穴にハマったアリスたち

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「創造と破壊」への抗い:映画「プリキュアオールスターズF」感想

2023年09月18日 | プリキュア映画シリーズ
■「創造と破壊」への抗い:映画「プリキュアオールスターズF」感想


(公式パンフレット(豪華版)より)

まだ1回しか観賞しておらず、私の思い違いも多々あるかと思いますが「初めて見た時の感想」は大事だと思いますので、一旦吐き出してみる。

【創造と破壊】
率直に言って、今回の映画は鷲尾さんが繰り返しインタビューで言及し、(一部の)ファンの間で物議を醸した事柄に真っ向から切り込んでいたように見えます。
その第一は「創造と破壊」。

豪華版パンフレットにも掲載されているように、鷲尾さんは(主には男子プリキュア絡みの文脈で)「創造と破壊こそがプリキュアの魂だ」と述べられています。

「<プリキュア>“創造と破壊”の歴史から生まれた男子プリキュア舞台 鷲尾Pが語る誕生の裏側」
【引用】
『「ヒンズー教のシヴァ神の破壊は、創造を生み出すための破壊です。そういう発想なのかもしれません。破壊して、再構築していく。再構築するには、根っこがきちんとなければできない。根源となる素材を使って再構築していきます。その素材を考え、突き詰めて考えていけば、いろいろなことに挑戦してもプリキュアとして通用すると考えています」』
【引用終】

●「Dancing☆Star プリキュア公式サイト
【引用】
『なぜ男性キャストで舞台版プリキュア!? 皆様のお気持ちお察しいたします。答えは“創造と破壊”です』
【引用終】

ところが今回の敵・シュプリームは、「破壊」と「創造」のワードをそのまま口にし、実際に世界の破壊と創造を行っています。そしてプリキュアたちは「破壊と創造」を明白に敵視している。

プリキュアさん達は「創造」された世界を、確かに時には楽しんで旅はしていました。
ですが「こんな世界もいいね」とか「変わってしまったけど、これはこれでも良い」「この変化した世界で生きていこう」といった着地はしていません。
最終的に目指したのは「再生」です。元の世界を取り戻すために戦っている。

鷲尾さんもインタビューで述べているように「根源となる素材を使うか」の部分が違うといえば違うので、シュプリームの「破壊と創造」は、鷲尾さんの言う「創造と破壊」とは違うのでしょうけれど、映画の中ではそのような説明は特にはされていません。

また「両者は違うんだ」と説明が必要になるぐらいなら、最初から別の言葉を選べば良かっただけです。
たとえばシュプリームには「創造」ではなく「改変」とか「変容」と言わせるなど。

【プリキュアとは自立している存在】
同じくインタビューでは「自立」をプリキュアの要件として強調していました。

「初の舞台化でなぜ男子高校生プリキュア?鷲尾天×ほさかようが語り尽くす 既存概念の破壊こそがプリキュアのテーマ」
【引用】
『プリキュアシリーズの軸である「自分の足で凛々しく立つ」ことを、この作品の男子高校生たちも意識していれば、彼らはプリキュアだと思います。』
【引用終】

シュプリームは明らかに「自分の足で凛々しく立ち」、「自分らしく」自立している。
ですが私らの感覚では(劇中の表現としても)あれはプリキュアではない。

実際に映画でも語られたように、プリキュアとはむしろ「一人では弱い」存在です。それの何が悪いのか。だからプリキュアはふたりなんだ。
自分の弱さも他者の弱さも認めて、共に手を取り合い、助け合って主体的に問題に取り組むことの方が、プリキュアらしさに感じます。

この「自立」は、「(主には男子の)お助けキャラをあてにせずに、(主には女子の)自分たちだけで解決する」が発端の言葉だったと記憶しています。
「男子プリキュアを入れたい」となった時に、上記の「反論」が容易に思い浮かんだ故に、「お助けキャラをあてにせずに、自分たちだけで解決するならプリキュアだ」の強弁が先行してしまい、「弱さを認めた上で主体的に解決する」の要素が抜け落ちた「自立」という表現に行き着いてしまったんじゃなかろうか。

※「自立」といったニュアンスの表現自体は、男子プリキュアが取りざたされる2023年より前から使われてはいます。

「自立」に似通った表現で短く一単語にするなら、おそらく真に言いたかったのは「主体性(がある)」だと思われます。これならお遊びで創造と破壊をしているシュプリームには当てはまらない。

文意に配慮するなら、「自分の足で凛々しく立つ」ことは「主体性がある」と言えますし、読み手側の「自立」というまとめ方が間違ってる可能性はある。
今回この記事を書くために改めて検索しましたが、鷲尾さん自身は「自立」という単語は使っていません(すぐには見つからなかった)。
ただ本件に言及している他の方の発言では、しばしば「自立」という表現が使われています。

(鷲尾さんのインタビュー記事を紹介する投稿にて)加藤藍子🌍ライター・編集者
【引用】
『プリキュアの描く「自立」とは?という質問に対する鷲尾天さんの答えも、ぜひ。』
【引用終】

鷲尾さんは「自立」をプリキュアの要件として表現している、と読み取るのは不自然ではないはず。
そしてその「自立」が、今回の映画では敵の方に当てはまってしまっている。

「自立」とは「一人の力で全てをやり遂げる」ことは意味しないので、助け合ったとしても必ずしも矛盾はしていませんが、だったら最初から別の表現をした方が良かったのではなかろうか。

補足が必要になる紛らわしい表現を広報に使うのは、もうその時点で失敗です。

【プリキュアごっこ】
シュプリームは「プリキュアごっこ」に興じています。
プリキュアを自称し、プリキュアの真似っこをすれば、何かが変わると思い込んでいる。

男子プリキュアが登場した際に、「男子もプリキュアになっていいんだと認められた」のような感想をちらほら見かけました。
シュプリームの「プリキュアごっこ」は、これにNoを突き付けているように見えてしまう。
外側を表面的に真似てプリキュアだと言い張っても、それはプリキュアではないし、何も変わらない。

※「キュアウィングはプリキュアではない」といった話ではなく、「キュアウィングもプリキュアとして認められるんだから、プリキュアを名乗りさえすれば誰でもプリキュアだ」といった安直な発想が否定される、との意味。

※言うまでもなく、子供の無邪気なプリキュアごっこを否定する意図は一切ない。そういう話はしていない。これまでのプリキュア本編でも、無害な「偽プリキュア」を一々問題視するような無粋な描写はされていない。

しかもシュプリームは、それなりに「プリキュアっぽい」ことはしています。
特に変身バンクは悪趣味の極致。そして不都合なことに、「ぼくプリ」では変身シーンが「見どころ」として強調されています。

「初の舞台化でなぜ男子高校生プリキュア?鷲尾天×ほさかようが語り尽くす 既存概念の破壊こそがプリキュアのテーマ」
【引用】
『あとは…絶対変身しなきゃいけない(笑)。「変身してくる!」って舞台からハケるわけにはいかないと思っていますから、舞台上で変身できたらと考えています!(笑)』
【引用終】

変身シーンを再現しても、プリキュアではない。
更には妖精がいてもプリキュアではないし、敵を倒したり、必殺技っぽいのを出してもプリキュアではない。

じゃあ何があればプリキュアなのか?といえば、(前述の「手を取り合う」といった内面ではなく外面でいえば)「玩具を持っている」ことがその一つのように思えます。
馬鹿みたいな幼稚な指摘にも感じるかもしれませんが、メタ的には「玩具メーカー等の信任や期待を背負っている」、物語的には「己の拠り所の視覚化」などそれなりに大きな意味があります。
妖精の存在には気づいたシュプリームが、玩具(タクトやブレスや変身アイテム)に気づかなかったのは不自然といえば不自然で、プリキュアごっことしては中途半端です。自分の力しか信じないシュプリームには、道具を使う発想がなかったのかもしれず、これも「プリキュアらしさ」に繋がってきます。

※決着後のEDでは玩具らしきものを持っていますから、「敵の間は玩具なし」は意識した描写だったと思います。

そしてこれまた不都合なことに、「ぼくプリ」には今のところ玩具が出てこない。
誤解されたくないので強調しますが、私は、この映画が「ぼくプリ」批判を意図しているとは全く思わないです。
ただ「プリキュアらしさ」「プリキュアもどき」を描いたら、たまたま結果的に上記のようになってしまった。

これはとても「気まずい」話で、「ぼくプリ」さんにとってはハードルが非常に上がったんじゃなかろうか。

【まとめ】
上記の通り、今回の映画は「プリキュアとは何か」を扱った結果、この半年間で公式が発信してきた「プリキュアとは」に疑問符を突き付けたように見えてしまう。
意図してのことならもちろん、意図せずに結果としてそうなったのだとしても非常に気になる。

私がネットで見た範囲でいえば、映画は大絶賛されています。ファンが望む「創造と破壊」とは「全くの新規の要素」ではなく、「従来の要素の組み合わせによる新たな発見」のように見える。

私自身は、「創造と破壊」「自立していればプリキュア」はかなり疑問を抱いていて、今回の映画も実際に見るまでは「既存プリキュアが全否定されて終わる(それこそ「変わってしまった世界を受け入れて、新たな世界を生きていこう」のような)」を危惧していました。
なので制作サイドの意図はともかく、「創造と破壊」等を否定するかのような展開には非常にすっきりしたし、今回の映画のカタルシスの肝だとすら思った。

これを元に「だから男子プリキュアは失敗なんだ」「公式が否定した」のような馬鹿げたことを主張する気は全くありません。
とはいえ、この半年間で強調されてきた公式サイドの「言い分」が表面的には覆ってしまい、少なくとも「ぼくプリ」の位置づけはなかなか難しくなったんじゃないかな、と感じました。

最終的にシュプリームやプーカはプリキュア扱いされた(か不明瞭ですが抹殺はされていない)のですが、これまで鷲尾さんが繰り返し語ってきた要素を否定し、違う側面からのプリキュア認定だと、「今までの話は何だったんだ」となってしまう。
ましてや、そのインタビューの直接の先にある「ぼくプリ」としては、梯子を外された感がある。どうするんだろう?

【蛇足】
言葉を選ばず感じたままに言うなら「幾つもの世界を滅ぼした、至高を自称し、多様性を捻じ曲げる外世界からの侵略者との戦い」ってポリコレの外圧を想起します。それに対して20年間のアーカイブで応戦し、私達が私達であるために、今までの世界を守る戦いだったように思う。
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映画「プリキュアオールスターズF」感想

2023年09月15日 | プリキュア映画シリーズ
■映画「プリキュアオールスターズF」感想


(公式パンフレットより)

20周年記念作。
最初に、あえて一言で無粋にまとめてしまうのなら。

『強大な外敵に対し、プリキュア20シリーズを一気見させて、こちらの価値観に共感させる』

という映画。
まとめると冗談に聞こえてもしまうかもしれないけれど、これが「破壊と創造」へのプリキュアさんの解なんだろうと思うし、とても納得できる。

外世界から飛来した謎の敵・シュプリーム。圧倒的な力の前に、プリキュア全チームは敗北。世界は破壊され、創造という名のグロテスクな遊び場とされた。
だけど消されたはずの「プリキュア」は、なぜか存在した。

世界がどれほど変わろうと、汚されようと、「プリキュア」はいる。戦ってくれる。だって「プリキュア」なんだから。
壊れて歪んだ世界でも、仲間と引きはがされても「プリキュア」たちはいつものように笑い、旅をし、また集まって戦う。

悪い敵をやっつける。無力な人々を守る。
そんな単純な理解では、「プリキュア」ではない。

シュプリームによる「プリキュアパロディ」は、何がどうおかしいのか表面的には説明できないものの、醜悪な何かが確かにあった。
敵と戦い、敵を倒す。それっぽい変身バンクと決めポーズ。見た目はプリキュアなのに、薄っぺらなモノマネ。
(メタ的には「玩具を持っていない(≒誰からも承認や期待をされず、何も背負っていない)」ことが決定打とも言えるかもしれない。妖精には気づいたが、玩具には気づかなかったらしい)

「破壊と創造」の名のもとにグチャグチャにされた世界で、プリキュアさんたちは戦う。20年のこれまでの歩みを背負って。
シュプリームとの対話の大半が、かつてのアーカイブで成立するのは凄まじい。その疑問も、その反論も、とっくの昔に私たちは通過してきた。その答えを、私たちは持っている。
特にマナさんの登場シーンは見事すぎる。圧倒的な説得力。

対ミデンは救済の側面が強かった。対シュプリームはそれとは異なる切実さがある。
私たちが私たちであるために、外敵と戦う。
浴びせ続ける20周年のアーカイブ。ある意味、禁じ手の「価値観の上書き」。でも知り合うということは、そういう側面も避けられない。

幾つもの世界を滅ぼしてきた、「至高」を自称する絶対正義者の敵。
「プリキュアになれば何かが変わる」と思い込み、薄い理解で「プリキュアになっただけ」のプリキュアごっこに興じる者。
「破壊と創造」を嘯き、その世界に住む存在を無視して弄ぶ。

これまでとは本質的に異なる敵に対し、突き付けた解答は「相手をプリキュア化する」。

正体不明の謎の敵シュプリームは、再戦時にはプリキュアに酷似した姿に。
異物がプリキュアに侵食してきた、のではない。接触を通じて、異物をもプリキュアに変えた。
そうやって「プリキュア」を繋いでいく。

実生活においても言えることだろうと思う。
今年はプリキュア20周年。最初期の視聴者が就職し、社会にでて数年たったのが今。
「プリキュアを布教しよう」なんて単純な話ではなく、プリキュアに触れて育ってきた人々が、そこから得た何某かで社会を生きていくなら、何らかの影響は社会にもあるはず。プリキュアが変わるのではなく、社会が変わる。大袈裟ではあるけれど、昨今の環境を思うに、矜持として大事にしたい。

【オールスターズ】
選抜チームの皆様も、スポット参加の皆様も、とても「らしい」活躍でときめきました。
適当に数合わせの賑やかしをしているのではなく、ちゃんと「その子ならでは」の動きをなさってる。
結果的に出番に差はあったけど、とても納得いく。マカロンさんを初め、皆さま株を下げることなく活躍されてた。

良い意味での省略・割愛の高速展開も素晴らしい。変身バンクとOPを重ねる発想はなかった。
小ネタの数々も言うまでもなく。ビクトリー!
身長ではなく体長を使った活躍とか、人魚さんをよく分かってらっしゃる。

「プリキュア」を日常的に使ってる描写が幾つかあったのも象徴的。
調理のために変身するとか、壁をぶち抜くために一人だけ変身するとか。

マジェスティさんをどう登場させるのかと思ってたけど、「最後のプリキュア」発言からの「最後ではない」での参加。まさに「繋ぐ」。そして歴代キュアやオアシスさんやペコリンなどなどに繋いでいく。
シュプリームからすれば理解不能の恐怖だろうと思う。繋いでいくプリキュアの力。

ハグプリのオルスタ回のオマージュも、目まぐるしい展開に脳が追いつきません。
旅立ったはずのミラージュさん達までいるあたり、つくづく全世界規模の総力戦だったんだなと。

状況的に、モエルンバやキントレスキー、ジコチューの皆様やノイズ様といった面々も戦っていたんじゃないかとすら思う。
シュプリームが生み出したアーク(※)は、これまでの敵を侮辱した幼稚なパロディ。敵には敵の矜持があるはずで、立ち上がっていたはず。
アレは「プリキュア」の世界の外から来た存在。私たちが私たちであるために、彼らも戦う。

※アークって「箱舟」かと思ったんですけど、もっと単純に「悪」かしら。ふざけ切ったネーミング。確かに「サイアーク」等も過去にいたものの、「プリキュアってこういうのでしょ?」という安易なパロディ。

壊れたタコカフェ等の、負の参加も切ない。
それこそもっと踏み込むなら、あの世界には「破壊と創造」で無残にキャラ変された七瀬さんとか誠司くんとかも、画面外にいたのかもしれない。
最終決戦で呼び出されていた無数の敵も、イメージ的には「プリキュア」の紛い物ですよね。もしかしたら実際(?)には、ドリームやミラクルといったプリキュアたちをコピーしていたのかも。

城内での戦いも、あっさり吹っ飛ばされて負けるのではなく、生き残っていた各自がそれぞれ思考して戦ってる。
そのせいで、とにもかくにも辛い。適当に「はい負けシーン」と流せない重みが全編にあり、全滅の絶望が胸を締め付ける。
過去に類を見ないほどのグロテスクで辛い戦いだったし、館内ではお子様の泣き声が幾つか聞こえてた。
本当にきつい。スカッと爽快に勝つといった映画ではない。

最初の戦いの回想シーン、ミルキィローズの墜落シーンが妙にクローズアップされてた。
やられる1人を見せるのであれば、ブラックやドリームが撃破されている方がインパクトはあったと思うのだけど、なぜローズだったんだろう?
ただ展開としては分かる気はする。アナコンディを一人で足止めしたり、ムシバーンとの一騎打ちなどを見るに、ミルクさんは最も苛烈な場所を支えてくれる気がする。
多分、スターやハッピーの接近戦のために真正面で攻撃を引き付けてたんじゃないかな。

こういう「直接の描写はされていないけど想像できること」が山盛りの映画だった。
繰り返し見るたびに発見があると思うけど、まずは初回の感想として残したい。
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映画「デリシャスパーティ♡プリキュア 夢見るお子さまランチ」感想

2022年09月23日 | プリキュア映画シリーズ
■映画「デリシャスパーティ♡プリキュア 夢見るお子さまランチ」感想


(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第28話OPより)

おばあちゃんが言っていた「今日のご飯が明日の自分を作る」、そこから出てくる課題が二つ。

・負の要素を取り込んだなら、明日はないのか
・そもそもの「明日」に希望はあるのか

特に後者は歴代プリキュアの根底テーマとも言えます。
今作は珍しく「過去」に比重があるシリーズだと感じていたのですけど、ここにきて「未来」が壁になってきた。

昔は良かった。でも今はそれが壊れていて、未来は破綻している。
10周年(シリーズとしては11作目)の「ハピネスチャージ」では、最初の「ふたりはプリキュア」を見ていた視聴者が中高生になったことを背景に、「現実は、あのキラキラした世界とは違った」が描かれました。
15周年の「ハグプリ」では、いよいよ破綻した未来が眼前に迫った。小さな子供も社会人になり、今までとは桁違いの理不尽に晒された。

デパプリは19年目。15年の節目からカウントするなら4年。5歳でプリキュアを見始めた子供が9歳。あるいは社会人4年生。
無邪気にお子様ランチを楽しんでいたのを卒業し、お子様ランチの無邪気さに恥ずかしさを覚える年齢です。
早く大きくなりたい。だけど、未来に希望はあるのか。

ケットシーのミスは、「子供も戦っている」の見落としのように思えます。
無邪気(≒理想)と現実は共存する。もともと彼を救ったのも、幼少のみぎりの和実さんです。

コメコメはまだ子供で、漠然と思い描く「ヒーロー像」は現実の問題を正しくとらえてはいないのかもしれない。でも確かにコメコメも戦っており、彼女もヒーローです。
というか、プリキュアさん自体がそうですね。子供・大人判定で「△」が出ていたように、彼女たちも境界線上にいる。
大人と子供でバッサリ世界が分かれるのではなく、地続きでどちらの要素も混在しています。大人がお子様ランチ(理想)に夢見てもいい、子供だってヒーローとして(現実を)戦える。

良いも悪いもひっくるめて、今日食べたものが明日の自分を作る。それを延々と繰り返して、やがては大人になる。
そしてそれらは地続きで、ある日を境に分断されるものではない。

19年目(最初期の視聴者が20代後半)のイメージとも通じます。
10周年の中学・高校入学や、15周年の学校卒業・新社会人と比べて、制度や環境面での変化は少ない。
今回の映画はいわゆる「悪の大ボス」が出てこなかった(ケットシーに既に倒されている)こともあり、何か激動の展開というより、夢を見ているような「ある一日の物語」の感じを受けました。その一日の中で、成長したり童心に戻ったりする。

一つのプレートに様々な美味しい物が並ぶお子様ランチのように、私たちの人生も様々なものが共存しています。
同時に、様々な問題も溢れているけれど、とりあえず目の前のごはんを食べれば笑顔になれるんです。

「お子様ランチ」は、子供の無邪気さとも人生ともプリキュアシリーズとも色々と置き換えられるので、見返せば見返した分だけ感想が出てきそうな気がする。

【その他感想】

・シリーズ初、「黒幕は既に壊滅していた」。
ケットシーが所属していた謎の組織の野望は、プリキュアさん達が知らぬ間に潰えていました。
クッキングダムは何やってるんですかね…。デリシャストーンの管理が甘すぎる。

・シリーズ初、「民間企業の警備員相手にプリキュアで応戦」。
ドリーミアへの不法侵入は、あの時点ではマリちゃん側に非がある。和実さん達も真相を知っての変身ではない。
警備員さんが(この時点では正当だと認識される理由で)掴みかかってきたのをプリキュアで殴り返した…というのは何気に思い切ってる。
それとも薄々「これ、さすがに発明の一言で済ませられないな」と思っており、警戒してたのかしら。

・セクレトルーさんが前線に!そういうの全然しない人だと思ってたのに!
銀幕と聞いて張り切ったのかもしれない。

・和実さんを助けたブラぺ。「君とは初対面のはずだが?」とか大分ノリノリです。
こういうのをずっとやりたかったんだろうな。

・ドリーミアの警備員さんは、初戦の描写からするとアンチプリキュア的機能がついてるんだろうか。その後の戦闘では関係なかったけど。
デリシャストーン由来なんだから、対プリキュアの何かがあってもおかしくはなさそう。

・過去3作の皆様による「みんなのお子さまランチ」も、無理やりなカオスのようでいて「様々な要素が一つの枠に共存している」「それを誰かに伝える」の面でちゃんと本編に沿ってますね。
ところで夏海・花寺・星奈の3名だと、夏海さんが一番料理が得意なのかしら。花寺さんは何か謎パワーでごまかしていらっしゃったし、星奈さんに至っては市販品を並べて皿を殴っただけだものな…。久々に星奈さんを見ましたけど、改めてキラやばい。
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感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(3/3)

2022年04月03日 | プリキュア映画シリーズ
先々週放送分(感想)、先週放送分(感想)からの続き。

■感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(3/3)


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より引用)

突然やってきた対策不能な理不尽に対し、「思い出があるから踏ん張れる」と立ち上がった野乃さんを待っていたのは、「では思い出がない者は救われないのか」の痛烈なカウンターでした。
ミデンには何の責任もない。それなのに、ただの不運で活躍の機会を奪われ、努力の余地すらなく葬られた。挽回するチャンスも、改善するタイミングもなかった。ただただ一方的に、どうしようもない不幸で思い出も未来も閉ざされた。そんなミデンは救われないのか。

これに対する歴代プリキュアからの畳みかけるような回答が熱い。
ただの「懐かしのプリキュア大集合!」ではない。それぞれのシリーズが1年かけて取り組んできたテーマを、各々の短い時間にぎゅっと圧縮して叩き込んできます。

一つ一つはミデンの抱える救い難い苦悩への回答としては弱い。でも15年の蓄積での連打が力づくでこじあける。
現実もそうだと思う。たった一つの「刺さる」回答ももちろん大事だけど、複数の回答の合わせ技も大事なんですよ。これがダメならあれ。あれも外したらそれ。それが機能しなくなったらこれが活きる。軸を複数持つのは大事で、「複数ある」のはこれまで頑張ってきたから。プリキュアの歴史が雄たけびを上げて、ミデンの苦悩に挑む…!

以下は以前に書いた記事から体裁だけ整えて引用します。

===[再掲]====
『アラモード』
「大好きの中にも辛いことがある」から転じて「辛いことがあっても大好きを諦めない」。
その象徴たるジャンピエール氏の雄姿は忘れられません。
「スイーツ作りには視覚や聴覚も大事だ」と力説した直後、光源喪失・大家からのプレッシャー・騒音と悪臭・カラスの物理攻撃と、もう菓子どころではない状況に追い込まれながらも、それでも菓子を作る。パティシエたるもの、いかなる状況でもスイーツを作るのだ!

そんな信念のアラモード組は、やっぱりスパルタです。
何もない?だから何だ。たかがそんなことで、大好きを諦めるな。
生産中止だろうが倒産だろうが、カメラたるもの思い出を記録するんだ!

『魔法つかい』
校長先生はおっしゃった。
「言葉は願いを、願いは魔法を、魔法は奇跡を起こす」。

言語化されたミデンの願いを魔法つかいさんらは受け取った。
願いが伝われば、魔法をかけられる。
だから彼女たちは魔法をかけた。ミデンの心が救われますように。

おそらく彼女たちは直接的な解決策を持っていない。
できることはあくまで「ミデンの願いが叶いますように」と魔法をかけるだけ。
そしてその「魔法」もおそらく意味はない。「願いが伝わること」、コミュニケーションこそが魔法なんだから。
願いを言葉にし、他者に伝える。それ自体が魔法であり奇跡。

この1シーンのおかげで、本編でのキーフレーズ「魔法にルールがある」「敵を遠くに飛ばす」を、ようやく消化できた気がする。
「異文化交流」から「私の中にも複数の自分がいる」。そして「複数の私や他者を結び付け、次々と広げていくのが魔法(言葉)」。では交流することが出来ない相手は?
現時点での解では叩きのめすしかない。だけどそこに少しの猶予を持たせない。だから「あっちに行きなさない」「虹の彼方へ」。いつかきっと分かり合えると願って。

『プリンセス』
夢への道は果てしない。未来永劫、果てなく続く。
それでもプリンセスは突き進む。その姿を見て、民もまた奮起する。
自身が強いのはもちろんのこと、周囲に影響を与える。それがプリンセスだ。

悩み、絶望の檻に閉じこもったミデンに、姫様は高らかに宣言なさった。
今からその檻をぶち壊す。そして檻から放たれたなら、夢へと続く絶望の道が待っている。
あるいはそれは、檻に閉じこもっていた方が幸せかもしれないぐらいに。
だから宣告する。さあ、「お覚悟はよろしくて」。

本編ではディスダークに強制的に閉じ込められてたのを解き放っていた。「お覚悟」は敵に向けての台詞だった。
今回は違う形で使っているけれど「本来はこうだったのでは」と思いたくなるほどハマってる。
民よ、覚悟を決めよ。私の後をついてこい…!

『ハピネスチャージ』
フォーチュンさんの発した「まだまだ!」は、「人形の国」の一幕を思い起こさせます。
10年を記念した「ハピネス」チームがぶつかったのは、「プリキュアなんて所詮はアニメ。現実の不幸の前には役に立たない」という残酷な壁。
初代を見ていた子供たちが中学生・高校生になり、世界はキラキラしたものばかりではないと悟った時代。無力に踏み潰される子供時代の大切な宝物たち。
あの時、ラブリーさんたちは「無力だけど、そばにいるよ」「だから頑張って」としか言えなかった。

それから5年。現実を知り、それでも歩んだ5年。
改めて発せられた「まだまだ」。あの時は「つむぎちゃんが味わった現実の苦しみはまだまだこんなものじゃない」。
今回は逆。ミデン=立ち上がれなかった つむぎに対し、「現実の苦しみはこんなものじゃない。だから踏ん張れ」。

ラブリーさんの「あなたも幸せにしたい」は、あの時はつむぎさんに言えなかった。
確かに思い出を得られなかった。でも思い出に憧れたイノセントな気持ちは嘘ではなかったはず。
それなら、思い出を自分で汚すような真似はやめよう。そんなの、ラブじゃない。

あの時通じなかったハニーソングや、空振りしていたハワイアンアロハロエを、さりげなくぶっ放してるのも熱い。この5年で、彼女たちも成長なされた。

『ドキドキ』
ただ一言「愛を知らない悲しいカメラさん。あなたのドキドキ、取り戻して見せる」。
聞きようによっては無神経。だけど彼女たちには、それを言う覚悟がある。
何せミデンと同じく、切り捨てられた側の人たちだから。

国民と娘を天秤にかけ、国王は民を切り捨てた。
もしも王女様が平和を選んでいれば、戦いもあっさり終わっていた。
「幸福の王子」に切り捨てられたツバメのように、ドキドキさんは切り捨てられた。

ドキドキさんの戦いは最初からチャンスはなく、守りたい人から選ばれなかった。
それでもソードさんは言った。「愛に罪はない」。
ミデンを捨てた会社の人たちだって、ミデンを憎んでのことではない。守りたいものがあったんだ。
だから「愛に罪はない」。

『スマイル』
多分ハッピーさんらは「ミデンの絶望は救われない」と悟っている気がする。
未来には破綻が待っている。どんなに努力をしても、破綻そのものは回避できない。
夏休みはいつか終わるし、12時の鐘がなれば魔法は解ける。
でも、いざその破綻が訪れても、それでもキラキラ輝く明日を信じて笑顔でいよう。だから私たちはスマイルプリキュアだ。

象徴的なことに、マーチさんの放った攻撃はほとんど何の効果も持たずに飲み込まれています。
他の面々も派手に応戦してはいたけれど、スタミナ的に戦力としては一番先に脱落すると思う。
それでも「気合いだ」と叫ぶ。どうしようもないと分かっていても、それでも信じる。
奇跡が起きるから信じるのではなく、信じることそれ自体が奇跡。
「破綻する」と分かっていても未来を目指してウルトラハッピーと叫ぶ。それができたなら、確かに未来はウルトラハッピーだし、その姿はミデンに絶望に立ち向かう希望を与えるはずだ。

『スイート』
他のチームが「ミデンは何もない」と認識している中、スイートチームは違う。
ミデンは「何もない」ことを「悲しい」と感じていた。
「何もない」じゃない。「悲しい」なんだ。そして「悲しい」なら分かる。それは私たちも経験したことだから。

「プリキュア」史上に残る大どんでん返し「ノイズの正体は「悲しみ」だった」と同じ。
ミデンの目的が「世界から全てを無くしてしまおう」だったら理解できなかった。
でも「何もないのは悲しい」なら理解できる。この瞬間、正体不明のお化けではなく、私たちと同じ存在になった。「悲しい」なら分かり合える…!

これをここで持ってきてくれたのは本当に嬉しい。
蛇足ながら、本編では一番状況を理解してなさそうだったリズムさんが、その言葉を言ってるのも良いですね。私にも聞こえる…!

『ハートキャッチ』
花咲さんは、まず間違いなく状況を把握していらっしゃらない。
でもいいんです。そもそも人様の事情なんて分からない。

プリキュアが頑張って敵を倒したところで、個々人の悩みは解決しない。
服を変えても内面が変わらなければ意味がないように。変身しても本人が変わらなければ弱いままなように。
でもそれでいいんです。
服を変えれば気持ちだって変わるじゃないか。本質的な解決ではなくても、それでも助けになるのも確かなんだ。

かつてパリの人たちが、何の事情も分からぬまま差し出してくれた花は、確かに花咲さんを勇気づけた。
突然現れたデカいトカゲに、事情なんぞさっぱり分からぬまま振ったミラクルライトは、ブロ子さんたちを助けてくれた。

だから花咲さんは状況をいまいち分らぬままに、おしりパンチとかやりながら、それでも啖呵をきる。
何もないミデンにだって花は咲く。だって砂漠や宇宙にだって花は咲くんだから。

『フレッシュ』
人生山あり谷あり。されど辿り着く先は一つ。
ルーレット伯爵の重い言葉。絶対的な事実。物事には終わりがある。

やり直しも何も、ミデンは生産中止されて廃棄されているのですから、もう詰んでいます。
失敗とかそういう問題ではない。全ては終わったのです。

でもそれでも桃園さんは叫ぶ。やり直せると。
トイマジンがクマさんとして第二の人生を歩んだように。イース様がパッションさんに蘇ったように。
実際、野乃さんがとった救済策は、正にトイマジンと同じです。
どんなに終わったかに見えても、やり直せるんだ。

あの時トイマジンに通じなかった技を出しているのも熱いです。
今の桃園さんなら、伝えられる。

『5・GoGo』
人は最終的には一人だ。でもどこかで友が歩んでいるなら、自分も頑張れる。
一方、価値観の異なる相手はどうにもならない。こちらの夢を守るため、問答無用で叩き潰すしかない。
こちらから話しかけたり答えたりする暇はない。だって夢が呼んでるんだから。
もし分かり合いたいのなら、私たちと同じステージに上がってこい。
無茶だ、どうしようもないと思うかもしれない。でも私たちもそうだった。そして立ち上がってここまできた。

夢原さん:
 「だから、大丈夫」

問答無用の説得力です。他の5人が何かを補足するまでもない。
私たちの夢が「大丈夫」といった。だから大丈夫だ。

プリンセス組が「先を行く背中に励まされる」のに対し、GoGo組は「横のどこかにいてくれる」ことに勇気づけられます。
この後の遠景に、巨大なバラが直立出現してるのが非常に素晴らしいです。あの爆心地に夢原さんがいる。なんと心強いことか。

『SplashStar』
「全てのものに、命が宿る!」

無機質な死に絶えたかのように見える世界にだって、土や空がある。
そこから生命は生れ出るのです。
だから何もないかに見えるミデンだって、命を生み出せる。
無機質な物質に過ぎなくても、そこから命や思い出が生まれるんです。

「いっそ諦めた方が楽になるのに」と言われ続けた美翔さんらの必殺の台詞が、12年の時を経て再び木霊する。
「絶対に、諦めない!!」。

『MaxHeart』
先輩方はもはや語るまでもない。エキストリームルミナリオ!
15年かけて積み重ねてきた数々の回答。
そしてそれらを最後に使うのは、

美墨さん:
 「最後の一押しは、あなたにかかってるよ」

プリキュアなんて現実の不幸の前には役に立たない。
重く付きまとってきた呪縛を、15年の積み重ねそれ自体が力技でぶち破る。
今まで苦しみながら歩んできたこと自体が回答に繋がっている。
だからこれからの15年も歩ける。まず間違いなく苦しい15年だし、15年後は今以上の絶望が待っていると思う。
それでも「15年を歩んできた」ことそれ自体が回答になったように、これからの15年の苦しみもそれ自体が回答になるはず。
未来の自分を裏切らないために、過去の自分を裏切らないために、だから今立ち上がるんだ。
===[再掲 終]===

名実ともにシリーズに一区切りをつけた素晴らしい映画でした。
もう間もなく20周年ですが、この感動から更にどのような未来に進むのか楽しみです。

【ミラクルライトと視聴者】

オールスターズ復活の決め手となったミラクルライト演出は、もう言葉になりません。
「プリキュア」世界の中では解決できない。でも「プリキュア」を応援してきた視聴者の中に「プリキュア」はいる。だから復活できる。応援してくれる視聴者がいる限り、「プリキュア」は立ち上がってくれるし、だからこそ私たちも現実の不幸に立ち向かえるんだ。

無粋を承知で続けますと、この「視聴者の応援でプリキュアが蘇った」は、「ハグプリ」本編の謎解きにもなると思っています。
歴史改変説を前提にする場合、「歴史を変えたのはタイムトラベルではなく、21話で黒白キュアが召喚されたことだ」とするのが私としては一番綺麗に説明できる。

21話にてメロディーソードをマシェリが欲しがりました。視聴者の誰もが追加玩具を連想したはずで、私らの知る最も頼もしい「玩具」は「プリキュア」です。だから黒白キュアが召喚された。
ハグプリ世界は本来はずっと同じ歴史を繰り返していた。でも今回のループでは我々視聴者が観測していた。だから黒白キュアが召喚され、歴史が変わった。

「オールスターズメモリーズ」と同様のギミックで未来が変わったとするのは整合性が取れているし、タイムトラベルの難点であるタイムパラドクスを綺麗に回避できます。
(詳細:「世界はいつ分岐したのか」

また、「視聴していた私たちの歴史が変わった」ことも示唆されます。時間ネタの創作物は多数あれど「読んだ(視聴した)私たちが改変に巻き込まれた」構成は、私の知る範囲ではありません。定番の「プリキュアがんばれー!!」をSFギミックとして昇華した、「プリキュア」コンテンツだからこそできた時間SFとして特筆すべき構成だと思う。
(参考:「歴史が変わる前の物語」

この説にはちょっと愛着があるので、折につけて主張していきたい。
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感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(2/3)

2022年03月27日 | プリキュア映画シリーズ
先週放送分(感想)からの続き。

■感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(2/3)


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より引用)

不意に訪れた理不尽な災厄に、心が折れかけた野乃さん。
だけど顔を上げると、子供の頃に憧れたヒーローたちが果敢に立ち向かっている。
振り返ってみれば、そこにはかつての自分。子供たちの姿も。

私がなりたかったのはあのヒーローたち。彼女たちなら諦めない。それに引き換え、今の自分はどうか。
これしきのことで心折られるなんて、そんなの私のなりたかった私じゃない。
あの頃の自分を裏切らないために、憧れたヒーローたちを否定しないように、だから叫んで立ち上がる。

もはや逆ギレです。事態を解決する術も妙案もなく、無駄だろうが何だろうが今まで頑張ってきた私を舐めるなという、ただただ闇雲な突進です。
でも追い詰められたとき、最後の最後の踏ん張りはもうそういうことしかないと思う。

10周年の時「何にもできなくて、ごめんなさい」とつぶやき、「それでもそばにいるから」「あの頃のイノセントな気持ちを忘れないで」と儚く寄り添った時代を経て、盛大に振り切ってきた。
未来が壊れてるとか努力では解決できないとか、そんな分かり切ったことはもうウンザリだ、それでも生きてきたんだと積み重ねそのものをパワーに変える。
「リワインドメモリー」のはまりっぷりも凄まじい。変わりゆく季節の中、目を閉じて思い出を振り返れ。そして喜びも悔し涙も力に変えて立ち上がれ。
15年目の「ハグプリ」だからこそできた物凄くパワフルな回答だと思う。

そして奮起したキュアエールをミラクルライトを振って応援した子供たちが成長し、プリキュアとして参戦する。
応援してくれる子供たちの前では負けられない。負ける姿を見たくないからプリキュアになって自分も戦う。
現実の自分もこうでありたいと思う。

…と、ここで終わっても十分に15周年メモリアル映画として成立するのに、即座に打たれる致命的なカウンター。

『では思い出がない者は救われないのか』

ミデンに思い出がないのは彼の責任ではない。野乃さんらと同じく、不可避の理不尽な不幸に見舞われたせいです。
今回放送分まででは、初代も当時最新鋭のハグプリも回答を持っていない。戦闘前のミデンへの説得も空虚に響き、果ては全滅。
完全に詰んだこの状況。突破手段はつくづく凄まじい。来週も楽しみです。

【15年から後の時代】
16年目以降のプリキュアさんは、ミデンとの戦い(今回放送分の前半の戦い)に勝てないように思う。優劣の問題ではなく、テーマ的な相性として。

スタプリ:
ミデンを理解することではこの局面は突破できません。固定観念の枠で苦しんでいるのでもない。「もっと自由に星座を描こう」とばかりに「仲間や記憶は実は不要なのでは」にまで吹っ切ってしまえば勝算もあるかもしれませんが、自分自身を失ってしまったら勝ちとは言えないように思う。

ヒープリ:
ミデンを踏み越えて前に進もうにも、そのための手段がない。仲間を犠牲にすれば勝てるかといえば、そうでもない。この状況下ではミデンが記憶を奪って進むことを肯定してしまうため、敗北を早めてしまいそう。

トロプリ:
今一番やりたいことができない。トロプリ的には後付けで浮上するはずの「目標」が、既に明確に立ちはだかっている。夏海さんの「今一番大事なことをやっていれば、それが何の役に立つのか今は分からなくても、いつかは何かの力になる」は、差し迫った目の前の具体的な危機には無力だ。トロピカれないのが問題なのに、トロピカってる場合ではない。

じゃあデパプリはどうなんだろう?
「奪われるレシピッピ。失われる楽しい経験」「子供の頃は見えたのに、大人になると見えなくなる」「孤立、分断」は、テーマ的に相通じるものがあるように思えます。

結論先行で「デパプリは勝てない」と決めつけるなら、違いは「思い出と違い、レシピッピは具体的に役立つもの」あたりでしょうか。
「思い出」そのものはミデンを倒す役には立っていない。「3年前に編み出したこの技を使おう」とか「その攻撃はもう見た!通じぬ!」とかではない。技法ではなくアイデンティティの問題であり、料理で言うなら「産地」とか「生産者の苦労」とかのことに思えます。

デパプリが想定している課題は、「想いはあるが、物理的に断絶していて交流できない」「自分の想いを皆で共有する術(例えばレシピ)がない」なのかもしれない。
現実社会でいえば、会いたいけれどコロナ渦で会えないのようなもの。想いはあるが、実行手段がない。その実行手段をもたらすのがデパプリとか。
逆に「想いはないが、実行手段はある」だと、全員義務感でやってるような職場の飲み会とかになってしまいます。デパプリがミデンと戦うとそんな感じになってしまう、故に勝てないのかもしれない。

対ミデンを軸にして書いているので「勝てない」とネガティブな表現になりますが、逆に言えばハグプリは16年以降の敵とは相性が悪いです。
子供時代の思い出を胸に奮起するのは良いこと。でも固定観念を助長するし、切り捨てるのを躊躇するし、新しいことも取り入れづらくなる。これらを突破するには、スタプリやヒープリやトロプリの力がいる。
15年目の野乃さんの戦いを境に、プリキュアのフェーズは大きく変わったのを感じます。

ところで「レシピ」は技術であると同時に、思いや文化も練りこまれています。思いも文化もないレシピが良いレシピとは思えない。
デパプリが「手段はあるが思いには言及しない(思いがあるのは当たり前の前提とし、思いがない状況を想定しない)」のなら、「思いはあるが手段がない」ハグプリと組むと相互補完になりそう。ヒープリとプリキュア5、トロプリとハトプリも対称的な組み合わせでした。

例えるなら「土地は瘦せてるし碌な食べ物ないけど、それでも私はここが好きで頑張って生きてきたんだ!」の逆ギレに、「貧相に思えた食材を美味しく食べるレシピを開発」を繋げるような感じか。
デパプリ側から見るなら「技術的にはこの組み合わせで料理をすると美味しいんだが、マッチする食文化の人いるのか?」または「特徴的すぎる料理(例えば激辛料理や昆虫食)は共通の団欒にはそぐわない。では存在意義がないダメな料理なのか?」の解決になるとか。

実際らんらんは楽しく一人飯を謳歌している(マズ飯被害に遭われまくってますが)。「一人で食べてキュアスタにアップ」も悪ではなく、それに適した料理だってある。今はマイナス要素として描かれている芙羽様の一人飯も、この経験をより良いレシピ(例えば連帯感を持てるような食材を使うとか)に昇華するエピソードがあるのかもしれない。
(色々と無理がありますが、放送話数が少ない現段階での思考実験として)

ハグプリがまだ4年前なのでコラボするには早そうには思えますが、来年が20年のメモリアル年なので、先駆けて旧作を振り返るような販売戦略もあるかもしれない。良くも悪くも偶然に、野乃さんはテレビ復帰して知名度を上げましたし。
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感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(1/3)

2022年03月20日 | プリキュア映画シリーズ
経緯は不幸なれど「オールスターズメモリーズ」を改めて視聴できて嬉しい。

■感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(1/3)


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より引用)

本作は15周年記念作。「プリキュア」シリーズ(特にメモリアル年)は「初期作を見ていた幼児たちの現在」を意識しているように見えます。

10周年の「ハピネスチャージ」では、プリキュアと同年齢になったかつての幼児たちが、現実の不幸に直面します。テレビの中の「プリキュア」世界とは違い、現実は悪意や不幸や失敗で満ちている。
子供時代の大事な玩具が踏み潰され、「使ったら勝ち」のはずのミラクルライトも不幸の前にはじき返される。所詮はただのオモチャ。ガラクタに過ぎないのだから。

そんな厳しい10周年を経ての15周年です。当時の幼児も成人を迎えたり、社会人になったりした。そしていよいよどうしようもない壁にぶち当たる。
元々プリキュアの世界観は「未来は壊れている」だと思っているのですけど、その壊れた未来がついにやってきてしまった。

頑張ればどうにかなるかもしれない苦労とは違う。部活に打ち込んだり、勉強を頑張ったり、友達と協力したりしてきた子供時代の想いが、「不景気だから就職できない」みたいな身も蓋もない横殴りで吹っ飛ばされる。そんな感じ。
実際に本放送当時は、新社会人をテーマにした実写イメージ映像も作られていました。

幼児化した面々に振り回される野乃さんは、「ワンオペ育児で大変」とは苦しみの質が違うように思います。
そうではなく、今までの努力が否定され、上手くいっていたはずのスキームが機能しなくなるような苦しみ。「夫婦で協力して仕事・家事・育児をやってきたのに、全くの不幸で配偶者が病に倒れた」ようなそんな苦しみです。
これまでのやり方が通じない。フェーズが変わったのに、それに追従する武器がない。

「マシェリにミルクを飲ませようとして跳ねのけられる」シーンは特にきつい。
この時のマシェリは、おそらく2歳~3歳ぐらいです。エトワールらが4歳~5歳ぐらいの言動をしているので年齢差を考えると2歳~3歳。また、いわゆる「魔の2歳児」の如き動きをしています。

2歳~3歳の主食はミルクではない。

野乃さんははぐたんの世話をしていますから、いつもなら気づいたはずです。映画冒頭ではぐたんに離乳食を食べさせているんだから、気づかないはずがない。
でもこの時の野乃さんは気づけなかった。疲弊しきって、いつもならできることすらできなくなっている。
ただでさえ困難な課題を抱えているのに、これでは解決できるわけがない。

外部からの問答無用の危機から派生して、体制が壊れ、できていたはずの日常すら崩壊する。
「プリキュア」コンテンツのメインターゲットの年齢の子の前で、心が折れるプリキュア。この絵は辛い。
プリキュアといってもただの中学生なんです。現実の厳しさの前には通用しない。

でも、それでも立ち上がる。
「ただの中学生だ」と言った張本人たる美墨さんが、子供を守るために無力を承知で立ち向かう。15年前の思い出を守るために。今の子供たちを守るために。

雪城さんにミラクルライトが現れるシーンは、何度見ても涙がこぼれます。
もう本当にどうしようもないその時に、子供時代に無邪気に信じた玩具がもう一度だけ力を貸してくれる。
雪城さん視点でいえば、子供に戻されたからこそ、幼少期に置いてきたあの気持ちが、もう一度後押ししてくれた。

現実でいえば、仕事の辛さに泣きそうなとき、ふと整理した押し入れから大好きだった玩具が転げ落ちてきたような、そんな感覚です。
どうにもならないからこそ、あの時の純粋な気持ちが熱く染み渡る。

そして現れる、幼いころに憧れたヒーロー。
客観的にはガラクタでしかない玩具たちが、過酷な現実に向かい敢然と立ち向かっていく。
今週放送のここまでだと「勝てない」のがまた何とも切なく熱いです。黒白キュアは折れずに戦う。でも彼女たちだけでは勝てない。何といっても、所詮は「子供時代の玩具」なんだから。ここからの野乃さんの奮起は、プリキュア史に残る名シーン。気持ちを高めながら、来週を待ちたい。

【蛇足】

「小さくなったアムールだけは良い子にしていた」のは、「ルールーは幼少期(2030年~)に、野乃はなやはぐたんに会っていて顔を知っていたから」だと主張してみたい。きっとボンヤリと「はな社長が若作りしています」とか思ってたんだ。
最終回のあの子と若干雰囲気が違いますが、作画の範囲と言えなくもないはず。

「歴史は変わっていない」説の、ちょっとした傍証に使えると思う。
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感想:映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪

2021年10月23日 | プリキュア映画シリーズ
■感想:映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第33話CMより)

いつものようにヤラネーダを撃破し、やる気を取り戻していたら、シャンティア王国の戴冠式に招待されました。
だけどそこのシャロン王女には思惑があって…。

【詳しい事情はわかりません】

今作の目玉のひとつ、ハートキャッチの参戦。
ハトプリのテーマは「通りすがりには詳しい事情はわからない。だけどお手伝いならできる」。本質的な解決はできなくても、立ち上がるきっかけは与えられます。

これが見事に玉砕した。ハトプリ理論が機能しない状況がばっちりがっちり用意された。

ローラへのアドバイスが滑ったのは、「正体が人魚」を知らなかったからでしょう。ローラのファッションセンスが壊滅しているとは思いがたいので、おそらく海の世界ではあれがフォーマルと思われます。水中ですからヒラヒラしたリボン系より、固い小物が映えるのかもしれない。

対シャロン戦はもはや惨いとしか。事情を知らない、知っても解決できないハトプリでは王女を救うルートがありません。

【今一番大事なこと】

トロプリも似たテーマを抱えています。
今一番大事なことが将来どんな役に立つかはわからない。でも何かの役には立つ。

変身バンクは猛烈に熱いです。
この敵に、ハトプリは勝てない。では似て異なるトロプリは?
何せ長大なフルバンク。音楽も壮烈に鳴り響く。勝てるのかトロプリは。勝てるとしたらどうやって?ブロ子はあてにならないから、頼むよトロプリさん…!
焦らしに焦らされ、高まる期待と恐怖。バンク演出そのものが良いこともあって涙で滲む。

そして案の定というか、格好よく駆けつけたハトプリは崩壊。弱いわけではない。変身バンクも音楽もやたらにすごい。だけどテーマ的に無理だ。

「お手伝いならできる」と「今一番大事なこと」の衝突。
よくある「○○VS✕✕」は「戦ってないじゃないか」と言いたくなるものも多いですが、これは正しく「ハトプリVSトロプリ」。技が当たったとかそういう意味でなく、この局面のこの立ち位置ではテーマがぶつかってしまってる。

【ハトプリとトロプリ】

「今一番大事なことをやれば、気持ちが伝わる」のがトロプリ。
「気持ちが伝われば、お手伝い(今一番大事なこと)ができる」のがハトプリ。
まだ上手く言語化できないけど、ざっくり言えばこんな感じだろうか。

解決の突破口はローラと王女の交流だった。
ローラはこれを見越して接触していたのではない。王女も素で友情を感じています。両者ともに打算はない。今一番大事なことをやった。その結果、気持ちは伝わった。

それができる存在がいるなら、ハトプリは息を吹き返します。
映画「花の都」におけるオリヴィエ=ローラの立ち位置です。花咲さんはローラと王女の関係性なんて知りません。が、よく分からんが何かがあるらしい。だから手伝った。

ラストシーンで花咲さんがローラにハンカチを差し出すシーンは、オールドファンには感涙もの。かつてパリ市民から差しのべられた手を、今度は花咲さんが。

トロプリチームをパワーアップさせる流れも、パリの戦いを彷彿させます。
でかいトカゲと戦う謎の娘さんに、事情が全く分からぬままパリ市民はお手伝いをしてくれた。
雪の王国に現れた謎のトカゲ(奇しくも同じ爬虫類系)との戦いに、戦局は全く分からぬまま花咲さんは力を送った。

お互いにお互いの不足を補う素晴らしい共闘。前回のヒープリ・プリキュア5もそうでしたが、先達が勝てない状況を覆すのが熱すぎる。
かといって先輩が貶められているのでもない。今回もトロプリだけでは(テーマ的にも)勝てなかった。

ハトプリがかつての戦いを切り抜けられたのは、皮肉にも敵方のデザトリアン療法により、心の声が公開されていたからなのかも。思い返せば来海さんも「第8話」で「言わなきゃ分からない」と言っています。ハトプリ単体では欠落している、この「言う」をトロプリが補ってる。
逆にトロプリ側は、「今一番大事なこと」には明確な算段がありませんから、外からのサポートがいる。本編でいえば顧問の先生や女王様でしょうか。詳しい事情は分からなくてもいい、むしろだからこその補佐がありがたい。

本当に物凄いですね、これ。タイムトラベルして「これがハトプリの秋映画だ」と言われても、成立してしまいそう。それでいてしっかりトロプリ映画になってる。「凄い凄い素晴らしい」としか言いようがないです。

【他、感想】

●「心の氷を溶かそう」と言われたトロプリさん。おてんとサマーストライクからのフラミンゴスマッシュに火の鳥召還と、火属性攻撃の連打。素直です。でもそういうことじゃない。

●オーケストラさん活躍!捌く捌く鉄拳!たぶんサマーさん達、これ誰だろうと眺めてたと思う。その人が何なのか、詳しい事情は誰も知らない。

●王女様は夏海さんらがプリキュアだと知った上で招待しています。「お菓子の国」等と違い、不意打ちや罠もしかけない。真っ向から勝つ気でいる。怖い。

●素直に考えるなら、あとまわしの魔女と伝説のプリキュア様も、今回のシャロン王女とローラのような関係なんだろうか。

●ゆりさんによれば1万2000年前(?)の彗星衝突が原因だそうです。妙に具体的な数字が突然でてきた。
軽く検索してみましたが、確かに1万2000年ほど前に有名な衝突があったらしく、寒冷を招いたようです。

ただ何でそれだといきなり断定したんだろう?一般的な感覚だと、最初に連想するのは恐竜絶滅の6600万年前の奴のような。
砂漠の使途絡みだとかだと、サラマンダー男爵より前に飛来してきていた?何にせよ、具体的な数字を出す物語上の理由になりません。
ハトプリお馴染みの「詳しい事情はわからない」ネタなんだろうか。

●薫子さんがイベントに参加していたのは、「希望ヶ花市は近い」のか「(前述の)砂漠の使途絡みで同行していた」のか。もうとにかく「詳しい事情はわからない」ので、この人らの背景を考えても仕方ない…。

●同じく近くにいたらしい花寺さんは、ご招待されなかったらしい。
仮にヒープリが参戦していたら、どうなったんだろう?

テーマ的には、王女の事情が何だろうとこちらが譲歩する理屈にはなりませんから、粉砕しにかかったと思う。
ハトプリ&ヒープリからの有無を言わさぬ波状攻撃。ローラは耐えられたんだろうか。。

●水中戦を挑むローラが素晴らしい。冒頭の戦闘もシャンティアでの初戦もハートキャッチ参戦後も、水中からの攻撃をメインに据えています。水中呼吸可能な生物に、水の下から回り込まれたり攻撃されたりって、かなりいやらしい攻撃だと思う。
マリンさんが水中戦に付き合ってるのも頼もしいです。今ならDX3の海上ステージも怖くない。

●例によって時系列が分からない。
おそらくはトロプリ最終回前ですが、ハトプリ最終回の後かどうかは不明。ハトプリ秋映画の後かも不明。
ブロ子たち自身はスーパーシルエットを発動していないので、下手をすればハートキャッチミラージュ入手前の可能性すらある。

逆に思いっきり未来かもしれない。花咲さんらが制服を着用している映像もありましたが、趣味で着ているだけかもしれないので「この花咲つぼみは実は32歳です」もなくはない。プリキュア世界の時間の推移は、もう考えてもどうしようもないのかも。

●鏡にシャロン王女の姿が映るのは、ハートキャッチの最終戦でデューンがミラージュに映るのと同じ。

●ハトプリの対だと思うと、本編の今の流れも分かるかも。

みのりん先輩は一番大事な創作をしたら、自分を伝えることになった。
涼村さんの一番大事な「可愛いを伝える」も、「自分が何を可愛いと思っているか」ですから自分を伝えることになる。
あすか先輩もプリキュアとしての戦いを通じ、生徒会長に何かが伝わりかけています。

ローラの「足が生えた」と同様の「それが目的ではなかったが、今一番大事なことをやったら結果的にそうなった」。
これが正解だとすると、これを人魚姫テーマに絡めてくるとか物凄い発想だなと思います。

●大活躍のくるるんも、何にも考えてない。今一番大事なこと(今一番やりたいこと)をやってたら、結果的に役立った。何かもう色々おかしい。

●スノードロップには「希望」の他に「死」の意味もあるそうです。花言葉には概ね正と負の意味があったりするので珍しくはないですが、花咲さんはこれを手掛かりに事態を把握していたのかもしれない。

ところで花咲さん、何か最後にまとめ的なことを言ってましたけど「私の時代にはスノードロップは生えていませんでした」とか言われたらどうしたんでしょうね…。
気候が激変してるので、その可能性かなりあったと思うのですけれど…。

●うちのお子様、帰り道で「お尻パンチ」「引き戸」に沸き上がってた。あと「鳥が…」と絶句し、ラストでは涙してた。楽しんでくれたようで何よりです。
ただ「短かった」と大変にご立腹でした。

来年の春映画はなし。詳しい事情は存じませんが、コロナの影響が読めないし仕方ないかなとは思うものの、とても残念です。「DX1」の頃からもう10年以上か…。恵まれすぎて感覚が麻痺してた。

映画をやらない代わりに、例えばネット配信で映画的なものとかやってくれないかしら。もちろん有料で。
そのやり方なら「小さな子供の集中力が続かないから1時間強で」の制約も外せると思うので期待しています。
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感想:(プリキュア5編)映画ヒーリングっどプリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!

2021年03月27日 | プリキュア映画シリーズ
夢原さんパートを見てきました。

■映画ヒーリングっどプリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第1話CMより)

花寺さんたちが東京にやってきたのと同日同時刻。
夢原さんたちもまた東京駅に降り立ちました。目的は春日野さんが出演するTGCのステージ。あとシュークリーム。
そして花寺さんたちと合流し、本編ストーリーへと流れるのですが…。

まず「夢原さんたちが全く完全に別行動をとっている」のがテーマ的に熱いです。
ヒープリのテーマ「各自が生きるために戦う」「見返りを期待したのではなく、結果的にお互いに助けになる」の構造そのまま。
メタ的に再現されていて、それだけで圧倒された。なるほど、ヒープリ映画でやるのが物凄くぴったりの演出だ。

プリキュア5の視点でも満足。「夢を目指すとき、人は一人だ」「でもどこかで頑張っている仲間がいれば私も頑張れる」。
夢原さんらは頻繁に「キュアグレースがいるはず」「助けてくれるはず」と信じています。
その信頼に応えて花寺さんは現れたし、駆け付けてくれた。

夢原さんが捕まったのは「エゴエゴと取引したから」。
本編映像だけだと「ココナツを人質に取られたから」かと思われたのですが、やっぱり違った。あの子らに人質は効かない。

交渉をしかけたのは不思議といえば不思議。ですがおそらく「エゴエゴは悪ではない」と見抜いていたんだと思います。
彼は一貫して夢を語っている。「強い」や「偉い」はそれ単体では「悪」ではない。現にエゴエゴは夢原さんとの約束を守り、夢を解放しています。もしエゴエゴが裏切ったら?は愚問でしょう。夢原さんはその辺を完璧に見抜くし、よしんば嘘ついたらあの状況からでも「絶対許さない!」発動からの逆転してたと思う。
実際「もう夢のつぼみを集めない」とは約束させていない。エゴエゴも「集めるかも」とちゃんと伝えている。でも大丈夫。もしそうなっても、ヒーリングっどプリキュアがいるから。
そしてこのやり取りを全く知らなくても、花寺さんたちは来てくれた。だから大丈夫。

国立競技場の高跳びのシーンと被さってるのも素晴らしい。花寺さんらが「他者を想う気持ちは強い」と感動していたその同時刻、マラソンした後「他者の夢」を使ってエゴエゴが反撃を試みる。対比が強烈です。
その上で夢原さんは他者のために行動した。他者を想う力は、強い。

「プリキュア5」の映画としても満足できるし、「ヒープリ」のテーマをメタ的に再現しているしで、とにかく素晴らしかった。
ただのサイドストーリーではなく、独立しても複合的にも楽しめるって凄い。
この手法はぜひ次回も継続して欲しいです。

【野乃さんの暗躍】

夢原さんはどうして「キュアグレースが東京にいる」と知っていたんだろう?
「はなちゃんから聞いた」とのことですが、では、野乃さんはなぜそんなやり取りをしたのか?

野乃さんがプリキュア5がこの日に東京に行くことを知る機会はある。
たぶん夢原さんが「うららのステージがあるから応援よろしく!」的なのを連絡したんでしょう。「春日野うららのファンだ」的なことを、以前あったときに話していますし。(結果的に誰も来なかったあたり、レモネの人望…。)

その際に「ごめんいけない。あ、でもそういえば新しいプリキュアのキュアグレースが、その日に東京に行くんだって」のようなやり取りがあったのかもしれない。
では花寺さんが東京に行くことを、野乃さんはどうやって知ったのか。
おそらく花寺さんから「今度東京に行くよ!」的な連絡があったんでしょう。それほどおかしくはない。

さて若干ひっかかるのは、野乃さんはなぜ事前に2チームを紹介しなかったんだろう?

夢原さんたちはプリキュア名「キュアグレース」しか知らず、本名や顔の情報は持っていないように思えます。
(正副それぞれ1回ずつしか鑑賞していないので、記憶違いだったらごめんなさい)

・路地で変身しようとしている花寺さんらを見て「あの子たちがヒーリングっど?」とあたりをつけています。が、前後の状況を見れば、顔を知らなくても予想はできる範疇だと思う。

・「あとでホテルに連絡する」と言っている。普通に考えれば、本名が分からないとフロントはつないでくれないはず。ただこれは後で野乃さんに聞けばよいだけなので、この時点で知らなくても矛盾はない。

知らなくても変ではなく、一方で「ヒーリングっど」のチーム名をうろ覚えなことから、あまりしっかりした情報はもらっていないと予想されます。プリキュア名・本名・顔の情報が揃っているのに、チーム名があやふやというのは、ちょっと夢原的でない気がする。(逆に、仮に情報が揃っているのにうろ覚えだったのだとしたら、後述のブンビー呼称問題と同様に「プリキュアというだけでは無条件には信頼しない」という強烈な意味が出てくるので、それはそれで熱い)

では何で野乃さんはそれを伝えなかったんだろう?というかプリキュア名の情報だけで、何で会えるかもと思ったんだろう?
「個人情報なので勝手に教えるのは避けた」はありそうには思う。そういうの大事。でもそれなら、どちらかのチームに了承をとればよいです。

「初対面同士で会ってもやることないし」みたいなのもなくはない。お互いに予定もあるだろうから、プリキュアというだけでわざわざ会いたがるかは疑問です。
ただ「春日野うららがステージに立つ」「そのイベントを花寺さんらは観光する」のだから、野乃さんの性格的にも「だったら一緒に応援するのがよい」と考えそう。

それならば何故?
まぁ「野乃さんがうっかりしていた」とか「普通に本名も顔も知っていた」等の可能性もありますが、せっかくなので「野乃さんはこの騒動が起きるのを知っていた」とでもしたい。
野乃さんはタイムリープ能力があるようなので(参考:「時をかける野乃はな」)、未来の情報を持っており、この事件が起きるのを知っていた。だからわざわざ教えなくても巡り合えると分かっていたので、あえては本名等を教えなかった。

これが正しいかはともかく、「プリキュア同士で情報交換している」描写があったのはちょっと感動しました。
あの子ら、そういうことやってなさそうで、時系列とかの考察をするときに障壁になってた。そうか「新しいプリキュア」情報ぐらいは連絡するんだ…。
今回のが「連絡はするが本名までは伝えない」=「プリキュアといっても適切な距離感はある」事例だったのか、「普通に細かく連絡しあう」=「プリキュア同士は仲良しで詳細に情報共有する」事例だったのかは分からないですが、「全く連絡しない」は消えた。前進。

それに、聞いた相手が野乃さんです。星奈さんではないし、別の誰かでもない。
この時点で夢原さんは星奈さんと面識はあるんだろうか。なんともわかりませんが、「確実に知っているとは言い切れない」だけでも情報としては大事です。

「はなちゃんから聞いた」のあの一言は、何気にかなり興味深い。

【いつかどこかで】

夢原さんはブンビーさんのことを何と呼ぶのか?
地味に謎だったそれが、ついに明らかになりました。

夢原さんは「敵」認定した相手は徹底して拒絶する。名前なんか認識してすらあげない。
ブンビーさんのことも「ナイトメア」「エターナル」と組織名で呼び続けました。
だからこそ最終決戦時の「ブンビーさん」呼びが感動的だったのですが…。

久方ぶりの再会をしての第一声は「誰だっけ?」でした。夢も希望もなかった…。
それでも懸命に思い出しての第二声は「ナイトメア!」。現実は残酷だった。

思わず涙しましたが、その後のエゴエゴとの乱戦時には「ブンビーさん」と呼んでくれた。
ブンビーさん、やっと認めてもらえた。

そのブンビーさんによれば「ナイトメア、エターナルを経て起業し、クライアスに派遣されていた」そうです。
以前に書いた記事(「ブンビーさんの就職活動」)の答え合わせができた。
「ハグプリ」36話にて「引き抜かれた」と語っていたので正社員かと思い「じゃあブンビーカンパニーはどうなったんだ」と思ったのですが、そういう経緯だったらしい。

これによりヒープリ映画の現在時刻が、「5」「GoGo」より後なのは確定しました。「ハグプリ」より後なのかははっきりしない。少なくとも36話やミラクルリープよりは後と思われますが、ジョージとの決戦後かは不明。

「ブンビーさんはエターナル戦後から、夢原さんとは会っていない」のも判明。
「DX2」やハグプリ36話等、会っていてもおかしくはなさそうなのですが、わざわざ顔を出したりはしなかったらしい。

【その他諸々】

エゴエゴを見たブンビーさんは「カワリーノさん!?」と誤認。姿かたちは全く似ていないことを思うと、やや唐突です。
カワリーノさんが生存していると知っていて常々可能性を考慮していたのか、カワリーノさんのことがトラウマすぎてフラッシュバックしたのか。この発言で「カワリーノさん似の部下」がカワリーノさん本人の可能性がちょっと上がった。
サービス的な一言を掘り下げるのも野暮ですけれど。

ナッツハウスは、意外に東京に近いらしい。
彼女らのセリフから東京駅にはそれなりに頻繁に来ているようです。また、仕事を片付けてからココナツがやってこれるくらいの距離。
夢原さんたちが現実の地名を口にすることすら珍しいので、「東京近くにサンクルミエールがある」と分かったのはちょっと新鮮。

ドリームアタックを初め、色々なことが急激に動いた感があります。実に濃い時間だった。

参考:
感想:(ヒープリ編)映画ヒーリングっどプリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!
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感想:映画ヒーリングっどプリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!

2021年03月20日 | プリキュア映画シリーズ
■映画ヒーリングっどプリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!

花寺さんらは東京へ。そこではゆめアールなる催しが展開中。夢を実体化する恐るべき超絶イベントです。ところがその夢をかき集めて「身勝手な」夢を叶えようとする人たちがいて…。

ヒープリのテーマたる「生きる」。そしてそのための「戦い」。
カグヤさんを生かそうとする母の願いは、周囲を犠牲にする道を選んだ。
けれど花寺さんも、当のカグヤさんもそれは拒否。
どんな夢も尊重されるべきだ。故に私たちの夢を犠牲にはできない。

このまま消滅エンドかとも思われましたが、花寺さんは彼女を救いたいと願った。周囲の人たちも願った。
ゆめアールは人々の夢を具現化する。沢泉さんの国立競技場でのエピソードしかり、他者を思う気持ちは一際強い。そのおかげでカグヤさんは一命を取り留め、めでたく解決を迎えました。

この構図は、やっぱりダルイゼンやキングビョーゲン様を想起せざるを得ません。
彼らとカグヤさんの根本的な違いは、そもそも救いたい相手だったかどうか。また、カグヤさんのこれは自身を犠牲にはしていない。

「利害」と言ってしまうと随分と無機質ですが、つまりは方向性や気持ちが一致しているかは重要です。
本編エピソードでの「エレメントさんを助けたら、結果的に力を貰えた(ボトルを集めるために助けたのではない)」と同じ。
カグヤさんはこれを見越してモデル活動をしていたのではなく、夢を見て貰いたくてモデルをやっていて、たまたまその結果として応援してくれて救われた。ビョーゲンズのケースとは根本が違う。

生きることは多くの異なる他者のそれぞれの戦いで、それらの戦いが輪になってリンクしている。ヒープリの締めくくりに相応しい映画だったと思う。

【14年前に生まれた夢】

博士が思い悩むシーンにて表示される「2007年」。今から14年前。奇しくも花寺さんたちが生まれた頃。そしてプリキュア5の放送年。

※注)カグヤさんが現れたのが2007年なのかは不明。また劇中時間が2021年なのかも不明。カグヤさんは14歳とは言われていますが、人外な上に「かぐや姫(成長速度が異様に早い)」ですから14歳=14年かは不明。なのですが、とりあえずそれは横に置きます。

14年前に生まれた夢のために博士は戦った。14年前に放送された夢原さんが助けに来た。その14年前の夢原さんを使い、博士は夢を叶えようとし、14年前に生まれた花寺さんが夢を守った。
映画を見るまで気づきませんでしたが、「14年」は意外に強烈な数字だった。なるほど、だから夢原さんはこのタイミングだったのか。

プリキュア5が援軍に来てくれた時の頼もしさは凄まじいです。実際には彼女らはそこまで「強い」わけではないと思う。今からすれば武装は地味、単純な戦闘力ではヒープリ組に劣るのではないかとも。ですが経験値やらマインドやらがやっぱり違う。

相手が空中にいるならシューティングスターを移動手段に。一人がガードし、足止めしたところにもう一人が狙撃。技の発動エフェクトで牽制し、束縛拘束で動きを止め。サイズを可変して懐に潜り込んでカウンターとか、初見では対応無理です。ハデーニャ戦のあれがコンビネーションに取り込まれてる…。

パートナーフォームの花寺さんらと、ノーマルフォームで同等に共闘してるのも何気にすごい。単純な火力では一回り下だと思うんですが、互角以上に立ち回っていらっしゃる。

極めつけにまさかのドリームアタック!「仮面を破壊しないと倒せない。仮面以外への攻撃はほぼ無効」のコワイナー(黒白キュアの攻撃が直撃しても、ほぼノーダメージ…!)に特化した、一点突破のホーミングバタフライ。「本質を即座に見抜く」夢原さんを物凄く現したあの技が、GoGoコスの今この令和の時代に。
予告映像では蝶だった登場時のエフェクトが薔薇に変わっており、ちょっと寂しかっただけにこれには驚いた。反射的に涙でた。

しかもあの戦局、確かに適切です。遠距離で逃げかけてる敵に対し、グレースの攻撃を誘導して直撃させてる。
テーマ的にも熱い。花寺さんは「生きる。そのために戦う」。そんな彼女にとって「先を導く夢」は強烈に刺さります。夢に先導されて進むグレース。生きることは戦いだ。でも夢があるから前に進める。

一方、夢原さんにとっても救いです。夢原さんは「夢を叶えるために戦うとき、最後は人は一人だ。しかし同じように戦う友がいるなら、孤独ではない」。
どのようにして彼女らがエゴエゴに敗れたのかは分からない(来週が楽しみです)。ただ、14年前に生まれた夢原さんを、14年後の花寺さんが助けにいくのは象徴的です。夢原チームは一人ではなかった。ともすれば孤高にもなりかねない夢原理論に、応えてくれた。これはオールドファンとしてはかなり嬉しい。

「プリキュア5すごい!強い!」だけでなく「プリキュア5が救われる」が見られるとは。副音声サイドが楽しみすぎます。来週も観に行こう。

【トロピカってる生き様】

例年であれば春映画はその年のシリーズのテーマが提示される…のですが、今年は僅か数分。だからこそというか、もう最初から最後まで「時間がない」「今やるべきは何か」の全力推し。夏海さんはこれに1年取り組まれるんだろうな。

無粋かつ野暮に考えるなら、「たった3分前に連絡を認識するのがまずい」ので「計画性」とかが絡むのかしら。
本編にて、夏海さんもローラも妙に計画を語っていらっしゃるので、なくはない気もする。いや、いたって普通にローラが連絡を忘れてただけだとも思いますが。

あと、人魚さんの海戦が見られたのも大変嬉しい。空中とか地上とかどうしようもないけど、海の中ならプリキュアより機敏。本編でもやって欲しい。

【みんなの心にゆめアール】

アース推しのうちのお子様と観てきました。
もともと怖がり(というか危機意識が強い)な子なのだけど、今回は一際怯えてた。エゴエゴは見た目はそんなに凶悪じゃないのに…とも思ったのだけど、考えてみればプリキュア5を撃破してる。衝撃的だな、改めて思えば。実際、結構ぐっさり来た。

あえて書くなら、やられ方もオマージュだったのかしら。
カワリーノさんの仮面やアナコンディさんの石化と、何かと夢原さんはやられていらっしゃる。
エゴエゴに吹っ飛ばされるシーンも、ムシバーンやシャドウ様との戦いを思い出すやられ方。夢原さんはサービス精神旺盛だ。

参考:
感想:(プリキュア5編)映画ヒーリングっどプリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!
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(2周目)感想:映画プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日

2020年11月15日 | プリキュア映画シリーズ
2回目を見ました。この映画の凄みを改めて言語化したい。

【97回目のループ】

今作は何といっても戦闘が重い。重くてドラマがある。

まず1回目の戦い。
無理からぬことではあるのですが、花寺さんたちはかなり暢気です。軽口を叩きながら、なし崩しで応戦。グレースさんに至っては「ミラクルンを手で持つ」なんて悠長なことをやっています。ただでさえ片手がラビリンで塞がってるのに、これでは両手が使えない。
それを見て取ったリフレインの行動は早かった。速攻でグレースを拉致し、戦闘不能の彼女を狙い撃ちにしている。合流されてしまった後も、地上戦を固めつつ、自分は常に頭上をとり、兵隊をけしかけるとともに容赦のない空中からの射撃です。えげつない。

その後、先輩方が来てくれますが、歴戦の猛者の余裕ゆえか、彼女たちも暢気に構えている。まさかタイムリミットがあるなんて思いもしないものな…。

一方、仕掛けているリフレインは実は内心では焦ってたんじゃなかろうか。
彼はリミットがあることを知っている。プリキュア視点でいえば「12時までに倒さないといけない」ですが、リフレイン視点でいえば「プリキュア3チームを常に迎撃し続けねばならない」わけで、かなりのハードモード。
この時点ではミラクルンライトにより記憶が維持されることを知らないとはいえ、一度起きたことは次のループでも起きえる。叶うことならこの初戦で決着をつけたかったのが、リフレインの本音だと思う。

【98回目のループ】

2回目。花寺さんたちも多少の危機感は持った。が、事態の把握に精いっぱいで先輩方を招集するところまで思い至らなかった。
対するリフレイン。きっちり対策を練ってきています。多分、脳内で模擬戦とか何度もやってたんじゃないかな。
花寺さんにとっては幸運なことに、先輩たちは自力で駆け付けてきてはくれたものの、後手の感はぬぐえません。

花寺さんは気づいていませんでしたが、おそらく彼女がやるべき最善手は「ミラクルンを連れて逃げる」だったはず。
ミラクルンの体力さえ回復すれば、ライトを量産してループを脱出できます。逆にいえば、リフレインにとってはミラクルンを中心に円陣を組まれ、耐えしのぐ作戦を取られると辛い。
今回のループでプリキュア側が「ライトを量産すればいい」と気づいていなくても、ループを重ねる内にライトが増えていけば、やがては悟られます。
故にこのターンで、何としてもミラクルンは奪取したい。プリキュアたちが重要性に気づく前に。

そこで速攻でグレースを分断。
彼女がミラクルンを抱えていることは分かっている。他のプリキュアたちは足止めすれば十分。手下をけしかけ、謎の障壁で孤立させ、空中戦の利を捨ててでも即座に襲い掛かった。
これは「初見」で防ぐのは無理だ。持っている情報量も、準備できる時間も違い過ぎる。

【99回目のループ】

奇跡的な巡り合わせで、花寺さんは敵の本拠地に気づきます。そしてもう緩さは卒業した。
とにもかくにも「時間」がない。リフレインを発見、即戦闘。先輩方にも事前に事情を話したんでしょう。1回目や2回目と違い、わちゃくちゃした掛け合いなんてやってる暇はない。

リフレインとしては誤算もよいところだったはず。まさかいきなりすぐさま正体を見破られるとは…。
過去話をしだしたのも、案外、少しでも時間を稼ぐためだったのかもしれない。尤も「時計に憑いている」と自ら語ってしまってるあたり、かなり動揺していたようですが。

実際のところ、この時点でリフレイン側はかなり詰んでいます。
本拠地がバレてしまった以上、100回目や101回目のループに突入できても、プリキュアどもはすぐに襲い掛かってきます。壊される「明日」を選ぶか、ボコられる「今日」を選ぶか。
しかもこれまた花寺さんは気づいていなさそうですが、たぶん「時計本体を壊す」で倒せた気がする。そうだとするとリフレインの焦りは凄まじかったはず。多勢に無勢の戦闘ですから、「時計を狙えばいい」に気づかれたらさすがに守り切れない。
かといって時計を守るような素振りも見せられません。今は気づかれなくても、次のループで参考にされてしまう。永久にループするなら、いずれは敗北してしまう…。

ついでに言えば、2回目の戦闘の時のハリーの台詞「ほんまにおったわ、時計に乗った男」も、何気にリフレインの胸に刺さっていそう。やめてくれ、「時計」を意識させるのは。
クライマックスで無闇に巨大化したのも、あれが切り札だったのはもちろんとして、時計の印象を消したかったのかもしれない。

よってリフレインが勝つには「ミラクルンライトを破壊して、記憶をリセットする」を狙うしかない。謎の範囲攻撃でライトが壊れましたが、あれはまさしくライトを狙って放った時間攻撃的なやつだったんだと思う。

【100回目の前】

後手後手に回り続けた花寺さん、ミラクルンに続き生命線のライトを失う。
残り時間数分。認めるしかない。プリキュアでは、この敵に勝てない。

本来プリキュアさんの強みは成長していくこと。ところがそれにストップがかかってしまった。
15年の過去を土台に持つハグプリチームも、未知との交流と広がりが本分のスタプリチームも、この事態では完全に無力化される。
今のループを逃したら、もう先には進めない。それなのに今の自分では力及ばないことも分かっている。
それが伝わってくるだけに、この戦闘は本当に重い。

「今日の12時までの自分たちでは勝てない」。だから彼女たちはライトに望みを託した。12時までの自分で勝てないのなら、その先の未来の自分に賭けよう。
あのスーパーグレースは、ループの先にある未来のグレースの姿と思われます。たどり着けない未来の自分を、ライトの力で呼び寄せた。まさに恩寵(grace)。単純なパワーアップではない。時間の牢獄の先にある、いつかはなりたかった自分の姿。
グレース以外の面々がライトを振るばかりになってしまったのも分かります。12時現在の自分たちでは勝てない。ならば全戦力を未来に託そう。

これ、たまたま秋に上映されたので違和感なく見てしまえてますけど、本来は春の映画です。
今までの春のオールスターズのフォーマットではない。「未来に進めない」ことがいかに致命的なのか。
時間を戻すというシンプルといえばシンプルな行為が、ここまでプリキュアの根底に突き刺さるとは。

そして「オールスターズ映画なのに、一人に全集中」と強烈なことをされても尚、グレースさんには余裕はない。残り時間はあとわずか。未来の自分でも勝てないのなら、もう突破は無理です。そして何より、仮に未来に進めても無力だと分かってしまう。
「ループを脱する」というだけでなく、ある意味、彼女の未来の意義を賭けた戦いだったとも言えます。未来に進めても成長がないのであれば、進む意義そのものが揺らいでしまう…。

バックで流れる「Circle Love〜サクラ〜」がまた凄まじい。「未来に進む」というフレーズそのものはよくありますが、このシチュエーションで聴くと強烈すぎる。
未来に進みたいのに、進めない。それでも進もう、何としても。そして未来に進めることそれそのものが、「未来には価値がある」ことの証明に繋がる。
未来を信じるから進める。進めるから未来を信じられる。正に「circle love」。過去から学ぶだけじゃない。未来からも学ぶ力強さ。

【12時過ぎ】

決意が実り、リフレインを撃破。リフレインというか時間の壁を。
もはや花寺さんらも別人です。テーマ的な深刻度でいえば、歴代の新人研修よりシビアだ。
制作者様は毎回毎回、よくぞこうも「このシリーズのプリキュアでないと勝てなかった」と思われるような敵を用意できるものだ。凄い。
しかも今回は戦闘パートに物語がある。プリキュア・リフレインの両サイド共に、心境や背景を想像できるしループを重ねる毎に進んでいくのが面白い。

ヒープリさんは「繰り返すことで学び、強くなっていく」がテーマのように思われます。
アースが典型で、彼女は「免疫」機構そのもの。過去の経験をもとに、効果的に次に対処できる。
ただアースさんの失敗描写や、同じく敵側も学習していっている様子を見るに、それらを上回る何かがプリキュア側に用意されていると予想されます。学んで対処していっていたリフレインを、グレースさんが破ったように。

いつもなら「春映画で問題提起」「秋映画で回答編」的な流れだっただけに、何とも気になる。無理にこじつけると、これ自体が「過去のパターンでは対処できない」ことだったりもするのでメタ的にも突き刺さります。

春の公開延期は完全なる偶然とはいえ、事前に分かっていたかのようなはまりっぷりだ。本当につくづく圧倒されるしかない映画だと思う。この映画は凄い。

【追記】

最終回を見たので、テーマ面で補足すると「リフレインを切り捨ててでも先に進む」「それはとても寂しいことだけど、それでも先に進む」も込められていたんだと思う。やっぱり凄い。

●感想1週目
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