穴にハマったアリスたち

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東京都知事選と夢原理論

2011年04月13日 | 王様の耳はロバの耳
数日たったので、多少は大丈夫だろうと思いつつ。

東京都知事選の話。
基本的に、「政治」「宗教」「スポーツ」は揉める元なので親しい仲でも絶対に話題にするな、と言われています。
ですので、誰が当選したとかそれがどうだとかは置いておくとして、投票率が気になった。

まず前提として、私が見た範囲のブログ・Twitterのネット世界および知人・友人のリアル世界ともに、「選挙に行く」人ばかりでした。
(もちろん厳密には一人一人に「選挙に行きますか?」と聞いたわけではないですが。職場の定例会議でも「今週は選挙なので行きましょう」と話題に出るくらいには、みんな行く意思があった)
要は、「選挙に行くのが当たり前」であって、明示的に行かない人なんて見かけなかった。

で、実際の投票率ですが。
全体で50%強。更に(昨年と同程度だとすれば)20代30代の投票率は30%40%台。
つまり統計上は、自分と近しい世代は、3人に一人しか選挙に行っていない。

これは凄まじい疑念に駆られます。
「なぜ選挙に行かないんだ?」とか以前に、「その3人に二人の選挙に行かない人は、どこにいるんだ?」という意味で。
繰り返しですが、私の身近なところでは、ネット・リアルのどちらにおいても「選挙に行かない」なんて人はいないんです。みんな、どこにいるの?

恐らくは根本的に生息域が違うので、交わることがないのだろうと思う。
Twitterでいえば、クラスタが違う。
語弊がありまくる表現を使うなら、階層の違いなのでしょう。(どちらが優秀かというわけではなく)
つまり「3人に一人しか投票していない」は誤りで、正しくは「社会の1/3のグループしか投票していない」。
投票する人たちはするが、しないグループは徹底してしない。

これは二つの意味で恐怖です。
第一に、「社会の2/3は、交わることも理解し合うこともできない人たちである」という事実。
一時期は「一億総中流」とも言われた現代日本に住んでいると、「会話することすらできない階層社会」といったようなものは遠くの世界に映ると思う。
ですが、現実にこれは存在してるわけです。(注:どちらが偉いと言うニュアンスはない)
全く違う世界がそこにあるというのは、頭では分かっていても、こうもはっきりと見せられると怯みます。

第二に、彼らをどうこうする手段を、私らは全く持っていないということ。
「選挙に行こう」と呼びかけても、全くの無駄です。
根本的に、そんな呼びかけを見ていないから。

Twitter上などでは、盛んに「選挙に行こう」と呼びかけが起きていました。
でもそれを見るのは、上記の1/3のグループの人たち。最初から選挙に行く気のあるグループの人たちだけです。
本当に呼びかけが必要な2/3の人たちには、声を届ける手段がない。

それでも投票には行くしかないし、届かなくても声をあげるしかない。
本気で投票率を改善するように動きたいなら、別のグループにも接点のある人たちに頑張ってもらうしかない。
そこはそれでいいのですが、ここから派生する恐怖は、「世の2/3の人たちとは、(選挙に限らず)本質的に分かり合えない」ということ。

季節柄、新社会人になられた方も多いと思います。
高校や大学は、受験があるためにある程度グループが分けられる。
また学生同士は気の合う人たちと自然に集まるので、「分かり合える」人たちと行動を共にすることが多い。
でも社会に出てしまうとこれが成り立たない。同じ会社ならまだしも(それすらも厳しい。上述とは若干矛盾しますが)、取引先や客のような不特定多数になると、まず無理。
世の中の2/3は、「選挙に行かないのが当たり前」と考えている。それくらいに隔たりがある。

…しかも、政治的信念を話題にするのは避けたいので明言しませんが、弊ブログを見に来てくださってる層としては、割と共通して「絶対に許せない」に相当する候補者がいたかと思います。
そこに投票した人たちとも、恐らく分かりあえない。
そうすると、会話が成立する層というのは非常に限られます。
くどいようですが、どちらが優れているか、といった意味合いはありません。ただ単に「分かりあえない」というだけ。

私は「己の価値観と対立する相手は、会話も交渉も説得も不可能だ」という夢原理論を強く信奉していますが、それを改めて実感しました。
コメント (1)
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