穴にハマったアリスたち

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感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(2/3)

2022年03月27日 | プリキュア映画シリーズ
先週放送分(感想)からの続き。

■感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(2/3)


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より引用)

不意に訪れた理不尽な災厄に、心が折れかけた野乃さん。
だけど顔を上げると、子供の頃に憧れたヒーローたちが果敢に立ち向かっている。
振り返ってみれば、そこにはかつての自分。子供たちの姿も。

私がなりたかったのはあのヒーローたち。彼女たちなら諦めない。それに引き換え、今の自分はどうか。
これしきのことで心折られるなんて、そんなの私のなりたかった私じゃない。
あの頃の自分を裏切らないために、憧れたヒーローたちを否定しないように、だから叫んで立ち上がる。

もはや逆ギレです。事態を解決する術も妙案もなく、無駄だろうが何だろうが今まで頑張ってきた私を舐めるなという、ただただ闇雲な突進です。
でも追い詰められたとき、最後の最後の踏ん張りはもうそういうことしかないと思う。

10周年の時「何にもできなくて、ごめんなさい」とつぶやき、「それでもそばにいるから」「あの頃のイノセントな気持ちを忘れないで」と儚く寄り添った時代を経て、盛大に振り切ってきた。
未来が壊れてるとか努力では解決できないとか、そんな分かり切ったことはもうウンザリだ、それでも生きてきたんだと積み重ねそのものをパワーに変える。
「リワインドメモリー」のはまりっぷりも凄まじい。変わりゆく季節の中、目を閉じて思い出を振り返れ。そして喜びも悔し涙も力に変えて立ち上がれ。
15年目の「ハグプリ」だからこそできた物凄くパワフルな回答だと思う。

そして奮起したキュアエールをミラクルライトを振って応援した子供たちが成長し、プリキュアとして参戦する。
応援してくれる子供たちの前では負けられない。負ける姿を見たくないからプリキュアになって自分も戦う。
現実の自分もこうでありたいと思う。

…と、ここで終わっても十分に15周年メモリアル映画として成立するのに、即座に打たれる致命的なカウンター。

『では思い出がない者は救われないのか』

ミデンに思い出がないのは彼の責任ではない。野乃さんらと同じく、不可避の理不尽な不幸に見舞われたせいです。
今回放送分まででは、初代も当時最新鋭のハグプリも回答を持っていない。戦闘前のミデンへの説得も空虚に響き、果ては全滅。
完全に詰んだこの状況。突破手段はつくづく凄まじい。来週も楽しみです。

【15年から後の時代】
16年目以降のプリキュアさんは、ミデンとの戦い(今回放送分の前半の戦い)に勝てないように思う。優劣の問題ではなく、テーマ的な相性として。

スタプリ:
ミデンを理解することではこの局面は突破できません。固定観念の枠で苦しんでいるのでもない。「もっと自由に星座を描こう」とばかりに「仲間や記憶は実は不要なのでは」にまで吹っ切ってしまえば勝算もあるかもしれませんが、自分自身を失ってしまったら勝ちとは言えないように思う。

ヒープリ:
ミデンを踏み越えて前に進もうにも、そのための手段がない。仲間を犠牲にすれば勝てるかといえば、そうでもない。この状況下ではミデンが記憶を奪って進むことを肯定してしまうため、敗北を早めてしまいそう。

トロプリ:
今一番やりたいことができない。トロプリ的には後付けで浮上するはずの「目標」が、既に明確に立ちはだかっている。夏海さんの「今一番大事なことをやっていれば、それが何の役に立つのか今は分からなくても、いつかは何かの力になる」は、差し迫った目の前の具体的な危機には無力だ。トロピカれないのが問題なのに、トロピカってる場合ではない。

じゃあデパプリはどうなんだろう?
「奪われるレシピッピ。失われる楽しい経験」「子供の頃は見えたのに、大人になると見えなくなる」「孤立、分断」は、テーマ的に相通じるものがあるように思えます。

結論先行で「デパプリは勝てない」と決めつけるなら、違いは「思い出と違い、レシピッピは具体的に役立つもの」あたりでしょうか。
「思い出」そのものはミデンを倒す役には立っていない。「3年前に編み出したこの技を使おう」とか「その攻撃はもう見た!通じぬ!」とかではない。技法ではなくアイデンティティの問題であり、料理で言うなら「産地」とか「生産者の苦労」とかのことに思えます。

デパプリが想定している課題は、「想いはあるが、物理的に断絶していて交流できない」「自分の想いを皆で共有する術(例えばレシピ)がない」なのかもしれない。
現実社会でいえば、会いたいけれどコロナ渦で会えないのようなもの。想いはあるが、実行手段がない。その実行手段をもたらすのがデパプリとか。
逆に「想いはないが、実行手段はある」だと、全員義務感でやってるような職場の飲み会とかになってしまいます。デパプリがミデンと戦うとそんな感じになってしまう、故に勝てないのかもしれない。

対ミデンを軸にして書いているので「勝てない」とネガティブな表現になりますが、逆に言えばハグプリは16年以降の敵とは相性が悪いです。
子供時代の思い出を胸に奮起するのは良いこと。でも固定観念を助長するし、切り捨てるのを躊躇するし、新しいことも取り入れづらくなる。これらを突破するには、スタプリやヒープリやトロプリの力がいる。
15年目の野乃さんの戦いを境に、プリキュアのフェーズは大きく変わったのを感じます。

ところで「レシピ」は技術であると同時に、思いや文化も練りこまれています。思いも文化もないレシピが良いレシピとは思えない。
デパプリが「手段はあるが思いには言及しない(思いがあるのは当たり前の前提とし、思いがない状況を想定しない)」のなら、「思いはあるが手段がない」ハグプリと組むと相互補完になりそう。ヒープリとプリキュア5、トロプリとハトプリも対称的な組み合わせでした。

例えるなら「土地は瘦せてるし碌な食べ物ないけど、それでも私はここが好きで頑張って生きてきたんだ!」の逆ギレに、「貧相に思えた食材を美味しく食べるレシピを開発」を繋げるような感じか。
デパプリ側から見るなら「技術的にはこの組み合わせで料理をすると美味しいんだが、マッチする食文化の人いるのか?」または「特徴的すぎる料理(例えば激辛料理や昆虫食)は共通の団欒にはそぐわない。では存在意義がないダメな料理なのか?」の解決になるとか。

実際らんらんは楽しく一人飯を謳歌している(マズ飯被害に遭われまくってますが)。「一人で食べてキュアスタにアップ」も悪ではなく、それに適した料理だってある。今はマイナス要素として描かれている芙羽様の一人飯も、この経験をより良いレシピ(例えば連帯感を持てるような食材を使うとか)に昇華するエピソードがあるのかもしれない。
(色々と無理がありますが、放送話数が少ない現段階での思考実験として)

ハグプリがまだ4年前なのでコラボするには早そうには思えますが、来年が20年のメモリアル年なので、先駆けて旧作を振り返るような販売戦略もあるかもしれない。良くも悪くも偶然に、野乃さんはテレビ復帰して知名度を上げましたし。

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「誰が野乃はなを殺したのか」: HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2022年03月26日 | ハグプリ最終回考察
野乃さんの死亡経緯を考えてみます。
仮説につぐ仮説、私の脳内解釈の嵐なので独りよがりこの上ないのですが、文章が冗長にならないようにあえて断定的に書き綴ってみます。


(「HUGっと!プリキュア」11話より)

前提①
野乃さんが死亡(またはそれに準ずる状況)になったのがいつかは不明です。少なくとも、2030年のはぐたん誕生後のようなので便宜上2033年としてみます。
理由付けとしては「プリキュア30周年のメモリアル年だから」「はぐたんが3歳。プリキュア視聴年齢になる境だから」。

前提②
最終決戦の後ジョージはどこぞに旅立ちました。私としては「2033年の野乃はなを救いに向かった」と前向きにとらえたい。したがって彼が野乃さんを救える道筋を考えたい。

前提③
「未来は変えられない」のが基本路線。私たちが視聴したり、ジョージが語った未来はそのまま。「死なずに救われた」はない。

前提④
以前に「歴史が変わる前の野乃はなの『死因』はマザー化したこと」と推察してみました。(「歴史が変わる前の物語」
その際に「歴史改変の前後で、変える必要のないことは変えない(何でもありなら推察のしようがないので)」と仮定を置きました。これを踏襲して、「歴史改変後(私たちが視聴したハグプリの世界線)でも、2033年に野乃はなはマザー化した」としてみる。
※ここでいう「歴史が変わる前の世界」は、「私たちが視聴する前のハグプリ世界」。「ルールーたちが語った未来世界」ではない(参考:「世界はいつ分岐したのか」

前提⑤
プリキュアは初期視聴者の実年齢を意識したテーマを扱っています。そう私は思い込んでる。
10周年(15歳前後)は「プリキュアと同年代になり中高に通いだしたが、アニメのあのキラキラした世界と現実は違った」。
15周年(20歳前後)は「子供時代が終わり大人になった。これまでの経験が全く通じない理不尽な壁が立ちはだかる」。

30周年(35歳前後)で何があるかと考えると、様々なライフイベントの区切りとその後の結果に直面する年齢に思えます。
例えば結婚した/しないと決めた。家を買った/買わないと決めた。転職した/しないと決めた。そして今後の会社人生の道筋が見えた。
どちらを選択したから幸せといった話ではなく、選択するともう一つが消える。マリッジブルーやマイホームブルーのように、不幸というわけではないが陥ってしまう悩みです。

このテーマを掲げる総決算的な敵(15周年でいうところのミデン)に、16年以降のプリキュアさんらはおそらくこんな感じで立ち向かうと思う。

スタプリ:
家を買っても、その気になれば引っ越せる。永住するとかの固定観念は捨てよう。
(賃貸物件に住み続けるのを選んだとしても、必要なら老後でもなんでも家を買えばいい。適正年齢なんて固定観念は捨てよう)

ヒープリ:
結婚すると気ままな独身貴族の生活は終わる。でも幸せな未来のために、切り捨てる覚悟をしよう。
(独身のままだと伴侶や子と巡り合えなくなる。でも幸せな未来のために、切り捨てる覚悟をしよう)

トロプリ:
この先どうなるかは分からないけど、今の職場で一番大事なことに向き合い続けよう。
(この先どうなるかは分からないけど、転職した先で一番大事なことに向き合い続けよう)

ひとまず回答にはなるように思う。ですがこれらは「積極的に自分の望む選択をした」のが前提です。

「思い出があるから踏ん張れる」に対し、ミデンは「思い出のない者は踏ん張れない」とカウンターを突き付けました。
同じ構成でいくなら、30周年の敵が突き付けるのは「時間切れによる選択肢の自然消滅」(※注)でしょう。

転職したいと思っていたのだけど、何となく先延ばしにしている内に年齢制限にひっかかり、転職の道が絶たれた。今の職場でも特に何かを蓄積したわけではなく、管理職やら何らかの第一人者だとかにもなれそうにもない。

こんな「気が付いたら消去法でこうなっていただけ」な人。それが2033年の敵に思えます。
そしてこの人物像に「何もしない男」と評されるジョージはかなり当てはまる。

野乃さんと結婚しておいて「消去法で選んだ」「選択肢が自然消滅した」とか何言ってんだ感がありますが、仕事面に関しては分かる気はします。
ジョージは経営に興味がなく、自己満足的な研究もどきに打ち込み、世捨て人的に過ごしていた。だがある時、アカルイアスを切り盛りする野乃さんを見て、自分の現状とのギャップにショックを受けた。今から頑張ろうにも、全く何も分からない。はぐたんの育児も同様で、何もしなかったツケで何も分からない。
研究者として大成する道も見えず、「何もしない」「何もない」に気づいてしまった。

この絶望の隙を誰かに突かれ敵化したとして、16年以降のプリキュアさん達は助けてくれない気がする。というか「知らんがな」としか言いようがない。うん、いやそれ辛いのは分かるけどさ、今からでも努力するしかないんじゃないの?としか。

※注「同じ構成でいくなら、30周年の敵が突き付けるのは「時間切れによる選択肢の自然消滅」」:カウンターとしてはもう一つ「選んだ選択肢が結果的に間違いだった」もあると思う。16年以降のプリキュアたちは、こっちの問題には対処できそう】

ですが野乃さんは救いに向かう気がする。彼女の「思い出があるから立ち上がれる」は、この局面ではネガティブな側面もある全肯定に走りそうです。
確かに何もしなかった。でもここまで生きてきたんだ。それを否定するな、とばかりに。

この状況は第三者的には「嘲笑される」と言ってもいい、愚かな行動だとも思う。ジョージの語った描写には合致します。当事者なだけに自嘲もありそう。
そしてここまでの無条件の庇護は、象徴的な『親』=「マザー」化の道に思えます。
スタプリ以降のチームの静止を振り切ってジョージを助けようとし、結果「普通の女の子」であるプリキュアから「神」的な存在になってしまった。死んではいないが、プリキュア的にはバッドエンドでしょう。(じゃあ九条さんやはーちゃんはどうなんだとか細かくは色々ありますが)

経緯がこれなら、最終決戦の後ジョージが再び2033年まで道を歩み、その過程で自己を身に着ければマザー化した野乃さんを救う道もありそうです。
かつての「何もない男」のジョージには果たせなかった救済ができる。歴史は変わってはいないが、未来は変えられる。
話の筋はそれなりに通ってるんじゃないかと思ってみる。

参考:
HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(1/3)

2022年03月20日 | プリキュア映画シリーズ
経緯は不幸なれど「オールスターズメモリーズ」を改めて視聴できて嬉しい。

■感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(1/3)


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より引用)

本作は15周年記念作。「プリキュア」シリーズ(特にメモリアル年)は「初期作を見ていた幼児たちの現在」を意識しているように見えます。

10周年の「ハピネスチャージ」では、プリキュアと同年齢になったかつての幼児たちが、現実の不幸に直面します。テレビの中の「プリキュア」世界とは違い、現実は悪意や不幸や失敗で満ちている。
子供時代の大事な玩具が踏み潰され、「使ったら勝ち」のはずのミラクルライトも不幸の前にはじき返される。所詮はただのオモチャ。ガラクタに過ぎないのだから。

そんな厳しい10周年を経ての15周年です。当時の幼児も成人を迎えたり、社会人になったりした。そしていよいよどうしようもない壁にぶち当たる。
元々プリキュアの世界観は「未来は壊れている」だと思っているのですけど、その壊れた未来がついにやってきてしまった。

頑張ればどうにかなるかもしれない苦労とは違う。部活に打ち込んだり、勉強を頑張ったり、友達と協力したりしてきた子供時代の想いが、「不景気だから就職できない」みたいな身も蓋もない横殴りで吹っ飛ばされる。そんな感じ。
実際に本放送当時は、新社会人をテーマにした実写イメージ映像も作られていました。

幼児化した面々に振り回される野乃さんは、「ワンオペ育児で大変」とは苦しみの質が違うように思います。
そうではなく、今までの努力が否定され、上手くいっていたはずのスキームが機能しなくなるような苦しみ。「夫婦で協力して仕事・家事・育児をやってきたのに、全くの不幸で配偶者が病に倒れた」ようなそんな苦しみです。
これまでのやり方が通じない。フェーズが変わったのに、それに追従する武器がない。

「マシェリにミルクを飲ませようとして跳ねのけられる」シーンは特にきつい。
この時のマシェリは、おそらく2歳~3歳ぐらいです。エトワールらが4歳~5歳ぐらいの言動をしているので年齢差を考えると2歳~3歳。また、いわゆる「魔の2歳児」の如き動きをしています。

2歳~3歳の主食はミルクではない。

野乃さんははぐたんの世話をしていますから、いつもなら気づいたはずです。映画冒頭ではぐたんに離乳食を食べさせているんだから、気づかないはずがない。
でもこの時の野乃さんは気づけなかった。疲弊しきって、いつもならできることすらできなくなっている。
ただでさえ困難な課題を抱えているのに、これでは解決できるわけがない。

外部からの問答無用の危機から派生して、体制が壊れ、できていたはずの日常すら崩壊する。
「プリキュア」コンテンツのメインターゲットの年齢の子の前で、心が折れるプリキュア。この絵は辛い。
プリキュアといってもただの中学生なんです。現実の厳しさの前には通用しない。

でも、それでも立ち上がる。
「ただの中学生だ」と言った張本人たる美墨さんが、子供を守るために無力を承知で立ち向かう。15年前の思い出を守るために。今の子供たちを守るために。

雪城さんにミラクルライトが現れるシーンは、何度見ても涙がこぼれます。
もう本当にどうしようもないその時に、子供時代に無邪気に信じた玩具がもう一度だけ力を貸してくれる。
雪城さん視点でいえば、子供に戻されたからこそ、幼少期に置いてきたあの気持ちが、もう一度後押ししてくれた。

現実でいえば、仕事の辛さに泣きそうなとき、ふと整理した押し入れから大好きだった玩具が転げ落ちてきたような、そんな感覚です。
どうにもならないからこそ、あの時の純粋な気持ちが熱く染み渡る。

そして現れる、幼いころに憧れたヒーロー。
客観的にはガラクタでしかない玩具たちが、過酷な現実に向かい敢然と立ち向かっていく。
今週放送のここまでだと「勝てない」のがまた何とも切なく熱いです。黒白キュアは折れずに戦う。でも彼女たちだけでは勝てない。何といっても、所詮は「子供時代の玩具」なんだから。ここからの野乃さんの奮起は、プリキュア史に残る名シーン。気持ちを高めながら、来週を待ちたい。

【蛇足】

「小さくなったアムールだけは良い子にしていた」のは、「ルールーは幼少期(2030年~)に、野乃はなやはぐたんに会っていて顔を知っていたから」だと主張してみたい。きっとボンヤリと「はな社長が若作りしています」とか思ってたんだ。
最終回のあの子と若干雰囲気が違いますが、作画の範囲と言えなくもないはず。

「歴史は変わっていない」説の、ちょっとした傍証に使えると思う。

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「タイムパラドックスの誤解」: HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2022年03月16日 | ハグプリ最終回考察
ちょうど「オールスターズメモリーズ」が放送されるということで、ハグプリの考察をしていて引っかかった紛らわしい設定等を改めて整理してみたい。


(「HUGっと!プリキュア」23話より)

【よくある誤解】
●未来で時間を止めたのはクライアスではない
ジョージが明言しているように、未来世界の時間を止めたのはクライアスではありません。自然現象です。
そのため現代でクライアスを打倒しても、未来の危機は解決せず。

故に「現代でクライアスを倒したのに、ルールーらが未来を救いに旅立つ」のは矛盾していません。
一応は「最終決戦で全人類プリキュア化したので、未来の時間停止も止められるのでは」と期待できなくはないのですが、如何せん25年後(と思われる)の先のことですから確証はなし。
「現代が救われたのに、未来が救われていない。だから平行世界だ(あるいはタイムパラドックスだ)」と考える必然はないです。

●野乃はなの死亡/生存は明言されていない
「元の世界線では野乃はなは死亡したが、今の世界線では助かった」かのような描写は本編にはありません。
状況からしてジョージの語る「野乃はな」に不幸が起きたのは、はぐたんの出産後(少なくともジョージと知り合った後)でしょうから、2030年付近です。
その先のことは描かれていないため、野乃さんが助かったのかどうかは不明瞭。

また、ジョージの語る「野乃はな」が最終的に救われなかったかも明言されていません。
最終決戦の後、ジョージはどこかに旅立っていますから、「救いに戻った」と解釈する余地はある。

この二つは本当に紛らわしい。「タイムパラドクス」や「パラレル」説は言ってしまえば、この誤解が発端です。
上記を踏まえると、実はパラドクスやパラレルを持ち出す必要がありません。
ハグプリ考察が分かりにくくなる理由の一つは、「そもそも必要がないパラドクス等を前提にしてしまっているから」とも。

私のやった考察も、ここに引っかかったせいでやたら回りくどくなってしまった。

【設定の確認】
●野乃はなの死の原因は出産ではない
ネット上でおそらく最も有名な考察アイデアが「はぐたん出産時に死亡した」を採用しているので、公式設定と誤解している方もいるようです。

ジョージの語る「野乃はな(らしき人物)」は、剣を持って戦ったが民衆に笑われて見捨てられたようで、これは喩え話だとしても「出産」の描写とはかなりの乖離があります。

●野乃はなは、はぐたんが来たから明るくなったのではない
転校前に同級生とトラブルがあったことから、「元の世界線の野乃はなは孤独だった」かのようなイメージもありますが、実際にはそれを裏付ける描写はないです。
野乃さんは、はぐたんと関係なく転校後は心機一転がんばろうとしていましたし、新しい級友たちも、はぐたんやプリキュアが絡まなかったら野乃さんをいじめていたようには見えない。

「ハートキャッチ」の花咲さんは、来海さんに出会わなければ内向的な性格のままで、プリキュアとしても大成できなかったと思われます(小説版では、転校前の学校で孤立していたことも示唆されている)。
野乃さんはこれとは違い、歴史が変わろうと何だろうと、ひとまずは第1話のあのポジティブな性格のままです。
そのため「はぐたんが来なかったら孤立していた」は、否定する描写はないものの、率直に言って不自然さが残ります。

●前髪を切ったから未来が変わったのではない
「前髪」説は「未来が変わったから前髪を切った」です。「前髪を切ったから未来が変わった」ではない。
次の項で書きますが、バタフライ効果による改変は想定しづらいので、「前髪を切ったことが連鎖的に変化に繋がった」は苦しいです。

参考:「前髪のパラレル」

【描写されている事柄】
●ジョージは「未来は変わらない」と認識している
ジョージは確信を持っています。だから歴史改変ではなく、時間停止を選んだ。
もしもバタフライ効果で未来が変わるなら(例:前髪の切り方)、ジョージはこのような認識にたどり着けません。
いわゆる「特異点」「時間の修復力」を想定しても、認識に齟齬がある。

参考:「パラレルワールドへの疑念」(物語面)

「バタフライ効果を採用できない」のは考察をする上でかなりの負担です。「今回はなぜ変わったのか」を説明するのがかなり困難で、後述しますが、だから「ハグプリ」は凄いと思っています。

●2030年のえみるが、ルールーに会うために研究室を訪問している
●ルールーは繰り返し「未来で待つ」と発言している
えみるが仮に歴史が変わることを想定していたなら、この行動はとれません。また、パラレルワールドだと認識していたなら、あのルールーは別人ですから描写に違和感がある。実際、これらを理由に「この再会は茶番ではないか」と批判も起きました。

ですが前述のとおり、そもそも改変やパラレルを想定する必要がありません。そしてルールーは「未来で待つ」と明言しています。
ここから改変世界やパラレルを導くのは難しいです。

参考:「パラレルワールドへの疑念」(人物面)

なお幼ルールーが同一人物であることは、オールスターズメモリーズから(勝手にですが)読み取れます。
若返って記憶をなくして混乱する面々の中、ルールーだけは野乃はなやはぐたんを認識できている。「2030年に出会っていた記憶があったから」とすれば、辻褄はあいます。

●失敗をなかったことにするのではなく、失敗から立ち上がるのがテーマ
これはテーマに関わることなので、絶対こうだとは断言はできないのですが、「プリキュア」シリーズでは「絶対に失敗しないこと」よりも「失敗しても立ち上がる」を重視していると思います。

実例としてもアンリ君は「怪我をなかったことにする」ではなく、「怪我をしても別の道で立ち上がった」です。「未来が変わる」と「歴史を変える」はイコールではないように思えます。

参考:「パラレルワールドへの疑念」(テーマ面)

【オールスターズメモリーズで描写されたこと】
●視聴者が「プリキュア」の存在に寄与している
前述のとおり、バタフライ効果は説明に使いづらいです。突き詰めると、ハグプリ世界単体では打開できません。
ですが、まさしくその状態に陥った「オールスターズメモリーズ」では、「視聴者の記憶に助けてもらう」ことで突破しました。

プリキュア映画は例年、その年のシリーズの集大成として上映されています。
歴史改変(ハグプリ世界では解決できないこと)を成すには、「視聴者」の存在を想定するのが綺麗に思えます。

参考:「世界はいつ分岐したのか」


以上から、私としては「未来は変わらない」が考察の第一。
参考:「最終回に起きたこと」

深堀した第二の考察として、「オールスターズメモリーズ」のギミックを使った「黒白召喚により歴史が変わった」を推しています。
参考:「タイムパラドックスの真相」

あとは蛇足になりますが、思考実験として平行世界説の吸収も試みた。
参考:「パラレルワールドの正体」

一連の内容が『正解』かはともかくとして、「時間」テーマは考察すると楽しいです。大げさですけど、死生観にも影響を受けました。
とても面白いので、続けてくれる方がいると嬉しいです。

参考:
HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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(第04話)デリシャスパーティ♡プリキュア「ふくらむ、この想い…キュアスパイシー誕生!」感想

2022年03月13日 | デリシャスパーティ♡プリキュア
■(第04話)デリシャスパーティ♡プリキュア「ふくらむ、この想い…キュアスパイシー誕生!」感想


(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第4話より)

和実さんは芙羽様なる異世界人と同じクラスになりました。先日、プレシャス姿で自宅に送り届けた子です。せっかくなのでお近づきになりたい。
微妙に距離があったりタイミングが合わなかったりしましたが、迷いウサギを救出するのを手伝ったりして、どうにか買い食いデートにこぎつけた。
そこにブンドル団がやってきて、芙羽さんもスパイシーとして参戦してくれることに。

改めて見てみると、デパプリさんの「連帯」は「境界を破壊する」というより「境界を行き来する」なのかもしれない。
別の世界に迷い込んだウサギを、元の世界に戻してあげた。あの子ウサギが何をしに脱走したのか分かりませんが、まぁそういうこともある。若気の至りだ。それをフォローしてあげるのが今作のプリキュアの立ち位置、とか。

芙羽さんと仲良くなるのも、他の同級生を積極的には誘ってないんですよね。別シリーズだと「新しいクラスで親睦会をやろう」とかの方向に行きそう。
あと、芙羽さんの後ろでモジモジしていた男子学生二人組はつくづく悔やまれる。思い切って学食に誘っていたら、案外うまくいったかもしれないのに。
外面と肩書は高嶺の花だけど内面はやわやわって、物凄く不安定であぶなかっしいですね…。無理に例えるなら、迷子の子ウサギ状態。悪い人に引っかかる前に、和実さんに保護されて良かった。

第1話からずっと「孤立を解くのが理想解なのか?」は気になっていました。
コロナ渦で分断が進み、かつてのような大人数でのパーティが遠くなってしまった。確かにあの日々に戻れるなら楽しい。
が、じゃあ付き合いだけの飲み会や通勤に価値があるのかと言われれば、それはそれで疑問です。

奇しくも今回、システム障害という「境界がある方が良い」事例にリアルで直面してしまいました。
外界と適切に遮断されていないと、日常は維持できない。

来週はまさかの「オールスターズメモリーズ」が放送されるとのこと。美翔さんがニチアサ8時30分に戻ってくる!
理不尽な困難にくじけそうなときも、過去があるから立ち上がれる。踏ん張れる。強い意志を感じる、熱く素敵な対抗策だと思う。
(以前に書いた感想:「リワインドメモリーと歴代様」

過去作つながりで、仮にデパプリさんがコラボするとしたら、今のところ「スイート」のイメージかな。
スイプリは過去の共通体験から、今の分断を乗り越えた。ただ、未来の分断には弱いことが示唆されていた。(参考:小説版スイートプリキュア♪

デパプリが「行き来する」に軸足を置くなら、未来の分断に対抗できそう。ただ、その原動力がない。
ヒープリ/プリキュア5、トロプリ/ハトプリがお互いの弱点を補いあうような構成になっていたので、あるとすれば今回もその方向かなと。

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「KIZUNA」vs黒の協奏曲(第32話):マーメイドメロディーぴちぴちピッチ感想

2022年03月09日 | マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ
フル☆アニメTV様で「ぴちぴちピッチ」および「ピュア」の無料配信中。2022年5月9日まで】

●KIZUNA

「ぴっち」屈指の戦闘曲。伝説として知られる32話「恋は夢色」を語りたい。

歌で戦うという無茶なコンセプトなれど、「ぴっち」の戦闘シーンは意外に熱い。
この当時(無印後期)のBBSとの戦力バランスを見ると、「お互いに攻撃力が防御力を上回っている」状態で、基本的には歌いだしたら勝ちが決まります。
お歌はあらゆる防御を貫通するため、射程に捉えられたら終わり。射撃や格闘と違い、避けることもできません。範囲攻撃が音速で襲い掛かる恐怖。

但しBBS側には「三匹揃わないと攻撃が通らない」アドバンテージがあります。
そのためBBS側の基本戦略は各個撃破。一匹でも捉えればマメプリ側は瓦解しますから、単独行動を狙い打ちます。

32話もそんな経緯から始まる。呑気におまじないアイテムを探していた波音・リナを強襲。逃げようとする彼女たちを、無慈悲にお歌が捉えます。本当に範囲攻撃怖い。

そこにるちあさんが駆けつけ、畳みかけるような二段変身。どういう理屈か変身すると体力が全回復、一方のBBSは「お歌は連射できない」ため攻守逆転。
普段ならこれで勝負は決まるのですが、今回は別動隊のマリアが霧笛で妨害を試みます。射程外からの音響攻撃。つくづく怖い。

これでしばらく時間を稼がれ、準備が整ったBBSに歌いだされたら詰み…だったのですが、通りがかった かれん様がマリアを撲殺。かれん様が「様」の尊称で呼ばれることになった由来の一つを経て、るちあさんらはお歌を再開。BBSを屠ります。

BBSが歌う「黒の協奏曲」は絆を否定するお歌。そのBBSがマリアと共同作戦をとってるわけで、歌に反して絆に頼っています。
そもそもシェシェとミミは極めて固い絆で結ばれています。

それに対し「KIZUNA」を歌うるちあさんらは、ぶっちゃけ露骨な仲良しさんではありません。特にるちあと波音は友情より愛情の娘さんらで、この種のアニメなら定番の百合展開とか全く想像できません。というか友情すら怪しいもので、割と普通に殴り合ってる。
今回のかれんも偶然の助力です。かれん様としては影から見守っていたのかもしれませんが、るちあさんらは気づいていません。

それぞれの持ち歌と表面的には行動が逆。ただだからこそ「絆」の意味が染みます。友情や愛情とはまた違う、もっと根底を流れる何らかのもの。

そしてこれだけ熱いバトルをしながら起きる作画ミス。今や語り草の「るちあを助けに行くるちあ」が最高に熱いです。
テレビ放送版では「BBSに襲われる波音らを助けるために飛び出するちあ、その直後のシーンで三人まとめて悶絶」という何とも絶妙な作画ミスをやらかしています。
展開的に矛盾がなく、「いきなり、るちあがやられた」でも話が通じてしまうだけに、ミスと気づくのに一瞬の間があるのも上手いです。
DVD版では修正されてしまったのが、つくづく残念です。事故は「ぴっち」の華なのに。

「KIZUNA」「戦闘シーン」「修正」といえば、33話「遊園地騒動」も良いです。
ロングバージョンを猛然と歌い上げるマメプリさんが大変に格好いい。バンクが足りなくて、「夢のその先へ」のとかも総動員して唸りを上げる!そしてDVD版では修正された!
連打を畳みかけるかのような泥臭い「KIZUNA」のパワフルさが、物凄く伝わってくるんですよね。純戦闘曲、ここに極まれり。

それでいて、最終話で人魚さんたちの迷いとそれを断ち切るきっかけにもなったお歌なわけで、つくづく名曲だと思います。
「ぴっち」とは全く関係ない『とあるライブ』で歌われたときには、会場内に悲鳴が沸き上がり、謎の連帯感でバックコーラスが響き渡るといった有様で、凄まじいことになっていました。またいつか生で聴きたいです。

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(第05話)デリシャスパーティ♡プリキュア「なかよくなりたいのに…!ここね、初めてのおともだち!」感想

2022年03月06日 | デリシャスパーティ♡プリキュア
■(第05話)デリシャスパーティ♡プリキュア「なかよくなりたいのに…!ここね、初めてのおともだち!」感想


(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第5話より)

孤高の秀才の如きイメージを放っていた芙羽さん、お近づきになってみれば人間関係に慣れていない可愛らしい娘さんでした。
これもしかして、クラスの同級生男子とかが一発度胸を発揮して学食とかに誘ってたら素敵な関係になれたりしたんじゃなかろうか。

ただそれはともかく、落ち着いて考えてみれば和実さんの心のハードルが低すぎるだけで、芙羽さんの言動の方が自然なのかもしれない。
特にマリちゃんは成人(明言はされていませんが)です。距離感をつかめないのは当然でしょう。初対面でいきなり自宅に連れ込んだ和実さんがおかしい。

その和実さんも、家族や幼馴染には諸々を黙秘したまま。今回もパムパムをぬいぐるみと偽っています。
歴代のシリーズと比較しても、

・母親の関与度が高い
・商店街は直接の被害を受け、営業を停止している

のような特徴がありますから、積極的に街ぐるみで戦ってもおかしくない。和実さんの性格や言動を踏まえても、隠す方が不自然です。
それなのに公開するどころか味方側が積極的に隠蔽に走っている。メンバーが揃うのが例年よりもかなりゆっくりなのも、孤立感に拍車をかけています。
敵側が「レシピッピを複数使うと強い」を活用してるのに、味方側は積極的には仲間を増やそうとしない。

ジェントルーもご飯に誘ったら普通に乗ってきそうなだけに、和実さんがそうしないのも気になります。
「スープを巡って戦闘」→「終了後、スープを買いに…」→「いこうとしたところを食卓に誘う」→「一緒に調理して持ち帰り」。
普通にこの流れに持ち込めるのでは…?一歩を踏み出してみたら緩々だった芙羽さんのように。

これらがたまたまそんな展開になってるだけなのか、テーマ的に関わってるのか、楽しみです。

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「episode6:めざめる時」マーメイドメロディーぴちぴちピッチ aqua(なかよし2022年4月号)感想

2022年03月04日 | マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ
■マーメイドメロディーぴちぴちピッチ aqua「episode6:めざめる時」(なかよし2022年4月号)


なかよし 2022年4月号 [2022年3月3日発売]【電子書籍】[ なかよし編集部 ]

るきあさんが遂に変身なされました。決め台詞は「アクア・シャワーピッチ」。そして母譲りの「アンコールはいかが?」。

すこぶる格好いいです。そして大変に怖い。基本は母ベースの衣装なれど全体的にシンプルに。それもあって母るちあの三段変身だとか、高校生版るちあの変身姿のような雰囲気も漂います。何より目が怖い。これ絶対「ぴちぴち」してない。物凄く冷徹な声で「アンコールはいかが?」と宣告されてる気がする。怖い。

変身したるきあさんを見て、深海の王・ローランは大喜び。気持ちは分かる。自分のフィアンセがコレだったら、そりゃあ喜ぶしかない。

何か敵っぽく描かれてますけど、現時点では「悪い奴」かははっきりしないんですよね。客観的にいうなら、自分の想い人のために、自分を崇拝する娘さんたちを死地に送り込み、自分は薔薇風呂を堪能していたガイト様より紳士な気がしてならない。初っ端から自分で動くのは偉い。
その辺を汲み取って、るきあさんはもうちょっと優しく接して上げて欲しい。いやローランの趣味的にはこの対応が適切かもしれないけど。

とりあえずローランは(至近距離からお歌を浴びせられたのに)致命傷はおわなかったらしく、ニコニコと帰っていきました。遅れてやってきた母一同は、るきあさんの初変身を知って大喜び。るきあさん的には「わたしはマーメイドな上に魔法少女だったのか…」と衝撃展開ですが、母たちからすれば標準装備扱い。温度差が辛い。

そのショックもあってか、変身に必要な真珠を即行で紛失。級友に盗られました。争奪戦で苦労したダークラヴァーズたちが知ったら涙しそう。真珠の重要性とかろくに説明してないから、るきあさんの真珠の扱いが雑すぎる。

翌日。犯人の白浜くんを問い詰めたら、プールサイドに呼び出された。水だと!こいつ、脅す気か…!
そこに黒砂くんもやってきた。何か誤解してるっぽい。いっそプールに飛び込んで尾びれを見せつけてやろうか。
ストレスが限界を超えたのか、るきあさんの思考がだいぶ破滅的になってる気がする。

逡巡してる内に黒砂くんがプールに飛び込みました。そして白浜くんが蹴り倒されるのを背景に、黒砂くんがいきなり告白してきました。
めでたいことではありますが、るきあさんのメンタルが心配です。もうこれ常人が抱えられる情報量じゃないだろう…。

【生物種の宿命】

ローランが「同種だ」と明言しました。
同種だから人間態のるきあと人魚態のるきあを同一人物と特定できたのかしら。人魚の皆さんは、人間態を正しく識別できてるものな。

ここでいう「同種」はどこまでを指すんだろう?
るきあさんにはパンタラッサの血も混じっている(とは断言されていないですが、海斗くんが生物的にも父であるならば)ので、「ローランはパンタラッサ」の可能性も一応は残ります。パンタラッサはマーメイド大好き一族ですから、ローランがるきあに懸想するのも分かる。

そうではなくマーマンとして同種ならば「マーメイド」って何なんだろう?
ヒトでいうアマゾネスみたいな特殊な一族なのかしら。

そんなややこしい話ではなく、「同種だ」発言の直前の台詞は「ホーラ、やっぱりお魚だった」ですから、下半身がサカナなら何でも「同種」扱いなのかもしれない。雑だ。
それにしてもこの「ホーラ、やっぱりお魚だった」は良いですね。名言。今後るきあさんが何か悩んだりご高説を宣ったりしても、とりあえず水をぶっかけて尾びれをぴちぴちさせ「ホーラやっぱり」とおちょくってみたい。というか今月号の後半からして若干その方向ですね。るきあさんはマーメイドの誇り的な物を持っておらず、主観は「私はヒト」ですから前作とのギャップが絶妙に面白いです。(参考:以前に書いた記事

【なないろメモリー】

新イメージソングコンテストの最優秀賞が「なないろメモリー」に決まりました。応援していたので、とても嬉しいです。(公式サイト

詳細な受賞理由はまだ公表されていませんが、個人的には「海」「アイドル」「前作の続編」といった要素を、「ぴちぴちピッチ」の文法で表現していて、「ぴっち」のイメージソング(「人魚」や「恋物語」のイメージソングではなく)として胸に響くのがとても好きです。「なないろ」というワードから「海」や「マーメイド」を連想させるのは「ぴっち」特有の特殊スキルだと思う。

今月号でも「真珠の記憶」が蘇るシーンがあり、言及はされていないものの、るきあさんが歌ったのは「なないろメモリー」だったんじゃないかと思ってる。
これだけ絶賛していて何ですが、他のぴっちソングと同様、これからは「なないろメモリー」も「物理攻撃力」「戦闘力」の文脈でも語られるようになるんでしょうね…。

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「黒の協奏曲」「闇のBAROQUE」:マーメイドメロディーぴちぴちピッチ感想

2022年03月01日 | マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ
フル☆アニメTV様で「ぴちぴちピッチ」および「ピュア」の無料配信中。2022年5月9日まで】

●黒の協奏曲~concerto~ / 闇のBAROQUE -バロック-

追加敵・ブラックビューティーシスターズ(以下BBS)のお歌。演じる土屋実紀さん、下屋則子さんらによる非公式ライブの名前「Voice in the Live」はこのお歌の歌詞が元ネタ。

「強い新キャラ」は数あれど、ここまで説得力と衝撃を伴ったケースは珍しいのでは。調子にのりまくり暴虐の限りを尽くしていた人魚さんのお歌が効かない。それどころか反撃で歌いだした。しかも上手い!
当時の実況で「因果応報」「やられて嫌なことはやめましょう」との投稿が相次いだのは懐かしい思い出。

「ぴっち」は生物種レベルの孤独と愛をテーマにしていると思っているのですが、BBSもその例にもれず、行動原理が切なく矛盾に満ちています。

彼女らはオニアンコウの水妖。深海に棲む彼女たちは、光を否定すると同時に切望しています。「暗い深海に戻るのは嫌」と言いつつも「傷ついたら深海で癒す。ここが一番落ち着くから」と矛盾した言動を繰り返します。

アンコウの有名な生態「発光して餌をおびき寄せる」は、「光に焦がれたものの哀れな末路」として嘲笑の対象ともいえますが、それでもBBS自身も光を求める本能を捨てきれない。この葛藤は「黒の協奏曲」「闇のバロック」の歌詞にも表れています。

【黒の協奏曲】
『愛に守られている シアワセナモノタチ』
『伝わると信じている 瞳がまぶしい』

【闇のバロック】
『変わり果てた世界で 運命の脆さを知る』
『あてのない悲しみが 心を砕く前に』
『黒い罠のささやく 未来を目指し 共に行こう』

全否定しているのにそれを求め、求めているのに進化した果てはそれは受け付けない。

「もしも第三部があったならBBSが仲間になっていたのでは」は願望も込めて当時妄想されました。が、実際のところBBSは地上に適応できず、悲劇的な結果になっていたようにも思います。
そして当時の切実なる願いが叶い、めでたく第三部が始まったのですがBBSは復活なさるんだろうか。原作版ではアニメ版ほどの存在感はないとはいえ、何らかの展開があったらどうしよう。

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