晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

佐伯泰英『吉原裏同心(二十一)遺文』

2021-10-06 | 日本人作家 さ
秋といえばですが、サンマの漁獲量が年々減少傾向にあって、大衆魚じゃなくなりつつありますね。一説には中国や台湾による乱獲なんて話もありますが、そもそも中国や台湾ではサンマを食べるという習慣が無かったそうで、日本企業が進出したときに日本人駐在員が「あーサンマ食いてー」といって冷凍で取り寄せて日本人向けスーパーで売り始めたんですね。で、現地の人を家に呼んだりして「日本では秋にこの魚を食べるんだよ」といって振舞ったら「こんなうまい魚がこの世にあったのか」ということで噂が広まって今では大人気なんだそうですね。まあサンマが取れなくなったのは乱獲なのか環境の変化なのか特定はできてませんけど、もし乱獲だとしたらこれこそ「自分らで蒔いた種」ですね。

以上、グローバル化による弊害。

「未決」「髪結」と完結せずにとうとう三巻目に突入。「吉原裏同心」シリーズは全二十五巻なので、まさかこのまま二十五巻まで引っ張るなんてことにはならないでしょうか。

今までたびたび吉原は乗っ取られそうになってきましたが、四郎兵衛会所と神守幹次郎で危機を防いできたのですが、今度の「敵」は手ごわく、黒幕の正体を知った四郎兵衛は、今回ばかりは手も足も出せない、といった様子。といって手をこまねいているわけにもいきません。前作で傷を負った四郎兵衛は、回復して吉原に戻ると思いきや、幹次郎といっしょに鎌倉へ。

「いざ鎌倉」ならぬ「なぜ鎌倉」という話ですが、吉原の歴史が関わってきます。そもそも吉原は江戸初期、現在の中央区北部、日本橋人形町の辺りにありまして、それが明暦の大火で丸焼けになって浅草寺裏、日本堤に移転します。ですから移転して以降の吉原を「新吉原」と表記するのはこういうわけ。で、どうやら移転に関する吉原側と幕府側との間に書付があったそうで、なんとその条文には「移転して百年のち、新吉原は川向こう(隅田川の東側)に移転せよ」というのがあり、これが幕府側の「ある人物」にとっては吉原乗っ取りに使えるということで、彼らは躍起になって探しています。ですが、四郎兵衛はこの書付のありかを遠い昔に聞いていたのです。

鎌倉に着いて、四郎兵衛は目的地に用事があり、幹次郎は鎌倉の「切通し」を歩いていると怪しい人物とすれ違います。そしていきなり斬りかかったきて・・・

書付は、これを知る人物が不在で、鎌倉に戻ってくるまでしばらくあります。そうこうしているうちに続々と刺客たちが襲いかかって・・・

「未決」から続いてきたこの話は、これで「解決」となります。ですが、「日に千両」という巨大利権を放っておくはずがなく、あと残すところ四巻、どうなるんでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 髙田郁 『あきない世傳金と... | トップ | 髙田郁 『あきない世傳金と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本人作家 さ」カテゴリの最新記事