ行徳。
しかし行徳はこの女性をどうにかしようというわけではなく、
もう自由だからどこへでも行くがよいといいます。
すると女性は「ただお金を出してもらうのはいやだからこれ
をあげる」と1枚の布を差し出します。
そこには行徳が見たことのない文字が書かれています。
聞けばこの布はイルガイという西夏の都に入る通行証のよう
なもの。
さて、宿に帰った行徳はさっきの布をよく見てみますがそこ
に書かれている文字の意味は全く理解できません。
そこで勃然とわいてきた、まだ見ぬ西方の新興国、西夏への
興味。
西夏に入った行徳は、なにがどうなったのが捕えられ、漢人
である朱王礼の率いる武隊に入れさせられます。朱王礼に、
自分がなぜ西夏に来たのかを説明すると、のちのち役に立つ
と思ったのか、西夏文字を習得するために興慶府に行くこと
を許されます。
ウイグル族との戦の最中、行徳は甘州の城に入ると、そこに
は女性が。王族の血を引く娘のようで、彼女を城内の安全な
場所に匿います。しかし行徳は勉強のために行かなければな
らなく、朱王礼には女性のことを話します。
数年後、勉強を終えて朱王礼のもとへ戻った行徳はあの女性
がいないことを聞くとなんと「あの娘は死んだ」というでは
ありませんか。
それからなんだかんだあって、朱王礼は西夏の反乱軍となり
ます。瓜州が攻め落とされ、戦いの舞台は沙州(敦煌)へと
移るのですが・・・
このあたりで行徳は重要人物に出会います。尉遅光という、
没落王朝の末裔で、彼は今、ラクダにまたがり隊商を組んで
貿易をしています。ときには他の隊商を襲って商品を略奪し
たり、まあ海賊ならぬ「砂賊」ですね。
そんな尉遅光ですが、敦煌がいよいよ西夏軍によって滅ぼさ
れる前に石窟群に大量の文献を埋めて隠し、それが数百年後
に発掘され、東洋史のみならず世界文化史上さまざまな分野
の研究におおいに役立つことになる「敦煌文献」の存在にひ
と役買っているのがとても面白いです。
タイトルこそ『敦煌』ですが、沙州つまり敦煌が物語のメイ
ンの舞台として出てくるのは文中ではけっこう後半。
文庫で250ページとそんなに長くはありませんが読み終わ
るまでに時間がかかってしまいましたが、久しぶりに「ああ
良質な本を読んだなあ」と心がうるおいに満ちてゆくような、
そんな時間でした。
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