■スイートプリキュア♪ 第48話(最終回)「ラララ~♪世界に響け、幸福のメロディニャ!」
戦争は終わった。
しかし戦いがなかったことになるわけではない。
消滅したノイズ様から、ハミィやマイナーの人々、伝説の楽譜や音譜を回収したものの、彼らは目覚めないまま。
石化した世界。失われた音楽。
瓦礫の中からカップケーキやギターを発掘はしますが、めでたしめでたしからは程遠い。
呆然としてしまいそうになる中、エレン姐さんはギターで唄う。
行きついた先は、眠り続けるハミィの夢の中。
五里霧中のお花畑で、ハミィは探し続けていました。
音譜はどこニャ!幸せのメロディはどこニャ!
目の前にいるセイレーンさんたちの姿は目に入らず。
既に楽譜は完成しているのに、それにも気がつかず。
必死に探し続ける姿は謎生物の鑑ではありますが、傍から見れば滑稽です。悲しいくらいに。
幸せを探し続け、眼前の仲間も現状も認識できない。
呼びかけても言葉は届かず、ただ探し続ける。
私たちは、孤独だ。
だけどその溝を音楽が埋めてくれる。
唄い出したセイレーンさんたちの歌声が、迷い続けるハミィにも届く。
結局のところ、私たちはどこまでいっても孤独なのかもしれない。
でも一つになれる世界もきっと来る。
夢の中のお花畑で、皆が一緒に唄う姿はとても印象的。
こうしてハミィは目を覚まし、幸せのメロディを満を持して歌唱。
歌声は世界を包み、ようやくのこと、平和がやってきました。
でも北条さんたちは微妙に浮かない顔。
と、そこに。
ノイズ様:
「ぴぎゃーー」
幸せなはずの日常に、不意にやってくる悲しみの化身・ノイズ様。
即座に臨戦態勢をとる音吉さんらを横に、だけど北条さんたちは大喜び。
音吉さんたち、唖然。ま、孫が籠絡されている…!
北条さん:
「いくら幸せの世界になっても、悲しみや苦しみが全て消えるわけではないわ」
黒川さん:
「悲しみを見ないふりをするのが、幸せとは言わないもの」
これだけ頑張って幸せのメロディを唄ったのに、いきなり早速悲しみは芽生えてる。
案外、「ぴーちゃんが帰ってこない」と思った北条さんたちの悲しみに反応したんじゃ…?という気もしますが。
何にせよ、悲しみを完全になくすことは不可能。だから悲しみも抱えて生きていこう。
そのためには、何度だって変身するし、何度だって戦っていこう。
北条さん:
「そうしたらあたしたちも鼓動のファンファーレを奏でよう!」
鼓動の力・己のビートをキーにして変身してたスイートさんたち。
言うまでもなく、私たちもまた、鼓動の音楽を鳴らしてる。
この鼓動を大事にして、私も戦っていきたいもんだと、そんなことまで思えた素敵な最終回でした。
【今週のメイジャー】
アフロディテ様:
「ついにノイズを倒したのね!」
アフロディテ様視点では、あくまで「倒した」。
そして否定はしないアコさん。
まぁこの流れで「いや悲しみも云々」と言い出すのも野暮ですが。
【今週の北】
ラストシーン、何故か北条夫妻にだけ聴こえていた「幸福のメロディ」。
答えが明示されていないのでどうとでも解釈できますが、私的には彼らの音楽能力が高かったからだと思ってみる。
要は「聞き手によって聴こえ方が違う」。
プロにとっては「歌」でも、一般市民にとっては「何だか分からないが幸せなもの」としか認識できない。
同じものでも、人によって受け取り方が違うという一種のディスコミュニケーション。
でも、「幸せになる」という点は変わらない。
表面的には差が生まれても、それはそれでいいだろう的な幸せな回答なのだと思う。
もっとも聞き手の能力に差があり過ぎると、劇場版のような「あんたたちには聴こえないでしょうね」になるんだろうな…。
【スイートさん その1】
凄まじい1年でした。
『私たちはバラバラで、お互いに理解し合うことはできない』
昨今痛烈に感じるテーマが、これでもかと凝縮されてた。
子供の頃と比べ、価値観が多様化し、物の考え方も人によって違う。
「○○ならこうすべきだ」「××をみんな欲しがるのが当然だ」なんて言ったら、今では当たり前に馬鹿にされる。
「見方によって様々な解釈がある」「事実は立ち位置によって変わる」といった発想は、もはや陳腐を通り越して言うまでもない大前提。
もちろんそれらは「良いこと」なのだろうけど、引き換えに私たちは連帯を失ってます。
価値観が違うと言われればそれまでだし、見方が色々あるなら何が正しいかが曖昧になる。
だからつい思ってしまう。「昔は良かった」。
認識の違いにより喧嘩を勃発した北条さんが、精神的に引きこもってたところから始まる今シリーズ。
ネガトーンは毎回毎回、幸せを象徴するアイテムを素材に使われて襲ってくる。
メイジャーVSマイナーならいつかは和解するはず…と思われるのに、いまいちはっきりしない不安な展開も延々続く。
それらを積み重ねて提示された回答が、『過去を共有しているのだから、また連帯できる』。
「昔はみんな一緒で良かった」と思っているのなら、すなわち「過去」というキーがある。
これは目から鱗でした。特に劇場版、壊れ切った現在の中、「過去」を使って立ち上がる展開は何度見ても泣いた。
でもこの回答には穴がある。「過去」がキーなら、「過去」に連帯していなかった人はあっさりと振り落とされてしまう。
それどころか、「現在」は「未来」における「過去」。今現在に連帯していない人は、将来も孤立することが確定します。
ところがそもそも「現在」連帯できてないのは、「過去」に連帯できていないから。つまり詰んでる。
その意味で、マイナーの人たちやノイズ様との決着は、非常に面白かった。
バスドラ・バリトンさんに呼び掛けたのは、メロディさんでした。
本来この役はセイレーンがやった方が、辻褄はあう。でもそこでメロディさん。
元々メロディさんとマイナーさんには、接点はない。共有体験ゼロ。
でも、両者には「1年かけて音符集めを競い合った」体験がある。仲良しこよしで過ごした時間だけが、共有体験じゃない。
42話で、お互いにお互いのことを完全に理解して行動してたのは、地味に熱い。
一方のノイズ様。「音符集めを頑張った」体験もない。
本気で何も、共有体験なし。
だから打倒するしかない…と思いきや、「悲しい」というワードで連帯。
そこで最初の問題提起に戻る。
「価値観が多様化し、私たちはバラバラだ」。
よく考えてみれば、この問題は矛盾してます。
「バラバラであること」を問題視しているのなら、その価値観は一致してる。
「孤独で悲しい」のなら、その「悲しい」が共通ワードになれる。
ここで「いや別にバラバラでいいよ」という人とは、確かに連帯は出来ないけれど。
でもノイズ様は違った。悲しいと感じてた。それならば分かり合える。
似ていると思われたゴーヤーンや館長さんとの違いは、その辺なのかなと思ってる。
【スイートさん その2】
別の表現でいえば、「壊れた過去を復旧する」お話だった。
ただし「復旧」できても、「前と同じ」にはならない。
「悲しみは何度でもやってくる」と言うノイズ様に、ミューズさんたちは「その度に乗り越えて前に進める」と応じた。
逆にいえば、乗り越えると前に進んでしまうんです。
劇場版の「キュアミューズ」として出撃していくアコさんと、それを見守るお友達のシーンは、妙に切ないです。
仲直りしても、以前と全く同じ子供時代はもう戻らない。
あの夏のヒマワリ畑のシーンが胸にくるのは、「もうどうやっても戻らない失われた過去」だから。
「セイレーンが何故ネコに戻れないのか」は、私的にはそういう解釈です。
子供のころには何にでも姿を変えられるし、見方一つで正体も変わる。
だけど成長してしまえば姿は一つ。
自分のビートを見つけ、自分の意思でプリキュアを選択したセイレーンさんは、もう以前のネコには戻れない。
プリキュアになった時点で、莫大にあった変身姿も選択肢も消えた。
でもだからといって、過去が消え去ったわけじゃない。
現実は変わり続けるし、物理的になくなったり壊れたりもする。
だけどそこに拘ると、幸せアイテムがネガトーン化するように、過去が自分を縛りつける不幸アイテムになってしまう。
【スイートさん その3】
…というのが、私なりの「スイート」さんの解釈。
よりにもよって2011年度にこれをやったのは、凄まじいとしか言いようがない。
本当に素晴らしいシリーズでした。
ただ、歴代の中でも飛びぬけて難しいシリーズだったとも思う。
「お子様には難易度が高い」という意味ではなく、10代から20代前半には厳しいんじゃないかな。
「周囲との断絶」とか「過去との別離」とか、その年代で実感するのは無茶でしょう。
(逆にお子様なら、すんなり受け入れるし、感じ取るところもあるはず)
受け手によって物凄く評価の分かれるシリーズだったはずで、しかもその理由がテーマに直結している(共有体験がなければ分かり合えない)のがまた凄い。
【スイートさん その4】
コンテンツの都合上、北条さんたちは中学生ですけど、テーマ的には社会人2年目くらいに設定した方が説得力は増したと思う。同時に、絶望感も増しますけれど。
深く考えずに入社した後、遠くなってしまった友人たちを思いながら、楽しかった学生時代に思いを馳せる北条さん。
業績をあげても見方一つでがらりと評価は反転し、職場の同僚たちとは価値観の違いを尊重してお互いに距離を取る。
明確な悪が存在するわけでもないのに、自分たちではどうしようもない外部要因により、状況は緩々と悪化する一方。
それでも仕事をこなして頑張ってるけど、家に帰るとダンベルを上げ下げするだけの毎日。
北条さん:
「どうして、こうなったんだろう…」
そんな灰色の日々に、不意に目覚めたプリキュア能力。
そして始まる激戦の中、バラバラに思えた職場や顧客や取引先が連帯し、何だかよく分からない寂しさと戦う…みたいなお話。
「自分のビートを見つけて鳴らし、周囲とハーモニー」は、社会人にこそ必要に違いない。
【スイートさん その5】
お話的に「北条-南野」「黒川-ハミィ」「調辺親娘」の3パートに分かれてる。
多分、一つに絞った方が、内容はすっきりするはず。
でもあえてそうしなかったのは、これが「スイート(組曲)」だからだろうと思う。
実質的に、プリキュアオムニバスなんですよね、今回は。
そして別々のお話が、最後には連帯して戦う。まさに組曲。
【スイートさん その6】
個人的にはメロディ派の1年でした。
昨年は花咲株を大量に買い込んで大損しましたが、今年は微量に儲けが出た…はず。
まぁビート株を高値買いした気がするので、相殺されそうですが。
テーマ面ではビートさんも好き。ラブギターロッドのCM補正もあって、大変に格好いい。
もしも自分がプリキュアになれたなら、ビートさんを目指したいかも。
まぁそういったところで。
色々と起こった1年でしたが、今年も「プリキュア」さんには励まされたし、学ぶことも多かった。
改めて感謝するとともに、来年度にも期待しています。
戦争は終わった。
しかし戦いがなかったことになるわけではない。
消滅したノイズ様から、ハミィやマイナーの人々、伝説の楽譜や音譜を回収したものの、彼らは目覚めないまま。
石化した世界。失われた音楽。
瓦礫の中からカップケーキやギターを発掘はしますが、めでたしめでたしからは程遠い。
呆然としてしまいそうになる中、エレン姐さんはギターで唄う。
行きついた先は、眠り続けるハミィの夢の中。
五里霧中のお花畑で、ハミィは探し続けていました。
音譜はどこニャ!幸せのメロディはどこニャ!
目の前にいるセイレーンさんたちの姿は目に入らず。
既に楽譜は完成しているのに、それにも気がつかず。
必死に探し続ける姿は謎生物の鑑ではありますが、傍から見れば滑稽です。悲しいくらいに。
幸せを探し続け、眼前の仲間も現状も認識できない。
呼びかけても言葉は届かず、ただ探し続ける。
私たちは、孤独だ。
だけどその溝を音楽が埋めてくれる。
唄い出したセイレーンさんたちの歌声が、迷い続けるハミィにも届く。
結局のところ、私たちはどこまでいっても孤独なのかもしれない。
でも一つになれる世界もきっと来る。
夢の中のお花畑で、皆が一緒に唄う姿はとても印象的。
こうしてハミィは目を覚まし、幸せのメロディを満を持して歌唱。
歌声は世界を包み、ようやくのこと、平和がやってきました。
でも北条さんたちは微妙に浮かない顔。
と、そこに。
ノイズ様:
「ぴぎゃーー」
幸せなはずの日常に、不意にやってくる悲しみの化身・ノイズ様。
即座に臨戦態勢をとる音吉さんらを横に、だけど北条さんたちは大喜び。
音吉さんたち、唖然。ま、孫が籠絡されている…!
北条さん:
「いくら幸せの世界になっても、悲しみや苦しみが全て消えるわけではないわ」
黒川さん:
「悲しみを見ないふりをするのが、幸せとは言わないもの」
これだけ頑張って幸せのメロディを唄ったのに、いきなり早速悲しみは芽生えてる。
案外、「ぴーちゃんが帰ってこない」と思った北条さんたちの悲しみに反応したんじゃ…?という気もしますが。
何にせよ、悲しみを完全になくすことは不可能。だから悲しみも抱えて生きていこう。
そのためには、何度だって変身するし、何度だって戦っていこう。
北条さん:
「そうしたらあたしたちも鼓動のファンファーレを奏でよう!」
鼓動の力・己のビートをキーにして変身してたスイートさんたち。
言うまでもなく、私たちもまた、鼓動の音楽を鳴らしてる。
この鼓動を大事にして、私も戦っていきたいもんだと、そんなことまで思えた素敵な最終回でした。
(左画像) 映画スイートプリキュア♪とりもどせ!心がつなぐ奇跡のメロディ♪ 特装版 【Blu-ray】 (右画像) スイートプリキュア♪ 2012年カレンダー |
【今週のメイジャー】
アフロディテ様:
「ついにノイズを倒したのね!」
アフロディテ様視点では、あくまで「倒した」。
そして否定はしないアコさん。
まぁこの流れで「いや悲しみも云々」と言い出すのも野暮ですが。
【今週の北】
ラストシーン、何故か北条夫妻にだけ聴こえていた「幸福のメロディ」。
答えが明示されていないのでどうとでも解釈できますが、私的には彼らの音楽能力が高かったからだと思ってみる。
要は「聞き手によって聴こえ方が違う」。
プロにとっては「歌」でも、一般市民にとっては「何だか分からないが幸せなもの」としか認識できない。
同じものでも、人によって受け取り方が違うという一種のディスコミュニケーション。
でも、「幸せになる」という点は変わらない。
表面的には差が生まれても、それはそれでいいだろう的な幸せな回答なのだと思う。
もっとも聞き手の能力に差があり過ぎると、劇場版のような「あんたたちには聴こえないでしょうね」になるんだろうな…。
【スイートさん その1】
凄まじい1年でした。
『私たちはバラバラで、お互いに理解し合うことはできない』
昨今痛烈に感じるテーマが、これでもかと凝縮されてた。
子供の頃と比べ、価値観が多様化し、物の考え方も人によって違う。
「○○ならこうすべきだ」「××をみんな欲しがるのが当然だ」なんて言ったら、今では当たり前に馬鹿にされる。
「見方によって様々な解釈がある」「事実は立ち位置によって変わる」といった発想は、もはや陳腐を通り越して言うまでもない大前提。
もちろんそれらは「良いこと」なのだろうけど、引き換えに私たちは連帯を失ってます。
価値観が違うと言われればそれまでだし、見方が色々あるなら何が正しいかが曖昧になる。
だからつい思ってしまう。「昔は良かった」。
認識の違いにより喧嘩を勃発した北条さんが、精神的に引きこもってたところから始まる今シリーズ。
ネガトーンは毎回毎回、幸せを象徴するアイテムを素材に使われて襲ってくる。
メイジャーVSマイナーならいつかは和解するはず…と思われるのに、いまいちはっきりしない不安な展開も延々続く。
それらを積み重ねて提示された回答が、『過去を共有しているのだから、また連帯できる』。
「昔はみんな一緒で良かった」と思っているのなら、すなわち「過去」というキーがある。
これは目から鱗でした。特に劇場版、壊れ切った現在の中、「過去」を使って立ち上がる展開は何度見ても泣いた。
でもこの回答には穴がある。「過去」がキーなら、「過去」に連帯していなかった人はあっさりと振り落とされてしまう。
それどころか、「現在」は「未来」における「過去」。今現在に連帯していない人は、将来も孤立することが確定します。
ところがそもそも「現在」連帯できてないのは、「過去」に連帯できていないから。つまり詰んでる。
その意味で、マイナーの人たちやノイズ様との決着は、非常に面白かった。
バスドラ・バリトンさんに呼び掛けたのは、メロディさんでした。
本来この役はセイレーンがやった方が、辻褄はあう。でもそこでメロディさん。
元々メロディさんとマイナーさんには、接点はない。共有体験ゼロ。
でも、両者には「1年かけて音符集めを競い合った」体験がある。仲良しこよしで過ごした時間だけが、共有体験じゃない。
42話で、お互いにお互いのことを完全に理解して行動してたのは、地味に熱い。
一方のノイズ様。「音符集めを頑張った」体験もない。
本気で何も、共有体験なし。
だから打倒するしかない…と思いきや、「悲しい」というワードで連帯。
そこで最初の問題提起に戻る。
「価値観が多様化し、私たちはバラバラだ」。
よく考えてみれば、この問題は矛盾してます。
「バラバラであること」を問題視しているのなら、その価値観は一致してる。
「孤独で悲しい」のなら、その「悲しい」が共通ワードになれる。
ここで「いや別にバラバラでいいよ」という人とは、確かに連帯は出来ないけれど。
でもノイズ様は違った。悲しいと感じてた。それならば分かり合える。
似ていると思われたゴーヤーンや館長さんとの違いは、その辺なのかなと思ってる。
【スイートさん その2】
別の表現でいえば、「壊れた過去を復旧する」お話だった。
ただし「復旧」できても、「前と同じ」にはならない。
「悲しみは何度でもやってくる」と言うノイズ様に、ミューズさんたちは「その度に乗り越えて前に進める」と応じた。
逆にいえば、乗り越えると前に進んでしまうんです。
劇場版の「キュアミューズ」として出撃していくアコさんと、それを見守るお友達のシーンは、妙に切ないです。
仲直りしても、以前と全く同じ子供時代はもう戻らない。
あの夏のヒマワリ畑のシーンが胸にくるのは、「もうどうやっても戻らない失われた過去」だから。
「セイレーンが何故ネコに戻れないのか」は、私的にはそういう解釈です。
子供のころには何にでも姿を変えられるし、見方一つで正体も変わる。
だけど成長してしまえば姿は一つ。
自分のビートを見つけ、自分の意思でプリキュアを選択したセイレーンさんは、もう以前のネコには戻れない。
プリキュアになった時点で、莫大にあった変身姿も選択肢も消えた。
でもだからといって、過去が消え去ったわけじゃない。
現実は変わり続けるし、物理的になくなったり壊れたりもする。
だけどそこに拘ると、幸せアイテムがネガトーン化するように、過去が自分を縛りつける不幸アイテムになってしまう。
【スイートさん その3】
…というのが、私なりの「スイート」さんの解釈。
よりにもよって2011年度にこれをやったのは、凄まじいとしか言いようがない。
本当に素晴らしいシリーズでした。
ただ、歴代の中でも飛びぬけて難しいシリーズだったとも思う。
「お子様には難易度が高い」という意味ではなく、10代から20代前半には厳しいんじゃないかな。
「周囲との断絶」とか「過去との別離」とか、その年代で実感するのは無茶でしょう。
(逆にお子様なら、すんなり受け入れるし、感じ取るところもあるはず)
受け手によって物凄く評価の分かれるシリーズだったはずで、しかもその理由がテーマに直結している(共有体験がなければ分かり合えない)のがまた凄い。
【スイートさん その4】
コンテンツの都合上、北条さんたちは中学生ですけど、テーマ的には社会人2年目くらいに設定した方が説得力は増したと思う。同時に、絶望感も増しますけれど。
深く考えずに入社した後、遠くなってしまった友人たちを思いながら、楽しかった学生時代に思いを馳せる北条さん。
業績をあげても見方一つでがらりと評価は反転し、職場の同僚たちとは価値観の違いを尊重してお互いに距離を取る。
明確な悪が存在するわけでもないのに、自分たちではどうしようもない外部要因により、状況は緩々と悪化する一方。
それでも仕事をこなして頑張ってるけど、家に帰るとダンベルを上げ下げするだけの毎日。
北条さん:
「どうして、こうなったんだろう…」
そんな灰色の日々に、不意に目覚めたプリキュア能力。
そして始まる激戦の中、バラバラに思えた職場や顧客や取引先が連帯し、何だかよく分からない寂しさと戦う…みたいなお話。
「自分のビートを見つけて鳴らし、周囲とハーモニー」は、社会人にこそ必要に違いない。
【スイートさん その5】
お話的に「北条-南野」「黒川-ハミィ」「調辺親娘」の3パートに分かれてる。
多分、一つに絞った方が、内容はすっきりするはず。
でもあえてそうしなかったのは、これが「スイート(組曲)」だからだろうと思う。
実質的に、プリキュアオムニバスなんですよね、今回は。
そして別々のお話が、最後には連帯して戦う。まさに組曲。
【スイートさん その6】
個人的にはメロディ派の1年でした。
昨年は花咲株を大量に買い込んで大損しましたが、今年は微量に儲けが出た…はず。
まぁビート株を高値買いした気がするので、相殺されそうですが。
テーマ面ではビートさんも好き。ラブギターロッドのCM補正もあって、大変に格好いい。
もしも自分がプリキュアになれたなら、ビートさんを目指したいかも。
まぁそういったところで。
色々と起こった1年でしたが、今年も「プリキュア」さんには励まされたし、学ぶことも多かった。
改めて感謝するとともに、来年度にも期待しています。