穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

トロピカル~ジュ!プリキュア第1話「トロピカれ!やる気全開!キュアサマー!」感想

2021年02月28日 | トロピカル~ジュ!プリキュア
新しい年が始まりました。おめでたい。

■トロピカル~ジュ!プリキュア第1話「トロピカれ!やる気全開!キュアサマー!」


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第1話より)

新しいプリキュアは夏海さん。キュアサマー。
名前からして夏夏しい熱を感じます。昨年は外出自粛で「夏」を感じにくかっただけに、異様にまぶしくパワフルです。夏だ!夏が来た!

夏海さんは田舎の島からどこぞの都会へ。尋常ならざる身体能力とアグレッシブさで新生活を謳歌します。
ちょっぴりネガティブだったりもするけれど、そこはメイクで乗りきろう。
プラスとマイナスのバランス加減が何気に上手い子です。

そうこうする内、浜で黄昏ていた人魚を発見。捕縛。そして謎の戦闘に遭遇し、突撃。変身。
なんというかプリキュアになるべくしてなったかのような、適材適所感があります。
花寺さんとか「この子を本当に戦わせていいんだろうか」と不安にもなりましたが、夏海さんの異常な戦いっぷりは安心して送り出せる。この1年、頑張ろう。

【それは今か未来か】

かつては鬼門ともいわれたメイクを、今年は全力推し。
古来から「メイク」や「ドレスアップ」は、大人=未来の象徴です。不安や恐れがあっても、メイクして大人になり、立ち向かおう。
未来を先取りし、夏海さんたちは戦う。

対する敵は「あとまわし」。ちょうど真逆です。
ただ、敵さんはなんで「あとまわし」にしてるんだろう?
1話を見る限りでは「だるいから」という、まぁそのまんまな理由ですが、何かあるのかもしれない。
というか、「あとまわし」を信条とする組織がこんなアグレッシブに人魚の国を攻めてるのはなんでだ。そしてそんな相手に滅ぼされかけてる人魚の国って…。

夏海さんの座右の銘「今大事だと思うことをやる」は、先取りにも後回しにもどちらにも言える。
今大事だから予習する。今大事だから遊ぶ。どちらも否定されない。
そもそも「先取り」や「後回し」も視点次第です。
予習は未来の先取りだけど、遊ぶのを後回しにしている。逆もしかり。

狭い情報で予想するなら、夏海さんやローラが「未来はこうなりたい」とステップを踏んで口にしていることから、「明確な目標やプロセスがあるのか」が敵との違いなのかしら。
それはそれで、明確な目標のない敵に滅ぼされかけてる人魚の国が不安になりますが…。

【ぴちぴちした生き物】

今年の謎生物は人魚さんです。素晴らしい。
別途マスコット的なのは登場するようなので、ジョー岡田やブルー枠でしょうか。画期的ですね。人魚万歳。

安易にホモサピエンスに迎合しない姿勢も良いです。
「ニンゲン?ああ、陸に棲んでるサルの一種ね」ぐらいの距離感が心地よい。ローラさんには今後も、サカナとしての矜持を忘れないでいただきたい。

プリキュアを「捨て駒」と断言なさったのも良い。今まで微妙にタブーだったそこに切り込んできた。ブルーの時とか、口にするのも憚られる微妙な空気だったものな…。
「世界を救う」の感覚が希薄なのもよいです。襲われたヒトを見て最初に思うのが「プリキュア候補が減った」。素晴らしい。
そもそも「世界」とは「人魚の国」のことだ。何か知らんが不毛な陸とかに住んでる固有種を、何故にわざわざ守らねばならんのか。

綺麗な流れでいくなら、今後は人間文化に毒されていくのかしら。能うことなら最後まで、夏海さんのことを「人間」呼ばわりして欲しかった。

あと何気に身体能力高いの良いです。尾びれで締め上げるとか。野生動物の恐怖。

【ぴちぴちしていない生き物】

出会いこそ「船から落ちたものを拾う」人魚姫オマージュだったものの、ローラは安易に二足歩行になったりはしないようです。尾びれには誇りと拘りを持とう。
そのため移動手段が極めて厄介。予告を見るにアイテムに収納するようです。その内面倒くさくなって、ずっと入りっぱなしになるかもしれない。

逆にプリキュアさんは水中戦が苦手です。あの子ら宇宙空間でも戦えるのに、水の中だと行動が制限される。
今年は水中戦も増えそうなので、新しいバトルに期待。陸では足手まといのローラが、水の中ではやたらに頼もしくなるとか、色々できそう。

【身近にある異世界】

第1話の交戦場所は砂浜。
波打ち際は異世界との境界線。

「海」は、魔法世界等とは異なる、明確にそこに実在する異世界。
それでいて私たちの遥かなる祖先は海に住んでいた。
住み慣れた故郷であると同時に、もはや戻れない絶対の異界。その境界線が波打ち際。

そこでの戦闘はやっぱり胸に熱いものがわきます。
「田舎の島から都会へ」「海の中から陸へ」と、異世界探訪から始まっているので、このあたりのテーマも扱ってくれるのかも。

【うちの子】

我が家のお子様もやたらに楽しみにして見てた。「トロピカ!トロピカ!」と騒ぎながら起き出し、「このあとすぐ!」が流れただけで「やったー!」と両手を挙げるくらいに。
ヒープリさんはどうしても盛り上がり損ねた感がある(番組の良し悪しや好き嫌いではなく、イベント等に行けなかったの意味で)ので、今年の展開が楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヒープリはミデンに勝てるのか」: HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2021年02月28日 | ハグプリ最終回考察
ヒープリさんがめでたく完結なされたので、以前に書いた記事を振り返ってみる。

【這いよる15年】

プリキュア15周年では、初代を見ていた現役幼児が大人になり社会に出ていくタイミングを意識してか、「世界はどうしようもなく理不尽で、未来は閉ざされている」を扱っていました。
キラキラした子供時代は終わった。未来には光はない。

これに対し「オールスターズメモリーズ」にて野乃さんは、「それでも15年歩んで来たんだ」「ここで折れるなんて、私のなりたかった私じゃない」と逆ギレにて乗り越えられた。
そしてそれに対するカウンターとして、「不運により願いを奪われ、思い出すらないまま捨て去られた」ミデンが立ちふさがった。


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より)

[引用:「2033年プリキュア30周年」]
テーマとして成立するかを見るために、プリキュアたちが勝てるかどうかを考えてみます。
15年の総決算たるミデンに対し、1~15年シリーズのプリキュアさんらは、それぞれの番組テーマを元に次々と解答を示しました。では、上記のようなテーマを背景に、30周年でもミデンのような敵が現れたとして(以下、新ミデンと呼称)、1~15年シリーズのプリキュアは勝てるのか?

おそらく無理に思えます。

(中略)

一方、16年~30年のプリキュアだとどうか。
分かっているのは「スタプリ」と「ヒープリ」だけですが、この2つは「新ミデンには通用するが、ミデンには勝てない」ように見えます。

[引用終]

では改めて考えて、グレースさんは勝てるのか(救済できるのか)。
以前に想定したのとは違ったけど、やっぱり無理な気がする。

ミデンは悪いやつだから生産中止になったのではなく、会社が経営危機に陥ったからです。当時の会社や社員が、後先考えずに借金したり、非合法な手段に手を染めれば生産を継続できたのかもしれませんが、我が身を犠牲にしてまでそんなことはできません。これはダルイゼンやリフレインに通じるものがある。悪ではなくても、自身の生存のためには切り捨てる。

だからミデンには勝てない(救えない)。

【待ち受ける30周年】

では勝手に設定した30周年シリーズの敵・新ミデンはどうだろう?
初代を見ていた子供たちが30代半ばになることから、「それは望んだことなのだけど、決まってしまったことへの漠然とした不安」がテーマになるかなと、勝手に予想しています。マリッジブルーやマイホームブルーのようなイメージ。

このテーマを掲げる新ミデンには、ヒープリは勝てます。
寂しさはある。だけど前に進もう。
ビョーゲンズを切り捨てたり、ヒーリングアニマルと戦う未来が来るのかもしれない。リフレインが焦がれた、子供と過ごすあの土曜日は戻ってこない。
だけど前に進む。前に進もうと望んだその結果、切り捨てたものも、戻れないこともあるけれど、それでも進むんです。

綺麗に合致します。結婚することによって別れを告げる独身生活や、住み慣れた賃貸を経てマイホームに引っ越しするとか、子供が産まれて以前の生活から変わるとかもこの構造だ。

そういったわけで、勝手な妄想の産物「1~15年シリーズはミデンに勝てるが、新ミデンに勝てない」「16~30年シリーズはミデンには勝てないが、新ミデンには勝てる」は、今のところは成り立つように思う。

【フルスロットル】

じゃあ夢原さんとは何が違うんだろう?表面的に似ているように思いますが、結果が違うのだから理由があるはず。

思うに、夢原さんは未来や目標に重点があるんじゃなかろうか。
夢原さんがミデンにした回答は「だから大丈夫」。どうしようもなく苦しいこともある。私たちもそうだった。だから大丈夫。
もしさみしくて悲しくて折れそうなときは、同じように戦っている私たちを思い出して。

良い悪いや優劣は別として、夢原さんは「各自がそれぞれ夢を信じて突き進む(そしてその姿に相互に励まされる)」形です。
対して花寺さんの場合、中心となる「夢」があるのではなく、各自の「生きたい」が絡み合い、結果として相互の助け合いになる。
どちらかといえば、最終的なゴールより過程に描写の力点があるのかもしれない。

戦う敵を入れ換えてみよう。

ナイトメアが突きつけた課題は「夢は叶わない」ではなく「叶えても意味がない」。
仮にヒープリと対戦したなら「戦って生きても、意味があるのか」とくるはず。キングビョーゲンの指摘と違い、「戦う(今)」よりも「生きる(未来)」に疑問を投げかけている。
花寺さんの回答は「それでも生きたい。私たちは戦う」でしょう。夢原さんのそれとはやっぱり意味合いが異なる。

夢原さんがキングビョーゲンと戦った場合、たぶんというか確実に「あなたは悪い人!絶対に許さない」です。ダルイゼンは助けを求めてきたあの場で爆殺されてる。駆け引きや揺さぶりが成立しない…。
「夢」を中心としているので、その価値観に賛同しない相手は敵だ。説得や交渉なんてしてる暇はない。だって「夢」が呼んでるんだから。

1~15年と、16~17年シリーズの違いとも言えるかもしれない。
1~15年は「昔は良かった。でも今は壊れてしまって、未来には避けられない絶望が待っている」の世界観があるように思う。だから「未来をどう迎えて乗り越えるか」に焦点が当たる。
16~17年はその未来が訪れています。だから「今(1~15年シリーズにとっての未来)をどう戦うか」がメインになり、「未来」より「今」が中心になる。
分かるような分からないような、トロプリさんであっさり覆されるかもしれませんが、とりあえずは整理できた気はする。

【蛇足】

先入観をもって見るなら、トゥモローさんの40話での発言「過去は返してあげられないけど、未来は作れる」などは16年~30年シリーズっぽい。
1~15年シリーズよりも、「スタプリ」「ヒープリ」に近しいのでは。

【蛇足2】

第1話を見るに、トロプリさんにも当てはまってる気がする。

●他、関連記事:
感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」
HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きてくって感じ:ヒーリングっどプリキュア最終回感想

2021年02月21日 | ヒーリングっどプリキュア
花寺さんの1年の戦いが終わりました。
今年度は色々とありましたが、駆け抜けてくださった。ありがとうございました。

【後だしじゃんけんで振り返る】

プリキュアさんは例年、1話で印象に残ったことがテーマや展開に直結しています。「スタプリ」でいえば、「自由に自作の星座を作る星奈さん」。
第1話時点では「あぁ頭がキラヤバい娘だ…」と優しくスルーするしかなかったそれが、「ただの星の並びから12星座を見出すのはイマジネーションがあるからだ」からのどんでん返し「決まりきった星座を思い浮かべるのはイマジネーションの貧困から来ている」「もっと自由に星座を描こう」と続き、「人と人とのコミュニケーションももっと自由に考えよう」に繋がった。

「ヒープリ」第1話で個人的に最も気になったのは「『病気』は許容できない純粋悪に思えるが、その割には敵に人間味があり、敵もプリキュアサイドと同じような言動をしている」でした。
(ある意味、「スイート」の真逆です。スイートの場合「マイナー(悲しい)は悪ではない。だから和解しそうだが、敵が露骨に悪い奴らでその気配がない」)

今年度は特に病気には過敏な1年だったとはいえ、それがなかったとしてもやっぱり「病気」は生々しい。
「絶望」や「失敗」や「不幸」のような抽象的なものなら、「撲滅はできない。いずれ遭遇した時にまた乗り越えよう」といった「和解とまではいかずとも全否定はしない」展開もありえたように思う。でも「病気」は無理だ。なくせるならなくすのが一番だ。

また、春映画もその1年を象徴しています。
これまた昨年度の「スタプリ」でいえば、「根本から異質な相手には、こちらの思いはそのままでは伝わらない」。「オールスターズメモリーズ」からの熱い流れも、ピトンには関係ない。本編の敵幹部の皆々様の正にそれです。

秋にずれ込んでしまった「ミラクルリープ」を振り返ると、「生きるために前に進む。切り捨てねばならない寂しさはあっても」の強い意志に満ちている。
結果的にリフレインは助かりましたが、リープ中の戦闘では何の目算もなかった。あの時点ではリフレインはもちろんのこと、桜に宿るミラクルンすら「取り壊し」の可能性が大だった。それでも前に進む。

これらを見ると、ダルイゼンを初めとしたビョーゲンズとの和解はありえなかったし、予想もできた。
人間味があろうと、あちらにも生存を賭けた理由があろうと、こちらにはこちらの生がある。前に進むために必要ならば切り捨てる。たとえ寂しさがあったとしても。

同じことはホモサピエンスと他の生物にも言える。
「病気」と違い、根本から相反するのでないけれど脅威となれば生存をかけた戦いが始まる。描かれていませんが、「害虫(人間視点での)のヒーリングアニマル」とかもいるでしょうし。
多少踏み込むと「肉食動物が生きるために肉を食うのは良いのか」とか「草食生物による環境破壊」とか「植物が吐き出す酸素による大量絶滅」とかの話にもなってくる。
多様性を認めるが故の戦い。時には悲しい別れにもつながるが、それでも生きていくために戦う。

そう思うとビョーゲンズは「悪」ではなかった。「悪」ではないからこそ、和解できない。皮肉といえば皮肉だ…。

ところでサルローさんはもしやヒトを含むサル代表のヒーリングアニマルなのかしら。ヒトのヒーリングアニマルでもあるからこそ、思うところがあったのかもしれない。

【君を信じる。ために戦う】

以前の記事に関連して、「ヒープリ」と共通点の多い「ドキプリ」と比較してみる。

ドキドキプリキュアは「幸せの王子」をモチーフにしています。「幸せの王子は町の人を救うためにツバメを犠牲にした。ではツバメは王子を憎んだのか。王子はツバメを裏切ったのか」。
劇中において、プリキュアさんらは初手でトランプ王国の王様や王女様に切り捨てられています。
選ばれず、切り捨てられ、それでも戦った。
最終決戦でも、キュアハートを敵中枢に送り込むため、ダイヤモンドらは犠牲になった。一言でいえば自己犠牲です。

ではそれらは悪なのかといえば違う。「愛に罪はない」「そんな二択を迫る方が悪い」。
価値観を共にする大切な人を守るためならば、自己犠牲も厭わない。君を信じる。ために戦う。

またドキプリの敵幹部イーラたちは最終的に生存しています。和解とまではいかないまでも、敵対関係はかなり解消されていた。
途中のエピソードでも分かりあっていたり、交流も深まったりした。

ではダルイゼンらのケースは何が違ったのか。
結局のところ「価値観が決定的に異なる」のがどうにもならなかったのだと思う。

イーラたちはジコチューなだけで、根底となる価値観は共通している。劇中でも「ジコチュー」と「愛」は表裏一体として扱われています。
一方、ダルイゼンらは違う。彼らにとっては、花寺さんが生活している環境は(我々でいうところの)「糞便にまみれた腐臭漂う不潔極まりない環境」なんでしょう。
42話にてダルイゼンは下水道に逃げ込んでいますが、彼にとってはアレが快適な環境のはず。もう根本的に生息域が違う。

したがってジコチューのように「日常の交流を通じて歩み寄る」のは、ビョーゲンズにはハードルが高すぎます。
それは彼らの価値観を捻じ曲げている。あちらの視点で見れば、かなりグロテスクに思えます。

ストーリーとしても無理を感じますし、構成上の都合もあったようです。
アニメージュ2021年3月号掲載のインタビューによれば、元々オリンピック年で放送休止を想定し、話数が入れ替わったり季節がずれたりするのは織り込み済みだったとのこと。
対策として「敵幹部の言動は最初から最後まで一貫する」としていたそうです。
もうこうなるとビョーゲンズ側からの歩み寄りは絶望的です。価値観が異なる。利害が対立する。ならば戦うしかない。現実の人間同士と違い、もう生物種として価値観が違います。

【想いのループ】

ヒープリでは「力を貸してもらうために助ける」といった、見返り目的の行為は避けたそうです。
確かに「エレメントボトルを集めるために、エレメントさんを助けた」のではない。花寺さんの主治医は、後々花寺さんから励ましてもらいたくて治療したのでもない。
リターンを期待して助けるのではなく、助けたいから助けた。

ということは、仮にあの時ダルイゼンが「助けてくれればキングビョーゲンを倒すのを手伝ってやる」といったとしても、テーマ的には拒絶されたのでしょう。
逆にいえば、過去にダルイゼンが花寺さんらを見返り抜きで助けていたなら、受け入れてもらえる展開もありえた。
…のだけど、そうなるにはダルイゼンの価値観の変化が必要です。結局ここにぶつかってしまい、どうにもならない。

「病気」には本来は悪意はない。ウィルスは宿主に殺意を抱いたりはしません。だからこそ和解のしようがない。
憎みあってるのなら対話の余地もあるし、「憎悪の化身」とかなら「赦す」とか「愛」とかで解決できそうに思える。
でも「病気」だと「治療」しかなく、治療したら病気は死滅する。
打算や見返り目的で救っていたのではないのと同様に、打算や恨みで戦っていたわけではない。なんかこうしてみると「絶望の塊」とか「悪夢の象徴」とかの方がよほど可愛く思えてきた。「病気」は怖い。

【生きてくって感じ】

振り返ってみれば、競争や戦いの要素はずっとあった。

沢泉さんはハイジャンプ仲間だったり、弟だったり。
弟君が「僕も女将を目指す」と言い出した時には、「10年もしたら深刻な不和をもたらしそうだな…」とか思いましたが、競い合うことがテーマだったなら納得。

平光さんが家族に劣等感を抱きまくっていたのも、競争の観点だったんだろう。
彼女はかなり頑張って戦ってる。日常でもプリキュアでも。

思えば花寺さんも虚弱を克服すべくトレーニングに励み、経験不足に物おじせず積極的に動いていた。
一方的に庇ってもらう(たとえば重い荷物を持ってもらうとか)はあまりなかったように思う。

そしてこうしてみれば、次の映画(本来であれば、秋映画)で夢原さんと共演するのは至極当然の展開だった。
あのお方は歴代様の中でも、特に「ふりかかる火の粉は払う」ものな…。
価値観の異なる相手は名前すら呼んであげない。説得や交渉なんてしてる暇もない。だって夢が呼んでいるのだから。価値観の異なる相手にかかずらってる時間があったら、自分たちの夢を目指して邁進する。
(ところで、夢原さんは今のブンビーさんを何と呼ぶんだろう?)

例年であれば秋映画は、その年のテーマの集大成を扱っていました。
これまた「スタプリ」でいえば、ユーマとの交流と別れはフワのそれとほぼ同じ。宇宙ハンターとノットレイダーの皆様も対照的(価値観の異なるハンターは打倒している。誰かれ構わず和解はしない)。
次の映画を見れば、もっと「ヒープリ」を理解できるはず。楽しみです。

本編のラストシーン。花寺さんの「生きてくって感じ」は実に綺麗。
「生きてるって感じ」はある種の受け身だった。謎の難病から幸運にも生き延びて、周囲に感謝しつつ「生かされてる」感があった。
そこから強い意思をもっての「生きてくって感じ」。尤も元から強い「生きたい」を持っていたからこそ病気を乗り越えたんでしょうから、成長とか変化というより、決意が言葉になった感じかしら。
そんな未来は起きないことを祈る(起きないように私らも努めたい)ものの、「人類VSヒーリングアニマル」が仮に始まったとしても、彼女たちは戦うと思う。どういう形かは分かりませんが。

「歴代でもトップクラスに優しい良い子」「癒しやお手当て」と、見た目の表面的には柔らかいシリーズでしたが、内容は終始ハードだった。
敵は異様に強い。成長する、増える、工夫しながら同時に襲ってくる。戦闘曲もやたらに絶望感あって素晴らしかった。
振り返ってみれば、ずっとブレずにやってたのに、「柔らかい雰囲気」からのミスリードに勝手に陥っていた気もする。
やっぱりプリキュアさんは凄い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界はいつ分岐したのか」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2021年02月14日 | ハグプリ最終回考察
私は「世界はひとつ、歴史は変わらない」派ですが、思考の幅のため「分岐」「歴史改変」の立場でも考えてみます。
そして考えた結果、最終回から2年たった今ようやく「分岐」「改変」でも説明できそうな道を見つけた。人は成長する。

【世界の分岐点】

そもそもの出発点となる「分岐」はいつ起きたんだろう?

分かりやすいたった一つのポイントがあるのか、それとも曖昧に行ったり来たりしながら複数の要素の積み重ねで分岐が確立したんだろうか。
そんなの特定のしようもないので、ひとまず「何かポイントとなる分岐点があった」と仮定してみる。
候補になりそうなのは5つあります。

①野乃さんの前髪の失敗
②はぐたんの飛来
③敵幹部の救済
④黒白先輩の召還
⑤アンリくんの救済

順に考えてみる。

【候補①野乃さんの前髪の失敗】

第1話冒頭にて野乃さんは前髪のカットに失敗します。
別世界の野乃さん(仮)は違う前髪をしていますから、「この前髪失敗が世界の分岐点だった」といえる。視覚的にも分かりやすい。

…分かりやすいのですが、ここから始まる大きな出来事の行方が「前髪をどう切ったか」で決まっていいんだろうか。

野乃さんたちが頑張ったから変わったのではなく、前髪を失敗したから未来は明るくなった。肩透かし感が否めません。
もちろんバタフライ効果的に積み重なったからであって、前髪が全てではない、とも主張はできます。
が、バタフライ効果を前提にするなら、未来は変わりまくるのが当たり前。ジョージたちの「何度やっても未来は変わらない」と致命的に矛盾します。

候補①の肝は「はぐたんの飛来前に分岐していた」ですから、これを採用するのであればそこを活かしたい。
つまり「実は第1話が始まりではなく、もっと前から仕込まれていた」。タイムトラベルものの王道です。

【候補②はぐたんの飛来】

はぐたんが来たから分岐した。分かりやすい。

欠点も分かりやすいです。
第一に「過去に戻る」行為の発端は未来ですから、分岐点は過去ではなく未来になってしまう。
また、飛来しただけで変わるなら、先ほどと同様にジョージたちは何を悩んでいたのか分からない。

「いつ飛来したのか」も何気に曖昧です。

第1話を見ると、はぐたんが飛来したかのような描写は
・野乃さんの登校中
・屋上に三人集まっていたとき
・夜の野乃邸
の3つがある。

とりあえず最初の「登校中」が分岐点だとすると、元の歴史は何となく想像できます。

「登校中の野乃さんは、ボールに当たりそうになっているお祖母さんを見かけ、反射的に庇った。
この瞬間にはぐたんが飛来し、なぜか時間が停止。あれボールが当たらないぞと不思議に思い、体勢を変えたところで時間再開、ボールがぶつかる」

この流れでしたから、はぐたんが来なかった場合、野乃さんはそのまんまボールの直撃を受けます。
当たりどころが悪くて登校できず、何なら骨をやってしまい入院。出だしでつまづいたのでクラスに溶け込めず。
入院中に薬師寺さんは役者が忙しくなり、輝木さんはますますグレてしまい、交遊関係も築けず。
これが本来の歴史だったのかもしれない。入院中に髪が伸びたとすれば、前髪の違いも解消できます。

ただこれだと、どうやってプリキュアになるんだろう?
ジョージは「未来は変わらない」と認識していますから、「2018年にプリキュア出現」なんて大事件には動揺するはず。動揺しなかったということは「元の歴史でもプリキュアはいた」と考える方が自然に思えます。

【候補③敵幹部の救済】

②との区別を明確にするため、③④⑤は「元の世界でも、はぐたんが未来からやってきた。が、解決しなかった」とします。「はぐたんの飛来」までは史実どおり。それから変わった。

その変わったタイミングとして、まず思い浮かぶのは「各幹部の救済」です。
チャラリートとの最終戦で剣をタクトに変えていますから、いかにも「変わった」感はある。

元の歴史ではチャラリートは普通に斬首された。
ルールーは寝返らず、エトワールのプリハートも返却されなかった。必然的にエトワール脱退。
その後ルールーは撃破されアムールも出現せず。
以下、苛烈な消耗戦になり、誰も幸せになれない泥沼に。

とりあえずストーリーとして成立はしますが、「じゃあ何で変わったのか」が分からない。
①と同様に「バタフライ効果的な偶然」では腑に落ちません。

【候補④黒白先輩の召還】

「何か理由づけになりそうなこと」と言えば「はぐたんのタイムトラベル」です。
厳密に言うなら「なぜ今回の歴史ではタイムトラベルをしたのか」の問題にすり変わるだけなのでエンドレスなんですが、それは横に置こう。

はぐたんの不思議パワーとしては第1話の他、第21話の黒白先輩の召還が印象的です。すなわち「元の歴史では黒白キュアは召還されなかった」。
そのためパップルに敗退、または容赦なく撃破。以下、泥沼な消耗戦へ。

15周年の記念シリーズですから、「初代プリキュアの介入により未来が拓けた」は美しい気はする。
とはいえ横に置いた問題「じゃあ何で今回の歴史では召喚したの?」で止まってしまう。

【候補⑤アンリくんの救済】

ジョージが「歴史が変わった」と明言しています。それまでは狼狽えていなかった(とも限らなかった気もしますが)ので、ここが分岐点。
ただ結局は①②③④と同様に「何が違ったから今回は変わったのか」が分かりません。
また、ここまで来てからの分岐だと、元の世界と大差ない気がする。野乃さん(仮)はこの時点からどう「失敗」したんだろう…?

【私たちとプリキュア】

一通り見ましたが、考えれば考えるほど「なぜその変化が起きたのか」「その原因は以前は起きなかったのに、今回はなぜ起きたのか」が延々と続くので解決しません。
量子論的な揺らぎによる変化だったらジョージの「未来は変わらない」と矛盾するし、特別な何かで変わったならそれはなぜ起きたのか。
これはもうハグプリ世界の中で考える限りどうにもならない。やはり「歴史改変」「平行世界」には無理がある…と思ったのですが。

候補④「黒白先輩の召還」は突破口があった。


(「HUGっと!プリキュア」21話より)

あの時マシェリは「おもちゃをくれ」とねだっていました。
これを見た我々は、おそらく誰もが追加おもちゃを連想したし、我々の知る最も頼もしい「おもちゃ」は「プリキュア」です。
そして、はぐたんが不思議パワーで「おもちゃ」を召還した。我々が連想した「おもちゃ」の代表格たるプリキュアを。

つまりは概要としてはこんな感じ。

『ハグプリ世界は未来不変。歴史は変わらない。延々と2043年からのクライアス侵攻や破綻を繰り返している。
しかし今回のループは外部の存在(私たち視聴者)が観測していた。その影響で歴史が変わった』

この演出は「オールスターズメモリーズ」で行われています。15年のプリキュアの歴史を知り、応援するみんながいた。だから復活できた。
同様に21話も、プリキュアを知る我々が視聴していたから黒白が召還された。

この時の出来事を、雪城さんは「別の世界に迷い込んだ?」と表現していますから、単なる瞬間移動ではなく「時間移動」や「異世界」でも辻褄はあう。
まさにあの瞬間まで、あの世界には黒白先輩はいなかった。しかしあの瞬間に歴史が変わり、プリキュアの歴史が生まれた。「プリキュア」を知る私たちが観測し、マシェリの呼び掛けに「プリキュア」を連想し、それをはぐたんが呼び出したから。

「積み重ねた15年(こどもにとっては人生そのもの)があったから踏ん張れる」はハグプリの根幹ですから、ここを起点にするのはかなりすっきり理解できる気がする。
細かい部分は整理するとして、大枠の光は見えてきたんじゃないかしら。

参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖人レッテルと交わるテーマ:ヒーリングっどプリキュア感想 第42話+43話

2021年02月07日 | ヒーリングっどプリキュア
【戦うより抱き合いたい。なのにどうして】

先日の「グレースさん、ダルイゼンを拒絶」に対して、「プリキュアらしからぬ衝撃展開」のような感想を見かけました。ちょっと意外というか不思議な感じがする。逆にいうなら「プリキュアは優しい。相手を受け入れる」というイメージなんだろうか。

特に昔からのファンにとっては、むしろ「プリキュアは(良からぬ相手からの)話を聞かない」イメージの方が強いように思う。
問答無用で殴りかかってくる、やっぱり肉弾戦か…が定番のツッコミであり、プリキュアさんに対する共通認識だったはず。

直近のプリキュアもこの傾向は維持されてる。
「魔法つかい」さんは「ルールを守る」が大前提にあり、そこを違える相手とは対話をしていない。
「スタプリ」も「アラモード」も、決定的に価値観の異なる相手に譲歩はしない。
分かりあったり受け入れたりは、「相手も実はこちらと同じだった」ような場合です。こちらの考えを根底から変えたり、一方的な不利益を許容はしていない。

たとえば「スイート」でいえば、ノイズを救おうとしたのは彼が「悲しみ(マイナー)」だったから。当初「音のない世界を作る」と主張していたノイズは、全くの理解不能の純粋悪だったけれど、実は「悲しみ(マイナー)」。それなら分かりあえる。メイジャーとマイナーには善悪はない。

一方、「病気」には分かりあう余地はない。「病原菌だって生きてるよ」と言われても譲歩する余地はないんです。相利共生とまではいかなくても、せめて無害になってから言ってくれ。
プリキュアさんはこれまでのシリーズでも譲歩はしていない。故に今回の展開は「らしからぬ」衝撃的展開ではない、はず。

ただそうは言ったものの、放送前には私自身も「花寺さんは何か受け入れそうだな」と感じてた。プリキュアさんなのに。
これは「花寺のどか」のキャラクター故だと思う。あの子は歴代プリキュアの中でも、異端なくらいお優しい。

そして「優しい花寺さんだから受け入れるのでは」「受け入れなかった。驚き」は、物凄く危険な先入観だとも思った。無意識の内に優しさにつけこんでいた。
彼女は病気の辛さを何度も語っています。それにも関わらず「優しいから受け入れるのでは」はありえなかった。メタ的に刺された気分。ごめんなさい、花寺さん。

【ループする想い】

今作のテーマは「想いの相互作用」といったことで、ギミックとして「繰り返し」や「学習」を使っているように見えます。

ビョーゲンズは主人公サイドのように学習し、対策を練り、作戦を立て、相互に協力もしています。メガビョーゲンは進化するし、複数出現するし、汚染された地域からは新たな幹部も生まれる。
表面的には、これまでのプリキュアがやってきたことを、敵側にやられている。
映画「ミラクルリープ」も同様です。リフレインが異様に強いのは、繰り返しのリープ毎に対策を立ててくるから。プリキュアサイドが完全に後手後手に回っています。

ではプリキュア側の違いはといえば、「想い」なんじゃないかしら。
初期EDで歌われていたように、あるいはペギタンが語ったように、「分けてもらった勇気を返す」。
ミラクルリープから脱出できたのは、ミラクルンが幾多のループを潜り抜け、ライトを繋いでくれたからだった。
助けたエレメントさんが力になってくれたり、治療を受けた花寺さんの言葉が医師の力になったり。これらは「力を貸して欲しいから助けた」のではない。「助けた」ことが結果的に自分にも返ってきた。

協力はしても上下がはっきりしている競争社会のビョーゲンズや、孤独に戦ったリフレインと違い、プリキュアさんらは周囲と共に回る形のループです。
「巡る」「回る」は、ミラクルリープはもちろんのことEDでの季節や時間変化の描写、またはプリキュアシリーズの代替わり等も想起します。

キュアアースが単体ではいまいち切り札にならなかったのも象徴的。
アースさんは免疫機構そのもので、過去からの学習によって生み出されていますが、それだけではダメだった。他者や様々な経験との触れ合いのような、短絡的には無駄に思えることが大事だった。

そしてこれらを念頭に「未来に進む」。「ミラクルリープ」で強烈なインパクトを残した挿入歌でも歌われたように、前に進む。

逆から見るなら、ダルイゼンが拒絶されたのは、この輪の中に入るのを拒んだから。「ダルイ」ゼンなのが特に効いています。彼は積極的に動こうとせず、気取って距離を置きすぎた。
そして残念ながら、負の影響を繰り返し与えすぎた。結果、ループとして返ってきたのは「拒絶」。テーマに即した、当然の結末だったと思われます。

希望があるとすれば、同じく取り込まれたグワイワルとキングビョーゲンの中で団結し、外のプリキュアさんらと力を合わせて中からも攻撃、打倒とかかしら。共生は無理そうなので住み分けエンドで。

去年のスタプリが最終盤でどんでん返しがあったので、今年も最後まで気になります。一週間後にはこの記事も、見当外れの茶番になってるかもしれない。

【43話追記】

以上、42話時点での感想。43話を見たので少し付け加える。

ネオキングビョーゲン様を倒すにはビョーゲンズの力が必要。
そこでシンドイーネさんの持つメガパーツの奪取を考える…のですが。

この設定なら、普通は「ダルイゼン達と協力する」等のはず。もしくはシンドイーネさんを説得する。

ですが花寺さん達はそれは一切考えない。逃げられぬように押さえつけてまで、必殺技連射で仕留めにかかります。というか2撃目がオアシス指定だったのは、アースさんが押さえるためだったのか…。ラテ様、えぐい。

「病気の情報を逆用する」のはワクチンの発想(病原菌の防御機構を破るという観点では違いますが)。利用はする。しかし協力はない。
もしかしたらこの作戦が失敗し、やっぱりダルイゼンらとの協力展開になるのかもしれませんが、かなり納得感のある「強い」展開だと思う。

【蛇足】

「プリキュアなのに深いテーマ」「昔のプリキュアと違う」みたいなのも見かけたけど、プリキュアさんは昔から「大人にも響く厄介なテーマを、こどもが楽しめる描写でやってくる」のが魅力に思う。

「オールスターズメモリーズ」の時に書いた各シリーズの感想

これらは私の感想で、全部これが正解だなんて自惚れはしないけれど、小説版プリキュア(特に「スイート」や「スマイル」)や各映画等を見るに、丸っきりの見当違いではないと思いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする