路地猫~rojineko~

路地で出会った猫と人。気付かなければ出会う事のない風景がある。カメラで紡いだ、小さな小さな物語。

長崎の魚石

2009-10-01 | ★ほんの日常


長崎にはこんな昔話がある。



昔、支那の人をまだ唐人と謂っていた頃、
長崎の伊勢屋という家で、懇意にしている唐人があった。
それがもう国へ還るという前にこの家へ一度遊びに来て、
土蔵の石垣に積んであった小さな一つの青石を、立ったり腰掛けたりして
いつまでも眺めておったが、「あの石を是非私に譲って下さい」と、
熱心に主人に所望する。

「私の方では不用の物だから譲ることは何でもないが、
 この石一つ抜けば石垣が崩れるかも知れず、
 後の造作が甚だ面倒だから、この次渡って来られる時迄に
 普請の序があろうから、必ずのけて置いて進上いたしましょう」

と答えると、

「石垣を積みなおすのに金がかかるならば、
 この石の代として百両の金を出します。
 私は今度また来るかどうかも知れないから、
 是非とも今買い受けて還りたい」

と唐人が言った。

伊勢屋の主人の久左衛門は百両の声を聞いて、
この石の貴いものだということに心づき、
少しばかり慾心を起こして、
却って即座に手放すことを惜しみ、
なんだのかだのと断りの口上を設けて、
しまいには三百両まで出そうと唐人が言うのに、
どうしても売ることを承知しなかった。

それから愈々唐人の船が出てしまってから、
わざわざその青石を掘り出して見た。
そうして玉磨きの職人を呼んで鑑定させたが、
いかさま普通の石ではないようだというばかりで
少しずつ磨かせ見ても光も出ず、
別に是ぞと変わったこともなかった。
あまり不思議なので「たがね」を入れさせて見たところが、
ちょうど真ん中から二つに割れて中から水が出て来て
その水と共に、金魚のような赤い小鮒が二匹
飛び出して直ぐに死んでしまった。

これは誠に惜しいことをした。
三百両の金を取り損なったと言っていると、
次の年にはその同じ唐人が、今度は千両の金を持って
青石を買いに又遣って来た。伊勢屋は残念でたまらぬので、
詳しく様子を話すと、唐人も涙を流して悲しんだ。

あの石は私たちも名を聞いているだけで、
他ではまだ一度も出くわしたこともない
「魚石」というこの世の宝であった。あれを気永に周りから
磨り上げて、水から一分というところまでで留めると、
水の光が中から透き通って、二つの金魚のその間に遊びまわる姿は
又とこの世にない美しさであって、それを朝夕に見ていると
自然に心を養い、命を延べる徳があると伝えられ、王侯貴人は
如何なる価を払っても手に入れたいと望む品だという。
それを本国へ持ち帰り買い主を見つけ、妻子眷属と共に
一生を安らかに送ろうと思っていたのに、今やその願いも空しくなった。

こういう天下の奇玉の世に隠れ、
又永く伝わらないのも天命であったかも知れない。
私は最初からこの話をして置けば良かったのに、黙って買い取ろうとして
悪かった。今度こそは千両がその三倍になっても、是非とも買う積もりで
この通り用意して来ましたと言って、三千両の金包みを出してみせた。
そうしてすごすごと支那へと帰ってしまったそうだ。

遠い国の商人は思う事を顔に出さず、又どんな場合にでも
値段の掛け引きをする癖があり、
日本の商人は、物を知らずに、只慾ばかり深かった為に
昔は折り折りこんな飛んでもない損をしたそうな。


                  (「日本の昔話」より)





…なんだかこのお話し、何百年も前のお話しにしては
今の商人(企業)もそう変わらない気がします。

外諸国の方々は、秘密主義な上に金の話ばかりする。
特に日本と言う国は、価値を知らずに宝の石を
石垣に使う所が今でもあるから不思議です。



物語と言うのは、いとおかしきモノで
語り継ぐ者にも力(表現力)が必要ですが、
聞き手にも力(理解力)が必要とされるのです。
そして、
色々な解釈があっても良いのが物語。


お後が宜しいようで。。。













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コメント (2)
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