今週末は映画を見過ぎて、何やら色々混乱中。
■劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語
【あらすじ】
まどかさんが謎の神的存在として宇宙の彼方に消えた、その後日。
一人取り残された暁美さんは、ぼそぼそと魔法少女を続けていました。
しかし募るのは、まどかさんへの思慕ばかり。
やがて絶望の淵に落ちた暁美さんは、不慮の事故も相まって立派な魔女へと変貌なされました。
神的まどかさんの救済も届かず、あわやこのままお一人で絶望を食む食むする日々を送るかと思われましたが。
そこはさすがの神。まどかさんはきっちり助けにやってきてくれ、暁美さんは無事に彼女と再会することができました。
そして、その隙を逃さず、暁美さんは全力でまどかさんを拉致なされた。
神的な謎生き物と化したまどかさんを捕縛した暁美さんは、悪魔的な謎生物へと変貌。
彼女を動かすのは、もはや希望でも絶望でもない。
愛を原動力に動く彼女は、果たして間違ってるのか。それとも…。
【前編・後編】
散々言われつくしているように、前作はゼロ年代の総括のようなお話だったように思う。
「私が何かの力に目覚め、それで世界を救う」という妄想は、今となっては結局は妄想でしかなかった。
現実には、個人が超パワーを発揮しても世界は変わらず、そもそも明確な「敵」すらも存在しておらず、ただただ漠然とした不安と問題に満ちている。
人生を左右するような致命的な岐路はそこかしこに溢れていて、そこでの選択は取り消せない。残念ながら。
安易な願いで魔法少女を選択してしまった人々には、安易な理由で進学や就職先を選んでしまった人たちの姿が被ります。
「スポーツが強いから」「制服が可愛いから」「自分にもできそうな仕事だったから」etcetc。
もしもあの時、もっとよく考えていれば、全然違う生活があったかもしれないのに。
ただ上記も含め、実際のところ、劇中で暁美さんらがおっしゃる「魔法少女の絶望」は、さしたる問題ではありません。
命がけの仕事は他にも色々あるし、異常な体はむしろメリットともいえる。どうしても辛かったら自害する手段はあるんだし。
一般社会から孤立して孤独云々に関しては、他言を禁止されてはいないのだから、普通に周囲に話せばいい。
結局、「周囲に話して皆で協力する」ことさえしていれば、この物語はほとんど終わってる。
どうして最初の段階で、家族や友人に相談しないのか。
迫害される?信頼されない?そんなわけないでしょう。
そんな狭量な人たちには見えないし、再現も観測もできる「魔法」を疑う理由はない。
どうしても不安なら、願う奇跡を「魔法少女を認知してもらう」にでもすれば良かった。
とはいえ「それが正しかったと分かってはいても、それでもやっぱり『私』を信じたかった」という気持ちはある。
確かに選択を間違えた自業自得なのかもしれないけれど、それでも私たちは苦労したんだ。
だから、あくまで個の自力による救済を実行したまどかさんからは、一矢報いたようなそんなカタルシスを感じます。
閉じた世界を閉じたままで解決して見せた。
最善手ではないのだけど、やっぱりゼロ年代にも矜持ってもんがある。
【新編その1】
さてそんなわけで一矢報いたはいいんだけど、それでもやっぱり人生は続く。
大変に残念ながら、世の中には不幸や絶望が転がっています。
そんなものなくしてしまいたいのだけど、実際に存在するんだから仕方がない。
同様に、過去に自分がやっちまった失敗選択の事実は、どうやろうとも消えない。
そうなると、もう「それはそれ」として折り合いをつけるしかありません。
やたらに悲愴感満載だった神まどかさんも、やってみたら案外とのほほんとされている。
「未来永劫ひとりぼっち」というのが、神化のデメリットだと思われてたのに、普通に懐かしい人たちと再会できるみたいですし。
確かに元の生活とは大きく違うのでしょうけれど、これはこれでやっていけるんじゃなかろうか。
だけど暁美さんはそれを良しとしなかった。
まどかさんと会いたかったはずなのに、迎えに来てくれた彼女を捕縛するとか、もはや意味が分かりません。
となると、暁美さんが真に望んでいたのは、「鹿目まどか」その人ではなく、「鹿目まどか+日常」だったと思われます。
「まどか」さんでよく使われたブラック企業の例で考えてみる。
『正社員になって結婚してマイホームとマイカーを持った平凡な生活』が夢だった。
でもブラック企業に入社してしまい、そんな昭和型の幸せは実現できなかった。
ただ、それは本当に不幸なのか?
子供の頃に夢見た生活とは違ってしまっても、じゃあすなわち不幸なのか?
そんなことはないでしょう。
ブラック企業に入ってボロボロになり、退社して別の職場で非正規勤務するようになった…確かに「完璧なる幸せ」ではないのかもしれないけれど、不幸と決めつける理由はない。
あの辛かったブラックの経験は、それはそれとして何かの糧にはなる。
経験しないならしない方がもちろんいいのだけど、経験しちゃった以上は、それはそれとして役立てた方がマシです。
そもそも平凡だと思っていた昭和型の幸せとやらは、昭和の時代においても大多数がそうだったわけじゃない。
これは「魔法少女モノは、そもそも皆ハッピーで平和なものだったか?」にも通じます。
例えば元祖の一つである「セーラームーン」の第5部は、終わらない人生と無限ループに絶望した未来のセーラームーンが、死を求めてやってくる話。
そもそもの問題として、思い描いていた「幸せ」は、「平凡な当たり前のもの」ではないのです。
だったら、そんなものに拘る必要はないじゃないか。
もはや魔女能力を武器にしている、さやかさんやお菓子娘には、そんな割り切った頼もしさを感じます。
確かに絶望した。魔法少女を通り越して、何だかよく分からん魔女になった。
でもそれはそれで良いじゃない。
わざわざ求めて手に入れるものでもないけれど、現実問題として絶望して魔女化したんだから、それを有効利用しよう。
今や時代は、そんなフェーズに突入している。
【新編その2】
一方、暁美さんの考えは違った。
絶望パワーを利用するところまでは同じだったけれど(後に「愛」とおっしゃってますが、餌に使ったのは「絶望」の方)、それを使って「平凡な当たり前のもの」(と自分が思い込んでいるもの)を実現しようとした。
ブラック企業の例でいえば、自分の鬱認定をダシに裁判でも起こし、企業を撃破して改革したのちに、既に辞めて第二の人生を始めていた元同僚を強制的に呼びもどしたようなものでしょうか。
(無理がある気もするけど、ニュアンスはあってると信じたい)
で。暁美さんの行動が間違ってるのかどうかは、かなり難しい。
何せ「誰も困っていない」。
円環システムそのものには支障がない(と暁美さんはおっしゃってる)のだから、非難される筋合いはありません。
昭和型の幸せは破綻した。だから新しい2010年代の生活にシフトした。
でも昭和型に問題があったわけではない。単に実現が難しくなっただけ。
だから、実現できるならそれはそれでもいいんです。
かつて経験した絶望の力を、新しい生活を構築することに使うか。それとも以前の生活を取り戻すために使うか。
どちらが正しいとも何とも言えない。
特に動機が「愛」となると、もはや善悪を超越してしまう。
強いて言えば、暁美さんは徹底的に対話を拒んでいるのが気になります。
マミさんやさやかさんが、何度も武器を叩きこんで時間停止を阻止するのが極めて印象的でした。
そして執拗なまでにそれを振り払って、時間を止め続ける暁美さんも。
まどかさんは事情を全く関知できないまま、あの生活を強制されてしまってる。
無理にブラック企業の例えに戻ると、「共働きで苦しんだ妻を、本人の意向無視して専業主婦として隔離した」ようなものでしょうか。
これを幸せと呼ぶかどうか。
なんだかんだで新しい職場には適応していたのに。でもやっぱり外が辛いのも事実なわけで…。
劇中ではここで物語は終わり。
現実の私たちが、まだ答えを経験していないので、ここから先はどうなるか不明の領域です。
前作がゼロ年代の総括ならば、今作は2010年代(というか震災以後というべきか)の問題提起のように感じました。
是非ともこの「答え」を、10年後くらいの第4作で見てみたい。
【プリキュアさん】
同日公開の「ドキドキプリキュア」にも、「辛い過去を変える」や「愛」の要素がありましたが、視点の根っこがやや違うかなと思った。
「プリキュア」さんの場合、絶望は不可避で、どう足掻いても必ずやってくる。
「まどか」さんの場合、判断ミスで実行できなかっただけで、絶望を回避する手段はある。
人生に例えるなら、前者が「死」で、後者が「就職」や「進学」。
どちらの方が、より深刻で厄介な問題なのかは、状況にもよるので何とも言えない。
(不可避と言う意味では前者だけど、なまじ努力の余地があるだけに後者の方がきついとも言える)
今年のテーマがフィードバックリンクであることからも分かるように、「プリキュア」さんでは他者との絆がキーです。
一方の「まどか」さんは、依然として「個」に依っている。
方向性の問題なので、どちらが良い悪いという話ではないですが。
「プリキュア」さんでは、悲しい過去があった後に訪れた出会いや出来事が、次の世代への幸せをもたらしてる。
その点、「まどか」さんでは新しい世界・時代での出会いが、特にない。
もしも「プリキュア」文法で演出するなら、多分、暁美さんの絶望を破るのは、新しい世界の住人である魔獣だと思う。
暁美さん:
「この世界にはまどかはいない」
「でも魔獣と出会えた。私は幸せだ」
みたいな感じで。私は魔獣に何を期待してるんだ。
【新編その3】
上記の「他者との絆」ですが、ちょいと引っかかったのが、「学校の先生」の存在。
彼女は魔法少女でも、その家族・友人でもないのに、なぜか呼びこまれてあの世界にいます。
「まどかとの出会いの場を作った、まさにその人」だからかな…。
そうだとすると、「まどかと出会えたのは他者の存在があったから」を示す強力なキーパーソンです。
あの先生が何かの弾みに覚醒し、それっぽいお説教と訓戒を垂れて暁美さんを引き戻したら、凄まじく熱いですね。
もはや魔法少女とか魔女とか、究極とか悪魔とか、そんなん関係ない。アラサーなめんな。
同様に、さりげなく呼びこまれてたクラスメイトの皆さまも。
暁美さんは、心底本気で完璧に孤立していたのではなく、何だかんだで魔法少女以外とも接点はあったようです。
途中に出てきた「顔のない人たち」は、孤独で不気味に見えたけれど、考えてみればクラスメイト全員とか、街行く人とかの顔をそんなに認識してるかというと、かなり微妙。
案外人生はそんなものかもしれない。
まさかの「民間人による介入」による決着の可能性も、一応は残されてるのか。
【マミさんのテーマ】
黄色い魔法少女派としては、強いマミさんを見れたのは良かったです。
あの謎のガンアクション、後から振り返ってみれば全くの無意味な戦いってあたりが、特に良いです。
撃つ前に会話をしようよ、会話を…。
マミさんが、暁美さんにせっせとリボンを巻きつけてた理由が初めは分からなかったんですが、時間停止対策だったんですよね。
ではそうすると、本体のマミさんはどうやってたんだろう?普通に考えれば時間停止しちゃうと思うのですが。
偽マミさんから本体にもリボンで繋がってたんでしょうか。よく絡まなかったものだ。
それに少なくとも暁美さんは、周囲の事なんて何も考えずにガンガン発砲しています。
偽マミさんを操っていたマミさんも、当然ながら流れ弾を浴びていたはずで…。
中心にいる暁美さんらは、初動をかわせば後の行方は無視できますが、離れたところにいる本物マミさんは、時間停止が解除されてからが本番です。
なんかもう物凄い勢いで展開されていく弾丸(時間停止)を眺めながら、そろそろ逃げ場がなくなってきたと冷や汗かいてたんじゃなかろうか、あの人。
そして時は動き出す。銃口をつきつけあったまま格好良く決めてる暁美さん+偽マミさんの後ろで、必死に弾丸を避けまくってる本物マミさん。お茶目で惚れる。
あと、貰った入場特典の色紙は、ばっちりマミさんでした。もう何も恐くない。
■劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語
【あらすじ】
まどかさんが謎の神的存在として宇宙の彼方に消えた、その後日。
一人取り残された暁美さんは、ぼそぼそと魔法少女を続けていました。
しかし募るのは、まどかさんへの思慕ばかり。
やがて絶望の淵に落ちた暁美さんは、不慮の事故も相まって立派な魔女へと変貌なされました。
神的まどかさんの救済も届かず、あわやこのままお一人で絶望を食む食むする日々を送るかと思われましたが。
そこはさすがの神。まどかさんはきっちり助けにやってきてくれ、暁美さんは無事に彼女と再会することができました。
そして、その隙を逃さず、暁美さんは全力でまどかさんを拉致なされた。
神的な謎生き物と化したまどかさんを捕縛した暁美さんは、悪魔的な謎生物へと変貌。
彼女を動かすのは、もはや希望でも絶望でもない。
愛を原動力に動く彼女は、果たして間違ってるのか。それとも…。
【前編・後編】
散々言われつくしているように、前作はゼロ年代の総括のようなお話だったように思う。
「私が何かの力に目覚め、それで世界を救う」という妄想は、今となっては結局は妄想でしかなかった。
現実には、個人が超パワーを発揮しても世界は変わらず、そもそも明確な「敵」すらも存在しておらず、ただただ漠然とした不安と問題に満ちている。
人生を左右するような致命的な岐路はそこかしこに溢れていて、そこでの選択は取り消せない。残念ながら。
安易な願いで魔法少女を選択してしまった人々には、安易な理由で進学や就職先を選んでしまった人たちの姿が被ります。
「スポーツが強いから」「制服が可愛いから」「自分にもできそうな仕事だったから」etcetc。
もしもあの時、もっとよく考えていれば、全然違う生活があったかもしれないのに。
ただ上記も含め、実際のところ、劇中で暁美さんらがおっしゃる「魔法少女の絶望」は、さしたる問題ではありません。
命がけの仕事は他にも色々あるし、異常な体はむしろメリットともいえる。どうしても辛かったら自害する手段はあるんだし。
一般社会から孤立して孤独云々に関しては、他言を禁止されてはいないのだから、普通に周囲に話せばいい。
結局、「周囲に話して皆で協力する」ことさえしていれば、この物語はほとんど終わってる。
どうして最初の段階で、家族や友人に相談しないのか。
迫害される?信頼されない?そんなわけないでしょう。
そんな狭量な人たちには見えないし、再現も観測もできる「魔法」を疑う理由はない。
どうしても不安なら、願う奇跡を「魔法少女を認知してもらう」にでもすれば良かった。
とはいえ「それが正しかったと分かってはいても、それでもやっぱり『私』を信じたかった」という気持ちはある。
確かに選択を間違えた自業自得なのかもしれないけれど、それでも私たちは苦労したんだ。
だから、あくまで個の自力による救済を実行したまどかさんからは、一矢報いたようなそんなカタルシスを感じます。
閉じた世界を閉じたままで解決して見せた。
最善手ではないのだけど、やっぱりゼロ年代にも矜持ってもんがある。
【新編その1】
さてそんなわけで一矢報いたはいいんだけど、それでもやっぱり人生は続く。
大変に残念ながら、世の中には不幸や絶望が転がっています。
そんなものなくしてしまいたいのだけど、実際に存在するんだから仕方がない。
同様に、過去に自分がやっちまった失敗選択の事実は、どうやろうとも消えない。
そうなると、もう「それはそれ」として折り合いをつけるしかありません。
やたらに悲愴感満載だった神まどかさんも、やってみたら案外とのほほんとされている。
「未来永劫ひとりぼっち」というのが、神化のデメリットだと思われてたのに、普通に懐かしい人たちと再会できるみたいですし。
確かに元の生活とは大きく違うのでしょうけれど、これはこれでやっていけるんじゃなかろうか。
だけど暁美さんはそれを良しとしなかった。
まどかさんと会いたかったはずなのに、迎えに来てくれた彼女を捕縛するとか、もはや意味が分かりません。
となると、暁美さんが真に望んでいたのは、「鹿目まどか」その人ではなく、「鹿目まどか+日常」だったと思われます。
「まどか」さんでよく使われたブラック企業の例で考えてみる。
『正社員になって結婚してマイホームとマイカーを持った平凡な生活』が夢だった。
でもブラック企業に入社してしまい、そんな昭和型の幸せは実現できなかった。
ただ、それは本当に不幸なのか?
子供の頃に夢見た生活とは違ってしまっても、じゃあすなわち不幸なのか?
そんなことはないでしょう。
ブラック企業に入ってボロボロになり、退社して別の職場で非正規勤務するようになった…確かに「完璧なる幸せ」ではないのかもしれないけれど、不幸と決めつける理由はない。
あの辛かったブラックの経験は、それはそれとして何かの糧にはなる。
経験しないならしない方がもちろんいいのだけど、経験しちゃった以上は、それはそれとして役立てた方がマシです。
そもそも平凡だと思っていた昭和型の幸せとやらは、昭和の時代においても大多数がそうだったわけじゃない。
これは「魔法少女モノは、そもそも皆ハッピーで平和なものだったか?」にも通じます。
例えば元祖の一つである「セーラームーン」の第5部は、終わらない人生と無限ループに絶望した未来のセーラームーンが、死を求めてやってくる話。
そもそもの問題として、思い描いていた「幸せ」は、「平凡な当たり前のもの」ではないのです。
だったら、そんなものに拘る必要はないじゃないか。
もはや魔女能力を武器にしている、さやかさんやお菓子娘には、そんな割り切った頼もしさを感じます。
確かに絶望した。魔法少女を通り越して、何だかよく分からん魔女になった。
でもそれはそれで良いじゃない。
わざわざ求めて手に入れるものでもないけれど、現実問題として絶望して魔女化したんだから、それを有効利用しよう。
今や時代は、そんなフェーズに突入している。
【新編その2】
一方、暁美さんの考えは違った。
絶望パワーを利用するところまでは同じだったけれど(後に「愛」とおっしゃってますが、餌に使ったのは「絶望」の方)、それを使って「平凡な当たり前のもの」(と自分が思い込んでいるもの)を実現しようとした。
ブラック企業の例でいえば、自分の鬱認定をダシに裁判でも起こし、企業を撃破して改革したのちに、既に辞めて第二の人生を始めていた元同僚を強制的に呼びもどしたようなものでしょうか。
(無理がある気もするけど、ニュアンスはあってると信じたい)
で。暁美さんの行動が間違ってるのかどうかは、かなり難しい。
何せ「誰も困っていない」。
円環システムそのものには支障がない(と暁美さんはおっしゃってる)のだから、非難される筋合いはありません。
昭和型の幸せは破綻した。だから新しい2010年代の生活にシフトした。
でも昭和型に問題があったわけではない。単に実現が難しくなっただけ。
だから、実現できるならそれはそれでもいいんです。
かつて経験した絶望の力を、新しい生活を構築することに使うか。それとも以前の生活を取り戻すために使うか。
どちらが正しいとも何とも言えない。
特に動機が「愛」となると、もはや善悪を超越してしまう。
強いて言えば、暁美さんは徹底的に対話を拒んでいるのが気になります。
マミさんやさやかさんが、何度も武器を叩きこんで時間停止を阻止するのが極めて印象的でした。
そして執拗なまでにそれを振り払って、時間を止め続ける暁美さんも。
まどかさんは事情を全く関知できないまま、あの生活を強制されてしまってる。
無理にブラック企業の例えに戻ると、「共働きで苦しんだ妻を、本人の意向無視して専業主婦として隔離した」ようなものでしょうか。
これを幸せと呼ぶかどうか。
なんだかんだで新しい職場には適応していたのに。でもやっぱり外が辛いのも事実なわけで…。
劇中ではここで物語は終わり。
現実の私たちが、まだ答えを経験していないので、ここから先はどうなるか不明の領域です。
前作がゼロ年代の総括ならば、今作は2010年代(というか震災以後というべきか)の問題提起のように感じました。
是非ともこの「答え」を、10年後くらいの第4作で見てみたい。
(左画像) 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ) (右画像) 魔法少女まどか☆マギカ 巴マミ (1/8スケール PVC塗装済み完成品) |
【プリキュアさん】
同日公開の「ドキドキプリキュア」にも、「辛い過去を変える」や「愛」の要素がありましたが、視点の根っこがやや違うかなと思った。
「プリキュア」さんの場合、絶望は不可避で、どう足掻いても必ずやってくる。
「まどか」さんの場合、判断ミスで実行できなかっただけで、絶望を回避する手段はある。
人生に例えるなら、前者が「死」で、後者が「就職」や「進学」。
どちらの方が、より深刻で厄介な問題なのかは、状況にもよるので何とも言えない。
(不可避と言う意味では前者だけど、なまじ努力の余地があるだけに後者の方がきついとも言える)
今年のテーマがフィードバックリンクであることからも分かるように、「プリキュア」さんでは他者との絆がキーです。
一方の「まどか」さんは、依然として「個」に依っている。
方向性の問題なので、どちらが良い悪いという話ではないですが。
「プリキュア」さんでは、悲しい過去があった後に訪れた出会いや出来事が、次の世代への幸せをもたらしてる。
その点、「まどか」さんでは新しい世界・時代での出会いが、特にない。
もしも「プリキュア」文法で演出するなら、多分、暁美さんの絶望を破るのは、新しい世界の住人である魔獣だと思う。
暁美さん:
「この世界にはまどかはいない」
「でも魔獣と出会えた。私は幸せだ」
みたいな感じで。私は魔獣に何を期待してるんだ。
【新編その3】
上記の「他者との絆」ですが、ちょいと引っかかったのが、「学校の先生」の存在。
彼女は魔法少女でも、その家族・友人でもないのに、なぜか呼びこまれてあの世界にいます。
「まどかとの出会いの場を作った、まさにその人」だからかな…。
そうだとすると、「まどかと出会えたのは他者の存在があったから」を示す強力なキーパーソンです。
あの先生が何かの弾みに覚醒し、それっぽいお説教と訓戒を垂れて暁美さんを引き戻したら、凄まじく熱いですね。
もはや魔法少女とか魔女とか、究極とか悪魔とか、そんなん関係ない。アラサーなめんな。
同様に、さりげなく呼びこまれてたクラスメイトの皆さまも。
暁美さんは、心底本気で完璧に孤立していたのではなく、何だかんだで魔法少女以外とも接点はあったようです。
途中に出てきた「顔のない人たち」は、孤独で不気味に見えたけれど、考えてみればクラスメイト全員とか、街行く人とかの顔をそんなに認識してるかというと、かなり微妙。
案外人生はそんなものかもしれない。
まさかの「民間人による介入」による決着の可能性も、一応は残されてるのか。
【マミさんのテーマ】
黄色い魔法少女派としては、強いマミさんを見れたのは良かったです。
あの謎のガンアクション、後から振り返ってみれば全くの無意味な戦いってあたりが、特に良いです。
撃つ前に会話をしようよ、会話を…。
マミさんが、暁美さんにせっせとリボンを巻きつけてた理由が初めは分からなかったんですが、時間停止対策だったんですよね。
ではそうすると、本体のマミさんはどうやってたんだろう?普通に考えれば時間停止しちゃうと思うのですが。
偽マミさんから本体にもリボンで繋がってたんでしょうか。よく絡まなかったものだ。
それに少なくとも暁美さんは、周囲の事なんて何も考えずにガンガン発砲しています。
偽マミさんを操っていたマミさんも、当然ながら流れ弾を浴びていたはずで…。
中心にいる暁美さんらは、初動をかわせば後の行方は無視できますが、離れたところにいる本物マミさんは、時間停止が解除されてからが本番です。
なんかもう物凄い勢いで展開されていく弾丸(時間停止)を眺めながら、そろそろ逃げ場がなくなってきたと冷や汗かいてたんじゃなかろうか、あの人。
そして時は動き出す。銃口をつきつけあったまま格好良く決めてる暁美さん+偽マミさんの後ろで、必死に弾丸を避けまくってる本物マミさん。お茶目で惚れる。
あと、貰った入場特典の色紙は、ばっちりマミさんでした。もう何も恐くない。