日曜日は 毎週淡路往復の最終日 四十九日でした。といっても、お墓への納骨まで含めて1時間余りのお務めでした。
土曜日の午後と、日曜日の夕方で、月初めの介護関連書類と健診結果かえしのほかに、いろいろな書類、、
そんな、作業をしながら、なんとなく、考えたのが、
「なんでも相談できる診療所(医師)」と思われているのかなあという意味です。
たぶん、自分の生きる道としては、このように思われる医師になるようにがんばってきたのかなあ
なんでも相談できる医師は、結局なにもできない医師なのかもしれない?
新初期研修制度ができる前から、スーパーローテード研修ができる病院を探して、、
といっても、神戸中央市民病院をうけれるほど勉強してこなかったななとか
でも、大阪での2年間の研修は自分にとっては大きな財産ではあります。
整形外科、小児科、特殊救急科(当時は、「とっきゅう」とよばれた救命救急センターですが)
での1年の経験はなににもかえがたいとは思います。
診療所で、初期研修の地域医療実習をうけいれていた時期もありますが、
今の専門医制度にしても、結局は、初期研修で幅広い技能をみにつけるといっても、
その先にある、気持ちは、キャリアとしての専門分野の何かなんでしょう。
初期研修は一つの踏み台でしかないような、、、
自分の生きる道として貴重な2年間とかんじてるように、
今の専門医にとって、2年間の初期研修はどれほどのものになっているのでしょうか
なんでも相談できる医師 になるために、今のようなスタイルの診療をしているわけではありません。
今のようなスタイルの診療をしていると、「なんでも相談できる診療所」のようにおもってこられる
患者さんがこられるということかな? それは、ひとつの技能ということではなく、
ただの、「誠実さ」だけなのかもしれないなあ
自分の守備範囲を、この「地域」だとおもうことが大事なのかもしれません。
医療生協という地域組織に根差した組織で、患者さんだけの組織ではなく、健康な人もいっしょに活動する組織です。
その人が、まったく初診で、一見さんでも、この地域にすむ人なんですね。
今、この地域がかかえている、健康に関する課題、生きづらさ、
逆に、地域がもっているエネルギー、活力に目をむけ、理解できる医師でありたいと思います。
だから、発熱外来も頑張りました。もちろん、1日にうけいれる限界はあります。
「六甲道にいえばなんとかしてくれる」という無茶ぶりにもなんとかひねくれずに対応します。
在宅診療も可能な限り断らないことにしています。
でも、在宅専門医ではないので、おのずと限界はありますが、
糖尿病はひとつのサブスペシャリティと自負はしていますが、専門医ではありません。
あじさい会も今は消滅しているといっていいでしょう
なんでも相談できる といっても、なんでも背負い込むことではないですね。
なんでも「治療できる」ブラックジャックやDrコトーでもないし、
「私失敗しません」なんてこともいえません。
それでも、ここに、バタバタ診療中に、「相談」にこられます。
ケガして飛び込んできた方に「縫合」処置ができます。でも、これはあかんということもあります。
骨折のギブス固定や関節腔内注射は基本的にしなくなりましたが、例外はありますが、
ほぼ他にふっています。めまいのエプリー法も基本F先生にお願いです。
小児の頭部打撲が結構難問だったりします。N病院は外科でも小児はみてくれません。
さて、これからどう生きるかですが、のこりは少なくなっています。
土曜日の午後と、日曜日の夕方で、月初めの介護関連書類と健診結果かえしのほかに、いろいろな書類、、
そんな、作業をしながら、なんとなく、考えたのが、
「なんでも相談できる診療所(医師)」と思われているのかなあという意味です。
たぶん、自分の生きる道としては、このように思われる医師になるようにがんばってきたのかなあ
なんでも相談できる医師は、結局なにもできない医師なのかもしれない?
新初期研修制度ができる前から、スーパーローテード研修ができる病院を探して、、
といっても、神戸中央市民病院をうけれるほど勉強してこなかったななとか
でも、大阪での2年間の研修は自分にとっては大きな財産ではあります。
整形外科、小児科、特殊救急科(当時は、「とっきゅう」とよばれた救命救急センターですが)
での1年の経験はなににもかえがたいとは思います。
診療所で、初期研修の地域医療実習をうけいれていた時期もありますが、
今の専門医制度にしても、結局は、初期研修で幅広い技能をみにつけるといっても、
その先にある、気持ちは、キャリアとしての専門分野の何かなんでしょう。
初期研修は一つの踏み台でしかないような、、、
自分の生きる道として貴重な2年間とかんじてるように、
今の専門医にとって、2年間の初期研修はどれほどのものになっているのでしょうか
なんでも相談できる医師 になるために、今のようなスタイルの診療をしているわけではありません。
今のようなスタイルの診療をしていると、「なんでも相談できる診療所」のようにおもってこられる
患者さんがこられるということかな? それは、ひとつの技能ということではなく、
ただの、「誠実さ」だけなのかもしれないなあ
自分の守備範囲を、この「地域」だとおもうことが大事なのかもしれません。
医療生協という地域組織に根差した組織で、患者さんだけの組織ではなく、健康な人もいっしょに活動する組織です。
その人が、まったく初診で、一見さんでも、この地域にすむ人なんですね。
今、この地域がかかえている、健康に関する課題、生きづらさ、
逆に、地域がもっているエネルギー、活力に目をむけ、理解できる医師でありたいと思います。
だから、発熱外来も頑張りました。もちろん、1日にうけいれる限界はあります。
「六甲道にいえばなんとかしてくれる」という無茶ぶりにもなんとかひねくれずに対応します。
在宅診療も可能な限り断らないことにしています。
でも、在宅専門医ではないので、おのずと限界はありますが、
糖尿病はひとつのサブスペシャリティと自負はしていますが、専門医ではありません。
あじさい会も今は消滅しているといっていいでしょう
なんでも相談できる といっても、なんでも背負い込むことではないですね。
なんでも「治療できる」ブラックジャックやDrコトーでもないし、
「私失敗しません」なんてこともいえません。
それでも、ここに、バタバタ診療中に、「相談」にこられます。
ケガして飛び込んできた方に「縫合」処置ができます。でも、これはあかんということもあります。
骨折のギブス固定や関節腔内注射は基本的にしなくなりましたが、例外はありますが、
ほぼ他にふっています。めまいのエプリー法も基本F先生にお願いです。
小児の頭部打撲が結構難問だったりします。N病院は外科でも小児はみてくれません。
さて、これからどう生きるかですが、のこりは少なくなっています。