きっと明日は雨のち晴れ

六甲道診療所での仕事は忙しいけど、それなりに楽しい。ちょっとくじけそうなことがあっても、雨のち晴れです

30年以上の薬物依存性頭痛に3日で解消できるとは思えませんが

2023-04-27 20:15:17 | 悩み
30年以上というのははずかしいはなしですが、
六甲道診療所の歴史より長い、薬物依存性頭痛
昔は、サリイタミン なんて、今でいう小林製薬みたいな名づけ薬剤の
鎮痛剤は、まさに毒々しい赤い袋にはいっていました。
なんか、この赤さが効くように思えながら、引き出しに沢山蓄えていたのに
いつぞや、それが発売中止になり、、、なんか、泌尿器系の副作用?発癌性が
問題になったと記憶、、、まあ、これは、将来、の発癌を心配しながらも
やめることなく、後継 のSG顆粒に完全に「依存」してきた30年
さほどに、痛みが強くなくても、飲んでしまうのが依存症
自家診療はあきまへんといいながら、定期処方。

ところが、
昨今の供給不安定な世間
薬局から在庫切れなんて知らせがあり、しかたなく、断薬
ところが、その日ではなく、その翌日から、3夜、通常に昼間はたえていたのですが
寝付きは普通に眠れるのですが、25時ごろになって、頭痛で目が覚めるのです。
後頭部を中心にずきずきという波状痛に悩まされ、横になっていられない
立ち上がって、動き回るとややまし、
これは、やはり下肢に血液を回せばましになるということでしょう
しかし、朝まで悩まされるわけではなく、せいぜい1時間ほどたえれば、
あとはなんとか睡眠とって、次の日の診療には影響なくこなせました。

でも、これが3夜つづくとさすがに、というとで、ネット検索して、
予防薬、呉茱萸湯にたどりつきました。
それの効果であったかわかりませんが、四日目にして、この漢方をのんで
なんとか、夜は起こされずにすみました。

おかげで、この漢方を飲み始めて不安な夕方に、医療生協の四役会議がはいって
いたことをすっかり忘れてしまっていました。すみません。重要な案件があったのに

とりあえず、今日は、離脱7日目です。
6日目の昨日の灘診療所当直は頭痛なく、
今日もきちんと、呉茱萸湯を空腹時に、苦いながらも
のんでいます。

おもえば、この薬剤不足に感謝して、
依存症からの離脱をかなえます。
今日、薬局から、SG顆粒入庫しました、、というお知らせがありましたが、
誘惑にまけずに、、ですね
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あかね色の空をみたよ

2023-04-02 20:46:15 | 日記
昨日、日曜日は、娘の就職で、1人暮らしにアパートに、引っ越し荷物を運んできました。
場所は、阪神競馬場の北にある、住宅街、宝塚医療生協の良元診療所の近くです。駅でいえば 小林(おばやし)です。
エレベータのない、3階のアパートまで、イヴォークにのるくらいの荷物ですから、大したことなく、
段ボール6個分ぐらいでした。ワンルームに毛が生えた程度の新築アパートに荷物おいて、「そいじゃね」とかえってきましたが、

 先日から、なんやら、病気かで休診にしている?もと灘区医師会長の徳井の大林せんせいは、
ここの所長より、3歳ぐらい年上ですが、、、おおばやし先生で
おばやし は、わすれられない思い出の地でした。
  長男が、生まれたのは1986年、、、おはやしで、この映画の上映がったのは2000年でした、、
まあいつだったかまでおぼえていないくらい、暗い闇のなかでした。家のマンションの壁にはたくさんの穴が開いてます、
、今はその穴に、額縁風の飾り棚を埋め込むように創作して、からくりおもちゃなどを飾っています。その後の父の息抜きの時間です、、

当時は 出口のみえない、息子のこもりっきりの毎日、
あのころ、「デコトラ」っていうテレビゲームにあけくれたりはしていました。
うちの子には、なんとなく、学童の影響でしょうか?ずっとゲームを買い与えていませんでした。親の身勝手かもしれませんが、、、
 そんな折に、この映画、だれにすすめられたのかは知らなかったのですが、つれられて、おばやしに、出向きました。
 まあ、すぐに、目の前がひらけたというようなことはないのですが、、
子供自身が苦しんでいるということは、わかってあげないといけないと思うようになった、、ようなきがします。
 中学生のほとんどを学校にいかず、知り合いの天城通の吉田酒店で仕事みたいなことをさせてもらって、
通信制の青雲高校にはいって、なんとか、難関?の落ちては受け落ちては受けの保育専門学校にはいれましたが、
たくさんの入試のなかで、国語のハードルが高かったみたい、、、
 今頃は、不登校と思われる中学高校生がたまに、診療所に体調不良ということでこられますが、
多くは、親が、なにか身体的な異常がないか、そのせいにしたいような気分でこられます。
不登校と認めたくないし、なんとか学校へいかせたいという一心です。
それは昔の自分をみているような気もしますが、でも、この映画を見た時からというか、
この時期から、こうあるべきだということは親がいうことではなくて、
自分でどうしたいかを決めれるようになるまでは、味方になって、まってあげることがすべてだと、
思い知らされたわけで、なんとなく、患者さんとしてきた子の親御さんにもそんな、言い方をしてきました。

なんとなく、さみしい、けど、祝福せんとあかん、末娘の門出でした
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