1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋店主が殺された。
容疑者は次々に浮上する中、結局事件は迷宮入りする。
その事件の容疑者の娘と被害者の息子。
二人の周囲に見え隠れする、恐ろしい犯罪の数々。
心を失った人間の悲劇を描く傑作ミステリー長編、
その衝撃的内容から話題となり、ドラマ化や映画化もされ
内容を知っている方も多い作品。
心を失った人間の悲劇…と言えば文学的表現だが、
「幼少期の出来事に寄る人格障害と共依存の関係で起きた悲劇」とも
言い換えることが出来ると思う。
話は小説や映画やドラマだけには止まらない。
世間を脅かした尼崎ドラム缶事件の角田美代子被告や
北九州監禁殺人事件の松永被告も
典型的な人格障害であったと言われている。
所謂、人格障害の中でも反社会性人格障害(サイコパス)と
呼ばれる部類の人格を持つ人達のことで
この反社会性人格障害者が共依存症者とコンビを組んでしまうと
問題人格が互いに助長され、関わった人々に
多大な迷惑をかけることに繋がっていく。
世間を脅かす事件になる程の結末はこのコンビなくしては
起こらなかったかも知れない。
オウム真理教の麻原もまたこの反社会性人格障害と言える。
彼の取り巻きである宗教幹部達もまた共依存の典型的例だろう。
しかし、「類は友を呼ぶ」という言葉通り
この人格障害を持つ人は共依存症者を
引き寄せる力を持っていたりするから厄介だったりする。
何かしらそういう人達は引き寄せあう関係にあるようで
不可思議な事件には結構な割合で
このような人間関係を構築していることが多い。
まさに出会いが産んだ悲劇。
「あの時、あの人に出会っていなければ」という奴である。
人生なんて出会い(運)が全て、と言われればそれまでだが
出会った人に導かれる場所がある。
確かに、出会いで心に大きく化学変化が起こるのも事実。
連日ニュースを賑わせていた「ストーカー殺人事件」にしても
偶然の出会いが引き寄せた悲劇とも言える。
再び同じ事件を繰り返さない為に「ストーカー」の更生の機会を
与えることを訴えるストーカー被害に遭った遺族の意見もある。
しかし、「ストーカー」の更生とはどのようにして行われるのか。
「三つ子の魂百まで」と言うくらいだから
幼少期の経験や犯罪を犯すまでに培ってきた人生には
それなりの理由や原因が存在しているものだ。
それを更生するのならば、人を一人生まれ変わらせるだけの
労力が必要となる気もする。
しかも、それが必ずしも成功するとはいえない。
不幸な世の中だから不健全な人間が増えるのか。
浜の真砂は尽きるとも、人間がいる限り
世の中の犯罪は消えてなくならない…のかも知れない。
よく、会社の人事の話でもあるように
2割が出来る人達で残りの6割が普通組、
そして後の2割が出来ない組となる組織の分布図は
例え外部から出来る人達をヘッドハンティングしてきても
同じ配分になるのと同様で、社会という大きな箱の中で
犯罪に走る者の数は変わらず存在するものなのかも知れない。
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